台湾・那覇・宮古島・石垣島 クルーズ 6日間

 6月20日(火曜日) 第3日目

 今朝は幾らか雲が残っているが、雨の心配はなさそうだ。旅行の準備万端で、午前7時30分にデッキ7の[エキスプローラーラウンジ]に降りた。
 今川さんが「順番に乗船券を受け取って下さい」という。券を配る男性から《TENDER TICKET・GEEN2》を受け取り、空いているソファーに座って指示を待った。5分ほど待つとGREEN2のコールがあり、自分たちのグループ6人が固まって数階の階段を降り、テンダーボートに乗った。
 本船を横目にテンダーボートは15分近く走行し[平良港]に着いた。

 [宮古島]は、沖縄本島から宮古海峡を経て南西に約290km、東経125度、北緯24度に位置し、太平洋と東シナ海の間にある島である。宮古という地名は、元は[ミヤク]であった。ミヤクとは「人(自分自身)の住んでいる所(地域・集落)」という意味である]
 8時30分[平良港マリンターミナル]前に広場があり、タクシー2台に分乗した。運転手に[たびらい沖縄レンタカー]と告げると「そういうレンタカー会社はありません」という。小林夫妻と小菅氏は後ろのタクシーで後から付いてくる。運転手は無線で交信して[トラベルレンタカー]に6人のジャンボレンタカー予約があるのを見付けてくれた。
 今回の旅でも車の運転は小林氏にお願いした。車は7人乗りワゴンクラスである。手続きと島内の観光情報を聞き、仕業点検を終え、午前10時いよいよ出発である。
 レンタカー営業所の係員に宮古島の突端にある[池間島]の行き方を聞きカーナビに打ちこみ走り出した。道路の両脇はサトウキビがビッシリ植わっている。小学校が見えたら真っ直ぐ進めば《池間島》だと教えられたので、誰も居ない対向車もない長い橋を渡った。橋から見下ろす海はとにかく綺麗、沖縄ならではの海の色。
 途中で最初に見えてきた、美しいコバルトブルーの海岸を間近で見ようと海辺の突端で車を止めた。昨日の那覇の豪雨は嘘のように、宮古島はすっきり晴れて太陽光が熱く眩かった。
 車を降り、漁船の桟橋? になっているコンクリート道路を歩き、初めて記念写真を撮った。

 桟橋左側の浜辺は宮古島の、ガイドブックの表紙にも使われたことがあるそうで、真っ白な細かく広い砂浜が続くビーチになっている。この時間だからか観光客は数人しかいなかった。
 桟橋の右側は岩と砂浜が入り組み、海の色がグラデーションに映えている。
 一軒だけみすぼらしい食堂があった。目立たない[つるるん食堂]と書かれた看板が扉の上に打ち付けてあった。目に付いたのは入り口右脇の看板に《生きた〈椰子がに〉が見られます》とあったので、どんな蟹なのか見に入った。
 私は東南アジアは殆どの国を旅行している。機会があったら一度〈椰子がに〉を食べてみたいと思っていたが叶わなかった。
 奥まったガラスケースの中に吃驚するほど大きな蟹というか、蜘蛛に似た焦げ茶色で泥だらけの物体がいた。重そうで50cm位の大きさだ。想像していた蟹とは姿が異なっていた。
 【 ヤシガニ(椰子蟹)Birgus latro は、エビ目(十脚目)・ヤドカリ下目・オカヤドカリ科に分類される甲殻類の一種である。

ヤ シ ガ ニ ( 椰 子 蟹 )

 陸棲甲殻類のみならず陸上生活をする、節足動物全体から見ても最大種である。日本ではヤシガニのその名前や言い伝えから、[ヤシの木に登りヤシの実を落として食べるカニ]としてのイメージが定着しているが実際には、ヤシガニの食性は口に入るものなら腐敗した死肉でも食べる雑食性で、必ずしもその主食にヤシの実があるわけではない。ヤシの実を食べることは確かだが、実を切り落とすために木に登る習性も確認されいない。
 ヤシガニは強力な鋏脚で、ヤシの実の硬い繊維も切り裂く事が出来る。また、銀食器や鍋などきらきらとした物を持ち去ることから、英語では Robber Crab (泥棒蟹)あるいは Palm Thief (椰子泥棒)などと呼ばれることもある。また、若いヤシガニは貝殻の中にその身を隠すこともある。生息域がインド洋の最西端からミクロネシアまで広がっているため、様々な名前で知られており、グアムではアユユと呼ばれ、その他の地域ではウンガ、カヴュ等と呼ばれることがある。また、生息する地域により様々な色をしており、明るい紫色から茶色まである。
 名前の通りカニに似ているが、ヤドカリの仲間である。雄は雌より大きく体長は40cmを超え、脚を広げると1m以上にもなり、4kg以上に成長する。ヤシガニのはさみの挟む力は体重の約90倍であることが分かった。これを海外で見つかった最大級の体重4kgクラスの個体に当てはめると337kg・fとなり、甲殻類最強で、ライオンの噛む力(約300kg・f)にも匹敵する。
 太平洋の島々では高級食材の一種で、回春薬であるとされている。雌の卵と腹部の脂肪分は特に重宝されている。ロブスターのように茹でたり蒸したりして食べる。島によって調理法は様々で、ココナッツミルクで茹でる地域もある。日本では、沖縄県の一部地域でヤシガニを食べる習慣がある。沖縄の宮古島ではヤシガニを、夏に捕えて茹でて食べている。インド洋と西太平洋に生息、日本でも沖縄、宮古、八重山の各諸島にも生息する 】

 [つるるん食堂]で、沖縄名産・当店自慢と大書された〈マンゴージュース(500円)〉を賞味してから車に乗り込んだ。
 カーナビは充てにならず次ぎに向かった所も当てずっぽう、取り敢えず伊良部島をドライブして小橋を渡った。色褪せた赤い鳥居が見えたので寄ってみた。巨岩の前に説明書きの看板があって、伊良部島・本吉根岩(帯岩)とある。
 《本吉根岩》この巨岩は、明和8年(1772年)3月10日の大津波で打ち上げられたと伝えられている。巨岩の名は(オコースビジー)とも言う。

《 本 吉 根 岩 》

 この岩の中央がやや引っ込んでいて人間が帯を締めている姿に例えたと言い伝えられてきた。岩の高さは12.5m・周りは599mもある巨岩で、重量はさだかでない。1979年(昭和54年)6月1日に旧伊良部町の史跡に指定されている。
 この大津波で木泊部落の住民はほとんどが溺死、家屋は流失、大小様々な岩塊や砂礫を打ち上げ、置き土産として帯岩を運んできた。無数に有った岩塊は飛行場建設のため爆破され、使用されたが町当局の嘆願で1個のみ当時の面影を残し、下地島の牧中に威容を止めている。いつ頃か巨岩は民間信仰が起こり、大漁祈願祭または航海安全や家内安全の祈願が行われ、島建ての岩守護人として定着した。
 巨岩の後ろは美しい入り江になっていて波飛沫が立っていた。

 下地島空港と言う看板があったので、現在位置は[下地島]だということが判った。我々全員が宮古島の先端の[池間島]に来ているものとばかり思っていたのである。
 7年前にこの飛行場に寄って、ジャンボ機の豪快な〈タッチアンドゴ-(離発着訓練)〉を見学したことがあるのを思い出した。余談だが、地図を見ると宮古空港の滑走路は、下地島空港の3分の2しかない。
 
 《下地島空港》は日本国内でのパイロット養成のニーズに応えるための訓練飛行場として開設された。3,000m×60mの滑走路を持ち、航空機の操縦訓練のために、日本では数少ない、滑走路両端にILSが設置されている空港である。実質的には日本航空と全日本空輸のパイロット訓練専用空港となってきた。2014年(平成26年)4月以降は琉球エアーコミューター(RAC)、海上保安庁、国土交通省航空局が小型機訓練のために使用している。

 伊良部島から宮古島に引き返しながら、来る時渡ってきた長い橋が[伊良部大橋]だったことも判った。
 
 【 《伊良部大橋》は、沖縄県宮古島市の宮古島と伊良部島とを結ぶ橋である。2006年3月18日に起工し、2015年1月31日16時に供用開始している。宮古島自体が離島だが、その先にある伊良部島はもっと離島なだけに、(構想から開通までは紆余曲折を経て実に40年もの歳月がかかったという巨大なプロジェクトで生み出された)伊良部大橋の開通によって、もたらされたのは観光や農業など、島の産業の活性化だけでなく、島の生活環境の向上も図られ、島民の悲願が達成されたといえる。島の過疎化の進行や産業の衰退などの問題が、この伊良部大橋が完成したおかげでアクセスがよりスムーズになり、島民にとって大きなメリットになった。
 全長3,540mで、新北九州空港連絡橋(全長2,100m)を上回り、通行料金を徴収しない橋としては日本最長である。(さんごのしま”という語呂合わせが隠された、豊かなサンゴ礁に囲まれた宮古島にピッタリな長さの橋でもある)総事業費は380億円。
 宮古島の平良港トゥリバー地区と、伊良部島東南部の長山の浜近辺を結ぶ橋で、沖縄県道252号平良下地島空港線の一部である。大橋の中央部分は、橋の下を船が通れるように、大きく盛り上がっている。主航路部は船舶の通航のため、支間長180m、桁下は27mある。
 橋梁の構造は一般部がPC(プレストレスト・コンクリート・とは、あらかじめ応力を加えたコンクリート材を使用した橋梁のことをいう)連続箱桁橋、主航路部が鋼床版箱桁橋とされ、本橋部分の全長は3,540m、取付道路は2,960mで、伊良部島側取付道路の一部は600mの海中道路、本橋部分と取付道路を合計すると、全長は6,500mとなる。
 本橋は厳しい塩害環境の中で 100年間の供用期間中の耐久性を確保するとともに、維持管理を軽減するため、桁外面のボルト継手をなくし、桁外面のボルト継手をすべて溶接継手とするとともに、溶接ビードは平坦仕上げを採用している。橋梁の幅員は8.5mで、幅3mの片側1車線道路の両側に幅1.25mの路肩が設けられている。
 伊良部大橋の開通により、観光の促進や流通コストの削減が見込まれ、宮古島の地下ダムから農業用水や生活用水が大橋に併設された導水管を通って供給されるため、水道のコストも削減された。
 伊良部島内で路線バスを運行する共和バスが、橋の開通に伴い従来路線の延長の形で伊良部島の佐良浜港と宮古島の平良港の間に路線を新設し運行を開始している。一方、宮古フェリー及び、はやてによって運航されていた平良港と佐良浜港を結ぶ一般旅客定期航路は、伊良部大橋開通に伴い廃止された 】

 宮古島から、長い伊良部大橋をバックに記念撮影をして、改めてカーナビに[池間島]を打ちこみ83号道路を走り、230号道路に入って[池間大橋]を渡った。

 【 《池間大橋》は、宮古島市の北西部に位置している。

《 池 間 大 橋 》

 宮古島と池間島とを結ぶ全長1,425mの橋である。1992年2月に開通した。1995年3月に来間大橋が開通するまでは、沖縄県内最長の橋であった。宮古島側の宮古島市平良字狩俣と池間島側の宮古島市平良字池間とを結ぶ橋で、沖縄県道230号池間大浦線の一部を成している。構造は、PC連続箱桁橋。1986年3月に着工し、総工費99億円をかけて1992年2月に開通した。船舶の航行のため中央部が盛り上がった形状をしている。
 橋全体の構造美、周囲に広がるエメラルドグリーンの海、その先に西平安名岬や大神島を望む優れた景観のために、宮古島を代表する観光地のひとつとなっている。橋のたもとには、宮古島側に展望所、池間島側に売店が設けられている。暴風警報が発表され、風速が25m/秒以上になると、1時間前に事前連絡の上、通行止めとなる 】

 [池間島]は、宮古島の北西1.5kmにあり、沖縄県宮古島市平良池間に属する面積2.83k㎡、周囲10.1kmの島である。半農半漁の島で、特にカツオ漁が盛んである。島の中央にある[池間湿原]は野鳥の楽園として有名である。御嶽信仰が今でも残り、民俗学の宝庫として知られている。
 2005年の国勢調査によると、人口は682人、332世帯が居住している。明治時代には人口が2,200人を数えたこともあった。南方には宮古島北西端の西平安名岬が望むことができ、北岸に1940年(昭和15年)初点灯の池間島灯台(灯火標高41m、光達距離18海里)がある。島周辺には「干瀬(ビジ)」と呼ばれるサンゴ礁群が散在している。特に北東約15kmには、八重干瀬と呼ばれる巨大な干瀬があり、ダイビングスポットとしても有名である。
 池間島は小林さんの運転によるドライブで一周し、再び230号道路を戻ってくると、[宮古島海中公園]と言う看板が目に付いたので枝道に入った。
 館内に入ると貝を貼り合わせた土産物や特産品が陳列されていた。施設を見学すのには1,000円の入場料を払う。ここも高齢者割引はない。(障害者のみ割引がある)管理棟の海中観察施設側の出入口を出ると、海中観察施設の入口があり、50段ぐらいの階段を降りる。大山さんの足が心配なのでエレベーターはないのか聞くと「昇降ゴンドラがあるんですが、故障しているんです。済みません」とのことだった。

 《宮古島海中公園》は、宮古島の豊かな海洋資源を活用した体験型の観光施設である。〈普段着のまま豊かな海洋資源とふれあうことができる宮古島の観光スポット〉と言う触れ込みで、メインの海中観察施設は、24個のアクリルパネルの窓から、大海とつながる自然の一部を見ることができる。

海中観察施設・24個のアクリルパネル

 窓には3cmのアクリル板を特殊な技法で4枚貼り合わせ12cmにしたものが使われている。海中観察施設は、横幅29.6m・奥行5m、約150㎡のゆったりとした空間となっている。高さ1.5m、幅50cm、厚さ12cmの24個のアクリル板の窓からは、カラフルな熱帯魚やタコやウミヘビ等、様々な海の生き物と出会えるというのだが、この日は波は穏やかだからか、砂が起伏する海底には熱帯魚と思われる小さな魚が数匹しか見えなかった。

 島の中心に向けて走行してきて目に止まった、手造り泡盛工場直営店〈忠孝酒造〉に寄ってくれた。沖縄本島で一番小さな手造り泡盛工場とかで、日本の蒸留酒の原点としての泡盛、また沖縄が世界に誇る黒麹菌など、先人が泡盛造りに果たしてきた役割は大きいのだそうだ。忠孝酒造では、琉球王朝時代から伝わる、子や孫に五十年、百年古酒を伝える〈家酒家宝〉を提唱している。小林さんの弟さんはこの酒造で買った5升甕(かめ・琉球城焼)、一斗甕を持っていて家で寝かせて愛飲していると話す。
 店の番頭さんの説明を聞き、数種類の〈泡盛〉が試飲できた。(小林氏は運転なので我慢)
 小林・大山・小菅さんが泡盛や麹、漬物を買って、合わせて1万円を超えれば送料無料になるというので大山宅へ発送していた。

 昼食時間も過ぎたのでレストランを探しながら島の中央に戻ってきた。
 「お願いがあるんだけど」と遠慮がちに大山さんが口を開いた。
 「どんな事ですか?」と小林さん。
 「何処かのコンビニへ寄って貰えませんか。トイレを使いたいんです」大山さんは忠孝酒造でもトイレに行ったのに、腹の具合でも悪いのかな?
 「判りました」とコンビニを探しながら走行して、コンビニ・ココストア前に駐車した。ついでに皆がトイレを借りて、ちょっとした物を買って、近くのレストランを聞くと、[島の駅みやこ]という道の駅を教えてくれた。
 「大山さん、うんち、出ましたか?」大山さんは台北のホテルとサファイア・プリンセス号のトイレがウオッシュレットじゃないので、丸3日間お通じがなかったそうで、何とか出そうと奮闘していたもようである。
 「駄目だった。台湾も豪華船も宮古島も文明が遅れている」と御不満である。何とかしてあげたいのだが? 実にお気の毒であった。
 「道の駅のトイレならウオッシュレットかも知れませんよ」ということで道の駅を目指した。くねくねした道をかなり走ったら、またココストアに戻ってきてしまった。今度は方向を変え、途中で島の人らしき男性に聞いたりして、ようやく[わくわく宮古宝島・島の駅みやこ]のオレンジ色の看板を見付けた。([道の駅]ではなかった)広い駐車場の奧に平屋建ての店舗があった。店に入ると大きな食堂になっていて、既に食べ始めていた女性が、
 「何処から来たのですか?」と聞くので、
 「豪華客船サファイア・プリンセス号で台湾経由できました」と答えると、
 「ワー! 素敵ですね。私も一度で良いからそんな旅をしてみたいわ」と大変愛想が良い
 「宮古島で一番美味しい食べ物は何ですか?」などと聞きながら会話が弾む。
 「カツオ・昆布・鶏ガラ・豚骨でダシをとった、コクのあるあっさりめのスープが自慢の《宮古そば》がお勧めです。宮古島に来たのだから一度は味わって下さい」と仰るので注文した。大・中・小があり小は500円だった。宮古そばとなっているが白っぽい太い、うどんのようだった。沖縄には沢山のファンがいるそうだが、私としては沖縄滞在中、再度《宮古そば》はもう食べるつもりはない。
 早めに食べ終えた明子・佳子さんは奧の直売所を見に行った。私も後から覗いてみたら直売所には契約農家からの、地元の新鮮な野菜や果物、特産品や加工品、お菓子、泡盛などが並んでいた。折良くというか、佳子さんが私をマンゴー売り場に案内してくれた。6月18日からマンゴー共和国2017を開催中だった。私は東南アジア旅行中ホテルのバイキングで、マンゴーはしょっちゅう食べてきた。どれ程するものか全く知らなかったから、値段を見て吃驚してしまった。2個入りの箱が、7,000円、8,000円もするのだ。妻がマンゴーが好きらしいことは知っていた。大山さんも最初は7,000円を手に取っていたが、3,500円のをお買いになった。私は今回の旅行では台湾での〈北投石〉しか買っていなかったので、7,000円のマンゴーを買い、10,000円以上だと送料が無料だというので、大山さんのマンゴーと一緒に拙宅へ届けるように手配した。

 午後14時にレンタカーを返す契約である。時間が迫ってきたので、レンタカーの営業所近くのスタンドでガソリンを満タンにして、丁度2時に車を降りた。タクシー2台を呼んで貰い、平良港マリンターミナルに戻った。 テンダーボートへの乗船前に[クルーズカード]のチェックがあり、パスポートのコピー用紙を見せる。
 テンダーボートが満席になると出発する。帰りは本船を右側に見ながら進む。近づくとサファイア・プリンセス号の偉容が押し被さってくる。改めてその大きさに感歎せざるを得ない。
 本船に乗船する際にも[クルーズカード]のチェック、手荷物X線検査があった。観光中に買い込んだアルコールは持ち込み禁止と書かれていたが、私は島の酒店で沖縄の缶ビール(350ml)3本を買ってきている。何のお咎めもなくスムーズに通過できた。缶ビールぐらいだから大目に見てくれたようである。
 キャビンで1時間ほど休んでから小菅・小林・私の3人で、サンデッキ15にある[サウナ]ヘ出掛けた。小菅氏は水着持参である。サウナは日本の温泉にあるような華氏110度(摂氏43.4)という高温ではなく、95度(摂氏35)だったから、まだるっこく感じた。それでも少し汗ばんできたのでシャワーを浴びた。小菅氏はプールへ行き、小林氏はなかなかシャワー室から出てこない。
 「随分長いね? トラブったの?」と聞くと
 「キャビンのシャワーじゃ洗った気がしないから、石鹸でくまなく洗ってたんだ」だそうだ。
 [ムービーズ・アンダーザ・スターズ]の大スクリ-ン下のプール脇のテーブルに座って私と小菅氏はビール、小林氏はレッドワインで夕涼み。
 キャビンに戻って直ぐに今川さんが[台湾入国用紙]と[下船用パッケージタグ(茶色)]を届けてくれた。乗船した時のパッケージタグを外しこれを取り付けるのである。
 なんだかしょっちゅう食べてばかりいるみたいで、もう夕食? テな気持ちになったが、今晩は、やはりプラザデッキ5にある昨日の隣の[ヴィバルティ・ダイニング]が17時30分からオープンするというので皆して出掛けた。このレストランのチーフも、私と同じ〈スキンヘッド〉で、ハグしてエールを交換した。
 女性お二人はお疲れになったのか? 今晩も〈プリンセス・シアター〉ヘ行きましょうとは言わなかった。
 332号キャビンに集まり、レンタカー代6,000円、ガソリン代2,001円)を精算(一人1,334円と安かった)したり、ワインを嗜んでお開きとした。

未分類