クロアチア・スロベニア周遊8日間

 2019年3月9日土曜日~16日(土曜日)

ク ロ ア チ ア の 国 旗
クロアチアの国境
スロベニアの国章
ス ロ ベ ニ ア の 国 旗

 3月9日(土曜日) 出 発

 ルフトハンザ〈LH-716便〉の機内で最初のドリンクサービスを受けているところである。缶ビールとレッドワインをリクエストした。
 羽田国際空港を12時45分に飛び立ち、乗り継ぎ空港のミュンヘン国際空港まで12時間のフライトである。どうやって過ごすかは先ず一杯飲んでから考えることにして、前席の椅子の背に取り付けられたテレビをチェックし、日本語で聞ける設定をした。

 退職金で買った東武鉄道の株で350万円を儲けたのがいけなかった。欲を掻いた私は、証券会社のセールスマンの口車に乗せられて、貯金をはたき1,700万円もの大金を米国の投資信託に投資したところ、その直ぐ後の、米国のリーマンショックに巻き込まれ、最終的には今年の1月には55万円しか残っていなかった。自分の馬鹿さ加減に嫌気が差して物件を精算したら、手数料や税金を差し引かれ何とか50万円が戻ってきた。この金で憂さ晴らしに旅行にでも行こうと、いろんな旅行会社から送られてくるパンフレットを見ていたら、〈クロアチア・スロベニア〉が目に止まった。どうせ旅をするなら今迄行ったことのない国へ行こうと思っての衝動買いである。私は毎日が日曜日だから、催行決定日○印の付いた3月9日出発にした。
 旅行を申し込んだのは1月4日だった。昨年10月にパスポートの期限が切れていたので、この日に新規申請もした。パスポートが有効期限内での更新だと戸籍謄本や住民票は不要だが、新規となるとこの両方の提出も必要となる。私の本籍は足立区なので、今住んでいる春日部市役所から〈戸籍謄本申請書〉を貰い、自分宅の宛名を書いた封筒、返送分の82円切手と身分証明書(個人番号カードのコピー)、手数料として450円の郵便定額小為替を同封して足立区役所の戸籍課へ発送した。パスポートについては、果たしてあと10年も旅行が続けられるか倦ねたが、折角だから期限10年のを申請した。証紙と印紙代が16,000円掛かった。
 因みに旅行代金は209,800円、一人部屋追加料金が65,000円、国内航空税2,570円、海外航空税14,840円、燃油サーチャージ代38,000円、それに今年1月1日から徴収されることになった国際観光旅客税1,000円(日本から出国する旅客・国際観光旅客等から徴収)である。これは観光先進国実現に向けた観光基盤の拡充・強化を図るための恒久的な財源を確保するためにという理由で、原則として、船舶又は航空会社(特別徴収義務者)が、チケット代金に上乗せする等の方法で、日本から出国する旅客(国際観光旅客等)から徴収し、国に納付するものである。が、どうもしっくりしない悪税のような気がした。

 機内食はポークを食べた。ルフトハンザはサービス満点である。
 「最後部にBARコーナーを設けてありますから何時でもどうぞ」というアナウンスがあったし、フライトアテンダントがコップに入れたジュースや水をお盆にのせて巡回してくれるので、
 「レッドワインプリーズ」と言うと、いやな顔一つせず持ってきてくれる。

 出発前にユーロ(€)への換金をした。インターネットの外貨換金業社を利用すれば自宅まで届けてくれて、現金と引き換えで受け取れて、しかもレートが高いのだが、3万円以上でないと受け付けてくれない。出発当日空港で換金してもいいのだが、近くに春日部郵便局があるのでレイトは少々安くても20,588円だけ換金して160€(1€=128.68円)にしておいた。今回の旅行で宿泊するスロベニアと帰国時の空港オーストリアではユーロしか使えない。ところが滞在期間の長いクロアチアの通貨はクロアチア・クーナCroatian Kuna(Kn)である。クロアチアがEUに加盟したのは2013年7月だが、現在もまだ通貨の統合はされておらず、Knのままである。(日本ではKnには換金することが出来ない。移動の自由を定めたシェンゲン協定へも未加盟状態である)

 出発3日前に今回の旅行添乗員となる上田(かみだ)昌子さんから電話が掛かってきた。旅行の参加者は17名で、スロベニアとクロアチアの気候についてや、長時間の徒歩観光があるので雨合羽を持参した方がいい、歩きやすい履き慣れた靴でとのアドバイスがあり、
 「€に換金しましたか?」と聴くので
 「はい2万円程換金しました」と答えた。
 「クロアチアのKnは現地でしか換金できません。Knは日本円からでも換金できますが、クロアチアでは€を使える所もあるし、カードが使えますから€で通すこともできますので、現金は最小限で良いと思います」等との説明があった。

 3月9日の朝は-1度と寒かった。スロベニアとクロアチアの気候も日本の冬と同じ位だと上田さんから聴いたので、家を出る時は赤いセーターに赤い襟巻き、真っ赤なダウンジャケットを着、Gパンにした。ロシァで買ったミンクのコサック帽を被って行こうかとも考えたが、ロシァの冬ほど寒くはなかろうと、妻が拵えてくれた焦げ茶色の布の帽子にした。靴についても寒さや雪に備え、やはりロシア旅行の時に買ったブーツを履いた。羽田までの車中はそれで丁度良かった。

 機内での席は予め決められていた。一人参加者は通路側が原則ということで、乗り継ぎ分を含めて往復通路側の席であった。トイレが近い私としては多いに助かった。
 何処の国の映画か判らなかったが、備え付けテレビで洋画2本と、役所広司主役の時代劇を1本見た。時々まどろんだりしたが、12時間は長い。ミュンヘン到着1時間前に2度目の機内食が出た。その時に呑んだ缶ビールを含めると、飛行中のアルコールは缶ビール(350ml)3本とレッドワイン9杯である。海外旅行初日という緊張からか、全く酔わなかった。
 ミュンヘン国際空港には現地時間の16時45分に着いた。日本との時差は-8時間である。飛行機を降りて入国審査に向かう途中の通路で、初めて参加者全員が勢揃いした。
 上田さんからミュンヘンからイタリアのトリエステ行きのチケットを渡され、後に付いてユーロ圏への入国審査に向かう。
 「パスポートとトリエステ行きのチケットを通関職員に渡し、入国審査を受けて下さい」との説明があった。
 今回の旅行の最終目的地はトリエステ国際空港(1935年秋に、イタリア軍の空軍基地として設置された空港で、第二次世界大戦後軍民共用空港となり、現在は地元自治体と州政府が運営する国際空港となっている。イタリア北東部にある国際空港だが定期便は国内線に限られており、日本の航空会社の乗り入れがないため、日本からの直行便は無い)である。
 ヨーロッパを旅行する場合、シェンゲン協定により入出国審査が異なる。シェンゲン協定加盟国内では最初の到着地で入国審査があり、最後の出国地で出国審査が行われる。このため、経由国では入国スタンプを押されることは原則的にはない。この規定から入国審査はミュンヘンで行われた。
 日本からからスロベニア(シェンゲン協定国)へ乗り継ぐので、ターミナル2のレベル5で(スーツケースはトリエステで受け取る事になっている)”Non EU”と表示されている長い列に並び入国審査を受けた。
 そこを出たレベル4で保安審査を受けた。ここのチェックはかなり厳しく、セーフボックスを潜り抜けた後にブーツを脱がされX線に掛けられた。
 保安審査を受け終わったところで全員が再集合した。上田さんが
 「ミュンヘン出発は19時55分です。あと2時間近くありますが、取り敢えず出発ゲート迄御案内致します。国内線扱いですから機内食は出ないと思います。ホテルでの夕食も御座いませんので、空港内で何かお召し上がりになることをお勧めします」と、目印の折りたたみ傘を翳しながら歩き出した。
 ミュンヘン空港は広い、ゲートまで15分ぐらい歩いた。LH-1938便出発ゲートに変更が無い事を確認してから、
「出発は20時50分です。30分前に搭乗開始となりますので、それ迄にはここに戻ってきて下さい」との上田さんの案内を聞いて自由行動となった。
 先ずは免税店を目指した。旅行中の寝酒にナポレオン(ブランデー)720ml・1本を45€(1€=130円で換算・5,850円)でゲットした。レストランが何軒もあった。BAR風レストランの、皿に盛った料理が並べられているガラスケースを覗き、コッペパンにハムとチーズが挟んであるサンドイッチを買い、500ccのジョッキビールを注文した。店員が勧めるカウンターはかなり高い椅子だった。手荷物のリュックとワインは隣の椅子に置き、食べ始めたらパンがフランスパンのように堅くて閉口したが美味かった。食べ終えて1時間前に搭乗ゲート前に戻る。ベンチに座ると、機内で飲んだワインとジョッキビールが効いてきて、心地よい居眠りとなってしまった。
 上田さんの大声が聞こえてきたので目が覚めた。殆どの人が登場していた。熟睡していたら置いてけぼりを喰うところであった。
 座席は通路の両側に3人掛けである。シートベルト着用のランプが点灯していたが、オシッコが溜まっていたから真っ先に一番後ろにあるトイレへ直行した。出てきたら上田さんが私が居ないと探し回っていて、
 「トイレに行っていたんですか? 鈴木さんが乗っていてくれてホットしましたよ」といわれてしまった。
 乗客が乗り終えると機は予定より早く動き出した。トリエステ国際空港迄の飛行時間は55分である。  
 トリエステ国際空港にはビル横付けのタラップが無く、リムジンバスでターミナルロビー迄運ばれた。2階建てのこぢんまりした小さな空港である。ターミナルに入るとすぐClaim Beltがあった。
 銘々がスーツケースを引いて上田さんの後に付いてBUS迄移動。BUSは50人乗りの大型車だった。上田さんを含めて乗客は18名だから余裕しゃくしゃくである。このバスには最終日のクラーツまでご厄介になる。
 ドライバーは185cmもある長身の白人男性で、名前は[ボージュ]さんと紹介された。
 スロベニアにも空港が有るのではと思うのだが、このツアーでは何故かイタリアの空港で降ろされた。ここから今晩宿泊するスロベニアのフレッド迄は143km・約3時間掛かる。国境を跨いでいるが、イタリアとスロベニアはシェンゲン協定に加盟しているEU加盟国だから入国審査は無いそうだ。上田さんがこのことについて詳しく話してくれた。
「シェンゲン圏には[シェンゲン協定に加盟していないEU加盟国][シェンゲン協定に加盟している非EU加盟国][事実上シェンゲン協定に加盟している非EU加盟国][国境審査を行っていない非EU加盟国]があります。シェンゲン協定は、ヨーロッパの国家間において国境検査なしで国境を越えることを許可する協定であります。
 シェンゲン圏は、1985年に署名されたシェンゲン協定が適用されるヨーロッパの26の国の領域をいいます。シェンゲン圏では渡航者が圏内に入域、または圏外へ出域する場合には国境検査を受けますが、圏内で国境を越えるさいには検査を受けないことになっており、この点で単一の国家のようになっています。ですが明日から観光するクロアチアは現在シェンゲン協定には加盟しておりません。将来的に加盟することとなっているEU加盟国ですので、何回も国境越えで検査を受ける事になります」そして次ぎにクロアチアの通貨両替について説明を始めた。
 「クロアチアの通貨はクーナ(Kn)です。1Knは日本円で約18円です。皆さんはユーロをお持ちになっていらっしゃいますよね? Knが無くても€が使える所もありますし、カードで支払いも出来ますから、€だけでも大丈夫です。今晩宿泊するスロベニアのホテルではKnへの換金は出来ません。明日の観光ではKnは使えませんから、換金については12日のドブロヴニクということになります」ここで一旦話を打ち切り
 「間もなくイタリアとスロベニアの国境を通過します。ここは両国ともシェンゲン協定加盟国ですから検査なしで通過できます」続きである
 「Knに換金しないで€で支払う場合、スロベニアでは1€(130円)は7Kn(126円)で計算されます。€からKnに換金する場合手数料を取られますから、€の方が若干お得ということです」
 私はうとうとしていたが、走行中スロベニアについての紹介があった。
 「スロベニア共和国は中央ヨーロッパに位置する国で、主要なヨーロッパの文化や交易の交差路となっています。面積は20,273㎢で日本の四国とほぼ同じ位の大きさです。人口は2,070,050人 (2018年)、人口密度は100人/㎢、首都はリュブリャナです。
 住民の91%がスロベニア人で、クロアチア人3%、セルビア人2%などが暮らしています。宗教比率はカトリックが57.8%、イスラム教2.4%、プロテスタント0.8%、その他が37.7%です。
 言語はスロベニア語(公用語)を用い、通貨はユーロ[€]・消費税は20%です。平均寿命は男性が74.4歳、女性は81.7歳、乳児死亡率は2%です。識字率は99.7%と高く、農林・漁業就業者比率は3%です。日本との時差は-8時間です。
 1991年までユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成する6つの共和国の1つでありました。イタリア、オーストリア、ハンガリー、クロアチアと国境を接し、アドリア海に臨みます。領域の半分近くが山岳で、東西にカラバンケ山脈、ユリスケ・アルプスが走っています。最高峰はユリースケアルペのトリグラフ山 (2,864m)で、山麓にはボッヘン、ブレッドなどの氷河湖があります。
 サバ川が、同山脈に源を発し、アルプスを源流として南東の平原部にスロベニアを横断流下しています。美しい自然に恵まれ、年間150万人を超える観光客が訪れます。二大河川のサバ川、ドラバ川はいずれもドナウ川の支流です。地下資源は石油、鉛、亜鉛、水銀などの鉱産に富み天然ガスを産し電力に恵まれ鉄鋼、アルミニウム、機械、繊維などの工業が盛んです。イエセニツェの製鉄、クラニの電気機器、リュブリャナの製薬などが有名です。
 6世紀末頃からスロベニア人の居住地となり,8世紀末からフランク王国の支配下にありました。13世紀からはオーストリアの支配を受け、のちにオーストリア=ハンガリー帝国に統治されています。
 1918年、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国 (1929年ユーゴスラビアと改称) の一部として独立しました。その後、スロベニアは第2次世界大戦中はドイツ、イタリア、ハンガリーに占領されましたが、戦後に独立を回復、1945年 11月のユーゴスラビア連邦人民共和国成立時には同国を構成する6共和国の一つとなりました。
 1963年ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の成立に伴い,スロベニア社会主義共和国に改称し、1991年クロアチアとともに独立を宣言しました。
GDP は387億€(2016年・79位)で、1人当りのGNPは 19,376€(2016年)と中東欧諸国の中で最も高い値です。
 EU(ヨーロッパ連合)加盟をめざして,1998年から交渉が始まり,2004年5月に加盟しました。また同年3月には他の中東欧6ヵ国とともにNATO(北大西洋条約機構)にも加盟しました。
 ジャガイモ、ホップ、テンサイを中心とした農業も行なわれています」 何も見ないで上田さんのガイドは流暢であった。
 「ホテルの部屋にサービスのペットボトルは置いて有るのですか?」と誰かが聞いた
 「有りません。BUSにはいつも積んであります。1本1€ですのでボージュさんからお買い下さい」と言うので、私は1本買っておいた。
 予定より50分早い23時にホテルKRIMに到着した。
 「このツアーではBUSからホテルのロビーまでスーツケースはポーターさんが運んでくれますから手荷物だけお持ちになって、ロビーにてお待ち下さい」と言うのでロビーにて待った。
 ブレッドのクリムホテルは市内中心部にある5階建て、フレッド湖迄10分で行ける場所にあるというが、周りにはなにも無い。上田さんが各部屋の鍵と[3月10日の出発御案内]という用紙を配った後口頭での説明があった。
 「この階は0階です。レストランはこのロビーの奧にあります。6時からお食事が出来ます。モーニングコールは午前7時にお掛けします。スーツケースの回収は8時です。7時30分迄にお部屋の外のドアー横に出して置いて下さい。出発は9時です。明日はフレッド湖の観光となります。朝はかなり冷え込みますので、上着を御用意下さい。手袋をお持ちの方はお持ち下さい。観光後クロアチアへの国境越えとなりますので、パスポートは何時でも取り出せるようにしておいて下さい。空港でお渡しした[イヤホン]、貴重品は手荷物の中へ入れて下さい」
 スーツケースがロビーに運ばれてきた。
 「皆様のお部屋は1階です。ポーターさんが各部屋にお持ちするより御自分でお持ちになった方が早いと思います。エレベーターは其処です。歩いて行かれても直ぐです」と言うので、早く鍵を受け取った人はスーツケースを引いて歩き出した。
 部屋の鍵は旧式の差し込み式である。右に左にグルグル回してようやく部屋に入ることが出来た。0時を過ぎていたので、スーツケースは開けず、シャワーも浴びず、下着のままでダブルBEDに横になった。部屋の温度は25度もあって暑いくらいだが、こんな薄い掛け布団で風邪を引かないのだろうか? と心配になる、シーツ1枚だけだった。

 3月10日(日曜日) 第2日目・スロベニア

 午前4時に目が覚めてしまった。昨日のアルコールは完全に消化されている。今日の観光に備えて、いつもの腕立て伏せと柔軟体操とスクワットをこなしシャワールームへ入る。髭を剃り歯を磨き熱めのシャワーを浴びる。レストランが開くまで時間はたっぷりあるので、日課である日記を書いてしまう。外は真っ暗だし、天気予報でも見ようとテレビを点ける。リモコンをどういじくっても1つのチャンネルしか映らない。
 6時から食事が出来ると聞いていたので、スーツケースをドアの外に出し、食堂に行く。ハム、ソーセージ、チーズにゆで卵、ミルクがあったのでトイレ調整の為飲んでおく。東南アジアと違うからお粥、御飯の類いは無い。リンゴと柑橘類が丸ごと篭の中に盛ってある。野菜が無いのが物足らなかった。
 午前9時出発、旅慣れたツアーの参加者は15分前には全員がバスに乗り込んでいた。ミュンヘンで買ったブランデーの瓶は手つかずの儘手荷物としてBUSに乗せた。現地の女性ガイドもBUSに乗ってきた。上田さんがマイクを握る
 「お早う御座います。ドブロジュトロ(Dobro jutro)これはクロアチア語のお早う御座いますです。皆様も御一緒に『ドブロジュトロ』、覚えて下さい。今日もドライバーさんはボージュさんです」ボージュさんも
 「ドブロジュトロ、おはよござます」と挨拶してくれて、全員が拍手である。
 「今日のガイドさんは[ソフィー]さんです。日本語は話せませんから、私が通訳してガイドします」ドイツ系の長身女性である。
 「ドブロジュトロ」との挨拶があり、全員拍手。
 「命より大切なパスポートお持ちですか? すぐ取り出せるようにしておいて下さい。イヤホンのチャンネル合わせを致します。3になっていますか? 首から下げる紐を取り付け、コードを本体に差し込んでその先端を耳に付けて下さい。私の声が聞こえますか? フレッド湖に着きBUSを降りましたら直ぐスイッチを入れて下さい。今日の観光フレッド湖には約10分で到着致します。
 「[ブレッド]は、スロベニアのゴレンスカ地方にある市で、ドイツ王ハインリヒ2世が司教・ブリクセンのアルブインへブレッドを授与したときに(1004年4月10日)初めて記述されました。その後、1996年に地方行政区画としての市になるまで、統治者が何人も変わりました。
 ドイツのクリームケーキが元となった、クレムナ・レジーナやクレームシュニッタと呼ばれるケーキでも有名です(バニラとカスタードクリームをパイ生地で挟んだケーキ菓子。中央ヨーロッパ諸国でよく見られ、多くの地域差があるが、すべてに共通してパイ生地にカスタードクリームが挟んである)
 ブレッドは温暖な気候のため、ヨーロッパ中の貴族が訪れていました。今日では、幅広いスポーツ活動としてゴルフ、釣り、乗馬等を享受する観光客の中心地となっており、近隣の山を登山する人達の出発地にもなっています。また、重要な会議が開催されることもあります。
 [フレッド湖]はスロベニア北西部ユリアン・アルプスに位置する氷河湖で、ブレッドに隣接しています。リュブリャナ空港から55km、首都リュブリャナからは35kmの場所にあります。この地域一帯はスロベニアを代表する観光地です。
 オーストリアとイタリアの国境近くにあるブレッド湖は、おとぎ話の世界と思われるような幻想的な湖で、エメラルドグリーンの湖の上にぽつんと浮かぶ孤島には白い教会が建ち、背後にはユリアン・アルプスの山並みが広がっています。絵画のような悲壮美に富んだ景色は、スロベニア随一の美しさと言われ[アルプスの瞳]とも称されています。
 街の中心的存在であるブレッド湖は氷河によって削られてできた湖で、スロベニアの代表的な観光地です」
 到着すると同時に美しい景色が目の前に飛び込んできた。

フ レ ッ ド 湖

 今日はあいにくの曇天で周囲を囲むアルプスの山々は見えない。透き通った水がとても綺麗である。気温は7度ぐらいか、頬に当たる風が冷たくダウンジャケットを着てきて正解だった。
 ブレッド湖は長さ2,120m、幅1,380mで最も深い箇所で30.6mもある。湖の周辺は風光明媚な環境で、山並や城の景色が広がる。
 フレッド湖の周りは1周6㎞の遊歩道になっている。半分の3㎞は車で観光できるが、残り半周は徒歩(約1時間30分)か自転車、または馬車での観光となる。
そしてブレッド湖はボート競技には条件がいい場所である。1966年、1979年、1989年、2011年に世界ボート選手権が開催されている。
 湖北崖(岩山)の上には、湖面から約130mに聳え建つ中世の古城ブレッド城がある。スロベニア最古の城と言われ、1511年に地震で被害を受けるなど,何度か復元作業や改装が施されて、この湖の景色にアクセントを加えている。
 スロベニアは、アドリア海に面しているが、国土が狭いこともあって[島]は2つしかなく、このブレッド島がその一つである。(それに比べ隣のクロアチアにはなんと1,200近い島がある)

ブ レ ッ ド 島

 湖に浮かぶブレッド島への渡り方は、プレトナ・ボートに乗船するか、小さな手漕ぎボートを借りて自力で行くか、泳いでいくかの3通りである。環境への配慮からモーターボートの使用は禁止されている。我々のようなツアーはプレトナ・ボートに乗船する(約15分)

プレトナ・ボートは手漕

 〈プレトナ・ボート〉名前の由来には諸説あるが、昔、このボートの屋根は編まれていたため、現地の言葉で編むという意味を持つ“pletene(プレテネ)”が語源になったと言われている。現在は客席の上に半円形の布製の屋根を被せている。ブレッド湖に浮かぶブレッド島と岸を結ぶ伝統的な手漕ぎボートのことで、長さは約12m・幅2m、船頭がオールを漕ぐ後部は、船底より一段高くなっており横幅は1.7m位である。船底が平べったい特徴的な木造船で、両船べりに背もたれの付いた長椅子が設置してあり約20人を乗せることができる。
 手漕ぎのプレトナ・ボートが使われているのは、湖の自然環境を守るためで、船頭は後尾に立ち、長さが5mもある2本のオールで、水を押し出すように漕いでボートを進める。オールのグリップはカヤックパドルのような15cm程のT字型になっており、漕ぐには特別なテクニックを要するそうである。
(因みの話・ボートの漕ぎ手である船頭の専門的な仕事はとても尊敬されており、ブレッドでも限られた人々のみ就くことが許されている。父から息子へと何世紀にもわたって代々大切に受け継がれてきた。
 「私の父も、その父も、その父の父もみんな代々プレトナ・ボート漕ぎさ。そして私の息子もね。ずっとプレトナ・ボートの船頭一筋だよ」と船頭のヤポネスさんは笑顔で話していた。
 プレトナ・ボートがブレッド湖で利用されるようになったのは1590年頃で、18世紀になると、このあたり一帯を支配していたハプスブルク家のマリア・テレジアが当時ブレッド周辺の[ムリノ]と呼ばれる地域に住む住人達に、プレトナ・ボートの運営の独占権を与えたとされている。
 当時のムリノは、他の湖周辺のエリアと異なり農作物を育てられるスペースもなく、ムリノの人々は非常に貧しい生活を余儀なくされていた。
そんなムリノの人々を哀れに思ったマリア・テレジアは、当時ムリノに住んでいた23世帯の家族にブレッド島へ渡るプレトナ・ボートの運営独占権を与えたのである。その後現在に至るまでその仕事が受け継がれてきた。今でもプレトナ・ボートの漕ぎ手になれるのは、その23世帯の家に生まれた男子のみである(実際には又従兄弟の男子まで良しとされている)。現在もプレトナ・ボートは23艘あり、一艘の建造費は30,000€〈390万円〉だそうである。
 2016年に電動ボートの導入を巡り、現行の手漕ぎボートの組合が猛反対し、ボートの運航を停止するストライキに入っていたが、2016年末に電動ボートの導入は見送られ、手漕ぎボートの運航は再開された(昨年から遊覧用にのみ電動モーターボートが2艘が運行している)。
 湖は静かで穏やかで湖面は透き通り、深くて、青くて綺麗、絵の具を溶かしたような感じである。プレトナ・ボートを漕ぐ水中の[オール]が先端の部分まで見えて、その透明度がよくわかる。
 ボートを降りると目の前に横幅15mもある99段の石段が立ちはだかっていた。

フ レ ッ ド 島 の 9 9 段 の 石 段

 〔聖マリア教会〕ヨーロッパ有数の別荘地としてセルビアの王族やハプスブルク家など、時の権力者たちにこよなく愛されてきた孤島(ブレッド島)に、15世紀に建てられたバロック様式建築の聖マリア教会(聖母被昇天教会)がある。もともとは12世紀に建造されたが、現在残っているのは15世紀に建て替えられたものである。
 先史時代の人間の痕跡が島に見られて、教会より前には愛と繁殖のスラブ人の愛の女神であるジーヴァの聖地があった。現在ではヨーロッパ各地から多くの巡礼者が訪れてくる。
 この島はスロベニアでは唯一の自然の島である。52mの塔(時計台)がある。この時間は日曜日というのに聖マリア教会に乗り付けたプレトナ・ボートはたったの2艘だけだった。上田さんも
 「こんなに観光客が少ないのは初めてです」と話していた。
 恋愛のパワースポットとしても知られるブレッド湖だが、その背景には、切ない愛の伝説が伝えられてきた。
 《 その昔、ブレッド城には夫を亡くして嘆き悲しむ未亡人が住んでいた。彼女は夫への思いを託して、持っていた金銀すべてを鐘に変え、孤島の教会に寄贈しようとした。ところが、完成した鐘を島へ運ぶ途中に激しい嵐に遭い、鐘は船と供に湖に沈んでしまった。大切な鐘まで失い悲しみに打ちひしがれた未亡人は、ローマへ行くことを決断し修道院に入りました。彼女の死後、その話を知ったローマ法王が、彼女の思いを汲み取って孤島の教会に新たな鐘を送ったという 》
 この伝説のもと、この教会ではウエディング挙式も頻繁に行われている。教会までへは99段の階段があり(伝統的な結婚式では)、新郎が新婦をお姫様抱っこして、教会に通じる99段を昇りきれば夫婦の願いが叶うという言い伝えがあり、過酷な儀式が行われる(登りきる迄、新婦はずっと沈黙を守らなければならない)。これに挑戦するカップルは結婚式の前には新郎は体力づくりに、新婦はダイエットに励むそうである。
 教会の中はウナギの寝床みたいに奧に長く、幾つもの祭壇が置かれている。

聖マリア教会の内部

 祭壇の中央には聖母マリア像が、その両側には11世紀に実在したブレッド領主のヘンリック2世と、彼の妻であるクニグンダの像が安置されている。祭壇前の上の鐘楼には[望みの鐘]と呼ばれる鐘がある。この聖マリア教会を訪れた人は望みの鐘を3回鳴らすと[願いが叶い幸運が訪れる]と信じられており、観光客が競って伝説の鐘を鳴らそうと順番を待つ(カップルで鐘を鳴らせば永遠の愛が約束されるという言い伝えがあるが、鐘を鳴らすためには、祭壇に向かった中央、シャンデリアの後ろにある天井の穴から、鐘とつながっている綱(ロープ)をかなり強い力で引っ張らなかればならないので女性一人の力では無理、全員が鳴らせるわけではない)
 教会の隣にある時計台には螺旋状の木造の階段があり登り切ると湖全体が見渡せる。

聖マリア教会の時計台

 天井から(現在は動いていない)直径1.5m程の真鍮製の振り子が吊されていた。
 教会手前の売店のガラスケースに、数種類のクレムナ・レジーナやクレームシュニッタケーキが並べられていた。上田さんの説明ではこの売店に有料トイレが在るとのことだったが、ソフィーさんが
 「昨年4月から無料になりました」と教えてくれた。
 聖マリア教会見学を終えるとBUSは昨晩泊まったホテルの駐車場まで戻った。そこから徒歩でブレッド湖迄引き返し湖畔散策となった。湖畔に向かう途中に大きなスケートリンクがあった。スロベニアにはプロサッカ-チームがあり、有名選手の写真が貼ってある。2012年には[アイスホッケー男子世界選手権]も開催されるなど人気があるという。
 湖畔でも観光客の姿はまばらであった。風が冷たいし、散策を楽しむという雰囲気ではない。ただ幾分青空が広がり、スロベニア北西部のユリアン・アルプスが少しだけ、雪化粧を見せてくれた。

フレッド湖 湖畔風景

 上田さんが推奨のチョコレート店に入ると、試食が出来るし温かいので皆さん其処で時間を潰していた。
 11時20分に集合し、再び駐車場まで歩き、BUSで又湖畔のレストラン迄来るというややこしい行程だった。ソフィーさんとはここでお別れした。
 昼食時にスロベニア国内でははもちろん、欧州ではよく知られているブランドビールUnion Lagerを呑んで見た。スロベニアで最もポピュラーなビール だそうで、500ml入りアルコール度数 4.9%。泡立ちはおとなしく、ビール自体のキメが非常にこまかく、繊細でしっとりしている。洋梨を思わせるような独特の風味があり、軽い酸味も加わり、ビールというよりもワインのようにに感じた。これが思いのほか3€(390円)と安かった。昨年旅をしたモロッコのビールは100ml入りで800円もしたのだから以外だった。 フレッド湖観光を終えて、午後BUSはポストナイトへ向けて出発した。(103km・約1時間30分)スロベニアは高速道路が発達しており、道路コンデションは非常に良い。上田さんのガイド
「[ポストナイト]はスロベニア共和国南西部の町です。人口14,559人(2002年)で、周囲は中生代の石灰岩からなり、カルスト研究所があります。スロベニアを代表する観光地のひとつである、ヨーロッパ唯一のポスイトナ鍾乳洞があり観光で賑わっています。ポストイナ鍾乳洞は、日本ではまだまだ知名度が低いですが、200年前から延べ3,400万人の見物客が訪れ、毎年50万人以上もの観光客が訪れています。スロベニアは、欧州1の鍾乳洞大国です。確認されているだけでも大小1万以上の洞窟が発見されています。
 [ポストイナ鍾乳洞]は世界第2位の規模を誇るヨーロッパ最大で最も美しいといわれる、ポストイナ近郊にある鍾乳洞です。
 《因みに世界一の鍾乳洞は、ベトナム中部にある世界遺産フォンニャ・ケバン国立公園内にある[ソンドン洞窟]である。その大きさは全長約7km、最大の高さが240mもある(50階建てのビルがすっぽり入ってしまうほどの大きさ)この洞窟は1991年に現地ベトナム人が発見した。ただ、当時天候が悪く、中には入れなかったそうで、2009年に世界最大の洞窟だということが確認された》
 島洞窟、黒洞窟、ピウカ洞窟、マグダレナ洞窟等と合わせた洞窟システムの総全長22km、うち現在5kmが見学可能であり、スロベニアでは最長です。鍾乳洞の最大深度は115mあります。200万年間の間に徐々に侵食を進めたピウカ川の地下水流によって形成されました。
 ポストイナ鍾乳洞の入口部分の存在は13世紀頃から知られていましたが、1213年の文献に初出し、1818年から公開され、1972年には狭軌鉄道が一部に開通しています。
 大部分は、1818年、当時皇太子であったフェルディナント1世の訪問に備え準備をしていた際に、地元のルカ・チェッチによって発見されました。そして翌1819年8月17日のフェルディナント1世の訪問により、広く知られることになったのです。以後、世界各地から王・皇族らの訪問があり、日本からは有栖川宮威仁親王夫妻(1889.12.24)、小松宮依仁親王夫妻(1894.4.3)、高松宮宣仁親王夫妻(1930.12.31)が訪れています。  鍾乳洞の入口の上には、ラテン語で”Immensum ad antrum aditus!”と書かれています。これは『旅行者よ、広大な洞窟に入れ』という意味です。
 鍾乳洞内は異世界そのものです。今まで目にしたことのないような不思議な光景が、暗闇の奥深くまで広がっていて、ぴしゃり、ぴしゃりと水滴が床に落ちる音が響き渡るのが幻想的です。注意書きには鍾乳洞内は写真撮影は自由にですが、フラッシュは厳禁です。また洞窟内のものを持ち帰るのは勿論、鍾乳石に触ることも禁じられています」(中国の桂林漓江にある冠岩鍾乳洞では鍾乳石の上に乗って写真を撮ることもでき、触ることも自由なのに比べるとスケールが小さいように感じる) BUSは鍾乳洞専用の大駐車場に到着した。入り口まで15分程歩いた。
 午後3時の入場予約に合わせて30分前に着いた。ポストイナ鍾乳洞はスロベニアで最大の観光地ということもあり、観光開発が非常に進んでいる。鍾乳洞横にはポストイナホテルが併設され、その1階部分にはフードコートやお土産屋、チケットセンターなど遊園地のような充実ぶりである。

鍾乳洞横のポストイナホテル

 鍾乳洞入り口近くの土産物売り場を何気なしに見ると、まだ見たことのない[ホライモリの縫いぐるみ]が山積みになっていた。薄いピンクの1m位のから20cm位の迄のふかふかした物だが、こんな物を買っていく人がいるのだろうかと首をかしげてしまった。1時間30分の観光なので無料のトイレに入っておいた。
 入場前に上田さんが鍾乳洞内専用のイヤホンを配ってくれた。トロッコ列車を降りたらスイッチを入れる。日本語ガイドは16チャンネルにする。洞窟内を歩くと番号を書いたポールが立っていて、イヤホンの文字盤にその数字を打ち込むと日本語のガイドが聞ける。
 3時に大きな洞窟の入り口が開き、坂道を下ると長いトロッコ列車が停まっていた。前から順に座ってゆく。
 ポストイナ観光は、まずトロッコ列車に乗り込んで洞窟の奥深くへ進むことからスタートした。岩壁すれすれを時速約11kmのスピードで颯爽と進む。

洞 窟 内 の ト ロ ッ コ 列 車

 トロッコの台板の上に、前向きの2人掛けパイプ格子の椅子4列が並べられている。そのトロッコ列車は50両にもなる。屋根無しのトロッコ列車は、場所によっては壁スレスレや天井スレスレの場所を通り抜けて行くため結構臨場感に溢れている。迂闊に手や顔を出したり、カメラを外に向けていると危ない場面が多くさんある。今にも鍾乳石柱にぶつかりそうでスリル満点であった。
 現在の観光コースは約5kmである。そのうち3.7kmをトロッコ列車が走っていて、この部分ではトロッコ列車から鍾乳洞を観覧する。この列車の軌道は1872年に単軌道で敷設されたもので、当初は人力で2人乗りの客車を動かしていた。1924年に蒸気機関車の運行が開始され、1957年に電化、1964年に複線化された。現在の全線が開通したのは1968年である。
 ひとつの鍾乳洞の中でたくさんの種類豊富な鍾乳石が見られることから[鍾乳洞の女王]と称えられている。

巨 大 な 鍾 乳 石 群

 ポストイナ鍾乳洞のよい点は、中国やその他の国の鍾乳洞のように七色の蛍光灯で照明されていないところである。あれはどぎつくてえげつない感じがした。白色灯のみが鍾乳石を浮き上がらせている。
 鍾乳洞内はひんやりと冷たい空気が流れていて、洞内の気温は1年を通して約8℃程度しかない。そのため夏でもポストイナ観光の際は暖かい上着が必須である。ポストイナ鍾乳洞の見学ツアー は約1時間30分位掛かるから、シャツ1枚で中に入ってしまうと寒くて観光どころではなくなってしまう。
またサンダルなど素足で履ける靴だと足元から体が冷え切ってしまうので、できることなら靴下にスニーカーやブーツスタイルがベターだ。
 上着やコートの準備を忘れた人のためにコートの貸し出しも行われている(有料)。夏でも朝晩の気温の変化が激しいヨーロッパを旅行するには、暖かい上着を用意したい。また女性はスカートやワンピースではなく、パンツスタイル(ズボン)が好ましい。
 トロッコ列車に乗車するとすぐに、茶色から白色に至る鍾乳石や石筍が並んでいる。

線路脇に見える《白い石筍》

 鍾乳石は上から地面に向かって成長するのに対して、石筍は地面から上方に成長する。そして、この2つがつがなると石柱になる。鍾乳石が1mm成長するのには、10年~30年がかかるといわれている。最も白い鍾乳石は、[ブリリアント]と呼ばれ、ポストイナ鍾乳洞のシンボルになっている。見る人によるが、ラクダ,ワニ、カメ、オウム、フクロウ、男の子など、鍾乳石には様々な名前がつけられている。幻想的な美しさに感動するばかりではなく、想像力を逞しくしなければならない。
 二番目に大きいホールは[会議ホール]と呼ばれる。観光客はトロッコ列車から下車し、ここからは徒歩で約1.7㎞を約1時間かけてイヤホン専用ガイドと一緒に観覧することになる。
トロッコ列車を降りると、そこは別の惑星に迷い込んだような不思議な光景の世界であった。[大きい山]という地下の山から[ロシア橋]を渡った。この橋は、第一次世界大戦の間、ロシアの捕虜によって建設されたものである。洞内は薄暗く坂道ばかりであった。しっかりとセメントで固められた道路を恐る恐る歩き、イヤホンガイドを聴きながら奥深く広がる鍾乳石群の説明に感心しきりである。ツアーの人達が何処を歩いているのか皆目分からない。矢印の道順を追うのみである。後で聞いたことだが、ツアーの女性参加者は私の赤いダウンジャケットを目印にして付いてきたと話していた。
 鍾乳洞は、[美しい洞窟]という部分に続く。その名のとおり、この鍾乳洞の中でも最も美しい部分で、フローストーンや、[スパゲティ]と呼ばれる美しい細く繊細な中空状の氷柱のような形状の鍾乳管があった。

名称は《スパゲティ》

 雪のように白いブリリアントはツルツルしていそうで、高さは約5m。

雪のように白いブリリアント

 その美しさに圧倒されてしまった。この場所は背景にも素晴らしい鍾乳石を見ることができるポイントで、カーテン上の鍾乳石や細いつらら状の鍾乳石がありポストイナ鍾乳洞内でも絶景のポイントとされている。
 最後に、帰りのトロッコ列車に乗る前に、1万人収容可能の[コンサート・ホール]に着いた。コンサートホールは鍾乳洞内最大級の空間で面積が3,000㎡、一番高い天井までの高さは115mもあるという。広々とした平らな広場でここでは、年中種々のイベントが企画され、年に数回コンサートが開催されている。この広場にはガラス張りの土産店があり、無料で使用出来る大トイレもあった。
 昔、人々はこの洞窟には獰猛なドラゴンが棲むと信じていたとか? ここには人の肌のような色をした[類人魚]と呼ばれる大変珍しい、“ホライモリ”が生息している。

《ドラゴンの赤ちゃん》 ホライモリ

 ホライモリは大変珍しい[目のない両生類]で、何も食べなくても1年近く生きるという。昔の人々はこのホライモリのことを[ドラゴンの赤ちゃん]と信じていた。
《 ホライモリは、両性網有眉目ホライモリ科のイモリで“オルム”ともいう。アドリア海に面した旧ユーゴスラビア西部、オーストリア南部、イタリア北東部の石灰岩地帯に分布する。身体は細長い扁平で、灰白色の固体が多いが、赤み、黄みがかったものもいる。四肢は小さく前肢に3本、後肢に2本あり、頭の後方に3対のピンク色のエラを持っている。目は小さく退化して機能はなく口も小さい。全長20~25cmで、まれに30cmに達するものもある。鍾乳洞内の流水や水溜まりに生息し、完全に水中性である。深見に潜んでいるが、水面近くにも現れる。生息場所の水温は5~10℃。地下水中の形甲穀類を食べている。明るい場所で飼育していると、数ヶ月で黒化する。体内受精で雌は全長10cmの1・2匹の幼生を産む。室内で13℃以上の水温では約50個の卵を産むが殆ど発育しない。幼生の目は成体よりも発達している 》
 私も始めて見たが、こんなイモリは生涯を通じて滅多に目にする機会はないだろう。鍾乳洞ツアーの最後に、観光路の脇でホライモリが生息(飼育)している。2×5m程の水槽があり照明はされていないが、その姿を何とか見ることができた。珍しいが可愛いとは思えなかった。カメラを向けたが水槽の中が暗くシャッターが下りなかった。〈写真はパンフレットからの転用である〉
暗闇と静けさが広がる神秘的な鍾乳洞。現在のように洞窟内が光に包まれることがなかった時代、ここに足を踏み入れた人々は恐怖心と共に想像力をさぞかし掻き立てられたことだろう。
 今回の旅行で、一番感動したのはこのポストイナ鍾乳洞だった。
 
 ポストイナ鍾乳洞観光後、BUSはクロアチアの、アドリア海沿岸の町エリカへ(66Km、約1時間30分)向かった。
 途中スロベニアとクロアチアの国境で入国審査を受けた。写真撮影は厳禁である。国境ゲートは日本の高速道路の料金所のようで、ここでは運転手だけがバスから降りて係官にお伺い手続きに行く。手際よく出国できるようにポージュさんは500mlのペットボトルを2本を係官に手渡していた。日本人のツアーと判ると直ぐに通してくれる場合もあるが、暫く経ってから女性の入国管理官がBUSに乗り込んできた。全員のパスポートを回収して降りていった。20分ぐらい待たされたが、パスポートのチェックだけで許可がおりた。
 エリカはこれと言った産業が無い。クロアチア共和国にあって一番大きな産業都市だという。神奈川県の川崎市と姉妹都市になっている。
 国境を通過してクロアチアに入国し、イストラ半島のエリカにあるホテルGRAND BONAVIAに着いたのは18時50分だった。
 
 [リエカ]は港町でクロアチア最大の貿易港だけに、港には多くの船が停泊していた。ここの中心地はコルゾ通りで、ここにランドマークの黄色い時計塔があり、この塔の下をくぐって真っ直ぐ山の手(北方)に向かって歩いて行くとローマ時代の門が残されていて、そこをくぐると円形の聖ヴィート大聖堂がある。この教会には[奇跡のキリストの十字架]が収められている。
 《 その由来は、ペタル・ロンチリッチという男がお祈りしたのに賭け事に負けたと逆恨みして、このキリスト像に石を投げつけた。すると、大地が裂けて男を飲み込み、このキリスト像から血が流れ出た。それ以来この木像は奇跡をおこすと言われてきた 》
 エリカには只一泊するだけの滞在である。上田さんからの案内
 「お疲れ様でした。スーツケースはポーターさんがお部屋まで届けてくれますから手荷物だけ持ってロビーでお待ち下さい」
 このホテルはカードキーだった。11日の日程表と一緒に配り終わると
 「このロビーはG階です。お部屋は3階になります。明日の朝食は今晩御案内するこのホテルRE階のレストランです。今晩の夕食は19時20分からです。ロビーにお集まり下さい。朝食は6時から召し上がれます。モーニングコールは6時、お荷物回収は7時20分迄にドアの外に出して下さい。明日の出発は8時です。このホテルではKnへの換金が出来ません。換金なさりたい方は、明日スプリットへ到着した時に銀行へ御案内致します。明日は長時間BUS移動となります。パスポート、貴重品、イヤホンは手荷物の中へ入れてお持ち下さい。
 ロビーに荷物が届いています。お急ぎの方は御自分でお持ちになった方が早いと思います。エレベーターはカウンターの横に御座います」
 私はスーツケースを転がしてエレベーターで部屋まで行った。今日もダブルベッドである。息つく暇も無く夕食の集合、G回まで降りた。
 上田さんのお勧めビール
「クロアチアは隠れたワインの名産地として近年日本でも知られるようになりましたが、クロアチアは種類豊富なおいしいビールにも出会える国なのですよ。クロアチア人は大のビール好きで、小さな国ながら世界の国別一人あたりのビール消費量は常に10位前後をキープしています。今晩ご紹介するビールは、特にポピュラーな[Karlovacko(カルロバチコ)]です。クロアチアの国民的ビールです。カルロバチコは、やや深みのある黄金色と爽やかな苦味が特徴的なラガービールでアルコール度数は5%です。ちなみにカルロバチコとは、ザグレブ近郊にある[カルロバッツ]という町の名に由来するものです。500ml瓶が3€です」
 その他の飲み物の料金案内があった。€が使えるというのでカルロバチコを注文した。
 今晩の相席は森繁さんという新婚カップルと、台湾婦人の豊澤さん御夫婦だった。今朝の観光フレッド島・聖マリア教会の99段の階段で、新婦をお姫様抱っこして記念撮影に収まっていた若い二人の話題に花が咲いた。新婦の身長は174cm、新郎は175cmと共に大柄だからさぞ重かったでしょうと大笑い。話し好きの豊澤夫人の話も面白く、和やかな食事となった。
 部屋に戻ると先ずシャワーを浴びた。スーツケースを開けてパジャマに着替え、カメラからバッテリーを取り出し充電。BUSを降りる時買ったペットボトルの水で割ったブランデーを軽く飲んで横になった。