感動のアンコールワットと魅惑のベトナム2都物語 7日間

  3月26日(木曜日)・第5日

 モーニングコールの電話が鳴る前には出発準備はできていた。食堂は5時30分から開いているが、朝食は戻ってきてからにした。5時40分にアンコールワットの日の出観賞に出掛けるのである。希望者だけの観光が全員参加となった。今日も甚兵衛とビーチサンダル、懐中電灯を持ったが、足下も良く見える程明るくなっていた。昨日と同じ駐車場から参道に向かう。朝早くからチケットチェックマンが出ばり手にとって厳しく日付を確認していた。正門を入った所、中央祠堂を挟んで両側に二つの堂塔が見える場所、ルームが
 「此処からの日の出が一番綺麗」と言う。正門のすぐ前には壕が有る。

ア ン コ ー ル ワ ッ ト の 日 の 出

私は壕の手前から(門の屋根が入ってしまうが)、祠堂と右側の堂塔が水鏡に映るアングルで6時30分の日の出を待った。我々が着いた時には既に先着して場所決めをしている観光客でいっぱいだった。春分の日からまだ2日しか経っていないから、太陽は中央祠堂の遙か上の黒雲の間から、半丸の黄色いお顔を表した。観光ガイドブックのイメージ写真のように《中央祠堂の真後ろから赤く丸い太陽が上がってくる》ではない。それでもアンコールワット日の出観光は一番人気である。
 7時20分にホテルに戻る。部屋へは上がらずレストランに直行した。急いで朝食を取りトイレ調整も済ませ、8時10分出発のバスに乗り込む。今日も[世界遺産アンコール遺跡群]観光である。最初に訪れたのはバンテアイ・スレイだ。

 [バンテアイ・スレイ]はヒンドゥー教の寺院遺跡。

[ バ ン テ ア イ ・ ス レ イ ]
[ 東 洋 の モ ナ リ ザ ]

 アンコール・ワットの北東部にある。バンテアイは砦、スレイは女で[女の砦]という意味である。寺院の大部分はラテライト(紅土石)と紅い砂岩で築かれており、東を正面としている。規模こそ小さいが、精巧で深くほられた美しい彫刻が全面に施されていることから観光客には大変な人気で[アンコール美術の至宝]と賞賛されている。中でもデヴァター彫像の一つは[東洋のモナリザ]とも呼ばれている。
 967年、ラージェンドラヴァルマン王が臨席する下で着工式が行われ、息子のジャヤーヴァルマン5世の代に完成した。アンコール朝の衰退に伴い忘れ去られていたが、1914年に再発見された。1923年にフランス人のアンドレ・マルローがデヴァター像を盗み出して逮捕され、注目を集めた。マルローは後にこの体験を基に小説『王道』を書いている。現在はカンボジアの安定に伴い多くの観光客が訪れている。
 外周壁の塔門をくぐり75mの参道を進むと、第一周壁とその塔門に着く。周壁もラテライトで築かれ南北94m東西109mあり濠が囲んでいる。塔門をくぐり土を盛った橋を渡ると、第二周壁とその塔門があり、正面に祠が見え始める。塔門をくぐり左右にリンガ(男性のシンボル)が並んだ参道を進み、第三周壁の塔門に入ると、中には刻まれた碑文がある。それを抜けると中央祠堂の前室、前室の左右には経蔵があり、それぞれ東側の偽扉と西側の入口を持ち、三重の破風で飾られている。破風にはヒンドゥー教の神話が緻密にかつ立体的に彫られており、南経蔵の破風では、下段に世界を揺らす悪魔と逃げ惑う動物が、上段に神とその妻が彫られている。
 1000年以上も経っている祠堂やレリーフの状態が良いのに感心させられた。出発前の案内で、松永さんが
 「望遠鏡をお持ちになるといいですよ」言っていたのは[東洋のモナリザ]は門の奥の祠堂壁に描かれていて、門にはロープが張ってあり望遠鏡で見なければ何の彫刻だか解らない。私はこれを撮る為に200mmの望遠レンズを持ってきた。ガイドやガイドブックがそう呼ぶからだが、私にはモナリザには見えなかった。観光客が大勢来ているので、東洋のモナリザを撮影するのには大変な思いであった。パンテアイ・スレイは東向きの寺院なので、順光となる午前中の観光がベターだ。西向きのアンコールワットは午後の観光ということにガイドは割り振るのだ。
 リュックに入れてきたペットボトルも直ぐに空になる。タオルで顔や首の汗をぬぐい約30分の観光の後、次の目的地タ・プローム寺院へ移動した。 

 [タ・プローム]は、12世紀末に仏教寺院として建立され、後にヒンドゥー教寺院に改修された遺跡である。創建したのは、クメール人の王朝、アンコール朝の王ジャヤーヴァルマン7世。ガジュマルによる浸食が激しく、三重の回廊に覆われた遺跡には、文字通り樹木が食い込んでいたり、巨木が遺跡を抱きかかえるような光景でもある。発見されるまでは土に埋もれていたのだろう、鳥などが運んできた種が雨季で発芽、巨木に成長した。

ガジュマルに包み込まれた遺跡

 これらの巨木は主にスポアン(ガジュマロの樹)で、大きくなると幹の中はたいてい空洞化して落雷などでも燃えることはないという。
 あまりの酷さにインド政府はタ・プロームの修復計画を発表した(インドはタ・プロームの修復を担当)しかし、現在ここで議論が沸き起こっている。熱帯の巨大な樹木は遺跡を破壊しているのか、それともいまや遺跡を支えているのかという議論である。2006年10月以降、この遺跡の修復方針をめぐって、ユネスコを中心とした活発な議論が継続中である。巨木が遺跡を支えている部分もあって、樹を切ると崩壊してしまう可能性もある。
 この風景は歴史の重みを感じるし、不思議でとても面白く思えた。ブランコのように垂れ下がるガジュマルの枝に人が座り写真に治まっていた。添乗員もガイドもシャッターを押すのに大わらわで、これに時間を食ってしまう。バスはもう一つの観光スポットアンコールトムへと向かう。

 [アンコール・トム]は、アンコール・ワットから北へ1,500m行くと南門城壁に着く。アンコールはサンスクリット語のナガラ[都市]、またトムはクメール語で[大きい]という意味。一辺3㎞、高さ8mのラテライト(紅土石)で囲まれた9㎢の敷地にバイヨン寺院をはじめバプーオン神殿、王宮跡、象のテラスなど数々の遺跡がある。

観 世 音 菩 薩 の 巨 大 な 四 面 像

 中心部にあるバイヨン寺院は王の最も崇拝した観世音菩薩の巨大な四面像がそびえ立つ、多数の塔に刻まれた仏教の寺院として建てられた城壁と環濠に守られた巨大な都城である。クメールの微笑と呼ばれる観世音菩薩の面(顔)は全部で196面あり、ある菩薩は目を閉じて瞑想し、ある菩薩は目を開き三千世界を見つめている。中心塔の高さは45mに達する。後世にヒンドゥー教に変えられ仏陀像は破壊されている。
 第一回廊の上部天井は崩れているが、壁面の浮き彫りにはジャヤーヴァルマン7世がチャム軍を駆逐した戦争物語や当時の貴族や民衆の実生活などが如実に描かれている。
 第二回廊から上部テラスに上ると観世音菩薩の四面像が微笑んでいる。この四面像は正確に東西南北の方向を向いており、世界に慈愛を広めようとする大乗仏教の信仰を反映している。観世音菩薩の頭部は蓮の花形で、顔の長さは1.75mから2.4mだ。このお顔はクメールの微笑と言われ、荘厳さの中にやさしい微笑みを浮かべていらっしゃる。
 外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門でつながっている。各城門は塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されている。また門から堀を結ぶ橋の欄干には乳海攪拌を模したナーガになっている。またこのナーガを引っ張るアスラ(阿修羅)と神々の像がある。
 第二回廊へ登る設置された木の階段は、アンコールワットの第三回廊へ登る階段と同じぐらいの急勾配であった。膝の痛みをこらえて、手摺りをしっかり掴んで登り降りした。
 ルームが説明する
 「この観世音菩薩のお顔が日本の皆さんの一番人気です。京唄子さんにそっくりでしょう」成る程笑っちゃう程良く似ていらっしゃる。

京唄子にそっくりの観世音菩薩像

 バスに乗って象のテラス前で止まった。写真撮影だけの観光である。

 [象のテラス]は、凱旋する軍隊を眺望する基壇として使われた。それはほんのわずかに残る遺跡のなかのピミアナカスの宮殿に取り付けられている。元来の建造物はほとんどが有機素材で造られており、はるか以前に消失し、残っているもののほとんどは複合体の土台の基壇である。象のテラスは、その東面にあるゾウの彫刻にちなんで名付けられた。延長300mを超える象のテラスは、公的儀式の巨大な閲兵席として使用され、また王の壮大な接見所の基壇としての役目を果した。
 象の彫刻の前にはロープが張ってあり近づけない。テラスに付属する階段を挟んで両側に3頭の象(頭部)が鼻を垂らし蓮の花を掴んでいる。建築様式はバイヨン様式である。
 写真撮影をしている廻りに、現地の女性や子供達が[小物入れ]だの[スカーフ]などをかざし千円、千円としつこく迫ってくる。1枚千円のスカーフが「3枚千円、3枚千円」になり、小物入れなどは最初3個で千円が、バスに乗り込み出すと「10個で千円」となり「13個で千円」とやけっぱちで売ろうと尚も迫ってくる。綺麗な布地で体裁良く見える小物入れだが、日本へ帰って誰のお土産にするつもりなのか、ツアーの女性が面白半分に買うと、他の人にも群がってなかなかバスに乗れない始末となった。10人位の人が買ったようで、Kさんもお買いになっていた。

 午前中いっぱいを掛けてのアンコールトム観光も終了した。ベトナムとカンボジア2カ国を巡る旅なので、飛行機による移動に多くの時間を取られてしまう。Kさんがアンコールワットが素晴らしかったと言ってくれたので、お誘いした私としてもホットした。
 それにしても35度の炎天下を観光して歩くのだから狂気の沙汰だ、暑かった。
 本日の昼食は[洋食]である。ビールが美味い。13時10分にホテルへ戻ってきた。シャワーを浴び、30分程ベッドで横になる。15時にスーツケースをドアの外に出し、15時20分にシュムリアップ国際空港へ向かう。この休憩時間は有り難かった。飛行機に乗る服装(サッカー・フランス・ナショナルチームのユニホームとGパンにスニーカー)に着替え、荷物整理もできた。
 2連泊したこのホテルともお別れである。ロビーに降りてくると松永さんが寄ってきて
 「鈴木さん。ルームさんが空港に何度も問い合わせをしてくれて、眼鏡ケースとペンケースらしい物が有ったみたいですよ。空港に着いたらルームさんと私とで、入国側のオフィスまで参りましょう」と嬉しい情報をくれた。
 「ええ! まさかでしょう? 諦めていたんですが、もしそうなら奇跡ですよね」
 「確実に手にするまでは半々ですけれど、幾らか希望が持てただけでもね」
 搬送車からのスーツケースを受け取り、チェックインを済ませると、松永さんと私は入国側のオフィスへ出向いた。ルームさんも心配して付いてきてくれたが、カンボジア空港ではガイドは中へ入れない。松永さんが英語で入管職員と話してくれ、パスポートとカンボジアへ来た時の座席の半券を見せ、書類に住所や電話番号、サインして遺失物を受け取ってきた。ルームさんはさっきの所で待っていてくれた。お世話になったお礼に紙に包んだ20$(2,160円)を渡そうとすると
 「受け取れません」と言う。松永さんが
 「貰っておきなさい」と促すと、嬉しそうに
 「有難う御座います」私からも
 「助かりました。有難う」松永さんにも
 「ご迷惑をおかけしました。有難う御座いました」忘れる私がいけないにしても、外国の機内で忘れ物をして、出てきたというのはラッキーな事、まさに奇跡と言えよう。
 空港内のBARにて生ビールを飲んでいる所へ、松永さんとBグループの添乗員がいらっしゃったので、お好みのフルーツジュースをお飲み頂いた。Kさんは空港内の本屋で、《アンコールの秘密・大高英光著》と言う日本語のガイドブックを16$(1,728円)でお買いになった。
 17時45分発のVN-3820便は1時間後の18時45分にはホーチミンのタンソンニャット国際空港に着いた。
 此方ホーチミンのバスも50人乗りの大型バスで、ガイドは阮(グエン)という35歳位の男性だった。ホテルに着く前に日本食のレストランに寄った。外国の日本料理程まずいものはない。ツアーの皆さんは日本を離れて5日になるので満足の様子。日本の若布とは違う海草と豆腐の味噌汁はまあまあだった。
 ホテルはPENAISSANCE RIVERSIDE HOTEL(ルネッサンス・リバーサイド・ホテル)サイゴン川の真横トンドゥックタン通りにある5つ星である。ホテルに入るとロビーで果汁のウエルカムドリンクの歓迎を受けた。部屋に入る前にグエンにコンビニのある場所を聞いておく。スーツケースを置くとKさんに「先に風呂に入って」と言い買い物に出た。簡単に書いて貰った地図を頼りに進むと大きな道路にぶつかった。横断しようにもひっきりなしに通るバイクに圧倒されて渡るのを諦めた。命を懸けてまで買う気はない。引き返してきたら交差点の角で老婆が屋台を出していた。ベトナムビールが並べてある。指を3本立てて3缶と言うと屋台のビールを袋に入れるので「アイス・コールド」と言っても言葉が通じない。すると若い男性が来てなにやら言ってくれたら、ビニール袋に砕かれた氷を沢山入れてくれた。1本1$(108円)だった。男性に礼を言いホテルに戻ろうとすると
 「可愛い女安いよ」と付いてくる、ポン引きだった。この日Kさんは寝酒をお飲みにならなかった。