3月24日(月曜日)・第3日
出発は8時、食堂が開くのは6時、モーニングコールは6時30分、スーツケース7時20分は昨日と全く同じである。今朝もハロン湾は靄が張り詰めて視界は思わしくない。雨こそ降っていないが、折角此処まで来たのだからKさんに美しい海の桂林を見せてあげたかった。
出発15分前にロビーに降りると松永さんが
「チョウさんは切手を買いに行く時間が無くて、ハガキ1枚に付き1$(108円)下されば後で切手を買って投函してくれるそうです」と言う。
「え! 1$ですか? 日本だってハガキ1枚のAIR MAILは60円なんですよ。分かりました明日カンボジアのホテルへ行ったら切手を買いますから、チョウさんにはお礼を言っておいて下さい。お手数をお掛けしました」と松永さんの親切に感謝した。
「後で鈴木さんがお作りになった絵はがきを見せて下さいね」
「はい、あとで必ず」18枚だから18$(1,944円)は今迄で一番高い郵便料金と言うことになる。私が調べた所ではベトナムから日本へのハガキAIR MAILの代金は11,000ドン(約42.3円)だから、枕銭(ルームサービスチップ)2人で1$から見るとえらく高いチップに思えた。
前の方のバス席は名前が書かれ指定されていた。Kさんと2人で前のシートに座るのもいいけれど後ろの方ががら空きなので、私は後ろの席に陣取った。出発するとお決まりの忘れ物チェックの確認があった。今日は200km・約4時間逆走してハノイへ戻る。チョウは今朝もテレビにデーターを映し出しガイドをしてくれている。聞いている人は余りいなかった。昨日とは別のルートを走っているようで、トイレ休憩の[民芸品店]も別の所だった。時間つぶしに骨董品売り場を物色した。10万円クラスの焼き物を手にすると、女店員がしつこく迫ってくる。
「いらない、観るだけ」とあしらっても
「1割なら負ける、これ古いもの、特別料金になってる」と離れない。
2階の奥まったコーナーに味見用の菓子が置いてあり、ハーブ茶の無料サービスもあった。此処でも買い物好きなツアーの人達はハノイの土産を沢山買い込んでいた。
30分の休憩の後、陶器の街[バッチャン]へ向かった。バスの中でチャンが果物の女王[マンゴスチン]を1個ずつ振る舞ってくれた。
果物の女王の愛称で呼ばれる[マンゴスチン]は果物の女王様である[ドリアン(果物の王様)]と並び、ベトナムでも結構値の張るフルーツである。主にベトナム南部で栽培され、ビンズン省などが主産地。濃い赤茶色の硬い皮の中には、白い果肉が(ニンニクのように)上品に並んでいて、甘酸っぱく、口に入れると程よくとろける食感は、ついついあとを引く。果物の女王の愛称は、大英帝国のビクトリア女王が
「我が領土に天下一の美果であるマンゴスチンがあるにも関わらず、いつも味わえないのは遺憾である」と嘆き、
「マンゴスチンを届けた者に褒美を取らす」との言葉を残したというエピソードからきているとか? 食べ方が分からない人が多かったから実演をご覧に入れた。両手で包み抱み、親指に力を込めて左右に割ると食べられる。もっと食べたいと思う程の美味だった。
バッチャン村に着いた。バッチャンはハノイ市街から南東に約13㎞のホン川(紅河)沿いにある。標高が低いために雨季(6月~9月)には町ごと洪水で水没することもある。レンガ作りが盛んであったために今もレンガ工場が多いが、15世紀ごろから陶磁器作りが始まり、現在では約100軒の工場が連なる。村の人口は約5,000人で、90%近くが陶器作りに従事している。バスは陶磁器店に横付けに停まり、そのまま店に連れ込まれた。4階建てビルの4階で陶器造りの実演を見せますと、全員が4階まで登らされた。一度白磁に焼き上がった小皿が棚に積まれ、若い女工が一枚一枚筆で絵を描いていた。
日本語のできる店員の説明による行程を追うと、奥まった所では年を取った老人が白い石を砕いて粘土状にした物を型に押し込んでいる。(日本の窯場のように一つ一つを轆轤で造り上げるのとは違う)次の職人が型ごと成形機械(台が回転し、固定された[柄ごて]を内側から手動で圧力をかける)にかけている。それらを型ごと乾燥し、乾いたら型から外し、さらに乾燥する。それをガス窯で素焼きする。次ぎに絵付けをし釉薬をかける。(5~6種類の釉薬を使い分ける)最後は室内にあるガス窯で本焼きとなる。
1階・2階はこの店の工房で造った焼き物売り場で、この店の陶磁器は白磁に赤の濃いえび茶色の皿絵で統一されている(工房毎に色が違う)。現在のバッチャン焼きは種類が豊富で、大きいものは壺、生活食器類として湯のみ、醤油瓶、マグカップ、珈琲カップ&ソーサー、茶碗、どんぶり、大小の皿、急須等々、日本人しか使わないだろう思う[とっくり]まであった。また、絵柄は竹、トンボ、金魚、菊、蓮(ベトナムの国花)などで、工房職人の技巧が売れ行きを左右する。
バッチャン焼きは白地に青の陶磁器が多いが、近年では海外の観光客の増加もあって、色とりどりの形も大きさも様々な陶磁器が作られるようになった。バス停付近から観光客目当ての土産店が数多く軒を連ね、焼き物市場を形成して所せましと山積みされている。工場街はその周辺に点在している。バッチャン村で製造されるバッチャン焼と日本のかかわりは古く16世紀に遡る。当時よりこの村の陶磁器は日本に輸出され、多くの茶人たちに愛用された。当時の日本人の注文で[トンボ]をモチーフにデザインされた絵柄は、その後ベトナムでも好まれ一般化し、現在でも数多く生産されている。素朴な味わいが持ち味で、特に明朝時代の中国の陶器に影響を受けている。バッチャン村は紅河のほとりで、地の利もあり海外へも輸出された。なお、このバッチャン村の南隣にあるキムラン村では2001年から日本のNPOと村の有志による調査により、13~14世紀(陳朝時代)に製作された陶磁器(安南焼)が発掘されている。
3階には骨董陶磁器が陳列されていた。骨董品に見入っていたら、此処でも女店員にひつっこく付き纏われた。日本に数ある陶磁器を日本で買った方が安くて絵柄も豊富だろうと思った。ツアーの人達には、ベトナムへ来た記念にバッチャン土産として、特性のバナナの葉で造った手提げに入れてくれたのが、気に入ったようだった。重たいのに御苦労様である。
陶磁器店に閉じ込められて後30分で出発となった。焼き物を山のように積み上げた土産物街を散策した方が有意義だし面白いのにと思った。めざといKさんはお向かいの店に入り陶磁器で拵えた、高さ10cm程のアオザイを着た娘人形2つを値切って買ってきた。
ハノイに戻ってきたのは午後1時20分を過ぎていた。遅い昼食はベトナム料理。長いバス移動だったので、1缶4$(432円)のビールが美味かった。
今日の行程はノイバイ国際空港18時発の飛行機でカンボジアのシュムリアップ国際空港への飛行となっている。飛行機に搭乗する関係で、今日はフランスサッカーチームの半袖ユニホームにGパン、スニーカーでの観光である。ノイバイ国際空港までに遅くとも16時前には着かなくてはならないので、食後の[ハノイ市内観光]は取って付けたようなものとなった。
バスは[一柱寺]へ着いた。

ベトナムの首都ハノイにある仏教の古刹(こさつ)で、ハノイの歴史的シンボルの一つになっている。ハノイが昇龍と呼ばれていた李王朝時代(1009~1225年)に建てられた。池の中に一本の柱で支えられた一柱寺と呼ばれている蓮花臺がある。各辺3mの四角形で、魔除けの焼き物が並ぶ寺院風曲線の屋根である。その寺は、地上の高さ4 m、直径1.2 mの円筒形の石柱の上に建てられている。石柱は2つのブロック構造で巧みに組み合わされているので、一見して一個の岩のように見える。寺全体が1本の石柱の上に設置されているのは、一柱寺建築様式の特徴である。
チョウの説明によると、この建築様式には、蓮というロマンティックで詩的な想像力と堅実な土台を持つ木造建築との大胆な結合が潜んでいるのだそうで、特に、柱から床まで使われる対角の支柱が寺全体をしっかりとしたものにしながら、蓮の葉の舞い上がる屋根と床の間の完全なる対称といった審美的な効果をもたらしているのだとか。大地を象徴する四角い池を背景に丸い天、四角い大地、寺は仁愛が世界中を照らすという高尚な思想を有している。木・石を結合する建築物は、池、草木といった自然の景色の中でより親しいものとなり、また純粋かつ優雅な感じである。そう説明されても私には物珍しい寺院としか映らなかった。
一柱寺は1962年4月28日にベトナムの文化省により、歴史・建築・美術遺跡と認定された。2006年5月4日には《ベトナムで最も独特な建築様式の寺》として、ギネスブックに登録された。元来は1049年に創建された仏教寺院、延祐寺のひとつの楼閣だった。この寺院建立の由来は、李朝の第二代皇帝、李太宗(在位1028~1054)があるとき観音様が蓮の花の上に子供を抱いて座り、手招きしている夢をみた。子供に恵まれなかった大宗が起床した後、各官吏に話したところ、不運の兆しであると考えた者もいたが、善恵坊主は寺を建設し、真ん中に石柱を立てあげてその上に夢で見た観世音の蓮花臺を設置するように勧めたという。その夢を実現しようと、この寺が建立された。その際、僧侶が皇帝の長寿を祈願し、延祐寺と命名された。
1105年に周囲に池が掘られて、回廊ができた。延祐寺は陳朝時代の1249年に再建される。その後も改変が繰り返され今日に至っている。フランス植民地時代にはフランス極東学院によって修復もなされたが、1954年インドシナ戦争でフランスは敗戦、フランスがハノイを去る際に延祐寺を爆破していった。現在の寺は1955年、ベトナム人によって修復されたものである。ただ、柱がコンクリートでできているのには少し興ざめである。
お堂の中を見るのには、狭いコンクリートの階段を20段昇る。お堂の中には、蓮花台と書かれた扁額が架けられ、その手前には手が4本の観音像が安置されている。その左右には、バナナが一杯盛りつけられていたとツアーの御婦人が話してくれた。
20分の見学時間をくれたが、行列に並んでお堂の中を見る気にもならず、寺の周りを一巡りした。境内には釈迦がその木の下で産まれたと伝えられる無憂樹(ムユージュ)の木があり、美しいオレンジ色の花が満開だった。
一柱寺からホーチミン廟のあるバーディン広場まで徒歩で3分と掛からない。バーディン広場の敷地内に一乗寺がある。すぐにホー・チ・ミン廟の脇にぶつかる。白線が引いてありロープが張ってある。そこは重々しく厳重な立ち入り厳禁区域である。

[ホー・チ・ミン廟]は、旧市街の西側、タイ湖の南側にあり、廟前のバーディン広場を挟み世界遺産タンロン遺跡がある。廟内にはベトナムの民族解放と独立のために一生を捧げ、その高潔な人間性から[ホーおじさん]の愛称で親しまれているホー・チ・ミン主席の遺体が安置されている。1945年9月2日ホー主席自身が独立宣言を読んだバーディン広場は歴史的な舞台となった。奇しくも、ホーは1969年9月2日に亡くなっている。霊廟は2年の歳月をかけて1975年9月2日の建国記念日に完成した。年間を通じて訪れる人の絶えることがない。ホー自身は存命中に自己顕示的行動におよぶことは殆どなく、その死に際しても本人は火葬および北部(トンキン)、中部(安南)、南部(コーチシナ)に分骨を望んでいた。にもかかわらず、一年中冷房の効いた内部の部屋に遺体は永久保存処置を施され安置されている。廟は月曜日と金曜日を除く午前中に入場無料で見学できる。ノースリーブやハーフパンツでは入場できない。また、カメラなどの手荷物は見学前に預けなければならず、廟内は私語厳禁であり立ち止まることもできない。廟の中もベトナム人民軍の軍人により警護されている。我々のツアーはチョウの説明を聞き、ロープの外から霊廟を見るだけである。チョウが
「皆さんはラッキーですよ。3時から行われる儀仗兵の交代を見学できますよ」というので約15分、バーディン広場や、廟の対面に建設中の国会議事堂などを写真撮影して時間調整である。

廟入り口に立つ2人の儀仗兵はホー・チ・ミン廟を撮影するときの、セットスポットとなっている。直立不動の儀仗兵は1日8時間勤務の3交代制で、真っ白い軍服にライフル銃を掲げ24時間警備だという。1時間毎に交代式を24時間行う。チョウが叫ぶ方を観ると左の端から、3人の儀仗兵が右手にライフル銃を胸の位置に抱き、左手は肘で折り曲げた腕を胸まで持ち上げ、降ろしては後ろに振り抜き、ぴんと伸ばした足を高々と上げて行進してきた。正門前で入れ替わり、交代した儀仗兵が戻って行くだけだ。台湾の儀仗兵のようにライフル銃をくるくる回したり、投げ合ったりする見せ場は無かった。この光景を見学して夢中でシャッターを押しているのは我々のツアーだけだった。
「ハノイ観光は無事終了しました。皆様は本当にラッキーでした。初日は雨上がりでしたが、ハロン湾ではサンセットを見ることができました。3日間一度も傘を差さずに観光ができました。今日は快晴になりました。皆様がお出でになる前は連日雨だったんですよ。普段の皆様の行いが大変良いからだと思います。カンボジア・ホーチミンも良い御旅行になりますでしょう。お世話になりました」チョウの挨拶が長々あって、ノイバイ国際空港に着いたのは3時40分。時間的な余裕ができたので、空港の端の階段の下で、ツアーメンバーが買い込んできた土産物をスーツケースに仕舞い込み、簡単な着替えの時間を取ってくれた。私とKさんは何も買わなかったので皆さんの荷造りが終わるまで待機(Kさんは外に出て一服)、チェックインカウンターに向かった。
松永さんの案内
「ベトナムの空港ではしょっちゅう出発ゲートが変更になるので、出発情報の確認をして下さい。変更があった場合は皆様にお知らせしますが、お互いに知らせあって、遅くとも出発30分前にはゲート前にお集まり下さい。カンボジアに着いてから入国審査が御座います。機内で書いて頂く入出国カードと成田空港でお渡ししたe-チケット、それにパスポートを揃えてお出し下さい。e-チケットをスーツケースに仕舞い込んだ方はいませんね? e-チケットがないと入国できません」
空港内はそれほど広くない。テレビ画面で出発情報は直ぐ確認できる。ベトナムの空港免税店ではタバコ1カートンが19$(2,052円)と成田より安い。Kさんは此処でも2カートンを買い込んでいた。私とKさんはBARに入りベトナムの生ビールを飲み時間調整。5$(540円)だから空港としての普通料金だ。私達を見つけたツアーの人が
「5番ゲートに変更になりました。BARの右奥です」と知らせてくれた。出発30分前には全員がゲート前に勢揃いしていた。後から松永さんが来て全員を確認し
「あちらのゲートに誰も居ないので心配しました。皆さんこちらにいらしたのですね。こんなに手の掛からないお客さんは初めてです。感激しました」と涙を流していたのには笑ってしまった。
機内ではパンと果物の軽食とドリンクサービス(アルコール類はなし)があった。食べ終わると直ぐに[出入国カード]と[税関申告書]が配られた。書き方については下調べしてあるから印刷してきたものを写せばいい。通路の右隣に座ったツアーの御婦人達にもお目にかけた。フライト時間が1時間40分と短いので忙しなかった。このことの為に、ビトンのケースに入った眼鏡と革製のペンケース(ボールペン2本入り)を持ち込み、書き終えた後座席のポケットに一時仕舞い込んだ。
《余談》ベトナムは2010年9月から出入国カードと税関申告書の提出が必要なくなった。然し、カンボジアの場合は2014年だというのにVISA迄申請取得しなければならないのだ。インターネットで取得すれば手数料込みで4,500円+書留郵便料往復分1,400円、合計5,900円掛かるが、カンボジア大使館まで行けば観光ビザ料金2,200円+片道書留郵便料(自宅宛用)700円で済む。私の住む春日部駅からだと半蔵門線直通の長津田行きに乗り、青山1丁目迄(往復1,360円)乗り換えなしで行けるし、交通費を払っても1,640円得をする。Kさんも私も年金生活者で毎日が日曜日だ。たまには都心へ出るのもいいんじゃないのと、カンボジア大使館へ向かうべく1月27日(月曜日)の朝9時に春日部駅1番線ホームで合流し、東武スカイツリー線に乗った。直通電車は清澄白河に停まったまま動かなくなった。車内アナウンスを良く聴くと「青山1丁目駅で人身事故が発生し、当分運転を見合わせます」と繰り返し放送している。事故に遭うのはアクシデントだが、私の場合はラッキーが付いていて、この清澄白河は都営大江戸線との乗換駅だった。振り替えキップを受け取って、都営線の青山1丁目駅で下車した。カンボジア大使館までは10分程、門脇の通用門から入るとVISAと書かれた入り口があった。申請用紙はインターネットからコピーを取り、Kさんの分も写真を貼り本人のサインをするだけにしてある。私より先に申請した女性が
「1,000円余計に払えば5分後に戴けるんですか?」と確認を取っていた。それならば、書留郵便料700円払うより300円余計に払って、今日パスポートを持ち帰ったほうがいい。そこで2人の、写真を貼り付けサインした申請用紙とパスポートと6,400円を払い、5分後にVISAのシールを貼ったパスポートを受け取って外に出た。Kさんが
「出入国カードを貰ってゆかないのか?」と聞くので
「ベトナムは要らなくなったからベトナム大使館へは行かない」と答えたが、カンボジア大使館で出入国カードと税関申告書を貰うのを兼ねてわざわざきたのに、すっかり惚けていた。この日の午後1時からは一ノ割の小林先生宅で裏千家の御茶の作法を体験させて頂くことになっていたので、遅れては失礼と焦っていたのかも知れない。
シュムリアップ国際空港には予定通り19時40分に到着した。荷物入れからリュックを降ろした時に、通路の脇に座ったツアーの御婦人の荷物も降ろしてあげた。飛行機から移動式のタラップを降りたから、バスで到着ロビーに行くものと思っていたら徒歩だった。すっかり暗くなっていた。気温は30度と暑い、でもハノイのような湿気はなくからりとしている。入国審査ではパソコンに直結の丸い目の玉のようなカメラに顔を向けろといわれ、念入りにチェックされた。スーツケースは直ぐに流れてきた。出口手前に木箱が置いてあり、あわただしい思いをして書かされた税関申告書はその箱に投げ入れるだけだった。カンボジアではスーツケースは専用トラックでホテルまで運んでしまう。我々は現地ガイドの後に付いてバスまで歩いた。
バスはデラックス型で、進行方向左側は2座席、右側は1座席を空ける、30数人が座れる。足置き場が付き、リクライニングスペースもゆったりした柔らかな座席である。3月22出発のツアーのみの特典企画とあった。松永さんが運転手と若い女性の現地ガイドを紹介する。
「この可愛いガイドさんの名前はルームさんです。ベトナムのチョウさんより日本語がずっと上手です。今日から3日間皆様のガイドをして下さいます」皆さんが拍手で応える。ルームが自己紹介を始めたが、松永さんが言うように日本語が上手とは思えなかった。早口で聞き取りにくい。ホテルまで30分、21時にENPRESS ANGKOR HOTEL(エンプレス・アンコール・ホテル)に着いた。スーツケースは既に各部屋に運ばれている。部屋のキーを受け取るとホテル内のレストランに直行である。今晩はクメール料理、丸テーブル2つに分散して着席した。最初に出された酸っぱいスープ、素麺に似た麺、酸味の料理が多かった。このホテルも5つ星だけにカンボジアビールの大瓶が6$(540円)だった。ホテルの道路を隔てた向かい側にコンビニがあると聞いたので食後行ってみた。330ml缶ビール1本が2,500リエル(60円)だった。私は3本、Kさんは1本を風呂上がりに飲んだ。ビールが不味いというKさんは体調不良気味で、マスクをして寝るという。
「マスクをしたら余計苦しいと思うよ。少しの間タバコを我慢すれば?」
「俺のタバコは鈴木さんのビールと同じだよ。風呂に入らなければ良かったかな?」3分もしないうちに豪快な往復の鼾が始まった。