9月4日 (火曜日) ショッピングモール
午前10時に楊家を出発し、リッチモンドアベニューを北進、フォレスト・ヒル・ロードを右折すると大駐車場が見え、広い広場に転々とショッピングモールが点在していた。家から20分程で到着した。スタテンアイランド・モールへ誘ってくれたのである。


[スタテンアイランドモール]は、スタテン島の中央部近く、ニュー・スプリングヴィルにあるショッピングモールで、島内では唯一の屋内ショッピングモールであり、島内最大のショッピングセンターである。また、セントジョージフェリーターミナル、エルティングヴィル・トランジットセンターに次ぐ、島3番目の規模を持つ交通ハブでもある。
モール内は、メイシーズ、JCペニー、シアーズが中心テナントとなり、H&M、コーチ、ディズニーストア、ユニクロ、アップルストア、アディダス、ギャップ、レゴストアなど約200の店舗が入っている。冬季のニューヨーク・エリアは寒いので、全部屋内で買い物が出来る場所が便利がられ貴重な場所になっている。
ニュー・スプリングヴィルはとにかく広い、芝生の小山や広場があったり、方々に駐車スペースがあったり、車道が縦横に走っている。一望しただけではショッピングモールが何処にあるのか判らない。車なしでは好みのモールは探せない。
元々はスタテンアイランド空港が存在した場所にあるニュー・スプリングヴィルは、1973年にグランドオープンした。1980年代及び1993年に大規模な改修がされており、より現代的なモールとするため、2016年から改修が進行中である。駐車場は無料で、7,000台以上のスペースを持っている。
楊さんが停めてくれたモールは外から見ると工場のような感じだった。
「中には200店舗のいろんな店があります。2階には大食堂コーナーがあります。ビールを飲むならこの玄関左の中国料理店がいいですよ。近所のデパートやショッピングモールを見たりしていれば直ぐに時間が経ってしまいます。私は3時頃ここに迎えに来ます」
「判りました。3時にはこの玄関で待っています」と返事をし、モールの中に入った。広々とした店内は2階建ての吹き抜けで、端から端まで全部見渡せる造りだ。一階の中央はホールみたいになっており、通路に出店が並んでいて、両側には幾つもの店がある。1階部分を一周し、エスカレーターで2階に上がり、2階も一周した。2階から1階のホールを見下ろせる。Kさんはタバコを売っている店を探したが、誰に聞いてもこの中にはタバコを売っている店は無いと言われた。ピザと果物ジュース店の男性店員に聞くと、
「外に出てガソリンスタンドまで行けば買える」と教えてくれ、Kさんにタバコを1本プレゼントしてくれたのである。モール内は禁煙だから玄関の外に吸いに行った。
いろんな店に入ってはひやかした。空港で無くしたナイキのリュックを売っている店を聞き出し、2階へ上がり、気に入ったのを見付けた。いざ買おうと思ったら、会員にならないと駄目だと言い、現金は使えないというので止めた。その店の左スペースに、沢山のテーブルと椅子が並べられている。大食堂である。周りにはマクドナルド、ケンタッキー・フライドチキン、ハンバーグ店、その他ライス物や、野菜サラダ等をパックに詰めた売店が並んでいる。そこで買えばチップは掛からないので、観光客で無い地元の人も集まってくる。
この日も25度を超す好天だったので、私は甚兵衛姿であった。和装でスキンヘッドにサンダルという出で立ちで、この食堂前を行き来すると、男性客が手を合わせて私にお辞儀する。私も手を合わせお辞儀を返す、坊さんに見えたのだと思う。12時を廻っていたので、先程Kさんにタバコをくれた店に行き、ピザ8分の1(かなり大きい)とオレンジジュースを買い、大食堂の空いているテーブルに陣取った。
食事をしながら利用客を見ていると実に楽しい。老人が多いのは何処も同じ、中年の御婦人の中には小錦張りの巨漢を揺すりながら入ってきて、4人分ぐらいのランチを平らげていた。日本人のデブさんはこの御婦人に比べたらちっともデブじゃないと思った。

若い娘はミニホットパンツにタンクトップ、サンダル履きだから、海辺に来たような錯覚を覚えた。足の付け根まで露出されると、脚線美とはほど遠い只の足にしか感じない。
1階まで降りて、玄関脇のBERに腰を据えた。酒類を飲めるのはここ1カ所だけである。BERに繋がる奧は唯一のレストラン中国料理店である。BERの中からガラス越しに玄関の入り口が見える。生ビ-ルを注文した。空港でもそうだったが、アメリカの生ビールは嬉しいことに、500mlのコップギリギリまでビールが入っている。日本の生ビールのように3分の1が泡と言うのではないのだ。ガラス越しに玄関を監視(楊さんが迎えに来るのを見付ける為)しながら待つつもりになった。Kさんは玄関前の喫煙コーナーでタバコを吸っている若い男性を見付け、
「タバコを分けて貰ってくる」と出て行った。1$(125円)紙幣を出し、指を1本立て
「I’d like a cigarette One(シガレット1本下さい)」と言うと、箱から1本取り出して
「I do not need money(お金は要りません)」と、プレゼントしてくれたのである。何やら片言の英語で話していて
「Where are Selling Tobacco ?(タバコを売っている所はどこですか)」と、この男性にも聞いている
「Petrol station 1 km ahead(1キロ先のガソリンスタンド)」と指を指す
「Thank you(ありがとう」と礼を言って戻ってきて
「タバコを買いにガソリンスタンドまで行ってみたい」と言う。抜けるような青空、射貫くような日差しの下の芝生を突き抜け探したが、徒歩での探索は無理のようなので諦め、500m程離れた隣のデパートへ入ってみた。このデパートも2階建てだが、とにかく広い。端から一番奥を見ると霞んで見えた。ありとあらゆる商品が売られている。が、タバコは売っていなかった。大きなデパートのわりにはお客が少なかった。
後で知ったのだが、スタテンアイランドの[ムニシパル・パーキング・ロット・ファーマーズ・マーケット(青空マーケット)]ではアメ横みたいに屋台を張り出し、新鮮な野菜や果物を売っている店が並んでいるそうだ。農家マーケットでは作物を作っている人の顔が判るようにしてあるという。時間はたっぷりあったのだから、丹精込めて作った野菜や果物をショッピングする様子を見たかった。周りは裁判所や役所関係の建物があることも後で知った。 3時にスタテンアイランドモールの待ち合わせ玄関前に戻ってきた。外は暑いので、中のソファーに座って待っていたが、3時30分になっても楊さんは来なかった。その間にも、Kさんは老婦人が腰を下ろしてタバコを吸っている所へ近づき、同じように語りかけている。すると老婆は怪訝な顔をし、1$札を引ったくり1本売ってくれたと話していた。一箱20本入りだから、タバコ1本の値段は日本円で81.25円の計算になる。1$なら不足ではないだろう? とKさんは計算したのだろうが、タバコは高いし売っている店は少ないので、2$貰っても渋々顔なのだと思われる。現在ニューヨークのタバコ最低価格は10.5$(1,313円)である。一般の人は13$(1,625円)位のタバコを吸っているようだ。 ニューヨークのビル・デブラシオ市長は、今年タバコの最低価格の引き上げを含む7つの法案に署名した。2018年6月からタバコの最低値段は現在より25%値上げし13$になるという。
(因みに日本でも、自民党の受動喫煙防止議員連盟会長の山東昭子元参院副議長は、昨年10月25日首相官邸で菅義偉官房長官と会い、2020年の東京五輪・パラリンピックに向けた受動喫煙防止対策として、たばこ税の増税により、たばこ1箱の価格を1,000円以上に引き上げるよう申し入れている)
4時まで玄関を出たり入ったりしていたが、楊さんは現れない。Kさんが携帯電話を持っていることに気付いて、電話をかけるよう頼んでみた。Kさんが番号を何度打ち込んでも、携帯電話は直ぐ真っ暗になってしまう。つまり、バッテリー切れ状態だったのである。メトロポリタン美術館ではぐれた時はかろうじて電話で連絡は取れたものの、Kさんはカメラの電池だけは充電を怠らなかったが、携帯電話にまでは気が回らなかったようである。その内迎えに来るだろうと、再びBERに入って生ビールを飲み始めた。外からはBERの中が見えない特殊ガラスである。Kさんはチビチビ飲むが、あまり多量のアルコールは飲まない。ガラス越しに外ばかり気にしていて、喫煙コーナーに喫煙者が来ると、サッと飛び出していく。確立としては3人に一人は只でくれるようで、〈一度乞食をやると止められない〉の格言通り、病み付きになったようである。しょぼくれた老人に売ってくれと話し掛けたら、巻きたばこだったという。薄紙に刻んだタバコを広げ、唾を付けて丸めて吸っているのを只で貰ったとしめしめ顔であった。巻きたばこだから直ぐに吸い終わってしまい、「Please give me one more(もう1本下さい)」とリクエストしたら、あっちへ行けという仕草をされてしまったと話していた。BERに戻ってきて私はジョッキーを6杯も飲んだろうか? その間Kさんは20分に1回ぐらいの間隔で、タバコあさりにアタックを繰り返す。私としては浅ましいとしか思えないが、
「俺は恵んで貰っている訳じゃないんだ。先にお金を出して買っているんだ」と、むしろこの交渉を楽しんでいるみたいだった。スタテンアイランドモールにきてから、断られた人を含めて15~16人ぐらいの人にトライしたのだから天晴れ? と誉めてあげるべきなのだろう。
午後7時になった。もう迎えには来ないだろうから、
「タクシーで帰るか?」と持ち掛けた。Kさんもそう考えていたようで、中国料理店のレジまで行き、タクシーを予約してきてくれた。行き先を聞かれたから
「グレート・キルズテーション」と答えると、直ぐに電話を掛けてくれた。
「10分位で個人の車が迎えに来ます。このドライバーは登録してある人だから安心ですよ」と言うようなことを話していた。
ステタン島には黄色い流しのタクシーは少なく、電話で呼ぶこともできない。レジの女性が頼んでくれたのはたぶんUberに準じた個人車だと思う。スマホを持っていれば、Uberを使って目的地を書き込めば、電話を掛けた所まで5分以内に迎えに来てくれると言う便利な車利用ができたである。クレジットカード決済で登録してあるから現金は必要ないし、料金はタクシーより10%位安くチップも取られない。運転手も登録制で、乗車した客が5段階で評価するので、高評価を貰えれば利用者が増える仕組みになっている。だから安心なのであるのに、残念ながら貴重品入れにスマホを入れた為に、紛失し使えなかった。
出入り口前にかなり大きな乗用車が止まった。レジの娘さんが
「あの車がそうですよ」と教えてくれた。ゆったりした座席だった。運転手は巨漢の男性で、左手1本で運転し、右腕は絶えず持ち上げて右側の背もたれに乗せている。行き先を聞かれた。Kさんはカメラを取り出し、前日取った[グレートヒルズ]の駅名と、楊宅前角の道路標識が写っている写真を見せた。約15分も走行し、あっという間に目的地に着いてしまった。
「10$(1,250円)」とだけ言った。
「10$だって、悪いけど出しといてな」とKさんに告げると、10$札1枚とチップのつもりか別の紙幣1枚を運転手に渡したのである。私は幾ら渡したのか確認できなかった。運転手はお金を受け取り怪訝そうに後ろを見ていたが、
「サンキューベリマッチ」と礼を言い走り去った。駅からは楊さんの家まで直ぐ傍である。暗い道を歩いていたら、先程の車が追いかけてきて、
「道路標識の道は真っ直ぐ行って左に曲がった所だ」てなことを説明してくれたのだと思う。窓から左手を出して指さしながら親切に教えてくれたのである。つまり、Kさんは10$札の他にチップとして50$札か100$札を弾んだと言うことだった。
「何でそんなにチップを上げたんだい? 俺チップ込みで10$(1,250円)て言ったんだよ」タクシーが去った後聞いてみた。
「10$札と5$札をあげたつもりだったんだけど、細かいのは全部タバコで使っちゃったんだから、110$(13,750円)渡したんだな? きっと。無事帰ってこられたんだからいいって事よ」と大損したことを惚けて見せた。その後
「みっともないから楊さんには言わないでくれよな」と笑っていた。
楊家に戻ると、開口一番
「身体の具合が悪くなってしまい、電話して妻と娘を3時に迎えに行かせたんですよ」と楊さんが言う
「ショッピングモールの中を30分も探したんですが、見付けることができず諦めて帰ってきました」とアリシアちゃんと奥様が話す。
「二人とも大人だし、鈴木先生が行きたいと言っていたワールドトレードセンターにでも行ったんだよと話してたんですよ」
「それは申し訳御座いませんでした。3時頃から入口脇のBERに入って、ガラス越しにずっと見ていたんですが、気が付かず済みませんでした」と謝った。
「それではずっとショッピングモールに居たんですか?」
「タバコを売っているガソリンスタンドを探しには出たけれど、広すぎて迷子になると拙いから、隣のデパートを覗いて直ぐ戻ってきてずっと待ってました」と答えた。
既に夕食の準備が整っており、キッチン側のテーブルに座った。テーブルには吃驚する程大きな鳥1羽の丸焼きが乗っていた。七面鳥というのを実際に見たことがないから、鶏にしては大きすぎるし、何という鳥なのか? お里が知れてしまうので、聞くこともできなかった。ナイフでこんもりした腿肉を切り、お皿に載せて出してくれた。楊宅のオーブンはかなり大きいから、七面鳥でも楽々丸焼きにしてしまう。その他には、無論ビールも、そして昼間食べたのと同じ大きさのピザ8分の1をお皿に載せて出してくれた。この日は子供達も全員揃ったし、奥さんは何時ものように楊さんの肩を抱きニコニコしていた。夕食の世話をしてくれるのはアーロン君、彼は日本語を話したくてウズウズしていたのだ。アリシアちゃんは私達のことをとても心配したと話してくれた。リンリンちゃんはちびっ子に隣の部屋で勉強を教えていた。
食事は賑やかだった。奥さんが
「タクシーは幾ら撮られましたか?」と聞いてきた。そこで私は
「ショッピングモールの中国料理店でタクシーを呼んで貰ったら、個人の車が来て駅まで連れてきてくれました。あれって、Uberとは又違うんですか?」と聞いてみると、
「Uberってなんですか?」と楊さん
「スマホで呼び出すと、目的地を書き込むだけで私が居る場所まで迎えに来てくれる個人タクシーみたいなものです」
「私はその事を知りません」と言うので、
「スマホで登録しておけば、支払いはカードから差し引かれる方式なので現金は要りません。楊さんはアメリカに住んでいるんだから登録しておけば、とても便利ですよ。チップも取られないし、タクシーより10%も安いんですよ」といみじくも説明したものである。
「副業で闇のタクシーみたいな事をやっている人が沢山居ますから、私はそれを利用しています」とUberには関心がないようだった。
「それでね、車を降りる時に10$と言われたんですが、Kさんは10$札の他にチップに5$札のつもりで100$もあげちゃったんですよ」と話すと
「運転手は喜んだでしょう? それだけ稼げば、もう仕事なんかしないで今頃はBERに行って飲んでますよ。先生達を外国の大金持ちだと思ったんでしょう」と言う。傍で聞いていた奥さんは腹を抱えて笑いだし、なかなか笑い止まなかった。
食事の後に楊さんのアトリエを見に地下室へ降りた。窓から地面が見える。奧に長い40畳位のワンルームで、窓の下で楊さんは絵を描いている。その真後ろには奥様専用の深々とした[たまご型ブランコチェアー]がある。楊さんが作画中は奥さんが座って[絵]に付いてのアドバイスをするのだという。一番右奥にはアーロン君のベッド、その横にランニングマシンや他の運動器具が並んでいる。階段を降りた左側には2×1.3m高さが75cm位の木材の作業台があった。東中野の古ぼけた家で作画していた時とは雲泥の差である。
雨が強く降ってきた。明日は一日中雨だという。楊さんの体調も思わしくないことだし、明日は楊家にて寛がせて貰うことにして、11時に部屋へ戻った。
9月6日(水曜日) 安息日
10時にキッチン側のテーブルに降りた。アーロン君が何時ものように私には御茶、Kさんには珈琲を出してくれた。昨日の丸焼きの鳥が半分以上残っていて、オーブンで温めてナイフで切りお皿に盛ってくれた。
「昨日の残り物で済みませんがピザを食べますか?」と聞いてくれた
「ええ、頂きます。少しで結構ですから」と私。Kさんはアーロン君にお任せだ。リンリンちゃんは今朝も早い時間に出掛けたようだ。アーロン君は今日は大学の授業が休みで、12時にアルバイトに出掛けるという。
「今日は生憎の雨なので、お家で過ごさせて貰います。申し訳ないが、応接間のテレビを見えるようにして下さいますか?」とお願いした。するとアーロン君はリモコンを探し出してきて、何やら操作していたが、なかなか映像が出てこない。
「普段家では誰もテレビを見ないもので、もう少し待って下さい」
「小さい子供さん達もテレビで漫画なんかを見ないんですか?」と聞いてみると
「テレビの番組はスマホで見られますから」と話す。楊さんの家族はスマホを存分に活用し、些細な情報でも検索してしまう。私も日本に帰ったら、スマホの使い方を勉強しなくっちゃとつくづく感じた。ようやくテレビが見られるようになった。
アーロン君も一緒にピザと鳥肉を食べながら、日本語で話し掛けてくる。ヒヤリングの機会を待ち構えていたようである。
「上手に話せなくて申し訳ありません」と、考え考え話し出す
「どうしてどうして、5ヶ月前から日本語を始めたとは思えないくらい上手ですよ」これは御世辞ではない
「いえ、恥ずかしくて、まるっきり自信が持てないんです」
「アーロン君のお父様は中国人の中でも飛び切り日本語が上手ですよ。家に居る時はお父さんと日本語で話せば、直ぐ巧くなりますよ」
「そうしたいのですが、一緒にいられる時間が無いものですから」
「学校には日本人がいないのですか? 外国語の授業で日本語は選べないのですか?」
「日本人は一人も居ませんし、日本語の先生もいません。だから日本語が勉強できる大学へ転校したいと思っています」随分と日本語熱が高まったものだと感心した。
「日本人の苗字はどうしてあんなに沢山あるのですか? なかなか覚えられません」と話題を変えてきた。するとアーロン君を沢山喋らせてあげるべきなのに、Kさんは得意の長広舌を始めてしまった。
「日本人の苗字は30万種類以上あるんですよ。珍しいのは[鼻毛][御手洗]なんて言うのがあります。多い順から並べると、[佐藤][鈴木][高橋][田中][渡辺][伊藤][山本][中村][小林][加藤]と続きます。佐藤と鈴木は時々順位が入れ替わります。日本中で約200万人もの佐藤、鈴木姓が居ます。鈴木のルーツは紀伊半島で、稲藁(いなわら)を干す為に積み上げられた物を[すずき]と読んだことに由来します。佐藤のルーツは、藤原氏の一族が、藤原氏の[藤]と、[佐]をつなげて名乗ったのが始まりだと言われています。伊藤、加藤も藤原氏の流れなんですよ」てな調子でアーロン君に喋らせない。私がなるべくアーロン君に喋らせるように仕向けるのだが、Kさんが直ぐ話を奪ってしまう。
今度は私が話題を変えて、
「私は今迄観光した国々のコインを収集しています。70ヵ国ぐらい集めました。それでね、アメリカ50州のクオーター(25セント硬貨・裏面が州によってデザインが違う)を楊さんに集めて貰って、残り2州迄になったんですよ」という話しもした。すると、アーロン君は私が知らない1$硬貨があることを教えてくれて、3種類もの1$硬貨と古銭の50セント硬貨を私にプレゼントしてくれたのである。何はともあれ、アーロン君としてはこの時間、一番日本語を話した日となったことだろう。
楊さんが降りてきて、アーロン君の給仕で我々と同じ物を食べ始めてた。アメリカ産のリンゴも剥いてくれた。品種は日本のリンゴより大きく立派な物だったし、とても美味しかった。その筈である。アメリカには、17世紀前半にヨーロッパからの移住民によってリンゴが持ち込まれ、新種の開発や枝変わりの発見など大きな発展をとげ、以後、世界各地で栽培されている品種のほとんどはアメリカに由来するものだったのである。
奥さんは玄関脇の応接間でアイロンがけをしていたし、チビちゃん達は2階から降りてこなかった。外はかなり強い雨である。ニューヨークでは9月の降雨量が一年で一番多く210mmも降るという。
「アルバイト先のボスが迎えに来るのでこれで失礼します」とアーロン君、今朝は昨日よりも13度も気温が低く12℃しかないのに、Tシャツに半ズボンで出て行った。Kさんが出がけに10$紙幣を渡し、アルバイト先のタバコを吸う人から1箱分けて貰えるよう頼んでいた。
明日から新学期が始まるというので、奥さんと子供達は車で出掛けて行った。学校の経費が足りない為に、小学校と中学校の新学期が始まる前日に、父兄が子供達に寄贈する物を買い出しに出るのだという。学校で使用する文具、生活用品が主で、鉛筆、色鉛筆、ノート、消しゴム、ロール式のティッシュペーパー等々いろいろ買い揃えるのだという。
「ボランティアです」なんだと話していた。
日本の学校の新学期では、新しい手拭いで縫った雑巾を割り当て分持参させるようだ。
昼過ぎに、私が注文した[龍]と[鳳凰」二枚(掛け軸にする絵)の梱包をしてくれることになり、地下のアトリエへ降りた。昨日ショッピングモール迄私達を迎えに出てくれた奥様が、その帰りに作品を収める堅い紙でできた円筒を買ってきてくれていた。楊さんは自分の作品だけに至極丁寧に2枚の作品を二重の厚紙に包みこむ。円筒は楊さんが言い付けた寸法より15cmも長かったから鋸で切る。800円も損をしたと昨晩揉めていたのはこれのことだったようだ。作業台の近辺には何でも揃っていて、作品が傷まないようにしっかりテープで塞いでくれた。私のスーツケースに収まらない場合を考慮して、紐を筒の2カ所で停めて弛みを付ける、それを肩に掛けて運ぶ算段までしてくれた。
Kさんは作品を見た後、タバコを買いに散歩をしてくると、傘を差して出て行った。テレビを点けても言葉が分からないから直ぐに飽きてしまった。Kさんがニコニコ顔で帰ってきて
「駅とは反対の方に歩いて行ったら、スーパーマーケットがあったので、タバコがあるか聞いてみたら売っていたよ。一箱13$だった」と満足そうだった。
楊さんはアトリエで仕事をするというので、2時過ぎに部屋に戻り昼寝を決め込みベッドで横になった。Kさんはカメラを持ち出し家中を撮りまくったり、何にでも興味津々で、家の中の置物や装飾品を手をかざして観察したりしていた。その後に部屋に戻り横になるとすぐ鼾をかきだした。
4時頃に、早い入浴を済ませてしまった。翌朝は楊家を出発するのが午前4時と聞いていたから、スーツケースに衣類を入れたり、絵の入った円筒が巧く収まるかどうかやってみた。私は不器用だから巧く納めることが出来なかった。それを見かねてKさんが斜めに強引に円筒を納めてくれたのである。これで、この軸筒を置き忘れる心配はなくなった。
5時頃奥さんと子供達が帰ってきたようだった。が、何故か姿を見せてくれなかった。
「鈴木先生、ちょっとアトリへまできて下さい」Kさんには悟られないように言う。何かな? とにかく後に付いて下に降りた。
「この事はKさんには飛行機に乗った後で伝えて欲しいんですが、家に居る間は黙っていて下さい」険しい顔である。さらに続ける
「今朝から妻や娘達の様子が変だと気が付きましたか?」と聞く、
「そう言われれば、一度も顔を見せてくれないし、挨拶も交わしておりませんから何かあったのかなあとは思っていました」確かに家族の様子が何か変だなとは感じていた
「実はKさんは、今朝娘達が寝ている姿を写真に撮ったそうです。若い娘にしてみれば、見苦しい姿を写すなんて許せないと憤慨し、妻にも話しちゃったんです。妻も怒っています。そこで鈴木先生にお願いしたいのですが、娘達の寝ている写真を必ず削除して欲しいんですが」
「え!、Kがそんな非常識なことをしたのですか? それは申し訳ないことをしました。私から深くお詫びします。必ずその写真は私が責任を持って全部削除させることを約束致します。許して下さい。娘さんを傷付けてしまって本当に申し訳御座いませんでした。娘さん達には鈴木が心から謝っていたとお伝え下さい」と、とにかく謝るしかなかった。
Kさんが好奇心旺盛だと言うことは十分承知しているが、まさかそんな非常識なことをするとまでは思っていなかった。当然御家族は私を含めて恥知らずと思ったことだろう。気まずい雰囲気になってしまった。後ろ足で砂を掛けるような結果になってしまったのが悔やまれた。私の紛失物についてアリシアちゃんが、ミネアポリス国際空港へ問い合わせをしてくれたのかどうかも確かめることができなくなってしまった。
「悪気はなかったと思います」とフォローすることもできなかった。
「もう過ぎてしまったことですから、気にしないで下さい」と逆に慰めてくれた。家族の皆さんとは顔を合わせないまま、楊さんが
「食事をしに行きましょう。中国料理でいいですか?」と言う。雨はあがっていたが、用心深い楊さんは5番街で買った折り畳み傘を3本車に積み込んで出発した。リッチモンド・アビニューを北上し、レストランがちらほらある所の、バイキングスタイルの中国料理店に着いた。広い店である。左側と、玄関横にテーブルと椅子が並ぶ。かなりの大人数が食事できるスペースである。店の3分の2の広さに、種類別に各種の料理が並べられている。自分の好みの料理を皿に盛りテーブルまで運んできて食べるのである。私とKさんにはビールを取ってくれた。アサリと野菜を炒めた物、数種類の貝類、魚や肉、果物、アイスクリームやケーキ類、料理のレパートリーは多彩である。私もだが、楊さんもアサリ料理がお好きなようだった。この時の楊さんとKさんは見事な食べっぷりを見せてくれた。
「もっとビールを注文しましょう」と、楊さんが追加注文をしてくれるというのを
「いや、今日はもう結構です」と断った。Kさんは素知らぬ顔で豪快に飲み食いしているが、とてもじゃないが美味しくビールを飲める状況ではない。楊さんとKさんは何度も料理を取りに行った。食べ放題で一人15$(1,875円)は安いと思った。ビールを含めた料金に15%のチップが掛かるのが癪である。
食事を済ませると、楊さんは大きな雑貨スーパー店に移動し車を停めた。このモールも馬鹿デカい。日本のイーオン店の3倍ぐらいのデカさである。1階建てで天井が高く商品がうずたかく並べられている。家の水道に水漏れ箇所があるので、パッキンを買いに寄ったのである。業者に頼むと来て貰うだけの人件費が高く、直ぐには来てくれないから自分で交換するのだと話す。部品を探すのに広々とした店内を随分と歩いた。たった10$の部品を買うのにも支払いは、ATM自動払い機でのカード決済である。だだっ広い店内に店員らしき人は見当たらない。操作がややこしいのか思うようにカードを読み取ってくれないのだ。それを何処かの防犯カメラかなんかで見ていたらしく、黒人の男性スタッフがやって来て無言で楊さんからカードを取り支払いを助けてくれた。
帰りの車中で、
「明日の空港までの車ですが、妻が言うには私の具合が悪いので、個人の闇タクシーを頼んだと申しておりました。私が日本に行く時もこれを利用していますから安心ですよ。車が確保できたかどうかの結果はまだ判らないのですが、家に着く頃には判ると思います。最初の予定では妻も一緒に空港までお送りする予定でした。が、明日から新学期が始まり、学校の準備で忙しいのでお目にかかれないと思います。ですから家を出るのは5時でいいと思います」と話す。
「それで充分です。私達もタクシーを呼んで貰おうと話していたところなんです。ガイドブックには出発の3時間前に空港へ行くようにと書いてありましたが、2時間前でも大丈夫ですか?」ニューヨーク発のDL-2134便は08時20分なので聞いてみた。
「空港業務は6時からですから充分間に合いますよ」との返事、そこへ楊さんのスマホに奥さんからの電話が掛かってきた。
「妻が申しますのは明日のタクシーは予約できなかったそうです。心配しなくていいですよ。私が空港まで送ります」と、安心させてくれた。
Kさんのカメラによるアクシデントが起こる前、奥さんは
「子供の学校があるけど、4時に出発すれば7時30分には戻ってこられるから、一緒にお送りします。主人一人だと眠くなったりして危ないですから」と話していた。それが一変して、〈楊さんに、送っていくことはない〉とキッパリ態度を示したのだろう?
家には午後9時過ぎに着いた。アーロン君の友人はタバコを切らせていたと、10$紙幣を返してくれた。
「妻が別の車を手配したそうです。明日の早朝5時に車が迎えに来ます」
「なにから何まで有り難う御座いました。明日は早いので、今夜はこれで失礼します」と2階へ上がった。
9月7日(木曜日) 帰 国
午前4時に起床して、準備は万端4時30分に荷物を持って下へ降りた。楊さんも降りてきてくれた。
「大変お世話になりました。本当にどうも有難う御座いました」私とKはお礼を述べる。
「どういたしまして、遠い所まで来て頂いて嬉しかったです。家内はまだ寝ていますので失礼させて頂きます御免なさい。空港までの車代ですが、チップを含めて80$渡してくれればいいことになっています。お金は空港に着く前に渡して下さい。空港で払っている所を見付かれば、運転手も鈴木先生達も罰金を取られます。先に渡しておけば空港警備員に何か言われても、友人を送ってきただけだと答えれば何も問い質されません。掛け軸のことは[横山清和堂]に連絡をしておきます」等々いろいろ世話を焼いてくれた。車の運転手が裏のドアをノックした。
「奥様と子供さん達にお世話になりましたとお礼を言っておいて下さい」本来ならば奥様や子供さん達のお顔を見てお礼を述べたかった。楊さんが私のスーツケースを車まで運んでくれた。握手のみの別れは淋しかった。
「大変お世話になりました。ニューヨークを詳しく案内して頂けて大満足致しました」Kさんも礼を言い、車に乗り込んだ。白タクの運転手は中国系の男性だった。ニューヨークでも中国人同士はお互いに助け合って生きているのだ、日本人にはない国民性である。
車の中でKさんに話し始めた
「昨日、楊さんの家族の様子が変だと気付いたかい?」と、聞いてみた
「俺が降りてきた時奥さんは応接間でアイロン掛けをしていたので、お早う御座いますと挨拶してけど聞こえなかったのか後ろも振り向かなかったよ。別に変だとは思わなかったけど、何かあったのか?」
「昨晩は外へ食べに行ったし、今朝は奥さんもアリシアちゃんも顔を見せなかったし、残り物は食べないと話していたのに、朝食は何も用意してくれなかったろう」
「そう言われてみればそうだな。何かあったのか?」だが、自分が原因だとは思っていない。
「昨日の朝、寝室の娘さん達を撮ったんだって?」
「いけなかったのか?」本人は何とも思っていないみたいだった。
「それはそうだろうよ。一番感情が激しい思春期の娘さんの寝姿を撮るなんて非常識だと思わなかったのかい?」
「俺は悪気なんかなかったけど拙かったかね?」
「そりゃあそうだろうが、アリシアちゃんは痛く傷ついてお袋さんに言い付けたそうだ。それで奥さんは大憤慨し、楊さんに当たり散らし、空港へ送ってあげなくてもいいとなったようだ」私の憶測も交えてKさんに話した。さらに
「それで楊さんが言うには、娘さんが写っている写真は鈴木さんの責任で全部削除してくれと厳命されたよ。俺からは大変申し訳なかったと謝っておいたけど、穴があったら入りたい心境だったよ」
「そりゃあ済まなかった。俺の写真はUSBドライブに収録し、全て鈴木さんに渡すから削除はお任せするよ」と、幾らか自分の行為を反省したようだった。
「後ろ足で砂をかけるような格好になってしまい、気まずい別れになってしまったな」
「・・・・・」Kさんは無言だった。
空港の標識が見えてきたので、
「How much is(お幾らですか)」楊さんから80$と聞いてきたが一応伺ってみた。
「Tipping included $80(チップ含めて80ドル)」と言う答えが返ってきた。
「悪いけどKさん払っといてね。80$ですって」Kさんは10$プラスして90$渡していた。
「Thank you. It is Kennedy Airport Termnal 2?(有り難う。ケネディ空港ターミナル2で良いか?)」と聞く。
「Yes, it is(はいそうです)」運転手との会話はたったそれだけだった。
ニューヨーク・ジョンFケネディ国際空港 ターミナル2には午前6時20分に到着した。空港内は閑散としていて、デルタ航空カウンターにはスタッフが数人しか来てないし、搭乗手続きをする人も数人しか居なかった。手前のATM自動発券機でパスポートをかざしたが反応がない。丁度通りかかった女性スタッフに操作をしてもらったら、同じようにパスポートをかざし首をひねって、
「Please go to the counter(カウンターへ行って下さい)」と言われた。チェックインカウンターは〈E〉しか開いていない。
「I am on the aisle side the toilet(私はトイレの傍の通路側)」と座席を希望、そして
「He asks the windou side(彼は窓側をお願いします)」とKさんの希望も伝えると一番後ろの座席を確保してくれた。チケットは2枚、[ニューヨーク⇒ミネアポリス]と、[ミネアポリス⇒羽田空港]が渡された。乗り継ぎ後の座席も希望通りの席を割り振ってくれた。
スーツケースに括り付けられたバッケージタグに太い文字で〈HND〉と書かれているのを確認し、タグの控えはチケットに貼って貰い出国審査コーナーに移動した。入国時と同じような厳しい検査があるものと思っていたら、一段高い箱形のボックスに係員がいるだけ、保安検査(ペットボトルとか液体物はここで没収)もボディチェックなどもなく、パスポートと2枚の搭乗券を見せるだけで通ることができた。入国時と同じようにパスポートへのスタンプは省略である。
搭乗口は1カ所だけである。その周りに大きな食事コーナーが設けてあった。フライトまで時間はたっぷりあるし、早起きしたので腹も減った。カウンターの男性に現金を出して料理を注文しようとしたら、タブレットを指さし、クレジットカードじゃなければ駄目みたいなことを言われた。諦めて、食堂以外のショッピング店を一回りしてみた。菓子類はあったがサンドイッチみたいな物は売っていなかった。仕方なく食事コーナーに戻った。沢山のテーブルがあり、どの机にも、料理を出すカウンターにもタブレットが置いてあり、その画面には料理画像のアプリが並んでいる。食べたいアプリをタップすると次ぎに数量、他のメニューと言う具合に進む。私はカードを紛失しているので、朝の軽食もKさんが頼りである。適当にアプリを押して、料理と飲み物をタップした。ところが何度カードをスライドさせても読み込んでくれない。それを見かねてカウンターに居た男性が身体を乗り出してスライドしてくれた。何か特別なコツがいるらしい? テーブルで食事をしている乗客はまばらだった。
朝食前に軽くビールを飲もうと言うことになり
「2ビール」と、カウンターの男性に言うと、
「Alcohol is from 9 o’clock(アルコールは9時からだ)」と断られてしまった。
もし私一人での旅だったら、ニューヨークへ到着した時点から、カードを紛失したことで身動きができなかったろう。この帰国の場面でもカードがないから食事もできなかったということだ。Kさんが同行してくれて、いろんな場面で助けてもらえたし(写真撮影の失態があったとしても)、本当に良かったと思った。
DL-2134便8時20分に飛び立った。この便は満席で、通路を挟んだ両脇が3人掛けである。私の隣に座った黒人女性はエコノミー席に腰が治まるのかしら? という巨体だった。両手の10本の指に指輪を填め、化粧も半端ではない、長い付け睫毛はピンク色で、こんな赤があったのかと思われる真っ赤な口紅を塗っている。髪の毛はクルクルのパーマ、ひときわ目立つワンピース姿だった。乗客の殆どの人が2m近い身長で、Kさんが預けた位の大きさのスーツケースを持ち込んでくる。この飛行機はかなりの燃料を喰うことだろうと思ったりした。
順調に10時25分ミネアポリス・センタポール国際空港に着いた。帰りはスーツケースを受け出す心配もないが、乗り継ぎ時間が50分しかない。急ぎ足で国際線のゲートに着くと、既に乗船が始まっていた。11時25分発DL-121便は定刻通り飛び立った。機材は来た時と同じ通路を二つ挟んで3人掛けが3列という配列で、後ろの席はガラガラの状態だった。ドリンクサービスと機内食を済ませた後、Kさんが横になりたいというので、私は通路の隣の座席に移動してあげた。3人掛けの肘掛けを持ち上げるとKさんの身長なら、通路に足をはみ出さずに充分に横になれる。羽田までは12時間30分のフライトだ。Kさんは気持ち良さそうに熟睡していた。