感動のアンコールワットと魅惑のベトナム2都物語 7日間

 3月23日(日曜日)・第2日

 添乗員の松永さんが、翌日の朝の行程を印刷した用紙に書き込んで手渡してくれた。この気配りは嬉しかった。(今迄のツアーでは部屋割りが済んだ後ホテルのロビーでメモ帳を出して翌日の行程を書き留めていた)部屋番号が記され、出発時間は8時、朝食のレストランがオープンするのが6時、モーニングコールは6時30分、スーツケースは部屋の外に7時20分にと書いてある。団体行動を統率するにはこの方法が一番良いだろう。添乗員のきめ細かな工夫だと思う。
 午前5時Kさんがニコチン切れで動き出す。トイレに入って先ず一服。備え付けの湯沸かし器で湯を沸かし、インスタント珈琲を飲むのに、よく働く。
 「お早う御座います。相変わらず早いですね」
 「5時だけど、日本時間じゃ7時だぜ。だからいつもより遅いくらいだよ」
 「電気を付けて、テレビのスイッチも入れて下さい」一応気を使い私も起きだし、部屋の隅で朝の運動開始である。腕立て伏せ、股割、スクワット、首の運動を入念にしておく。それを見てKさんも身体を動かし始めた。Kさんは四股を入念に踏む。
 髭を剃り、荷物を整理し、レストランが開くまでに日記を書いてしまう。
 6時にオープンするレストランに向かう。バイキングである。5つ星ホテルだけに料理は豪華だった。フォーのコーナーに行くと米粉麺が器に入っており、好みのものをトッピングするようになっている。青菜ともやしを入れて給仕に渡すと肉を入れようとするので「No meat」と言うと、ゆがかないでいきなりスープを掛けて寄越すのには唖然としてしまった。テーブルを決めてKさんに知らせる。私は普段は朝食を食べないのだが、旅行に来るとお連れさんに合わせ、軽い食事をする。ハム一切れ、ソーセージ1本、フォーの他にお粥、南国に来たのだから美味しい果物マンゴーや西瓜、ドラゴンフルーツなんかもいただく。生意気に仕上げに紅茶。Kさんは肉、野菜、甘いもの辛いもの何でもござれ、小まめに料理をお皿に載せて運んでくる。羨ましい限りの食欲に感心する。Kさんにゆっくり珈琲を飲んでくるように言い私は先に部屋に戻る。相部屋だからトイレを使う関係でそうしている。部屋のカードキーには部屋番号が書いてない。私はKさん任せな所があって、正確に部屋番号を覚えていなかった。確か818号室だと思い込みカードを差し込んでも赤いランプが点いてドアは開かないのである。何度もガチャガチャやったものだから、部屋の中から男性がドアを開けたので、アイムソーリーと言い、ほうほうの体で逃げ出した。各階ともそっくりの造りなので、てっきり自分の部屋だと思ってしまった。仕方なく今一度レストランに戻った所でKさんに会えた。部屋番号を聞くと518号室だった。(恥ずかしい)
 7時20分にスーツケースをドアの外に出す。今朝はセーターの上に藍染めの作務衣、船に乗ったり鍾乳洞の観光があるので、スニーカーを履いた。

 出発20分前にロビーに降りる。添乗員の松永さんが
 「切手のことはチョウさんに頼んでありますから」と伝えてくれた。 発展途上国で切手を購入するのは容易でないのが判っているから、出発2日前の電話案内の時に、ベトナムから日本までの絵はがき(AIR MAIL)18枚の切手を手配してくれるように頼んでおいた。私は海外旅行に出る際に、シールに18名の宛名を印刷しておき、現地からメッセージを書き投函してきた。今回は12年前にハ・ロン湾で写した作品を絵はがきにして持ってきている。松永さんが忘れずに手配して下さったのを聞いて、ホテルの売店を覗きもしなかった。
 今回のツアーメンバーも旅慣れた方ばかりで、8時丁度にはバスに乗り込んでいた。
 「お早う御座います。さすがは皆様旅のベテラン、時間ぴったりに御乗車くださいまして有難う御座います。お忘れ物はないですか? パスポートとe-チケットはありますか? 白いスリッパでバスで乗り込んだ方はいらっしゃいませんか? お部屋の鍵はお返し頂けましたか?」とまあいつものチェック挨拶がある。
 ハノイは今朝も肌寒く雨である。午前中は片道約200km・4時間30分掛けて《ハロン湾》へ直行である。昨日のチョウが今日と明日もガイドとして同行する。走り出すと雨が激しく降り出した。バスのテレビを使って、チョウが自分で撮影したハロン湾の風景を見せながら
 「今日はこんな天気ですから綺麗な景色は見えないかも知れませんので、私の写真で雰囲気を楽しんで下さい」その他にもパワーポイントで編集したベトナムとハノイについての説明があった。こういうガイドは初めてで、ガイドと言うより学校の授業みたいな感じだった。車中で500ccのペットボトル入りの水が配られる。出発1時間50分に、ミニガイドがあった
 「日本人の方に安心して使っていただけるトイレがある店です。ベトナムの銘菓類で、此処でしか売っておりません」とかでトイレ休憩と称するツアー旅行でよくあるパターンの、お土産屋へ押し込まれた。40分のお買い物タイムである。東南アジアでは何処でも同じように、幾種類もの菓子類、袋詰めのベトナムコーヒー豆等が全て同一料金の6$(636円)になっている。5つ買うと1つオマケという売り方で、値段は負けない。タバコを吸い終わったKさんがコーヒー豆を探していたが、彼のお気に入りの袋は無かった。
 菓子類売場の反対側で、身体障害者20数人が絵の見本を見ながら[刺繍絵]制作の実演をしている。ベトナム戦争の際にアメリカ軍によって8万3,600キロリットルの枯葉剤が散布され、400万人のベトナム人が枯葉剤に被爆した。今なおその後遺症で苦しんでいる障害者にベトナム政府がこうした就職を斡旋しているのだ。小さいのは葉書大位から色紙ぐらいまでの作品も、5枚買うと1枚オマケだそうである。大作となると畳一畳ぐらいあり、お値段の方もお高い。買い物に興味が無いから私とKさんはこちらを見学させて貰った。1㎥程のプラスチック張りのカンパ箱が置いてあり世界中の紙幣が入っていた。今回のツアーメンバーは買い物がお好きなようで競うように土産物を買っていた。
 チョウに聞いてみた。
 「ホテルの近くにコンビニがあるの?」
 「ハロン湾にコンビニがありません」
 「だったらビールを買いたいので、何処かの店の前で止めてくれる」
 「それでしたら私の方で買います。御希望の方に1本1$(106円)でお分けします」そんな会話があって、チョウは少し走った所でりバスを止めて、アシスタントの男性に商店に行かせビールを買い込んできた。

 1時近くにハロン湾のレストランに着いた。例によって飲み物はバスの中での予約となる。果汁100%ジュースが4$(424円)、ハノイビール小瓶が3$(318円)と昨夜のレストランよりは安かった。Kさんのニコチン切れ1時間30分はさぞ辛かったろう?
 ベトナム料理である。皿に緑色の茎野菜と茹でたはるさめ、小エビをスライスしたのが乗っている。直径12cm位の堅いライスペーパー(餃子の皮の大きめな感じ)が脇にある。どうやって食べるのか戸惑っていると女給さんが来て、ライスペーパーに茎野菜とはるさめと小エビを北京ダック風に包み込んでくれた。噛み応えのある春巻きで、甘酸っぱい垂れを付けて手で掴んで食べるのである。米粉麺の少し入ったフォー、その他は中国料理だった。お味はそこそこ、料理の量が少なめなので両テーブルとも全て食べ尽くされた。
 雨は上がった。ハロン湾クルーズ前にSAIGON HALONG HOTEL(サイゴン・ハロンホテル)へ案内された。ハロン湾の真ん前のホテルである。晴れていれば海の桂林が全貌できるのだろうが、靄っていて視界が悪く期待していた景観は絶望的だった。3時にハロン湾ディナークルーズに出発するという。スーツケースを置きすぐにまたバスに乗って出発となった。
 チョウのバス教室から引用する。
 [ハロン湾]は、ベトナム北部トンキン湾北西部にある湾である。クアンニン省ハロン市の南に位置し、カットバ島のほか大小1,600もの奇岩や海から突き出た無数の島影が、幻想的で迫力のある景観を造り出すベトナムきっての景勝地である。伝承によると、中国がベトナムに侵攻してきた時(日本で言う「元寇」)竜の親子が現れ口から炎を吹いて敵を打ち破り、吐き出した宝玉石が湾内の海面に突き刺さり島々になったと伝えられている。以降、この地はハ(降りる)ロン(龍)と呼ばれるようになった。カットバ島以外の島は無人島だが、約7,000年前の新石器時代にはわずかに人が住んでいた。また、数世紀前までは海賊の隠れ家として利用され、モンゴル軍の侵攻の際には軍事的に利用された。彫刻作品のような島々は、太陽の位置によって輝きが変化し、雨や霧によって趣のある雰囲気を醸し出す。地質学的には北は桂林から、南はニンビンまでの広大な石灰岩台地の一角である。石灰岩台地が沈降し、侵食作用が進んで現在の姿となった。1994年にユネスコの世界自然遺産に登録された。静かな港町だったハロンが世界遺産に登録されて以降、国内外から年間200万人が訪れるにぎやかな場所に様変わりした。さまざまな奇岩が海に突き出した風景は桂林に似ており、[海の桂林]と呼ばれている。ハロン湾がまだ海の中にあったのは数百万年以前のことである。この時代に生物の死骸が海底に積もり積もって厚さ1kmもの石灰の層を作り出した。その土地が長い時間をかけて隆起して、陸地となってインドシナ半島の一部を形成した。石灰岩を中心とするカルスト地形は容易に水を通し、とても溶けやすいという性質を持つ。川が流れると川底が溶けて谷となり、山は硬い岩を残して削られてタワー状、あるいは剣状の奇岩が彫り上げられる。一方、地中に浸透した水は長い時間をかけて洞窟を掘る。そして洞窟では水に溶けた石灰がふたたび固まってカリフラワーのような石灰華や、天井からポタリポタリと落ちる水滴から、つらら状の鍾乳石が地面に落ちた水滴からは石筍、そして両者がつながって石柱を造り出す。それが鍾乳洞である。こうしてインドシナ半島の各地で奇岩と洞窟地帯が誕生した。ハロン湾周辺では11~12万年前から一転して大地が沈降を開始し、地面は海に沈み、タワー状の奇岩のみがぽっかり浮かぶ現在の姿を完成させた。こうした島々は風雨に加えて波の浸食を受けてさらにダイナミックに変貌し、いまこの瞬間も留まることなくその姿を変えている。ハロン湾は生命体のように代謝を繰り返す[生きつつある地球]ともいえる世界遺産なのである。

 ハロン湾観光の基地となるバイチャイの港に着いた。多くの木造の観光船が係留され、次々と到着する観光バスの客が吸い込まれていく。乗船した頃から幾らか靄が薄れてきて、視界も少しずつ良くなってきた。12年前に乗った船は焦げ茶色に統一されていたが、現在は全ての船が白ペンキで塗られていた。ツアーグループで貸し切りの船内は一つのテーブルに4人掛けの長椅子が向かい合っている。そのテーブルが通路の両脇に4つずつある。テーブルには売り物の刺繍のスカーフとか小物入れ等の土産物が並べてあり船内でのディナーはこのテーブルで食べることになる。屋根の上は階段で上るデッキになっている。初めは珍しがってデッキに上がっていた人達は、寒いうえに水墨画のような風景も見えないので船内に戻ってしまった。

[ティエンクン鍾乳洞]への船着場

 40分程走った所にダウゴー島[ティエンクン鍾乳洞]への船着場があった。入り口と出口が違うので見学者は鍾乳洞内を通り抜けなくてはならない。100段程の階段を登り詰めた所が入り口なので足に自信のない人は船内に留まることになる。全員が鍾乳洞観光に参加した。12年前にはこの鍾乳洞はコースに含まれていなかった。ハロン湾では2番目の大きさで、1990年代に水上生活者の漁師が発見してから20数年しか経っていない。50段程の石段を登った所に見晴台になったテラスがあった。天気が良ければ幾重にも重なる小さな山々が見えるのだが、ダウゴー島の入り江だけを見下ろせただけだった。残りの50段を上った所がティエンクン洞窟の入り口である。
 中に入ると紫や濃い緑、赤や黄色の蛍光灯に照らし出された巨大な鍾乳石が出現した。

[ テ ィ エ ン ク ン 鍾 乳 洞 内 の 鍾 乳 石 群 ]

 自然が織りなす摩訶不思議な造形の美を照らすにしては芸がなさすぎる。70万年ほど前に誕生したもので、石灰華・鍾乳石・石筍・石柱で洞窟を構成している。私には噴水仕掛けのように見えたのだが、(珍しい趣向)洞窟内で[間欠泉]らしき吹き上げる水柱を見学できた。
 鍾乳洞の中の天井の1箇所に穴がひらき自然の光が差し込んでいる。その穴から差し込む光が天国から差し込むように見えることから、ティエンクン[天宮]と呼ばれている。ティエンクンを過ぎると出口である。
 下りも石段で、此方側には途中から土産物屋がずらりと並んで、売り子がうるさく声を嗄らしていた。余り評判の良くないベトナムビール333を1$で売っていた。観光船に戻ったら飲もうと思いKさんの分と2本買った。
 「船には持ち込まないでください。持ち込み料を取られます。此処で飲んじゃってください」とチョウに注意された。と言われてもすぐの乗船だったから、リュックに入れて持ち込んだ。
 幾つもの島が入り組んだ島影に水上生活者の集落がある。筏の上に家を建て、生け簀で魚やカニ、貝類を保存している。観光船が近づくと、小舟に飲み物や果物を積んで売りに来た。肌寒い陽気なのに真っ黄色のノースリーブシャツにモヒカン頭と言うど派手な若者が、シャコと蛤と蟹を売りに小舟で横付けしてきた。大きなザルを二つ船に乗せ1本指を立て5$(540円)と行商を始めた。12年前にハロン湾観光に来た時にはシャコ2匹で1$(108円)だった。日本で売っているような小さなのではなく長さが15cm以上あり丸々と肉付きがいいシャコだ。その時は15$(1,620円)払って、ツアーの人達が2匹ずつ食べられるように奮発し、その味は今でも忘れられない程美味かった。物価の上昇振りに吃驚した。買った蛤は船の厨房で焼いてくれ、シャコは茹で上げ、包丁を入れて食べいいようにしてくれる。調理付きの値段である。足を海草で縛った蟹は20$(2,160円)と高く買う人はいなかった。私とKさんはノーサンキュー。ディナーの準備ができるまで、デッキに登って銘柄{333]ビールを飲んだが不味かった。
 犬の形をした岩があった。ハロン湾の一番人気、

ハ ロ ン 湾 の シ ン ボ ル[ 夫 婦 鶏 岩 ]

 二羽の鶏の姿に見えることから[夫婦鶏岩]とも、鶏が戦っている姿[闘鶏岩]とも呼ぶ湾のシンボルの廻りをゆっくり進む。午後6時には下船する決まりだから、少々早めのディナーとなった。[ハロン海鮮料理]とか。船内のビールも333だった。缶ビールが4$(432円)、グラスワインが6$648円だ。小エビがボイルされざるに載ってきた。一人に2匹だから直ぐに無くなった。海鮮料理という割には野菜料理が多かった。食後の片付けが早く、テーブルの上にベトナム女性の刺繍絵とかテーブルクロスやスカーフの類い、ブローチ、ネックレスなどの土産物が並べられ、女性客が買い漁っていた。
 チョウがデッキへ出るように呼びかけている。
 「皆さんはラッキーですよ。サンセットが見られます。ほらあそこです」雲の間から薄ぼんやりとしたオレンジ色の太陽がちょこっと見えた。あれを[サンセット]です とはよく言えたものである。
 船を下りるとバスはベトナムの伝統芸能[水上人形劇]の設備を持つ別のホテルに向かった。7時からの公演を観るのにロビーになっている劇場の入り口で20分程待たされた。
 「早くから並べば前から4列目の真ん中の席に座れます。そこが一番特等席です」扉が開き水上人形劇を見終えた客が出てきた。毎晩3回の公演である。全席入れ替え制らしく客が全部出た後、チョウの先導で特等席に座った。

ベ ト ナ ム の 伝 統 芸 能 [ 水 上 人 形 劇 ]

 《 ベトナムに伝えられる水上人形劇は、ロイ・ヌオックといい、一説によると9世紀の中国・宋代にあった[水傀儡(でく)]の流れを汲んだもので、水上人形劇の起源については定説はない。11世紀頃から紅河デルタ地帯の稲作を中心とした農村で、農作業の合間に豊作を祈って行われていた地方の娯楽だった。現在の水上人形劇 は、ベトナム北部の伝統的な人形劇である。1990年代に同国の観光資源として見直され、ハノイとホーチミン市に人形劇を行う劇場が造られ、以来、観光の目玉となっている。劇団は村ごとの職能組合で、それぞれ独自の[約束ごと]によって活動し、入団に際しては一座の秘伝を堅く守るという誓いを立てなければならない。現構成員の子供や孫が優先的に受け入れられる。かつては、泥水に長時間つかり人形を操ることが体力的に適さないこと、また人形劇の秘伝が夫の家族へともれることを恐れて、女性参加は認められなかった。伝統的な水上人形劇団は、演劇のために使用する池を所有し、魚の養殖等で活動資金を捻出し、旧正月(テト)、パゴダや寺院の祭りなどで毎年の定期公演の権利を持っていた。水上人形に使用する人形は、水辺に植えられた[いちじく]の木を材料として作られる。ベトナム北部でのいちじくは大変有用な樹木で、若葉は豚のエサ、果実は魚のエサとなったり、塩漬けされて農民の食卓にのぼる。いちじくの幹が5~6年で直径20~25cmになると、人形を彫るのに使用される。人形の大きさは30~100cm、重さは1~5kgで空洞である。一座の職工が製作にあたるため、劇団ごとに姿・形・衣装が異なる。人形は水上に出る胴体部と水中に沈める基礎部の2つの部分に分かれ、とくに基礎部は人形を操るいかだ状の仕掛けに固定し、垂直方向に安定させる。また、人形に耐水性を持たせるために、木に穴をあけても大丈夫なようにウルシの樹脂で皮膜をつくり、その上から漆黒・金・銀・朱色など天然素材からの絵の具が重ねられる。舞台の御簾(カーテン)に隠れた人形遣いは、竹または木のサオを用いて人形を操る。サオの一端には回転軸とカジをつけて人形を簡単に回転させる。人形の動く範囲はサオの長さ(およそ3.5~4.5m)で変わる。サオとカジのほかにヒモの仕掛けを追加して、人形の頭・胴・肢に動きを与え、複雑な動きを作る。ヒモは頭髪・ココナッツの繊維・絹・黄麻などを編んで作り、ロウを塗って防水性を持たせる。ヒモ式の仕掛けは、登場人物が多く動きの多い場面に用い、8人の仙女の舞・獅子舞・ボートレース等、サオだけでは充分に操ることが出来ない大型の人形にも使う。人形の仕掛けをするうえで、最も重要なことは仕掛けを水中に隠しておくことで、人形遣いは、水を生かして思い通りに人形を動かす遠隔操作に習熟することが必要である 》

 舞台は寺院風の屋根造りで横20・縦20mのプールになっている。龍の刺繍をした中国風の聯に七色の下がりを垂らし、後方に黒い布製のカーテンが張ってある。プールの左脇に一段高い舞台が有り、太鼓や胡弓、モクギョウやら銅鑼の演奏の後、甲高い声の女性歌手が唄いあげると水中の中から人形の、2匹の龍が出てきて飛んだり水にもぐったり乱舞し、口から火炎を吐き出したり水鉄砲のように水を飛ばす。唄が変わると水牛を伴った男女の農夫が現れ昔ながらの田植えを始める。ロマンチックな演奏に変わると2匹の鳳凰が現れ、水中せましと恋の踊りを繰り広げ、卵を産み、卵が割れて子供の鳳凰が誕生する。農民が水牛の上に乗りフルートを演奏する脇で、子供達がアヒルを捕まえるのに大騒ぎ、仙女の舞、獅子舞、そしてフィナーレにはベトナムで神聖な動物とされている龍・獅子・鳳凰・金の亀が皆さんの幸せを願って踊る。毎回ストーリーは同じだそうで、最後に人形を操っていた団員が、カーテンの前に出てきて御挨拶。12年前は着ていなかった胸まであるゴムの長胴着を着ていた。45分の公演だった。

 昼間のバスの中で[足裏と全身マッサージ]90分で4,000円を募っていた。これは暴利である。この辺の地図に明るければ、個人でこうした店に行く。12年前は10$(1,080円)で90分のマッサージをして貰えた。私とKさんそれに1組の御夫婦はこれに参加せずホテルに直行した。バスを降りる時に途中でアシスタントが買い込んだ、よく冷えたハノイ缶ビール3本、Kさんは1本を買って降りた。昨日のベトナムウオッカが少し残っているので、風呂をサッと浴び、持参した[乾燥納豆]と[さきイカ]をつまみに、先に横になったKさんの鼾を聞きながら旅の酒を嗜み、ベトナム時間(日本との時差2時間)で12時過ぎにベッドに入った。