感動のアンコールワットと魅惑のベトナム2都物語 7日間

 3月27日(木曜日)・第6日

 いつものように午前6時にレストランへ行く。いよいよ最終日、経ってみると実にあっけない。今朝の出発は午前9時、いつもよりゆっくりの出発なので、ホテルの廻りを散策しようと外に出た。我々の18階からの景観は川に面していないので、余りパットしない。ホテルの向かいは芝生が植え込んである広場になっていた。トンドゥックタン通りの横断に挑戦したが、如何せん左右両方から切れ目なくバイクが走り抜けて行くので舗道から足を踏み出せない。そこへ1台のシクロが近づいてきて、親切なお爺さんが我々が渡りきるまでバイクを止めてくれた。お礼を言いメーリン広場に入ると国の英雄チャン・フン・ダオ像が聳え立っていた。広場はインドシナ半島東南部を流れるホーチミン川に面していた。(この川は南シナ海に注いでいる)早朝7時頃この公園に来るベトナム人も居ない為バイクはスピードを緩めない。ホテルに戻ろうとして渡る機会をうかがっていたら、先程のシクロのお爺さんが我々を再び誘導して下さった。
 この地区はリバーサイドホテルやシェラトン、ハイアット、歴史的建造物やコロニアルホテル等の5つ星ホテルが立ち並ぶ古くからのホーチミン市の繁華街であり、ドンコイ通りまで100mという至極便利な立地なのである。
 [ドンコイ通り]はホーチミン市の主要通りの1つで、サイゴン大教会付近のロータリーからサイゴン川にかけて一直線に延び、グエンフエ通りと並走している。ルイ・ヴィトンやグッチなどの高級ブランド品店やデパート、レストランやカフェ、雑貨店が多く並ぶ外国人観光客のお目当て地区でもある。また、元フランスの植民地時代ベトナムの[シャンゼリゼ通り]と呼ばれていた。
 
 スーツケースは8時15分に部屋の外に出す。出発前の休憩? みたいな時間を過ごし、15分前にバスに乗り込んだ。
 「お早う御座います。スリッパでバスに乗り込んでいる方は居ませんね。今日が最終日です。忘れ物はないですね。パスポートと入国の時渡された出国カード、e-チケット、貴重品、お洋服のかけ忘れもないですか? もうホテルには戻って参りませんから、もう一度確認して下さい」
 グエンがマイクを握り
「お早うござます。今日は一日の観光と空港まで御案内させてもらます。日程表では午前中ホーチミン市内観光となってすが、午後予定のミトー観光とチェンジなます。これからメコン川船乗り場へ向かいします。約75km、時間にして2時間掛かりします。どしても無理な方は言って、その時はトイレ休憩しまけどトイレなしで行きます」ちょっと抜けた言葉で、その後はホーチミンについての案内もあった。ミトーに着くと先ずトイレタイム。
 「トイレに紙が付いてない場合が有りますので、ティッシュをお持ち下さい」田舎の船着場という風情、女性トイレも一応水洗式だった。
 50m程の木で組まれた桟橋から、定員30人位の屋根付きの舟に乗船。救命胴衣を身に付けろという指示はなく、人数分有るのか無いのか救命胴衣は天井に括り付けてある。
 [メコン川デルタクルーズ]である。メコン川の色は薄茶色、揚子江・黄河に次ぐアジアでは3番目の広大さ、川幅は3kmと広い、遠くに見える陸地は対岸ではなく島だという。10,000屯クラスの大型船も行き交う。20分程のクルージングでタイソン島への上陸となった。

全長8,331m ラックミエウ橋

 島の間近に斜張橋形式のラックミエウ橋が聳え立っている。
 [ラックミエウ橋]2002年4月30日に建設が開始され、2009年1月19日に完成開通した。アプローチランプを含めた全長は8,331mあり、メインブリッジは2つの部分からなり、その全長は2,868mになる。高さ117m、支柱が270m間隔で立っている。桁下の高さは37.5mあり、10,000屯クラスの船舶が通行できる。橋の中央にタイソン島がある。

 グエンに付いて島内の道を進むと布製のシートで覆われた屋根の下に、幾つものテーブルと長椅子が置かれている店らしきものがあった。椅子に座らされると、密の滴る[蜂の巣]を見せながら指でちょいとすくう、密の試食である。私も試してみたら、寒気がする程の甘さであった。その後小さな紙コップに、蜂蜜にベトナムのカボスのような柑橘類の汁を搾った温かな飲み物が振る舞われた。飲み終わると瓶に詰めた蜂蜜や、40度もある蜂蜜焼酎などの販売が始まった。このタイソン島に棲息する植物から採取した蜜で、ここでしか買えないと売り込みが巧みである。ツアーの人達が結構買っていた。
 其処を出ると、果物が垂れ下がる樹木の中を進み、同じようなトタン屋根の小屋へ導かれた。テーブルに皮を剥き楊子が突き立てられた、もぎたてだというマンゴー、パイナップル、ドラゴンフルーツ、西瓜等が皿に盛られ、おのおの1人2切れ程度の試食ができた。新鮮だからどれも美味かった。此処では果物を販売する訳ではなく男性3人が奏でる楽器の演奏で、店員を兼ねた女性が歌を披露する。歌っている間にザルがテーブルに置かれ、お金の催促である。ザルが何を意味するのか分からない人が多かった。気持ちとして1$(108円)入れる、ケチ人間である。 歌が終わるとグエンが
 「ごきぼの方は後ろで[ニシキヘビ]を首に巻いて写真撮れるよ。これは無料でます」と言う。勇気ある女性が2.5mも有るニシキヘビを首に巻き、にこりと写真に治まっていた。私はへび年生まれだから、ニシキヘビの鎌首を右手に持ってカメラに納まった。

ニシキヘビを首に巻いてパチリ
世界一の果物[ジャックフルーツ]

 両肩で担ぐから20kg以上あるのだろうがそれほど重いとは感じなかった。Kさんも挑戦したし、怖くてヒーヒー悲鳴を上げながら、首に巻いた2人組の女性もいた。
 グエンが何処からか重さ50kg以上もあるかと思われるジャックフルーツを持ってきた。真ん中で切ってあり、直径は35cmと大きくオレンジ色で甘い香りがした。
 [ジャックフルーツ(英語名・ベトナムではハラミツと呼ぶ)]はクワ科パンノキ属の常緑高木である。東南アジア、南アジア、アフリカ、ブラジルで果樹などとして栽培されている。東アジアでは台湾南部や中国海南省、広東省、雲南省などで栽培されている。原産はインドからバングラデシュで、バングラデシュの[国の果物]である。タネの周囲に果肉があり、他の果肉との間に仮種皮がある。幹や太い枝に連なってぶら下がる果実は長さ70cm、直径40cm、重さ40~50kgになり、世界最大の果実といわれている。その形は、歪んだ球形や楕円形が多いが、ときに円柱形となり長さにも差がある。果実の表面には数mmのいぼ状の突起があり素手で持つと痛い、熟すと全体が黄色になり強烈な甘い匂いを放つ。パラミツは実生から3年で果実をつけるほどで、生長が早い。
 この辺りはリゾート施設や宿泊施設が整っており、其処をさらに進むと樹木の密集地(ミニジャングル?)に入る。坂道を下った所に小川があり、数十艘の小舟が待機していた。舟には前後に竿を持った船頭が付き、乗客は4人が一列に座る。乗船する時にベトナムの円錐形の藁でできた帽子ノンラーが配られた。
 [ノンラー]とは、ベトナム全土で用いられるベトナム人(キン族)の伝統的な葉笠のことである(ノンは笠、ラーは葉の意味)。日よけに用いるが、多少の雨を避けるのにも円錐形の形状が役立っている。ベトナム全土で生産されるが、最も著名な産地は中部の古都フエである。フエの市街地とその東方の南シナ海岸とのあいだに広がる田園地帯にはノンラーで生計を立てている人びとが居住する村落も点在する。一人が1日で作れるのは3つだという。ツアーの人が、付きまとう物売りから値切って買ったら1$だったと言うから「まさか?」と思った。
 「ジャングルクルージングの舟に乗るについて御協力をお願いします。ジャングルクルージング料金は現地の旅行会社に払ってありますが、現地の細々と暮らす人達の支援という意味で、船頭さんにチップを渡してあげて下さい。前に座った2人は前の船頭さんに、後ろの二人は後ろの船頭さんに、それぞれ2人で1$で結構ですからお願いします」松永さんからの要請があった。

ノンラーをかぶってジャングルクルーズ

 舟はジャングルと言うが、小川の両脇に水椰子が密集している川幅3mのところを10分ぐらいクルーズするだけだった。舟と水の距離が近いせいもあって、メコン川の水より茶の色が濃かった。ジャングルの水辺で生活する住まいが垣間見えた。一番先頭の舟に乗った松永さんが、桟橋の上から小舟に乗った一人一人のノンラー姿を写してくれた。

 下舟後、ココナツ飴の工場に連れて行かれた。制作工程の実演見学付きである。先ず椰子の実の外側の皮を剥ぎ、中のココナツを鉈で割り、中の水分を出した後粉砕器に投げ込む。機械はかなり頑強のようで、白い部分だけを絞り出す。熱を加え攪拌機で掻き混ぜ練り状の飴にする。枠に填め込み、少し冷めたものを定規を当て包丁でカットする。慣れた手つきで一つずつ紙に包み込む。売り物になっているものはこれを40個梱包したものだ。試食したらキャラメルに似た味がした。
 「此処でしか売っておりません。一つ1.5$(162円)、5つ買えば一つおまけです」ツアーの皆さんが競って買っている。私の残りの米ドルも残り少なくなっていた。Kさんは免税店でタバコを買ってしまいやはり乏しい。今回の旅行では何も買っていなかったので、グエンを呼んで
 「5個買えば1個おまけなんだから、8個買うから8$(864円)にするように交渉してくれ」と頼むと、売り子の女店員は売るのが忙しいのと、どさくさに意味が分からずOKにしてくれた。それを知ったツアーの人は0.5$(54円)足し増して8$で8個にして貰えたと喜んでいた。Kさんと4つずつ土産にした。
 工場の外に出て、雄大なラックミエウ橋を撮ったり、黄色い藤のように見える[ゴールデンシャワー]を撮影した。

ゴールデン・シャワー

 ホーチミンの気温も35度近くになるが、水辺の観光だからカンボジア程汗は掻かなかった。
タイソン島観光が終了し、メコン川を逆走してミトーを目指す。帰りは向かい風で、船首に乗った人は飛沫を被る。グエンが天井の救命胴衣を引っ張り出して、飛沫除けに配ったいた。

 メコン川沿いのレストランはメコンから流れてくる風が爽やかだった。昼食は[ミトー郷土料理]である。昼食と夕食のビール代と、空港でのビール代がかろうじて残っている。今更換金するのも中途半端なので、足らなかった場合はカードで決済することにして、Kさんと1本ずつミトーの地ビールを注文。最初に運ばれてきたのは背びれ、尾びれ、尻びれのばかでかい鯛に似た平たい魚が唐揚げにされて大皿に立ててある。高温で揚げたらしく鱗が丸まって、針のように上を向いている名物料理[エレファントイヤーフィッシュ(象の耳)]である。女給がビニール手袋を填めてフォークで鱗をそぎ落とし、両手でむしり肉の白身が取れるようにしてくれた。この白身と茎状の野菜を春巻きの皮で包み込み甘酸っぱいたれを付けて食べる。美味くないから、食べ物が少ない割にこれは人気が無かった。(4人で1匹を分け合う)その他は手長エビのグリル、お米のボールフライ、ホットポット、丸い水餃子と炒飯、スープはなかった。
 
 昼食を済ませ、バスはホーチミンへと逆走した。1時間程の所で民芸品店にてトイレタイム。
 「この店が最後のお土産店となります」との案内で、ツアーの皆さんスーツケースに入るのかしらと心配する程の買い物をしていた。
 バスは午後15時過ぎにホーチミン市内に戻り、サイゴン大教会前で降りた。

サ イ ゴ ン 大 教 会 内 部

 この地区はホーチミン市1区と称し、ホーチミン市の金融、商業、管理の中心である。フランス領インドシナ時代にフランス人建築家によって都市計画がなされた。観光地として、サイゴン大教会、サイゴン・オペラハウス、中央郵便局、市庁舎、ファングーラオ通り、ドンコイ通り、グエンフエ通り、かつてのベトナム共和国大統領宮殿、ベンタイン市場などがある。5つ星ホテルと多くの高級レストランの大部分もここに集中している。サイゴン市内観光に来たら、どのツアーでもこの地区は必見のコースになっている。先ずはサイゴン大教会内部見学となった。

 [サイゴン大教会(聖マリア大聖堂)]はカトリックの大司教大聖堂である。サイゴンがフランスの植民地だった1863年から1880年にかけて建設された。1962年にバシリカとなっているネオ・ゴシック様式の教会である。外観からも分かるように教会の建物は間口に比較して奥行きが深い。入った瞬間、両脇の圧迫感、それに高い天井に目を見張った。フランスを彷彿させるような素晴らしい内装で、まさに荘厳そのものである。
 外に出て聖母マリア教会を正面から見ると、二つの尖塔が左右対称のすっきりしたデザインである。建物の手前には、名前の由来ともなっている大理石の聖母マリア像が建っている。斜めから教会を見ると、奥行の長さが良く分かる。教会の赤レンガはすべてフランス産で、風格を醸しだたせている。  自由時間30分が与えられた。サイゴン大教会の道路を隔てた所がサイゴン郵便局である。正面から撮影を終え中に入る。

 [サイゴン中央郵便局]は、1891年に当時のフランス領インドシナの郵便・電信施設として建築されたコロニアル建築の一つ。パリのオルセー駅(現 オルセー美術館)をモデルにしたと伝えられている。中へ入って見ると19世紀末から20世紀初頭に盛んに造られた駅舎のような構造である。鉄骨設計はギュスターヴ・エッフェル(パリのエッフェル塔設計者)が手がけた。120年以上経つ現在でも通常の郵便・通信業務を行っている。興味深 いのは中央郵便局がある地名はパリである。内装は天井が高く半円筒型で一番高い部分はガラス張りにし外の光を内部に採り入れる構造になっている。正面には巨大なホーチミンの肖像画が掛けてある。
 建物中心ホールの中央部および建物両翼は観光客相手のみやげ物売り場となっていて、ここでしか買えないオリジナル商品等を売っている。ホール外周のカウンターでは現在でも郵便をはじめとして各種通信・金融サービスカウンターが並び、国際電話用の電話ボックスやそれを模したATMが設置されている。入場は無料。  

 サイゴン市内観光の一つとして立ち寄ったのは[統一会堂(トンニャット宮殿)]である。

 政情が不安定だった時代には建物の呼び名もたびたび変遷し、1873年~1955年の呼称は[ノロドン宮殿]1955年~1975年の間は[独立宮殿]として現在に至っている。
 1966年に南ベトナムの建築家のゴ・ベト・チューによって、20,000㎡の敷地内に4,500㎡のT字型の地上4階、地下1階、95部屋の建物が造られた。当時の同盟国からの贈り物が並ぶ部屋や会議室、ビーリヤード場、ダンスホール、地下通路の無線室(ベトナム戦争当時の司令室)へつながっているとされるドアから大統領の寝室など、様々な部屋があり、屋上にはヘリポートも備え付けられている。ベトナム戦争終結まではベトナム共和国の大統領府及び官邸とされ使用された。最初に使用した大統領はグエン・バン・チューで、その後3代の大統領が使用した。 1975年4月8日には、北ベトナム軍がアメリカ軍より奪い取ったノースロップF-5戦闘機による爆撃を受けている。同年4月30日のベトナム戦争終結時に、サイゴン市内に突入した北ベトナム軍の戦車がこの建物のフェンス(鉄条網)を踏み破り突入、南ベトナムの首都サイゴンは陥落、15年にも及んだベトナム戦争はこの場で終結した。その際の映像は[一つの国が消滅する瞬間]として全世界に配信され有名となった。現在でも、その当時のソ連製の戦車が敷地内に展示されている。
 私が12年前に訪れたときはベトナムだけで7日間の観光だったから、この建物の中をくまなく見学できたが、今回我々の一行は正門のフェンス越しに4階建てのビルを見、写真を撮るだけの見学で、たった5分間だった。耳たろう(イヤホン)を付けていない人は、何でこんな建物の写真タイムを取ったのか不思議がっていた。チョウの説明も簡単だった。
 後は時間調整的な付け足し観光である。観光日程は7日間と銘うってあるが、今日の観光後は夕食を済ませ、22時までにはタンソンニャット国際空港へ行く。帰国便は3月28日の0時30分発で成田国際空港には7時45分到着の予定で、これも1日に数えてある。実質6日間である。

 観光日程の最後にある[ベンタイン市場]へ着いた。ベトナム南部のホーチミン市の市街中心部にある市場で、ビンタイ市場とともにホーチミン市を代表する最大規模のマーケット(エジプトのバザールと類似)である。1914年にフランス人によって造られた。約1万㎡の敷地内の迷路のような通路に1,000以上の店が並び、食品、花、雑貨、靴、家電、化粧品、食器、貴金属を売る店から、食堂や屋台、病院などの医療施設までがある。土産物なども買える観光客人気のスポットになっている。
 ベンタイン広場に面した大通りから見ると、市場の建物は綺麗に塗装されモダンな感じである。が、建物の中に入ると他の近隣諸国と同様、生活のにおいのする、いわゆる[ビッグマーケット]だ。中の通路は網の目のように区切られ、個人商店が数畳の店を構えてひしめき合い、商品ジャンル毎に固まっている。通路の出入り口に番号があるから、迷子になったら出口番号を探せば良い。5番口の脇にトイレがあった。有料のトイレ代はグエンが纏めて払ってくれた。
 グエンが買い物のコツを
 「商品には値段が付いてません。値段交渉は皆様の口に掛かってます。買いたい物有ったら、いくつかの店で7割引ぐらいから吹っかけて帰るふりして、そのまま帰してくれたらその値段では買えないことです。そういうやり取りを繰り返して、その商品の値段勉強分かってきます。半値以下ならOKです。一番安い店で買えばいいです」と教えてくれた。
 40分間の自由時間を与えられた。市場に足を踏み入れると熱気と人の多さで蒸れかえっていた。各店毎に売り物に照明を工夫しているからそれほど暗くはない。5分ぐらい帽子やサンダル等の売り場を見て回った。何も買うつもりもないので、椅子を並べている屋台で1$の缶ビールを飲み渇きを癒した。
 ベンタイン市場を後に集合し、バスに乗り込むと
 「お土産を買い足りない方もおいでのようですので、特別に[ドンコイ通り]でのお買い物タイムを取りたいと思います。ホーチミンで一番賑やかなショッピング街です。近くにはホテルが沢山ありますから、トイレはホテルを御利用下さい。集合は土産屋さん[トンボ]の前とします。1時間後の5時30分に集まって下さい」何のことはない、昨日屋台で缶ビールを買った通りであった。バイクの激しくない商店街を一回りし、昨日泊まったホテルでトイレを済まし、トンボの隣のレストランに腰を下ろした。ツアーの御婦人2人組も入ってきて、4人してベトナムの生ビールを注文した。一人5.5$(598円)だという。どうしてそんなに高いのか聞くと、税金とサービス料が含まれているからだという。ベトナムの税金の仕組みは良く分からないが、普通の店で約60円のビールの10倍は高いと思った。

 ベトナム最後の晩餐は[トラピックスオリジナルメニュー・サイゴン蟹づくし料理]である。蟹の甲羅に蟹の肉を混ぜたグラタンのようなもの、蟹味のスープ、それ以外は普通の中国料理だった。いよいよ残り少なくなった米ドルを数え空港でのビール代を計算し、Kさんと缶ビール1本ずつを飲んだ。
 食事が終わると空港へ直行である。空港で荷物整理の時間があった。翌朝成田に着くと冬に逆戻りなのでTシャツからセーターに着替えたら汗だくになった。皆さんから笑われた。
 タンソンニャット国際空港でもKさんはタバコ2カートンをカードで買っていた。計6カートンである。税関申告書は免税範囲内としてある。
 「見付かった場合は2カートンは私の分として申告しいいよ。残りの2カートンに5%の税金が掛かるけど、その時は1カートン19$(2,052円)の領収書を見せれば安く済むからベトナムの免税店の領収書を用意しておくといいよ」と諭した。空港待合ロビーのBARで、Kさんと最後の生ビールに喉を潤した。最後の12$((1,296円)だった。