充実のロシァ 7日間

 

ロ シ ァ の 地 図
ロ シ ア 国 旗

ロ シ ァ の 国 章

2017年1月17日(火)~22日(月)

 昨年7月に小林御夫妻と小菅氏と私4人で行った中国の《西安・敦煌 6日間》は紀元前の歴史ロマンと、鳴砂山の砂漠を背景とする仏教文化に触れる充実した旅だった。その紀行文は B5の用紙にぎっしり書いて写真を付け65頁にまとめておいた。帰国後、小林氏の奥様が小菅氏と会った時に「お互い元気なうちにまた何処かへ行きましょうよ。できたら私一度も行ったことのない《エジプト》へ行きたいわ」との話があったそうだ。
 そのお誘いを伺ったものの、治安の悪い昨今のエジプトには二の足を踏んで、一度はやんわりとかわしておいた。が、毎月送ってくる[旅ガイド]にはエジプトの商品が催行決定で沢山売り出されているのには意外だった。
 私がエジプトに行ったのは20年も前になる1997年2月だった。そのときクフ王のピラミッド近くで体験した最高気温が、摂氏54度だったのを鮮烈に覚えている。その旅でバスの車窓から見た、ナイル川を豪華客船でクルーズする様子は、名探偵ポアロの映画[ナイル川クルーズ殺人事件]と重ね合って憧憬したものである。
 「ちょっとお値段は高いけれど、《ナイル川クルーズで巡る 魅惑のエジプト8日間》1月ないし2月出発は如何ですか?」と小菅氏の同意を得て小林さんの奥様に電話をしてみた。
 数日してから返事があって
 「進ちゃんはエジプトへは行ったことがあるんでしょう? 一度行ったところじゃ申し訳ないわ。無理なさらないで、私ならまだ行ったことのない国が沢山あるので、どこでも結構ですのよ」と仰って下さった。暫くして小菅氏から
 「小林さんの奥さんが[たびものがたり11月号]に載っている1月か2月の《ロシア》はどうかと聞いてきたけれどどうしますか?」と電話を掛けてきた。
 私はお誘いが掛かればどこでもOKである。私が行くと言えば小菅氏も二つ返事で賛同してくれるから嬉しい。あとは奥様の〈御茶席やらその他の教室〉と重ならない日程を決めればいい。そんな時に小林氏から
「《春日部温泉》の無料券があるのだけれど、御一緒しませんか? 小菅さんも行きますかね?」と誘われた。小菅さんも喜んでOKしてくれたので、10月19日午前11時に春日部温泉の入り口で合流することにした。春日部温泉にて温泉に浸かり、湯上がり後は2階の大食堂にて〈湯上がりのビール〉で乾杯し、数分だけ旅行日程の打ち合わせをした。
 「1月の寒い時に何もロシアなんかに行くこともないだろうに、本当に行くのかね? 寒くないかなあ?」と小林氏。
 「冬のロシアは穴場のようですよ。いろんな旅行会社でもロシアを売り込んでいますから、小林さんはスキーをなさったんでしょう? スキーに行った時の格好をして行けばそんなに寒くないと思いますよ。日程としては奥様の[御茶の教室]が気になりますが?」
 「教室その他は、今から旅行日程を先に決めてしまえば、そこはどうにでも動かせますよ」
 「それならば、催行決定となっている1月17日出発でどうでしょう? この日ならば旅行代金も一番安い119,800円で済みますし、小菅さんの御都合は如何ですか?」
 「俺なら何時でも大丈夫だ。幾らでも調整できるから、その日でいいですよ」と言うことで出発日は決定した。この日は3人で《豊春駅》までの無料バスに乗り《春日部駅》まで繰り出して、2軒の居酒屋を梯子した。
 翌日[JTB旅物語販売センター]へ電話して予約を入れる。7月に《西安・敦煌》へ行った4人なので、個人情報は登録済みだから予約は簡単に済んだ。
 ところが2週間経っても申込用紙を送ってこないので、小林氏が心配して電話を掛けてきた。直ぐ問い合わせをしたところ
 「1週間前に発送しましたから既に届いているはずですが? 何か手違いがあったかも知れませんので、今から再発送致します。申し訳御座いませんでした」との返事だった。申込用紙は翌日着いた。そして翌々日、同じ物がまた届いた。

 ロシア旅行にも[ビザ]がいる。このツアーではJTBで一括取得することになっているという。ロシア大使館に払う4,000円のビザ代金の他にJTBに払う手数料が6,480円掛かる。11月22日にビザの申請用紙が送られてきた。申請用紙に(パスポートに書いてある同じ)サインをし、4.5×3.5cmの顔写真1枚とパスポートを同封し、書留郵便でJTB旅物語販売センターに返送した。

 ロシアへの旅行となるから、寒さ対策から始めた。モスクワの1月中旬の平均気温は-6~-10℃だというから思っていたより気温は高い。そこで先ず用意すべきは[防寒靴]だと思いつき、インターネットで吟味に吟味を重ねノースフェイスのスノーブーツ (ブラック) 15,357円を注文した。帽子は7年前に九寨溝へ行った時に買った[ウルフ(狼)の毛皮]があるからそれで間に合う。どうするか迷っているのは[耳当て]だ。マイナス10度ともなると耳が霜焼けになるのではないか? それが心配だが、たいした金額ではないので備えておくことにした。この話を小林氏に話すとそれを聞き込んだ奥様が、
「なにやら沢山の防寒具を買い込んできたよ」と笑っていた。
 私は25年前頃から欠かさず海外旅行先から友人や兄弟姉妹に[絵葉書]を出してきた。出発前に18名の宛名シールに印刷をして持参する。何処の国も郵便事情は悪く、切手を購入するのに偉い苦労をする。なので出発前の準備として、訪れる国の郵便事情をあらかじめ調べておく。今回訪れるロシアの郵便事情も調べてみた。
 【 ロシアに旅行しモスクワから、日本にはがきを出した場合、これが日本に着くのに、1ヶ月位掛かるのが普通なのだという。数通一緒に出してもはがきが届く順番はばらばらだし、挙句の果てに出したはずのはがきの一部が消失してしまうことがしょっちゅうある。〈ロシア郵便〉は小包を配達するのにも数週間から数ヶ月かかる。原因としてはロシア郵便に責任がある場合もあるが、税関に荷物が一定期間 留め置かれるからである。そもそも国営会社〈ロシア郵便〉の給料は安い上に、やっとのことで現代的な技術を覚えている今の職員数では人手が足りない。ロシア郵便の職員問題は最重要問題のひとつとなっていて、寄せられるすべての不平のうち半数は職員への不満で、[乱暴な態度、不親切、専門知識の欠如、職員不足]が揚げられる。ロシア郵便の広報室によれば、職員の平均給与は、月給で300~400ユーロ(34,500~46,000円)とのこと。これでは有資格者の青年専門家は、郵便事業に就職しようとはしない。郵便局の職員の大半は年金生活直前の女性たちで、新しい技術をやっとのことで覚えている有様だそうだ 】

 このような実態では折角ロシアから[絵葉書]を出しても不安で張り合いも失せてしまう。だから今回は[世界の果てからのメッセージ]は断念した。
 1945(昭和20)年4月5日に、ソ連は日ソ中立条約の破棄を通告し、ソ連軍は連合国の要請により対日参戦を実行してきた。その事によって日本の敗戦が早まった。私は子供ながら、ソ連は裏切り者として今以て好きになれない国である。

 1991年ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国が崩壊し12月25日、ロシア共和国が連邦から離脱しロシア連邦として成立した。日本との間では、経済的な交流が極小数あるが、過去のシベリア抑留や北方領土問題とそれに起因する漁民銃撃・拿捕事件、資源問題なども生じており、その関係は全くもって悪い。

 そうした国と知りながら、今回ロシアへ行く事になった。

      [日本とロシアの比較]

         ロ シ ア            日 本
 人 口   1億4,630万人         1億2,692万人
 面 積   1,775,200万㎢          378,000㎢
 名目GDP  1兆3,247億$         4兆1,232億$
 1人GDP     9,054$            32,485$  

 私はロシアという国はもっと大国かと思っていた。経済的に見ると日本が世界第3位なのに対してロシアは世界第8位だと言うのに吃驚した。世界一の国土を有していて、何と日本の45倍の広さである。それでいて人口はほぼ拮抗している
 今回の旅行では[トロイツェ・セルギエフ大修道院][赤の広場][クレムリン][ノヴオデヴィチ修道院][サンクトペテルブルグ歴史地区][ピョートル大帝夏の宮殿][エカテリーナ宮殿]等、7つの世界遺産を観光する。これらの名所をインターネット等で調べるのはたやすいが、行った時の感激を大切にしたいので、これらの情報は一切無視した。

血の上の救世主教会(スパース・ナ・クラヴィー教会)

 ロシアのプーチン大統領が4時間近く遅刻して2016年12月15日に来日した。安倍首相の地元・山口県の温泉旅館で行われた総理との会談だったが、北方領土問題について具体的な進展はなかった。決まったのは、日本とロシアが、北方4島で[共同経済活動(漁業、海面養殖、観光、医療、環境など)]を行う協議を開始することだけで、プーチンペースでまんまと漁夫の利をかすめ取られた格好だった。
 ロシアでは円からルーブルへの換金はごく限られた所でしか出来ない。米ドルかユーロからの換金はどこでも出来るようだが、二重に手数料を取られるのは癪だからインターネットでの両替を調べてみた。
 GPAの外貨両替というのがあって世界34ヵ国の通貨を取扱っている。申込は簡単で外貨を送料・代金引換手数料0円で自宅又は勤務先迄郵便局員が届けてくれる。年末の円相場はトランプが打ち出したアメリカの利益誘導政策が功を奏しての円高傾向で116円で上下していた。円安になるだろう年明け迄待っていたが1月4日の初発会では1$が118円まで円安になってしまった。6日になると115円台まで円高になったので週明けまで様子を見、変動は僅かだったので10日に両替に踏み切った。
 私と小菅氏は30,000円、小林御夫妻は二人で50,000円両替するというので、一括して申し込むと79円の端数を加えて110,079円で(1RUB=2.43円)45,300RUBとなった。因みに三井住友銀行の交換レイトを覗くと(1RUB=2.53円)だった。10,000円で263RUB (639円)得をしたことになる。

 出発 1月17日(火曜日)

 [春日部駅]1番線ホーム8時22分発の区間急行中央林間行(最後尾の10両目は夫人専用車なので)9両目車両に乗車した。小林御夫妻は次駅の[一ノ割駅]から乗車、車内で合流することになっていた。電車が10分遅れというアナウンスが流れていたが、22分に到着した中央林間行きに乗車した。所がこの電車は急行で[一ノ割駅]には停まらず通過してしまった。
 「何で一ノ割に停まらないんだ?」と小菅氏に聞くと、
 「停まったよ。武里にも停まったじゃないか」と答えるのだが、小林御夫妻が何かの事情で遅れたのか? 狐につままれたような気分になったが、取り敢えず乗換駅の[押上駅]迄先行し、[成田空港駅]行きホームで特急を待っていたら小林御夫妻が階段を登ってきながら
「進ちゃーん」と叫んでいた。
 押上からの特急は[アクセス特急]だから上野発の特急とは別のルートで[成田空港駅]迄走行する。
 このツアーには片道分の〈手荷物宅配クーポン〉が付いていたので、全員が荷物を託した。丁度朝の通勤ラッシュ時間にぶつかっていたのでこれは的を射たサービスだった。
 第一ターミナルの右奥にある手荷物受取所でスーツケースを受け出し、Gカウンター前の受付カウンターに行く。すると今回のロシア旅行の添乗員、45歳位の太目の男性 朝藤さんが(出発前の電話では 朝富士だと自己紹介していたのに、名札を見せられて正しい苗字を知った)私の帽子を見て  「もうすっかりロシアスタイルですね」と笑っていた。
 私はロシアの寒さに丁度良いだろうと、10年ぐらい前に中国の九寨溝で1,000円というのを750円に負けさせて買った、ウルフの毛皮帽子を被ってきたからである。 
 パスポートを出して、e-チケットと旅行中使用する〈イヤホンガイドと電池2本〉を受け取った。
 「イヤホンガイドは無くさないで下さい。無くしますと6,500円払って戴くことになります。それとe-チケットは大切です、最後まで必要ですからパスポートに挟んでおいて下さい。機内では筆記具は要りません」変なことを言うなと思って
 「だって出入国カードを書かなくてはいけないんでしょう?」と聞くと 「現在は自分で書かなくても入国できるようになりましたから筆記具は不要です」私はインターネットで調べて、出入国カードの書き方を皆さんにお渡ししてあるのだが、骨折り損だったようである。
 「ルーブルへの両替ですが、ロシアの空港はレイトが悪いですから成田空港で両替なさって下さい」
 「既に両替は済ませてありますが、2万円で足りますか?」隣にいたツアー客が聞くと  
 「お酒をお飲みになる方でもそれだけあれば充分です。ユーロや米ドルが使える店もありますし、殆どの店でカードが使えますから心配ないですよ」私達に向かって
 「チェックインを済ませたら座席を確認したいのでもう一度こちらにいらして下さい。アエロフロートロシア航空はEカウンターです」人差し指でカウンターの入り口を示してくれた。
 私の希望する、トイレ近くの通路側席が取れた。別々にチェックインをしたのに4人が横一列の通路を挟んだ席だった。チケットを見せに朝藤氏の所へ行くと
 「朝方は空港が大変混んでいますから、直ぐに出国審査を行って下さい」と言われた。いつもなら食堂に行って旅行の結団式と銘打って乾杯するところ、第一ターミナルの食堂は遠くなので食堂には寄らずに出国審査入り口に向かった。
 冬の旅はセキュリティーチェックを受けるのも大変な騒ぎである。ジャケットの上にキルティングの防寒服を着ているからその両方を脱ぎ、機内持ち込みのリュックも篭に入れる。バンドも外すのかと聴き、セーターを捲って見せると「それはいいです」と言われ1回でパス。私はブーツをズボンの裾で隠しておいたから何も言われずパスしたが、小林氏はズボンをブーツの中に突っ込んでいたからブーツまで脱がされたそうだ。アエロフロートはライターの持ち込みは1個までOKだそうで、小菅氏は一安心したものの、何かに引っ掛かり、バンドを外したり、ポケットの中味を調べられたり3・4回チェックゾーンを往復させられていた。
 時差を調整するのに具合が良いローレックスの時計を嵌めていった。外国製品は申告しておかないと帰国時に課税される場合もあるので、オーバーホールしたばかりの真新しくなった時計を係員に見せると
 「何年お使いですか?」と時計をいじくっている。
 「かれこれ40年ぐらいです」と答えると、
 「これは申告しなくても結構です」と言われたので申告用紙への記載は省かれた。
 免税店が並んでいるところで、
 「モスクワ乗り換えでサンクテペトロブルグ迄行くのですが、ブランデー等を買っても大丈夫ですか?」と店員に尋ねたところ、
 「モスクワで国内線に乗り込む時に100ml以上の水分ですと没収されます」との答えだったので、今回は旅行中のアルコール持ち込みは諦めた。
 出発便SU-261便は13時10分フライトで、その20分前には搭乗するように促されたので、ゲート近く迄行き、その近くの売店を探した。生憎売店は無く、小林氏はBARにて酎ハイを注文し、小菅氏は小ジョッキーの生ビールを頼んでいた。私は売店を探しながら遅れて到着、
 「その酎ハイ幾らしました?」高かったのは承知で聞いてみると
 「750円も取られたよ。小菅さんの小ジョッキは500円だって。余り高いので吃驚したけど、時間はたっぷりあるしね」と憤慨なさっておいでだった。小菅氏の小ジョッキーの中味は200ml程度なのを見て、
 「私はもう一度売店を探してきます」と逆方向へ戻ってみた。お土産屋には缶ビールは無い、店員にコンビニを訪ねると2番ゲートの近くにあると言われ捜し当てた。350ml缶しかなく1本220円と安かったので3本ゲットした。それを聞き小菅氏はコンビニへ行ったようだった。
 SU-261便は定刻通り動き出した。モスクワのシェレメチェボ国際空港まで10時間25分のフライトである。機内はジャケットを着ていれば充分暖かい。私達が座った後部座席は空席が結構あった。後ろの4人席が空だったから、いずれ移動するつもりでいたら、先に他の人が座ってしまった。
 1時間ぐらい経つとドリンクサービスが始まった。アエロフロートにはビールが無く、アルコールは白と赤ワインだけである。私と小菅、小林氏は赤ワインを飲んだ。機内食はごくありふれた物だった。食事中のドリンクサービスでも赤ワインを頂き、椅子席に備え付けのテレビをいじくりロシア語の映画を見たり、眠ったり、トイレに行ったついでに赤ワインを貰ってきては飲んで過ごした。
 日本とロシアの時差はマイナス6時間である。飛行機の左側はロシア時間で14時頃から夕焼けで3時間近く赤々としていたが、右側は真っ暗闇という感じだった。4時過ぎに2回目の機内食が配られてきた。この時にも赤ワインをリクエスト。250ml入りの紙コップに8分目ぐらい注いであるから14度のワインでも酔いを感じる。着陸するまでに赤ワインを8杯も頂いてしまった。小菅・小林両氏は何杯飲んだのか定かでない。

ロシア時間17時35分(日本時間11時35分)にシェレメチェボ空港に着陸した。この空港はモスクワ市内にある国際空港でモスクワ市内から、北北西に約40km離れたところにある。乗客数と取り扱い貨物数において、ロシアでドモジェドヴォ空港に次いで2番目に大きい空港で、アエロフロート・ロシア航空のハブ空港である。
 朝藤氏の歩きながらの話によると、
 「かつての空港は設備、職員の汚職や対応、ボッタクリ、空港ターミナルビル内を撮影しただけで[罰金]と称した賄賂要求、市内へのアクセスの悪さなど、あらゆる面で評価が低いことで知られていました。日本航空をはじめとする複数の航空会社がドモジェドボ空港へ乗り入れ変更をしましたが、空港連絡鉄道(アエロエクスプレス)の開通や、新ターミナル(D、E)の運用開始などサービス改善を行った結果、2013年3月、国際空港評議会による、欧州地区のエアポート・サービス・クオリティ・アワードを受賞したあとは、そういった悪弊は一掃されました」だそうである。
 先ず入国審査である。ロシアでは入国の際に記載が必要となる面倒な[入国カード]は廃止され、ドモジェドボ空港に続き、このシェレメチェボ空港ターミナルDでも、入国審査の際、個人データーを入国管理官が自動印刷してくれる。入国・出国2枚の用紙にサインするだけでOKとなり、出国時の半券が切り離され渡される。
 次いで国内線搭乗チェックである。上着は勿論、バンド、手荷物をX線に通す。身体は2m四方・高さは2.5m程のボックスに入り係員が見ている状態で、両手を持ち上げる万歳のような格好をさせられる。そこを出ると手動の探知機で全身をくまなくまさぐられる。何か検知されるとどんな小さな物でも再度X線を通すので、結構時間が掛かった。
 1時間程の待ち時間があったので、売店を探したが無い。BARに缶ビールが置いてあったので、500ml缶を3本買って男3人で喉を潤した。奥様のことまでは気が回らなかった。御免なさいです。
 19時25分に飛び立ったSU-028便は、機内で軽食と珈琲・紅茶・ジュース等のサービスがあり、約1時間30分の飛行で20時50分にサンクテペテルブルグのプルコヴォ国際空港に着陸した。
 スーツケースを受け出し、全員揃ったところで現地の男性ガイドに引率され、空港の外に出た。ロシアの大地への第一歩を踏む。一面雪である。 空港内は暖かかったが、冷気にガツンと包み込まれた。歩行の幅に除雪された路面は凍結防止の塩分が撒かれているのだが、街灯が遠くスーツケースを引いての歩行はおぼつかない。
 バスに乗り込むと運転手とガイドの紹介があり、朝藤さんの案内である。
 「ここからホテルまでは渋滞が無い限り1時間ぐらいで着きます。着いたらもう一度詳しく説明しますが、ホテルを出て右の方角にコンビニがあります。お部屋には普通の水とガス入りの水のペットボトルが置いてありまして、それはサービスです。お部屋に入ったら直ぐに水回りのチェックをして下さい。一斉にお湯を出しますと湯の温度が下がりますから、その時は間を置いて下さい。その他 何か問題が御座いました場合に備えて、私がロビーで20分程待機しています。ロビーは1階です。食堂は1階左の奥にあります。朝食の際にはカードキーのカバーを見せないと入れません。各部屋への電話は直接部屋番号を押して下さい。ホテルに着きましたら私の部屋番号をお知らせします。明日の出発ですが、午前9時とします。10分前にロビーへお集まり下さい」等の説明があった。
 街全体に約10cm程の雪が積もり絨毯を敷き詰めたようになっている。車道は完全に除雪してあるようだが、後部座席からでは凍結状態は判らない。 ホテルPARK INN PRIBALTIYSAKAYA(パーク イン プリバルチスカヤ)には23時頃の到着となった。玄関を入るとロビーは温室に入ったように温かい。部屋に入る片時でもコートを脱いだ。このホテルに3連泊する。
 「チェックインするのでパスポートを集めます。入国の際に渡された半券も必要ですので一緒に挟んでおいて下さい。e-チケットはここでは不要ですので御自分で保管しておいて下さい。3日後チェックアウトしたあとにお返し致します」
 カードキーを受け取り、皆さん順次各部屋へ別れていった。私と小菅氏の部屋と小林御夫妻の部屋はお隣で共に5階だった。小林氏が焼酎を持参してきたと話していたから
 「時間的には遅いけど、無事到着祝をやりましょうか?」とお誘いする 「今日はちょっと風邪気味なので休みます」と小林氏。
 「それではごゆっくりお休み下さい。又明日」
 部屋に入ると直ぐドアノックがあった。出てみると
 「ドアが開かないんですけれどどうやって開けるの?」と奥様が。部屋から出、私がカードを差し込んで直ぐに引き抜き
 「青いランプが点けば開きます」とやって見せると
 「有り難う御座います」で、一件落着。
 部屋に入ると先ずバスタブにお湯を張る。
 「今晩の寝酒が無いけどどうしますかね? 近くにコンビニがあると聞いたけど」と小菅氏に問うと、
 「俺コンビニに行ってくるよ。鈴木さんは500ml缶ビールが3本もあればいいんでしょう? 先に風呂に入っていていいですよ」と言う。
 「雪中決死隊出動して下さいますか? 外は寒いですよ。重装備で行ってきて下さいね。お金は立て替えておいて下さいますか?」
 「うん」と言い、帽子とコート持参で直ぐに出て行った。
 再びドアノック。出てみると
 「お風呂のシャワーどうやったら出るのかしら?」と奥様が戸惑っていらっしゃる
 「ちょっと見てみましょう」と、お隣の風呂場に出向いて色々いじくってみたけれど、シャワーに切り替わらなかった。
 「ロビーへ行って朝藤さんに聞いてこようか? まだ居ると思いますよ」
 「今日は我慢しますわ。明日聞きますから、どうも済みませんでした」
 我が部屋の風呂の蛇口も同じ物だった。荷物を整理し、パジャマを取り出したりして、バスタブが程良い量になったので雀の行水、5分程の入浴をした。入浴中、シャワーに切り替える何かが有る筈と蛇口の近辺をまさぐってみると蛇口の吐き出し口に、リング状の金具が下に引っ張れてシャワーに切り替わったのである。行儀が悪けれどパジャマ姿でお隣のドアをノックした。奥様が出ていらっしゃったので
 「シャワーへの切り替え方が判りました」と一緒に風呂場に行きお湯を出しながら切り替え方を実際にやってお目にかけた。
 「お湯を止めると元に戻ります」
 「判りましたわ。どうも有難う御座いました」
 暫くして小菅氏がビニール袋に缶ビールを入れて戻ってきた。
 「どうも御苦労様でした。バスタブにお湯を出してありますから、湯加減と湯量は御自分で調整して下さい」
 「サンキュー。俺も軽く風呂に入るから、先にやっててよ」
 このホテルは3つ星以下かも知れない。ラオスでのジャングルホテルは例外として、海外旅行でこんなひどいホテルにお目に掛かったことはなかったと思う。テレビはあるけれど、冷蔵庫が備え付けられていないし、無論バスローブなど有る筈が無い。スリッパも湯沸かし器も無い位だから歯磨きセットも置いてない。成田からモスクワ間の機内で、薄っぺらなスリッパが配られたのをリュックに入れてきて正解だった。室温は26度位に調整してあるとかで、温度調整装置は付いていても作動しないと聞いた。お粗末なベッドに薄い夏掛け布団が一枚である。こんなんで風邪を引かないだろうか心配になったくらいである。
 そんなことより先ずは缶ビールを冷やさなければならない。部屋の窓が15cm程度開き、10cmくらいの窓枠があったので、そこへビールを並べて冷蔵庫代わりにした。小菅氏が入浴中、ロシアの缶ビールを味わってみた。巧いの不味いの文句は言えない。それでも私が慣れたせいかそこそこの味であった。小菅氏が出てきたので、窓から缶ビールを取り出し開けた。
 「氷のように冷えているよ」だそうだ。無事の入国を祝して乾杯。私は2本目に口を付けた。暫く飲んでいた小菅氏が缶の表示を調べだし
 「これノンアルコールビールだよ。味はビールだけれどちっとも酔わないや」
 「買う時によく調べなかったの? 外の天然冷蔵庫にもう1本俺のがあるからそれを飲めばいいよ」
 「あったまきたから今日はもう止めだ。缶ビールの所に立っていたら、店員が奥からこのビールを持ってきてくれたんだ。65RUB(150円)だから安いなと思ったけど、ノンアルコールとは思わなかった。鈴木さんのは150RUB(365円)だったから本物だよ」
 時間は午前1時30分を廻っていたので、BED INした。