マレーシア縦断の旅 6日間

6月12日(水曜日)第5日目・観光最終日

 9時ヒルトンホテルを出発した。今日は早めに乗り込んで、後ろから3番目の席に座った。後ろに座ったのは御夫婦に女性2人のグループで、終始賑やかだった。このツアーの通常のスケジュールではこの日の午前中は自由行動となっている。ラッキーなことに5・6月出発限定で、4,000円のオプショナルツアー[マレーシア行政の中心地プトラジャヤ観光]が無料だった。今夜の10時50分にクアラルンプールを発つので、Gパンに海老茶の横線入りのポロシャツ、スニーカーという出で立ち帰国態勢での出発だった。
 「お早う御座います。早いもので、もう今日が最終日となりました。パスポートにe-チケットはお手元に御座いますか? 忘れ物はないですか? 今日も良い天気ですから帽子とサングラスは御用意下さい。傘も手荷物に入れて下さい。今日はプトラジャヤ観光です。[プトラジャヤ、マレーシアの首都機能移転都市]に付いてお話しします。マレーシアの行政新首都として開発中の連邦直轄領で、首都クアラルンプールの南方約25kmに位置し、人口はおよそ7万人(2010年)。ほとんどが政府機関で働く職員とその家族です。マレーシアでは、2020年までに先進国入りをするという[ビジョン2020]を推進しています。これまでの椰子、錫、ゴム、石油などに依存した産業から、IT技術を中心とした付加価値の高い産業構造に転換するため、マルチメディアスーパーコリドール計画のもと、クアラルンプール(以後KL)から、国際空港にいたる約50kmの丘陵地を切り開き、新たなインテリジェントシティとして、新行政都市プトラジャヤ、情報都市サイバージャヤ等を建設しました。プトラジャヤは面積4,581ha(練馬区くらい)、計画人口30万人の広大な都市です。平らなKLと違い、起伏に富んでいて、水と緑の多い場所です。このあたりはもともと大湿地帯です。このプトラジャヤ湖は錫を掘ったあと人工的に作られたもので、調整池の役割も果たしています。プトラジャヤは100%政府出資のプトラジャヤ開発公社が開発・運営するもので、首相官邸および公邸、連邦政府機関の大部分が移転しました。1995年に建設が開始され、1999年には首相官邸が移転、2000年には運輸省、科学・技術・環境省、外務省が移転、2005年に残りの政府機関すべてが移転し、2010年に住宅や公園等の環境整備などのすべての開発が完了しています。ただ、移転完了後も首都はKLに置かれています。KLには連邦議会が残り、王宮があるからで首都移転ではなく、首都機能移転です。最初に早い時間ならゆっくり見学できますので果樹園に参ります。次ぎにプトラ広場に行きプトラモスク等で写真を撮って戴きます」国営の植物園に到着した。
 かなり広大な敷地に国中の植物が植えられ、研究されているという。丘一面に果物の木が区画毎に植えられている。中でも一番目に付いたのは[ジャックフルーツ]である。

[ ジ ャ ッ ク フ ル ー ツ ]

 世界一大きな果物といわれ、日本ではめったにお目にかかることはできない。大きいのは50kg以上にもなり、虫に食われないようにビニール袋で保護されている。実は黄色くてドリアンに似た芳香があるが食感が違う。繊維に沿って食べシャキシャキしてあっさりしているという。大きすぎるので、中の実は分けて売られる。数種類の椰子の木も見た。40分ぐらいの散策だった。バスは次の目的地プトラ広場に着いた。
再び黄さんの説明から
 [プトラ広場]はプトラジャヤの中心部直径300mの円形広場です。プトラジャヤの“へそ”とも呼べばれる場所です。平面の型は円形をしており、中央に13角の星型の池と旗竿が設けられています。一般にイスラムの庭園では水はきわめて重要な要素で、水に対する強い執着を感じさせたりしますが、雨の多いマレーシアでは水はわりとあっさりと使われています。この周囲を中心として、プトラモスク、総理府ビルが並んでいます。広場は11部分に分けることが出来、これは1957年マラヤ連邦独立時の11州に帰属しています。内部の13角形は1963年のマレーシア成立時の13州を表し、14の点は連邦直轄地が誕生したことでの13州+連邦直轄エリアを表します。これらの点と角は最終的には円の中心部で交わるようになっています。円の中心は、最終的なゴールを表しています。
 [プトラジャヤ湖]はプトラジャヤを囲む、錫を掘ったあとに造られた人造湖です。650haある人造湖は、街のレクリエーションのみならず、都市の冷却作用にも役立っています。2004年にはF1パワーボートグランプリも開催されました。湖ではボートによる遊覧クルーズも行われています。
 [首相官邸]イスラムがテーマです。官邸はプトラ広場に面した丘の上に立っています。ここはマハティール首相一人が勤務していますが、今迄一回も会議が開かれたことは御座いません。屋根にインド風のチャトリ(あずまや)を載せていますが、これはマレーシアの近代様式でもあります。イギリスの植民地時代の1900年前後にKLの 官庁施設群が建設されますが、その際にインド・ムガール様式がマレーシアに持ち込まれたといわれています。ドーム屋根は色からは銅板のように見えますが、継ぎ目が見えないので、実はコンクリートを打ち放しの上に塗装したものなのです。材料は意外に質素です。
 [プトラモスク]プトラ広場周囲の湖畔に建っています。

[ プ ト ラ モ ス ク ]

 ピンク色のモスクはマレーシアでも大変珍しく、なかなか美しいモスクです。ミナレット(塔)本数は、一般にモスクの規模、格式で決められますが、このモスクはさほど大きくないので1本だけです。正門をくぐるとモスクの中庭に入れますが、ここから先女性は[へジャブ]を被っていないと入れません。今日は外からの見学だけです。[主ドーム]下部のロの字型に並んだ柱に対して、丸いドームが内接しています。柱に対して、8角形、16角形、円の順で、ドームを載せているのです。そのディテールは一見、ジャギーのようですが、実際にぎざぎざになっているのです。イスラム建築のモザイクタイルは模様の形にタイルを切って嵌めていきます。ところがこのモスクは日本で言うところのモザイクタイル、つまり正方形の小さい色違いタイルで模様を作っています。昔の王様と違って、現代ではコストの制約がきびしいのです。
 [首相公邸]首相官邸の右の建物がマハティール首相の住まいです。湖畔の丘の上に建っています。公邸正面には湖が広がり、遠くには首相公邸やプトラモスクが眺望できるはずです。ドームが目立ちますが、これ以外はイスラムイメージは使われていません。内部はいたって西洋風です。仕上げ材は意外と質素で、外壁は吹き付け、内部も床や壁に大理石などが使われてはいますが、中程度(30×60cm)の大きさのものばかりで、さほど高価なものは使われていません。
 プトラ広場から見える直線の道路は幅(歩道を含め)100m、直線の長さ4kmが島の中央を南北に貫いている。中央大通りの反対側の突き当たりは[コンベンションセンター]である。これが首相官邸と向き合っている。バスはプトラジャヤを貫く4kmの直線道路を進む。人造湖に囲まれた広大な敷地内には各省庁のビルが建ち並ぶ。建物を見ただけで何省のビルであるか分かるように、それぞれの特色を持った建築にしてある。官庁街を囲む湖には3本の橋が架けられている。どの橋もデザインに特徴を懲らしている。再び黄さんのガイドより
 「[プトラ橋]は政府地区と複合開発地区を繋ぎ、プトラジャヤの中央大通りを形成する長さ435mの橋です。2層構造になっていて、上層は一般車両、下層にはLRT(2002年、KLIAトランジットという高速鉄道がセパン市のクアラ・ルンプール国際空港やKLのクアラルンプール・セントラル駅とプトラジャヤとの間に完成した。約30分。ちなみにこのプトラジャヤ駅は、クアラルンプール駅とクアラルンプール国際空港のちょうど中間地点にある)が通り、さらに橋脚部にはレストランが入っています。イラン古都のイスファハンのハージュ橋をイメージしてデザインされました。
 [スリ・ペルダナ橋]周辺地区とコアエリアを繋ぐ長さ370mの橋です。ここからは周囲の湖やプトラモスク、首相官邸、首相公邸などを眺望することができます。スリ・ペルダナとは[輝く最高の]といった意味です。景色のよい場所なので、8つの休憩場所が設けられています。橋の入り口のゲートはイラン型モスクのイーワーンを象ったものです。
 [スリ・ワワサン橋]コアエリアと周辺の居住地区を結ぶケーブルを、ハープの形に吊った斜張橋です。張ったケーブルが扇型に広がり綺麗な形をしています。プトラ広場からも展望できるため、いずれランドマークのひとつとなりそうです。スリ・ワワサンとは[輝くビジョン]といった意味です」
 道路の中間地点に、遠くにしか見えなかったけれど、メタリックで造ったと言うモスクがあった。見学したかったが叶わなかった。両側に建つ各省庁のビルを見ながら、コンベンションセンターに到着した。
 [コンベンションセンター]は小高い丘の上に建っている。小山のような側面にはマレーシアのシンボルデザイン・ベルトのバックルが植物を植えて描かれている。建物はテンガロンハットのような屋根を持ち円形である。2003年秋にオープンした。4000人〜20人規模の会議施設が揃っている。世界各国の国賓を迎え入れる準備も万全で、建物の前には数百本の万国旗がはためいている。内装はモダンで高級感にあふれていた。このセンターの湖では毎年、独立記念日やニューイヤーの前夜に花火の打ち上げが開催される。今年はさらに豪華にイタリア、オーストラリア、カナダ、そして日本からのチームを招聘して初の国際花火競技会が開かれる。日本からは群馬県に本社を置く海外の花火大会で多くの受賞歴を誇る(株)球屋北原煙火店が参加します。センターの玄関前テラスから、4km道路を眺めると真っ正面に首相官邸が見える。

直線の道路は幅(歩道を含め)100m、直線の長さ4km

 私がマレーシアを訪れたのは20年ぶりぐらいだと思う。当時のクアラルンプールの様相からここまで近代化を成し遂げた国力に脱帽してしまった。将に東南アジアの優等生である。
 プトラジャヤを後にしてバスはKL市内に向かう。バスが走り出すと黄さんはマイクを握りガイドを始める。
 「マレーシアは一日中何処かが渋滞しています。あの渋滞は昼食を食べに行く渋滞です。マレーシアは車社会です。車の値段は税金の関係で高いです。外国の高級車1台の値段は高級マンションと同じぐらいします。ベンツは[メンツ]です。ベンツを持っていれば社会的信用も高くなります。メンツのために無理をしてでも高級車を買うのです。マレー人はあまり電車には乗りません。クアラルンプールには現在4つの鉄道が走っています。1995年10月開通のKTM Komuter電車、1996年12月開通の高架電車 LRT Ampang 路線、1998年8月開通の高架電車 LRT Kelana Jaya路線と 2003年8月開通のモノレールKL Monorailです。市内は市内電車(LRT)やモノレールなどで縦横に結ばれており、英語とマレー語の表記がされておりますから外国人でも気軽に利用できます。中心となる駅はクアラルンプール・セントラル駅で、KTM各路線、KLモノレール、エクスプレス、トランジットの発着駅となっています。明るく開放的な雰囲気で、案内板には日本語も併記されています。ですが、これらの電車はあまり混みません。ほとんど学生が通学に利用しているだけです。クアラルンプールでは今地下鉄も建設中です」
 1時近くの昼食となった。[チキンライス]をご賞味下さいと言うことなので、何が出てくるのかと思っていたら、鶏の唐揚げと炒飯、ちょこっと野菜の煮物が付いただけだった。炎天下の観光で暑かったから、1本20RM(700円)のビールが美味かった。Kさんのカメラはバッテリーが上がってしまいシャッターを押せなくなってしまった。
 「鈴木さんに言われたとおり、充電しとけばよかったよ。午後の観光で良い所があったら撮ってね」
 「OK.いつでも言って下さい」
 食後のスケジュールはクアラルンプール市内観光である。王宮・国家記念碑・独立広場・国立モスクの順に観光する。バスが動き出し皮切りはレストランの近くにある[ROYAL SELAGOR(錫工場)]からである。
 [ロイヤル・セランゴール工場]は1885年創立である。マレーシアの特産品ピューター製品の業者としては、世界で最も規模が大きい歴史ある老舗だ。クアラ・ルンプールは世界的な錫の原産地で、ピュータとはその錫を原料にして作られた製品のことである。アンチモニーや銅を混合して、食器類やインテリアなどさまざまな商品を提供している。工場ではピュータ製品の製作工程も見学でき、日本語でガイドが案内してくれる。ロイヤルセランゴールの錫製品を作っている工場は、KLでは此処だけである。こちらの工場では、製品への理解を育んでもらうため、工場見学を実施しているのだという。創業以来株式に上場せず今でも有限会社経営で頑張っている。見学のコースも行程が組まれ、ピュータの特性とか職人さんの技術の高さと歴史が良くわかるように工夫されている。この工場で5年以上勤続すると、職人の手形が記念に作られ工場の壁に飾られる。工場見学の後は錫のマグカップで冷えた水の試飲をさせてくれた。冷たい水がさらに冷たくなる検証である。出口に出るにはお決まりのショール-ムを通らなければならない。お買い物時間はたっぷり取ったというから、時間つぶしに売り物の製品を手に取ってみていると、日本語の上手な店員が来て離れない。15年ぐらい前にドイツへ旅行したときに、錫のワインクーラー(Winecooler)とカップ2個がセットになった高価なものを買ったことがある。以前マレーシアに来たとき買った錫の花瓶はいつの間にかなくなってしまった。Kさんが来て
 「買うんですか?」と聞く。そう聞かれると買わないといけないような気になって、マグカップ(ジョッキ)を記念に一つという気になった。カップが2重になっていてその隙間に水が入っているのと、そうでないのがあった。水が入っているジョッキを冷凍室に入れて中の水を氷らせ、それにビールを注ぐといつまでも冷めないのだそうだが、そこ迄冷やさなくても良いと思い、カップに花の彫刻が施してあるのを幾らと聞くと、390RM(13,650円)だという。500mlの缶ビールがそっくり入る。私の残りのRMは夜の食事の時に飲むビール代しか残ってないからカードで買った。箱がでかいのには困った。
 「鈴木さん。ビールはガラスのジョッキで飲むのが一番なんだよ。14,000円も払ったって、中身が見えなきゃ美味しく感じないよ」
 「味は喉であじあうものです。マレーシアの記念のマイカップで飲んだら、何時まで冷たい状態が続くのか、家に帰って早速試運転してみないとね。たぶん[上さん]がまた呆れるよ」
 買い物を終え出口を出ると高さ1.987m、重さ1.557kg、容量2.796㍑もある、ギネスブックにも登録されている世界一大きな名物の100%錫で出来たマグカップがあった。創立100周年を記念して造られた。

高さ1.987m、重さ1.557kg、容量2.796㍑もある 100%錫で出来たマグカップ

 Kさんが来て
 「写真を撮って」と言う。撮り終えると
 「鈴木さんも撮っておきなよ」とシャッターを押して下さった。今回の旅行中私が一人で写真に納まったのはこれが初めてだった。
 黄さんの補足説明によると
 「マレーシアの鉱業は錫鉱の採掘が中核となっています。世界シェア第1位です。皆様が御存知のハンダは、現在では鉛が有害で使えなくなりましたから、100%錫となっています。有機鉱物資源では、石炭、原油、天然ガスを産し、石炭以外は世界シェアの1%を超えています。いずれもブルネイ・ダルサラーム国に近いサラワク州北部の浅海から産出しています。日本が輸入する天然ガスの約20%はマレーシア産であります」だそうです。
 さらに黄さんのガイド
 「[クアラルンプール]はマレーシアの首都で、近年は高速道路や市内鉄道、モノレールなどのインフラ開発が進み、豊かな緑の中に高層ビルが立ち並ぶ東南アジア有数の世界都市となりました。マレー半島南部の丘陵地帯にあり、正式には連邦領クアラルンプールと称し、一般的にKLと略されています。マレー語で[泥が合流する場所]という意味があり、市中心部にあるゴンバック川とクラン川が合流していることが基になっています。また、東南アジアの大都市には珍しく、市街地が清潔で治安がいいことも特徴であります。人口は190万人です。1857年に中国人の植民者によって、錫の採掘拠点として開拓された街でした。イギリスに支配された1873~1957年の間、錫とゴムの産出の中心として発展し、第2次世界大戦中の1942年、日本軍によって制圧され日本の統治下に入りましたが、1945年の終戦によって再びイギリスの統治下となり、1957年8月31日、マラヤ連邦がイギリスから独立して、クアラルンプールはその首都となったのです。そのため、交通ルールは車が左側通行です。2012年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第49位の都市と評価されました。東南アジアでは、シンガポール、バンコクに次ぐ第3位です」
 王宮に着いた。マレーシア王の『新』王宮である。

マレーシア王の『新』王宮

 [新王宮(イスタナ・ヌガラ)]旧王宮の老朽化に伴い、2005年より計画が進められていた新王宮が2011年11月ついに完成をみた。8億RM(約280億円)もの費用をかけて建てられたこの豪華な王宮はクアラルンプールの新名所となった。旧王宮よりも近代的なデザインで、白く美しい宮殿全体がマレーシアの青空によく映える。今日は門の中のポールに国旗がたなびいている。これは王が滞在している標で、庭内の見学はできなかった。王宮を囲む格子塀の隙間から覗き見るだけだが、外観からだけでも、新しいから美しく、王宮独特の雰囲気が味わえる。中央に金色のドーム型の屋根を持つ白い王宮が、花や緑の木々に囲まれて燦然と建つ姿は観光客を虜にする。王宮の正門には制服姿の儀仗兵が左右に立ち不動の姿勢を取り、右手にライフル銃を持っている。クアラルンプール南部にあった旧王宮は、1928年に創建された私有の邸宅だった。日本軍政下では将校食堂として使用され、戦後は英空軍に接収された。その後、セランゴール王国の皇太子用仮宮殿となり、政府が正式に購入して、1957年王宮として増改築され、1980年にアーチ式正門と護衛兵詰所が整備され国王の住居となったが、老朽化が進んだため、2011年11月15日を以って83年の歴史に幕を閉じた。2011年11月16日より新設された新王宮が正式オープンした。新王宮は、マレーシアの伝統技術の粋と最新設備を結集させたマレーシアの威信をかけた建築で、クアラルンプール北部・ジャラン・ドゥタに位置する。第14代マレーシア国王の就任式は12月13日に執り行われた。欲を言えば中に入って見学したかった。
 バスは次の観光スポット国家記念碑のある駐車場に入った。レイクガーデン北端近くのなだらかな丘の上にある。駐車場から順路に沿って、丘を登っていくと、モニュメントがあった。
 [モニュメント]の高さは約15m・幅5m程で、長方形に切った石を積み上げて造ってある。モニュメントから見て市街地に向いているのが[国家記念碑]だ。

[ 国 家 記 念 碑 ]
高さは約15m・横幅8m 7人の兵士像

  黄さんの説明
 「高さは約15m・横幅8mあります。マレーシアの独立に命を捧げた兵士を顕彰する、7人の兵士のブロンズ像です。第二次世界大戦後の1948年マレーシアにマラヤ連邦が発足しましたが、その翌年から連邦に反対するマラヤ共産党の武装蜂起が始まり、以後12年間にわたって混乱が続きました。この戦いの戦没者を悼む施設です。この記念碑は、アメリカの首都ワシントンにある海兵隊戦争記念碑の作者(彫刻家)フェリックス・デ・ウェルドンが手がけた作品です。そのためかこの像は変わったオブジェで、モデルはマレー人でしたが7人の兵士の姿と顔が西洋人風になってしまいました。一番上で国旗をかざしている人は勝利を誇り、左右の銃を構えた人は防御の構え、真ん中の武器を持たない兵は負傷した兵の介抱、下の倒れた2人は銃弾に倒れた兵士を表しています。噴水に囲まれて建っていて、夜間にはライトアップされます。マレーシアの独立に命を捧げたのは共産党員でした。[マラヤ共産党]は1930年5月に英領マラヤで結成された共産主義政党で、南洋共産党を前身とし、クアラピラ(現ヌグリ・スンビラン州)で[マラヤ人民抗日軍]と呼ばれる抗日部隊を結成しました。1948年6月20日、戦争中は抗日軍を利用してきたイギリス政府が、突如[緊急法令]を発布し抗日軍への弾圧を開始しました。このためマラヤ共産党は[マラヤ民族解放軍]の旗を掲げ、イギリスと戦闘状態に入りました。後にマレーシア植民地政府は共産党を非合法化します。1950年にリー・クワンユー『「イギリスを追い出し独立を達成できるのはマラヤ共産党だけである』と演説し、1957年から人民行動党と友党になり、反英・抗日運動からシンガポールの独立、リーの首相就任にまで貢献したのです。しかし、リーはシンガポールの首相になってから西側に与したため、マラヤ共産党は反政府的になり非合法化されました。1960年にイギリスの[緊急法令]は廃止され、反政府活動はマレーシアとタイとの国境地帯付近に移りましたが、1989年12月2日マラヤ共産党は、マレーシア政府ならびにタイ政府と、武装闘争放棄の平和協議を結び活動を停止しました。12年間にわたってイギリスと戦い建国に貢献したにもかかわらず、非合法化以後マレーシアでは共産党を口にしただけで重罪犯とされ処刑されてしまいます」
 よその国の政治には関与したくはないが、マレーシア人がこの像を見て、独立のために戦った先祖を追悼する気になるのだろうか? それはともかく、マレーシアが独立のために戦った相手に日本が含まれていることを忘れてはなるまい。国家記念碑のある丘からはペトロナス・ツインタワーとKLタワーが一望できる。この2つのランドマークが並んで見える場所は、意外に少ないそうである。また、記念碑のあるレイクガーデンはイギリス統治時代に造成されたもので、広大な緑のなかをのんびりと散策できる。公園北端の高台に位置する記念碑から見る、国会議事堂や市街の眺めも素晴らしかった。
 黄さんがブロンズ像の前で記念写真を撮りましょうというので、私のデジカメEOS40Dを渡し全員でブロンズ像の前に並ぶ。と、次から次からツアーの中でカメラを持っている人全員が黄さんにカメラを渡し、シャッターを押して貰っていた。我々がポーズを取っている脇では、マレーシアの大学生グループが、ブロンズ像の7人の兵士と同じポーズを取って写真に納まっていた。
 次ぎに向かったのは高いミナレットが建つモスクである。

[マスジッド・ヌガラ(国立モスク)]のミナレット

 [マスジッド・ヌガラ(国立モスク)]は1960年に着工1965年竣工した。約1,000万ドルをかけて建てられた国立モスクで、高さ73m・鉛筆状のミナレット(尖塔)と5.2haの広大な敷地内には、貝殻をイメージさせる傘のような屋根のデザインが特徴的である。マレーシアの13の行政区分と、イスラム教における5行を象徴する意味で18角の星形襞になっている。礼拝堂はメインプレイヤーホールと呼ばれ約8,000人を収容する大礼拝堂で、伝統的なイスラム芸術や装飾などを現代風にアレンジした造りになっている。ここは時間を問わず、ムスリム以外の人は入場する事が出来ない。モスクとはイスラム教徒が礼拝(サラート)を行なう寺院である。ミナレットは礼拝時間の告知(アザーン)を行なう場所である。礼拝への呼びかけは朗誦者(ムアッジン)が1日5回行う。ミナレットにはエレベータが付いていない。ムアッジンはこの中の階段を登り降りする。国立モスクでも朝方や夕刻にこのアザーンの声を、街を圧するように響かせるが、最近はテープレコーダーとスピーカーを用いている。集会所、図書館のほか、マレーシアの独立に貢献した人々の霊廟がある。イスラム教徒以外は大礼拝堂の中に入ることはできないが、そのほかの建物の内部は見学可能となっている。ただし、肌の露出している服装で入ることは不可である。靴を脱いで中に入ると、入口では服装のチェックが行われている。ノースリーブ、短パン姿の女性観光客が頭から足の先まですっぽりと覆われる紫色のローブと頭に冠るトゥドゥンを着用するように言われていた。入場は無料、ローブとトゥドゥンを借りるのも無料である。

ローブとトゥドゥンを着た高杉さん母嬢
礼 拝 堂

 黄さんからの注意「モスクに入るときは靴を脱ぎます。いろんな国から観光に来ますから、良い靴だと履かれて行かれてしまう場合があるので、盗難防止のため下駄箱に入れる際は、片方は右の下駄箱へ、もう片方は離れた下駄箱へ入れれば、持って行かれる心配はありません」私のスニーカーなんか持っていく人なんか居ないだろうと思ったが、Kさんと私は黄さんの言うとおりに離れた所に靴をおいた。
 礼拝堂は2階である。ツアーの女性が紫色のトゥドゥン付きのローブを着て暑い、臭いと苦情を言っていたが、マレー人女性になった気分は満更ではなかったようだった。礼拝堂のある2階は白い大理石が敷き詰められ、ひんやりとして気持ちよい空間である。回廊の脇にはプールのような水槽に回廊と同じ長さで水が張ってある。礼拝堂は外側からの鑑賞のみとなるが写真撮影はOKだ。中央奥に、メッカの方向を標す目印があった。メインホールだけあって、ステンドグラスや柱の装飾が重厚な感じで美しい。屋根のてっぺんに尖った突起があった。下から見上げたのでは大きさは分からないが、黃さんに聴くと数トンの純金だという。このモスクには、国王や首相も礼拝に来るとのことだった。
 「11日にツインタワー見学を済ませましたので、時間に余裕が出来ましたから独立広場に御案内します」バスは芝生で整備されている緑が眩しい広場に止まった。

[ ムルデカ・スクエア(独立広場)]
[スルタン・アブドゥル・サマド・ビル(旧連邦事務局ビル)]

 [ムルデカ・スクエア(独立広場)]はクアラルンプールの街並みに82,000㎡広さを持ち、クリケット競技場としても使われた広場である。中央に1本のポールが立っている。これは世界一という高さ100mの国旗掲揚ポールである。この広場で1957年8月31日にイギリスからマラヤ連邦の独立が宣言され、それまでのイギリス国旗に代わりマレーシア国旗が掲揚されて独立が宣言され、クアラルンプールが首都となった。周りには各州の旗がなびいている。グランド中央にある赤い屋根の建物はクラブハウス「ロイヤル・スランゴール・クラブ」で、英国統治時代に造られ、今も著名人たちの社交場として使用されている。屋根の3つの3角出窓にそれぞれ1・2・5の数字が書かれている。黃さんに聴くと[創立125周年]ということでした。広場の前は
 [スルタン・アブドゥル・サマド・ビル(旧連邦事務局ビル)]である。1897年に建てられたムーア建築の影響を受けた建物である。英国人建築家の設計で、サーモンピンクの優美な建築物は異国的な雰囲気が漂う。高さ41mの銅製のドーム、中央屋根の時計台など、英国統治時代の面影を残している。イギリス統治下時代は連邦事務局だったが、現在は右側が最高裁判所として、また交差点をはさんで左側がテキスタイル博物館として利用され、クアラルンプールの象徴の一つとなっている。
 クアラルンプール市内の観光は終了した。後はお仕着せのチョコレート店でのお買い物である。
 そして最後の夕食は[青島]と言う中国料理店での中国料理であった。
 「この店は青島ビールしかありません。1本25RM(875円)です」と黃さんが注文を取る。私はRMを使い切ってしまって注文を躊躇していたら、Kさんが私の分まで注文して下さった。本格的な中国料理で、マレーシアに来て初めて魚料理らしい魚の唐揚げも出、どの料理も一流の美味さだった。今回の旅行で一番の料理らしい料理だった。午後7時にレストランを出発した。クアラルンプール国際空港まで約60km・1時間掛かる。バスが走り出すと黄さんがマイクを握り
 「あっという間の5日間でした。ペナン国際空港で皆様をお迎えし、このバスでペナンからマラッカまで行き、最終日のクアラルンプール観光も無事終えることができました。運転手のアーナンダが一人で5日間、安全運転をしてくれました。(全員で感謝の拍手)ペナン国際空港から現在まで2,000kmを走りました。(全員吃驚また拍手)空港までの間にアーナンダからの記念品販売が御座います。(見本品を廻しながら)これはツインタワーをデザインした果物やケーキを食べるときに使うミニフォークです。手で掴む方がツインタワーになっていて錫のメッキが施されています。一箱に6本入っていて20RM(700円)です。安いし、コンパクトですからお土産に喜ばれると思います。5箱買って下さった方に1箱サービスします。空港に着いてから荷物を整理する時間を設けますからスーツケースに入れられます。これは此処だけの特別製品です。空港では買えません。御希望の方は仰って下さい」とまあ最後の最後まで商売熱心なことである。残ったRMがあれば運転手にチップをあげようとは考えていた。が、これを買うことでチップになるんだ。色々と考えるものだと感心した。Kさんも1箱買っていた。
 黄さんの挨拶も終わる午後8時頃空港に着いた。JL-724便のフライトは22時50分だから時間はたっぷりある。一番端の入り口から空港に入ると、誰も人の来ないスペースがあった。そこでツアーの人達が着替えやスーツケースの荷物の整理を済ませる。私は大きな箱のマグカップがスーツケースに入らないだろうというのが分かっていたから、カメラと一緒にリュックサックに押し込んだ。黄さんが全員のチェックインに付き添ってくれたので、帰りも私は通路の席、Kさんは窓側の席が取れた。出国審査を受ける所で黄さんとお別れした。この次ぎにマレーシアを訪れるときは、きっと先進国入りをしていることだろう。