マレーシア縦断の旅 6日間

6月9日(日曜日)第2日目

 6時に目が覚めた。Kさんは既に起きていて薄暗い中で荷物の整理を始めていた。
 「お早う御座います。早いですね。遠慮なんかしないで電気を付ければ良いのに」
 「起こしちゃった?」
 「いや、おしっこが溜まったから目が覚めたんだ」
 トイレから出るとKさんの邪魔にならないように部屋の隅で日課の朝のミニ体操を開始した。今日から72歳である。昨日まで71回だった腕立て伏せを72回に増やした。自分の年の数だけがノルマである。それが終わると床に座って足を開脚し両手を広げて胸を床に付ける股割を1分、スクワットは30回、念入りに首の運動をした後、腰痛対策の秘伝術・腰を左右に50回振りをこなす。Kさんも柔軟体操の後四股を踏んだり、正座を崩して後ろに背中を付けるヨガみたいなことをやっていた。
 6時30分にG階に降りた。部屋を出るときに、寝る前にメッセージを書いた18枚の絵ハガキを持って出た。フロントの脇の机に女性スタッフがいたので、はがきを渡し
 「日本まではがき1枚幾らですか?」と聴くと
 「1リンギット50センです(52.5円)」と言う。はがき18枚だから27RM(945円)で安くて良かった。と思ったが、帰国後インターネットでマレーシアからの郵便料金を調べたら、日本はゾーンCに該当し、通常定型郵便が最初の 20gで1.4RM。以後10g毎に0.35RM追加され、定形はがきは、0.5RMだった。はがき1枚に付き1RMの手数料を取られたということだ。お金だけ取ってはがきを捨てられちゃうのではないかと心配した。
 食堂には数人が料理の棚の前で列を作っていた。旅行パンフレットにはビュッフェ又はアメリカンブレックファストと書いてあったから軽食ぐらいに考え期待はしていなかった。ところが結構豪華なバイキングであった。イスラムの国だから豚肉・牛肉の類いはない。鶏肉を混ぜた煮物類、ハム・ソーセージ、トマト・キュウリ等の野菜サラダが有る。自分で、茹で上がったビーフンともやし・菜っ葉を、[取って付きの金網のザル]に入れ熱湯で温め、豆板醤・醤油で味付ける。のや、2種類のお粥・ぼそぼそのライス、炒飯等があった。デザートには甘いケーキ類、アイスクリーム、マンゴー・西瓜の果物等々がふんだんに盛ってあった。私はいつも朝食抜きの生活をしているのだが、旅に出るとつい誘われて食べてしまう。Kさんの食べっぷりは今朝も健在だった。
 食後一旦部屋に戻り、血圧の薬を飲んだりトイレ調整、私は日課の日記を付ける。Kさんはテレビを見ながら荷物の整理。私に遠慮して時々トイレ付き風呂場へ行ってタバコを吸っていた。荷物の整理も終わり、二人してベッドにごろ寝して時間をつぶした。
 黃さんが
 「この国では忘れてならないものが2つあります。赤道の近くですから帽子は絶対に欠かせません。頭を火傷します。それと今晴れていても、いつスコールが来るかも知れませんから傘はいつでも持ち歩いてください」と言っていたのを思いだし、傘を入れる必要からリュックを背負って観光する事にした。パスポートとクレジットカード、現金、帰りのe-チケットは腰に巻き、暑い国だからペナン島観光は甚兵衛を着て、ビーチサンダルといういでたちにした。Kさんは半袖のシャツにポケットの沢山付いたチョッキ姿で、トレードマークのハンチング、工夫を凝らしたポシェットを肩に提げ、ジャケットを手に持った。
 8時15分にロビーに降りた。ルームキーを、黃さんに渡し
 「ハガキ1枚が1.5RMでした」と言うと
 「中間で良かったですね。バスが来ておりますから運転手に荷物を預け御乗車ください」昨晩空港からホテルに来るときと同じ前から3番目が空いていたので、Kさんと私は通路を挟んだ両脇に陣取った。
 全員の乗車を確認し、黃さんが
 「お早う御座います。昨日遅くて今朝は出発が8時半と早いですが、よく眠れましたか? 忘れ物はないですか? 皆さん手荷物の中にパスポートは入っていますか? それと大事なのは帰りのe-チケットがありますか? パスポートとe-チケットは一緒にしておいて下さい。御座いますね? 帰国の時に重要です。ペナン島はマレーシアを代表するビーチリゾート地なのですが、今日の午前中は世界遺産〔ジョージタウン〕の観光です。日程表どおりには参りませんが、予定のコースは全部御案内致します。最初に〔トライショー(ペナン島特有の人力三輪車)〕に乗って頂きます。2人乗りですから3人組の方は相乗りとなります。トライショーを降りるとき自転車を漕ぐ人に1人に付き1RMのチップをあげて下さい。貧富の国ですから彼等の生活を支えるためです。2人ですから2RM用意しておいて下さい。降りてからチャイナタウンを抜け、〔カピタン・クリン・モスク〕を見学、道路1本向かい側のインド人街にあるヒンドゥー教〔ハマ・マリアン寺院〕、〔セントジョージ教会〕そして最後にペナン島で最も美しい〔中国寺院〕迄歩いての観光となります。そこからバスに乗り、〔コーンウォリス砦〕を観光し、宝石店でのショッピングとバティック工房へ御案内し昼食となります。昼食はインド料理です」と長い説明があった。
 バスを降りて広い道路を全員で横断し、中国風の商店が並ぶ路に入ると、漕ぎ手が後ろで、客が前の席に前向きに二人乗る形、客席には屋根が付き、漕ぎての頭上にパラソルを広げたりして、造花で飾った派手はでなトライショー(人力車)がずらりと並んでいた。

マレーシアのトライショー

ペナン島のトライショーはベトナムのホイアンと同じ形だが、ペナン島のはスピーカーで音楽を流したりするのがあったりで、兎に角けたたましい乗り物である。走り出す前に一斉に記念撮影が始まった。我々ツアー客は雰囲気を味わう程度で、チャイナタウンだけをせいぜい1km位しか走らない。個人でチャーターすると約1時間で世界遺産ジョージタウンを一回りし35RMである。
 黃さんのガイドから
 「ペナン[ピナン(マレー語)]州は、マレーシアの州の一つです。北緯5度37分で赤道迄約665kmの近い位置にあります。南北24km、東西15km、島の面積は285㎢の広さをもっているが平地は少なく、島の最高峰は標高830mのペナン・ヒルです。マレー半島とは長さ12km東洋屈指の長大橋ペナンブリッジで結ばれ、対岸のマレー半島部分のスブランプライとで構成されています。ペナンの中心都市がジョージタウン、スブランプライの中心都市がバターワースです。ペナンは16世紀にポルトガル船が来航してから、ヨーロッパ列強による植民地貿易の拠点となり、ジョージタウンは英国の東インド会社の基地として栄えました。ペナン島の人口は約70万人程度で、そのうちジョージタウンの人口は約30万人です。住民は華僑が6割弱を占め、マレー系が約3割、他にインド系タミル人やヨーロッパ系も居ます。イスラム教、仏教(大乗仏教・上座部仏教など)、道教、ヒンドゥー教、カトリック、英国国教会、シーク教など、きわめて多様な宗教施設が集中しています。ペナン州はビーチリゾートとしてその名を知られていますが、マレーシア有数の商工業地域のひとつでもあります。道路はペナン・ブリッジによって結ばれているほか、フェリーが頻繁に往来しています(所要時間は20分)。フェリーの料金が7RMなのでこれの救済のためブリッジの通行料金も7RMにしてあります。現在ペナンブリッジ2を建設中で、この新橋の全長は24kmで既存のペナンブリッジより10.5kmほど長く、東南アジア最長の橋梁となる予定です。完成前から新橋の通行料金も7RMに設定されています。クアラルンプールからは北西に約350km離れています」
 Kさんと二人でトライショーに乗った。金髪の女のマネキンに真っ赤なドレスを着せ、色取りどりの造花を括り付けたトライショーの漕ぎ手は組合の元締めのようで、先頭を走るものと思っていたら11台の最後尾に付いた。前を走るトライショーが邪魔だし、街の光景は写真に撮りたいほどの家並みではなく、中国語の看板もありきたりだった。途中から黒い大型犬が私達のトライショーに併走してきた。普通の自動車道を走るので、ドギマギさせられたりおっかない場面に見舞われる。優先権があるのか観光客優遇なのか自動車の方が遠慮をしているようだった。スピードが緩まったときいきなり先程の大型犬が、我々のトライショーに乗り込んできて腹ばいになった。Kさんは吃驚、思わず蹴ろうとしたが思い留まった。終点に付いたら犬も降り、私達が降りたらまた乗った。漕ぎての飼い犬だったようで、
 「蹴らないで良かった」とKさんの感想。2RMを渡すと当然と言わんばかり「有難う」と礼を言った。トライショーを降りて全員で道路を横断した。道路を隔てた向かい側はインド人街である。
 黃さんに付いて200m程歩いた左にコーランをスピーカーで流す八角形の尖塔とクリーム色のドームが見えてきた。朝9時だというのに気温は34度、昨晩雨が降ったせいで湿気が高い。黃さんは人一倍汗かきのようで、説明をしながら我々を誘導するのに耳の両脇からだらだら汗を流していた。タオルを使い汗を拭き取るという習慣がないらしい。見るに見かねてツアーの御婦人が自分のハンケチを手渡し汗を拭くように促していた。

〔 カピタン・クリン・モスク 〕

 〔カピタン・クリン・モスク〕は、ペナン島の中心部(旧ジョージタウン)にあるイスラム寺院で、1700年代後半にペナンで初めてのイスラム系入植者であった、東インド会社により設立されたものである。その数年後インド系イスラムコミュニティーが大きくなり、より恒久的なモスクが必要になったため、1801年に、リーダーである裕福な南インドの商人、カウダー・モフディーン(カピタン・クリン)が率いるコミュニティーにより18エーカーの敷地が新たに加えられた。ガール様式の建物で、同国最大のモスクの一つである。インド系のイスラム寺院・屋根のドームに掲げられた月と星の形は三日月の凹みが上を向きてっぺんに星がある。これに対してマレー型のイスラムモスクの月は凹みが星を包み込む縦型の月である。 
 レンガ造りの元のモスクは一階建てだったが、時を経て何度も増築が行われてきた現在のモスクは、その後再建されたものである。敷地の中には、創建当時の井戸や大砲、古い墓などが残っていた。低い壁に囲まれたこの白いモスクは、ムガル様式のねずみ色のドームと尖塔(祈祷時刻告知に使用された)が特徴的で、バッキンガムストリートとピットストリートの角に建っている。マドラサ(神学校)も収容されている。中庭に入り記念撮影を終えて道路を横断した。
 この街でも朝早くから何軒もの食堂が営業し、沢山の客で賑わっている。歩きながら黃さんの説明を聞く
 「マレーシアで生活する人々は家で料理を作る習慣がありません。朝・昼・夜とも子供からお年寄りまでこうしたレストランで食事をします。その時間帯で営業する店の区画が別れていて、此処の区画は朝食専用地帯なのです。昼・夜は別な区画の店が開きます」
 トライショーで通った中国系の店では中国風とマレー風の料理を拵えて売り、インド系のレストランではカレーを取り込んだ料理だからか、街中にカレーの匂いが漂っていた。
 「学校に通う子供達は昼食は学校の近くのレストランで食べます。貧富の差が激しい国なので、子供達は親から貰った僅かなお金で3食を食べ繋ぎ、生活の知恵を身に付けます。マレーシアに暮らす子供達は、皆お金の計算が上手です。小学校3年になるとそれぞれが銀行口座を持ちます。きっちり財産管理をしないと生きて行けないのです。私の子供も自分の財布の紐は堅いですよ」
 モスクの前の道路をツアーの全員で横断し、案内されたのは、屋根の上に寺院と同じくらいの高さ(約3.5m)でヒンドゥー教の神々の色鮮やかな見事な彫刻が飾られた
 〔マハ・マリアマン寺院〕である。ジョージタウン最古のヒンドゥー教寺院で1801年に開基され、現在の建物は1833年に建立されたものである。

〔 マハ・マリアマン寺院 〕

この寺院が作られた時代はペナン全島で4万人ほどの人口で、約40%がマレー人、インド人と中国人がほぼ20%、アラブ人が10%弱だった。この島で同時代に中国仏教系寺院とインドのヒンドゥー教寺院が相前後して建立された背景が伺い知れる。内部にはヒンドゥー教の神々の彫像があり、なかでもダイヤモンドがちりばめられた、豪華な装飾の〔スブラマニアム〕と呼ばれる彫像は必見だというから、サンダルを脱いで中に入り寺院内を一回りしたけれど薄暗くて良く見えなかった。中央の神聖な場所以外は写真を撮ることができますと黃さんの説明だったが、髭もじゃの僧侶と思われる老人が厳しく監視し、寺院内では絶対に写真を撮らせないよう目を光らせていた。只で行っちゃうのかというような眼で見つめられてしまったので、仕方なくお布施に2RM手渡してきた。周辺に住むインド人の崇拝と尊厳の場なのである。日本の京都や奈良と同じように、ジョージタウンでの観光もお寺巡りばかりのようだ。ただそれぞれが宗派も違う趣の異なった建物だからうんざりはしなかった。
 イスラム寺院のあるマスジット・カピタン・クリン通りをさらに進むと数軒の花屋が有り、信者がお寺にお供えする生花(珍しい青や緑・赤や紫の菊)を売っていた。その並びに中国式寺院がある。
〔観音寺〕はマレーシアにやってきた福建人と広東人によって1800年代に建てられたペナン最古の中国寺院である。

[ 観 音 寺 ]

[ペナンは中国人が多数を占めるマレーシア唯一の州だけに、同族同氏の先祖を祭る廟である。祠堂(コンシ)・ペナン華人の最古の宗祠(チヤコンシ)・氏族の公祠(クーコンシ)等中国寺院が至るところにある]瓦屋根には龍だの、迷彩色の50人羅漢(高さ約1.8m)が壮麗で、インドのヒンドゥー教寺院とは異なった、一見して中国風の彫刻で飾られている。たくさんの提灯が下がる境内には、敬虔な祈りを捧げる華人系の人々が絶えることなく訪れている。建物は風水にのっとって建てられており、堂内には数々の観音仏(慈悲の女神)が祀られている。信者の捧げる線香の煙に包まれたお堂は、赤と金色の装飾で彩られてとても華やかで、そして厳かな空気に満ちている。境内の片隅には紙で出来た紙幣を燃やす大きな焼却炉が煙を吐き、その横には太さ8~15cm・高さは突き立てる棒の部分が20cmで、全体では人の高さより高い2m以上もある、真っ赤な紙で包まれた巨大線香が境内を燻らせていた。この寺は境内からの見学だけだった。観音寺をさらに海に向かって進むと右側に真っ白い尖塔と、クリーム色の味わい深い壁の
 〔セント・ジョージ教会〕があった。2本ずつ並べた4組の円柱が珍しい。東南アジアで最初に建てられた最古の英国教会の建物で1818年の完成である。大理石の床と尖塔が特徴のマドラス・スタイルの建築で、緑豊かな広い芝生の中心に建つ教会の佇まいは、英国そのままの雰囲気を漂わせ、マレーシア,シンガポールの数ある教会の中でも最も歴史ある教会である。樹齢を重ねた木々の緑が美しさをより引き立てている。エントランスの天蓋には、ペナン島の歴史的人物フランシス・ライトの初上陸を記念した、メモリアルキャノピーもある。
 ペナンの突端は現地人が呼ぶマラッカ海峡である。そこにあるのが
 〔コーン・ウォリス要塞〕である。1786年、イギリス東インド会社のフランシス・ライト提督は、東南アジア進出の拠点にこの島を選び、初めて上陸した場所に要塞を築いた。(この地がケダ州のスルタンからイギリス東インド会社に割譲されたところに遡る)ジョージタウンの北東端に位置し、海に向かって大砲が置かれている。(この大砲はオランダ製のスリ・ランバイと呼ばれ、花を供えて祈りをささげると子宝に恵まれるとの言い伝えが残されている)要塞の隣には、1897年にビクトリア女王即位60周年を記念して建てられた高さ60フィートの時計塔がある。この町の建設を始めた場所だといわれている。それにちなんで、当時の東インド会社の総督[コーンウォリス]という名が付けられた。それに何故か燈台の横にマストが1本建っている。黃さんに聴くと、当時の大航海を成し遂げた船に付いていたもののレプリカだということだった。当初は木の砦だったが、1805年に囚人たちの手よって、高さが約10フィートの壁で囲まれた、星型をした強固な石造りの要塞に改築された。以前は、事務所、礼拝堂、信号所、軍事警官やインド人の傭兵の宿舎などがあったが、現在はマラッカ海峡に向かって並ぶ数々の大砲だけが残されている。中に入るのには料金が取られるようだ。周囲を歩くのに約10分かかる。要塞の中は1世紀以上前に作られたままの姿で残されているという説明だけ。我々のツアーは塀の間から要塞の中を覗いて終了。 

 コーン・ウォリス要塞の近くの公園にも立ち寄った。

平成天皇が皇太子時代に植樹した木

平成の天皇陛下が1970年、皇太子時代にこの地に来て植樹した木が、東芝の宣伝歌にあるような葉をたわわに広げた大木に成長していた。この下は海風も爽やかに吹き抜け、沢山のベンチが据えられていて、お年寄りの憩いの場になっている。幹の前に石の記念碑が建っていた。マレーシアは赤道に近いので四季(春夏秋冬)がないからこの木にも年輪が無いのだという。
 午前のジョージタウン観光はこれで終了した。約4km程の散策だった。再びバスに乗車して宝石店に連れて行かれ30分閉じ込められ、次なるバティック工場の見学となった。

 《 バティック(伝統染織)・インドネシア・マレーシアのロウケツ染め布地の特産品・2009年10月2日インドネシアのバティックは、ユネスコの世界無形文化遺産に認定されている。日本の江戸時代の鎖国当時にオランダの長崎商館を通して持ち込まれた奇抜な柄と鮮やかな染色の布は『ジャワ更紗』としてごく小数の人のみが手にしうる貴重品であった。その起源はインドに遡るが、ペナンで独自に発展したロウケツ染もバティックという。東南アジア等で行われる国際会議で、各国の首脳がお揃いで着ているのがバティックのシャツだ。ロウケツ染とは染めようとする色以外の所を蝋で覆う技法である。着蝋して染色すれば蝋で覆われた部分を残して色が付く。次にその布の蝋を洗い流す。多色になると色の数だけ{着蝋→染色→脱蝋}の工程を繰り返す。最も手間のかかる着蝋の工程はチャンティンという水差しのような形の用具でマラムというバティック製作用に加工した蝋を、下絵に従って置いていく細かい模様を手で描く作業である。しかも布の表裏とも同じ模様という気の遠くなるような手間のかかる工程である。表と裏の両面にロウを置くので、仕上がりはリバーシブルとなる。2mほどの布に1年かかるという。しかし最近ではバティック・チャップといって着蝋の作業が一度に済む道具が使用されている。銅製のスタンプに溶かしたロウをつけて、ペッタン・ペッタンとロウ置きをする。土産物コーナーで手頃な値段で売っているものはサブロンといわれるプリント・バティックである。布に柄を直接印刷してあるものでロウケツ染めではない。本物のロウケツ染めのバティックは布の匂いをかいでみるとロウ独特の匂いがする 》

木綿や麻の布にロウケツ染めをする実演を見た後店内に案内された。安いのか高いのかわからないが、妻がお裁縫を趣味としているので、土産に麻のバティック布(1.5×3m・199RM・6965円)を買った。1万円しか両替していないのでカードで支払った。
 黃さんは国家公務員だという。仕事でガイドをするときはバティックシャツを着ることが義務付けられていて、マレーシアの男性ガイドは全員がこれを着る。違反すると罰金を取られるそうである。国を挙げてバティックを特産品として推奨している。
 バティック工房を後にして、レストランに向かった。今日のメニューはインド料理という。が、実はカレーであった。御飯はぼそぼそのマレー米、カレーは普通の辛さと、中辛の2種類があって、どちらでも好きな方を自分で選ぶ。その他に酸味のきいたスープと鶏肉の唐揚げが少しだけ小皿に盛ってあった。中辛をテストしてみたが、私には激辛に感じた。350ml缶ビールは15RM(525円)、イスラムの国はアルコール飲料が馬鹿高い。
 食事の後は東南アジア最長のペナン大橋を渡り、今回の旅行のお目当てである〔オラウータン〕のいる保護施設観光のブキットメラ・レイクタウンへ向かう。橋の上から現在建設中のペナン第2大橋をほんの少し見ることが出来た。黃さんの説明によると、
 「つい数日前の6日午後7時ごろ、ペナン州の島部とマレー半島部を結ぶ第2ペナン大橋につながる接続道路の高架部分で、橋げたの崩落事故があり、落下した橋げたが下を走行していた乗用車を直撃し4人が死亡しました。第2ペナン大橋は全長24kmで、海にかかる橋としては東南アジア最長。建設費は45億RM(約1,390億円)で、今年9月の完成が見込まれています。事故現場は橋の本体ではなく、ペナン島側のバトゥマウン地区で建設中の接続道路の一部分です」
 腹が膨らみ、75km約1時間30分の走行なので、黃さんの説明もなし、お昼寝タイムとなった。
 午前中の観光中、宝石店を出たときに道路が濡れていたし、ブティック工房に入るときにスコールが走っていた。見学中だけの雨で助かったが、移動中のスコールの激しさは物凄かった。Kさんはぐっすり寝ていたので、スコールには気が付かなかったようである。
 ブキットメラに近づいて、黃さんが喋りだした。
 「ブキットメラにあるオラウータンの保護島へは船で湖を渡ります。が、ここの所雨が降らず、今日の雨は2週間ぶりだったんですよ。湖の水が少なくなっていると船が運航できません。一応船着場までは参ります。オラウータンの保護島はブキットメラが管理するオランウータンの保護育成施設で、オランウータン保護の啓蒙活動も行うため観光も可能となりました。その隣の島は京都大学霊長類研究所の研究施設になっていますが、見学は出来ません。オランウータンは過去100年でその数が9割以上も減少したといわれています。子供が離乳するまでの最低3~4年間は次の妊娠をしません。このため、オランウータン島では母と子を別々に飼育し従来よりも短いペースで次の妊娠を促すことで絶滅の危機から救おうとしています。元々マレー半島にはオラウータンは生息していませんでした。マングローブの伐採などが原因で絶滅の危機に瀕し、生息数の減少するボルネオのオランウータン保護のため、この島の植生をオランウータンの原生地に合わせ、十数年前に7頭のオラウータンを連れてきました。オランウータンの繁殖・育成の活動を続けて、野生に馴染めるようになったらボルネオに戻します。ここのオラウータンは子育てができないので、赤ちゃんは、人間の看護師が別の建物の中で保育器を使って育てています。赤ちゃんはオシメをして哺乳瓶でお乳をもらい人間の赤ちゃんと同じように大切にされています。マレー語で[森の人]と呼ばれているオラウータンは現在27頭に増えました。営業目的の動物園とは異なり、保護区域では人間が[檻の道]に入っての見学となります。島に渡れれば、自然に近い状態で飼育されているオランウータンを見ることができるのですが」
 察する所、船は運航していないようである。携帯電話で問い合わせれば済むことなのに、現地まで行き観光不可の状態を確認させようということなのかも知れない。レイクタウンに到着後先ずトイレである。案内されたトイレに鍵が掛かったりしていて、それぞれ別のトイレを探して用を足す。嫌なことに雨が降り出した。かなり激しい雨である。こうなるとビーチサンダルは惨めである。黃さんが桟橋まで行って、船の運休を確かめてきた。
 「残念ながら今日は船は運航できません。こんな時のために代替えの観光スポット〔エコパーク〕を用意してあります。雨が降っていますが皆様行きたいですか?」と皆に問う
 「そこは行くだけの価値がありますか?」と旅慣れた御婦人
 「今一です。エコパークでは普通の小動物、鳥、昆虫、植物を見学できます」
 「雨が降っているし、そんなの見てもつまらないから止めにしましょう」と全員の意見が纏まって、今晩の宿泊地キャメロンハイランドへ向かうことになった。
 それにしても残念である。旅行案内の売りが、[オラウータンの赤ちゃんの愛らしい仕草]だった。旅行にはアクシデントが付きものだから仕方がないか・・・・・。わざわざマレーシアまで来たのになあ、普段の行いが良くなかったからか? 天罰と思って諦めた。
 ブキットメラからキャメロンハイランドまでは約150km・3時間30分かかる。南北ハイウエイを南に下って進む。雨が降った所と降らなかった所が有るのは道路の濡れ具合で分かる。時折猛烈なスコールの中を走った。国道の両脇には延々とアブラヤシの林が続く。黃さんの説明に力が入る。
 「高速道路の両脇に植えてあるのは〔アブラヤシ〕です。椰子の種類は熱帯地方を中心に食用・薬用・園芸用等230属、約3,500種があります。アブラヤシは、ヤシ科アブラヤシ属に分類され、アンゴラやガンビア周辺の西アフリカを原産とするギニアアブラヤシと、中南米の熱帯域原産のアメリカアブラヤシ(共に赤道の南・北緯 10度以内)の2種が知られています。1950年代にアフリカから1本のアブラヤシを持ってきた中国人が試しに植えてみた所、マレーシアの赤土に適合し、それ以後大規模栽培がされるようになりました。マレーシアはゴムの生産が世界一でした。ゴムの木が至る所で栽培されていたものが,合成ゴムで需要が激減,それに置き換わったのがアブラヤシです。植え付けただけで、受粉してから約6ヶ月で卵形の果実が成熟し、40~50kgの果実の固まりが取れますので、ゴム畑の殆どをアブラヤシに替えてしまいました。果実のうちの果肉からはパーム油(調理用)が、また、中心部の種子からはパーム核油(加工食品用)が得られます。また、メーカーが[環境ブーム]に合ったイメージの商品で売り出そうとし、一年中安定して生産でき収穫率が高い(約3,500kg/ha 大豆は319kg ナタネ409kg)ことから、マレーシア政府がゴムにかわる輸出品として生産力向上に力を入れ、品種改良・製油技術の改善等を進めたため、需要・供給が共に増加しました。大量生産できたことにより、組成が似ていて競争になりやすい牛脂・豚脂等のその他の動物性油脂よりも価格が安くなりました。アブラヤシの油はバイオディーゼル燃料としての利用も考えられるようになり、産油国である中近東が度々戦火に見舞われるため、メーカーが石油以外の原料の安定供給を求め、政情の比較的安定したマレーシアからの原料の一定量の確保が次第に望まれるようになってきています。パーム油の世界生産量はインドネシアとマレーシアだけで世界の85%を占めるまでになりました。マレーシアではアブラヤシはプランテーションという大規模な植林農園で生産されています。アブラヤシプランテーションの面積は、サバ州 約160万ha・サラワク州 約7万ha・半島部 約33万haです。サバ州ではプランテーション飽和状態で、半島部では工業開発やリゾート開発が進行しているため、現在プランテーション開発はサラワク州で最も盛んに行われています。パーム油の用途は食品、洗剤や化粧品、ろうそくなど工業用、バイオディーゼルと実にさまざまです。主な用途は食用、インスタント麺、マーガリン、パン、ポテトチップス、ファストフードの揚げ油、チョコレート菓子、スナック菓子等々、ヨーカ堂に並んでいる包装された商品の半分以上はパーム油が使われています。輸入国は上位からインド、中国、パキスタン、オランダ、バングラディシュで、日本も15位に入っています」とまあ、実に詳しく覚えているのに舌を巻かれた感じである。
 マレーシアの歴史的背景やら、2020年までに先進国入りを目指しているマレーシアの現状を事細かく説明してくれる。国家公務員ガイドとして、そうした説明をするように指導されているのだろうと思った。途中大きなガソリンスタンドでトイレ休憩を取った。バスを降りる前の注意
 「今日のホテルは丘の上に有り、街までは急な坂道を30分ぐらい下らないと出られません。ホテルの近くには商店がありませんから、この休憩所にある売店で、今夜必要な飲み物などのお買い物は済ませた方が良いと思います。但し、この街は全体がイスラムなので、ビールやお酒は売っておりません。トイレは一番奥です。手前の建物には入らないで下さい。20分の休憩時間を取ります。屋台でマレーシアの果物を売っていますから御覧になって下さい」
 バスを降りると私なんかは真っ先にトイレに向かう。女性トイレの数が少ないせいもあって、女性のほとんどもトイレを目指す。ところがタバコを吸う愛煙家は灰皿のある場所を探し当て、深々と煙を吐いている。21人のツアーで喫煙する人は約半数の10人ほど、黃さんも運転手もタバコが好きみたいだ。女性の愛煙家はトイレを済ませた後にタバコを吸い、男性はその逆であった。
 黃さんが売店のすぐ後ろの建物の前に立ち、トイレはこの奥ですと案内している。建物の造りはトイレと良く似ていて、幾つかに区切られた手洗い施設が見える。ツアーの一人が
 「この建物は何ですか?」と黃さんに聴いた。
 「この建物は礼拝堂です。此処から水道やシャワー室が見えるでしょう。イスラム教を知らない人はトイレと間違えて入ってしまうので、此処に立って入らないよう案内しています。男性も女性も礼拝堂に入るときに身体を清めなくてはなりません。頭・顔・脇の下・手足、そして男性は男根を、女性は陰部を水で洗います。イスラム教は正式名をイスラームと言います。唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマド(預言者)を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教です。ユダヤ教やキリスト教と同様にアブラハムの宗教の系譜に連なる唯一神教で、偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじます。一神教は世界で三つだけです。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教です。つまり、イスラム教はユダヤ教、キリスト教の兄弟宗教で、一神教三兄弟の末っ子なんです。イスラム教の唯一神をアッラーといいますが、アッラーというのは神様の名前ではありません。アッラーというのはアラビア語で[神]という意味です。だから〔アッラーの神〕という言い方は間違いです。神様の名前は〔ヤハウェ〕です。キリスト教徒が信じているのと同じ神さまを、イスラム教は信仰しています。イエスはユダヤ教を改革しようとした人でしたから、キリスト教の神さまはユダヤ教と同じ〔ヤハウェ〕です。そして、その同じ神をイスラム教も信じていますから、人類はアダムとイブからはじまったとイスラム教徒も考えているのです。〔礼拝〕のシーンはテレビでも見たことがありますよね。正式には一日五回、メッカの方向を向いておこなうのです」
 「そんなめんどくさいことを1日5回もやるのですか?」
 「それがイスラムの敬虔な信仰心なのです」
 屋台の果物屋を覗いてみた。日本ではお目にかかれない果物が並んでいた。バスに持ち込めるようにパックに詰めて売っている。黃さんが親切に果物を紹介してくれる。
 ☆ 赤い皮に毛の生えた〔ランブータン〕は割って透明食の果肉だけを食べます。種は食べられませんが甘くて美味しいですよ。剥きやすいのですが、実の方に種の薄皮がついてしまうのが難点。1パック(6個入り)で3.44RM(119円)。
 ☆ 緑色で南瓜のような形で握り拳くらいの大きさの〔グァバ〕はジュースにすると甘いですが甘みは少なく、日本のリンゴみたいなシャキシャキ感があります。1個4RM(140円)。
 ☆ 黒っぽい皮のマンゴスチン。両手で押しつけるようにして割ると中からラッキョに似た白い果肉が6つで丸くなっている。これは子供達が大好きで、甘いし剥きやすい 1ネット(12個位入り)で10RM(350円)。此処では果物の王様〔ドリアン〕は売ってなかった。Kさんが果物の女王と呼ばれるマンゴスチンに興味を持ったようだった。売店でビールを買えないというのが寂しかった。
 バスはホテルに直行である。トイレ休憩前にスコールの中を走っているときも寒かったが、走りだして20分も経つとクーラーの効きすぎでバスの中はかなり冷え込んできた。甚兵衛姿での観光だったから、上に羽織るものを持ってきていなかった。ガイドの忠告をよく聞くべきだったと反省した。Kさんはジャケットを着たから丁度良かったようである。
 「これから参りますキャメロン・ハイランドは、マレーシアを代表する高原リゾートです。1885年にイギリスの国土調査官ウィリアム・キャメロンが初めてこの地を訪れたことから名づけられました。標高が1,500mを超えるため、年間を通じて気温が20℃前後と涼しいですからホテルにクーラーはありません。今夜お泊まりになる〔ヘリテージ ホテル キャメロン・ハイランド〕に着いたら、各自でお荷物を受け取りロビーでお待ち下さい。お部屋の鍵をお受け取りになりましたら袋の中を確認して下さい。部屋番号は袋に書いてあります。カードキーが2枚と明朝の食券が1枚入っております。必ず食券をお確かめ下さい。2人でも3人でも1枚ですから揃ってお出かけ下さい。食券がないと明日の朝食は食べられません。1階はロビーのLです。そして部屋のキーですが、電源ボックスに差し込む際には2枚差し込んで下さい。1枚だと電気の状態が不安定の場合があります」との案内を受け、キャメランハイランドのにホテルには17時30分到着した。外はまだ日が高かった。
 「今晩の夕食は〔スチームボート(火鍋)〕です。夕食は7時からで宜しいでしょうか? 7時に此処へお集まり下さい。レストランはこのホテルの地下1階となります。明日の朝食は6時30分から食べられます。朝食も今晩と同じ地下食堂でバイキングです。モーニングコールが必要な方は仰って下さい。御希望があれば7時30分にコールを掛けます。明日の出発は少し余裕を持って9時30分と致します。荷物は部屋の外に出さないで、出発の時各自でバスまで運んで下さい。10分前にロビーにお集まり下さい。今から20分間私はここにいます。お部屋の不都合などがありましたら仰って下さい」最近のツアーでは、ボーイがスーツケースを部屋まで運ぶサービスは無くなったようだ。
 部屋に入るとKさんはテラスに出て先ず一服である。夕食まで1時間ほどの時間があるので私はバスタブにお湯を張って、先に一風呂浴びさせて頂いた。マレーシアは赤道に近いだけに帽子とサングラスを持ってきて正解だった。帽子を被ったお陰で頭にお湯を掛けてもヒリヒリしなかった。私の後にKさんも湯に浸かったがカラスの行水の如くすぐに出てきてしまった。テラスに出るとホテルの裏側全景と裏庭の噴水と山並みが見えた。記念に写真を撮っておく。
 6時50分にロビーへ降りた。母娘2人で参加している高杉さんの親御さんが「もうお風呂に入ったんですか?」と聞く
「はい。軽く汗を流すだけの烏の行水ですから。その点女性はお顔の御化粧が気になったりで、短時間ではさっぱりという訳にはいきませんよね」
 「そうなんですよ。よく御存知ですね」てな事を話しながらレストランに入った。
 テーブルは3卓、私のテーブルは2人連れが4組、50歳位のカップル、高杉母娘、相部屋の女性2人と我々である。他のテーブルは8人と5人。テーブルの真ん中にはスープの入った“どうこ”のような鍋がガスコンロの上に乗っている。その廻りに数種類の野菜と茸、とうふ、ねりものやつみれの類、はるさめとビーフン・鶏肉等が皿に盛ってある。え!マレーシアにもあるの
だと思ったのは湯葉である。それに、アブラナの多年草で淡い辛みとほろ苦いクレソンもあった。2人に一組の、穴の空いたおたまと普通のおたまが用意されている。席に着くとウエイターが来て、お皿の具をどさっと入れて蓋をする。その間に黃さんが飲み物の注文を取っている。今夜は部屋での寝酒が買えなかったので、半分ぐらい残し部屋に持ち込むことにして、私はレッドワインのボトルを注文した。イスラムの国のしかもレストランだから、高額なのは覚悟した。
 「レッドボトル有りますか? 1本幾らですか?」ウエイターに聴いて黃さんが
 「有るそうです。150RM(5,250円)です。冷やしますか? グラスは幾つ要りますか?」こりゃたまげた値段である。両替した半分のRMがすっ飛んでしまうことになるが、今夜は私の72歳の誕生日なので祝杯を兼ねて注文した。Kさんはビンビール1本20RM(700円)を取って、私にも注いでくれた。カップルの御主人もビールを飲んでいたので、鍋の具が煮詰まる前に、我々はビールで、御婦人方は烏龍茶で乾杯をした。ワイングラスはビールを飲んでいる御主人の分を含めて3つ貰う、黃さんが冷やしてきたワインをグラスに注いでくれ、御主人に「鈴木さんからです」と渡してくれた。
 「あちらの冷蔵庫で続けて冷やしておきますからその都度言って下さい」
 「今日は私の6回目の干支歳の誕生日なんです。いつも海外で誕生日を迎えるようにしているんですよ」するとテーブルの皆さんが
 「それは御目出度う御座います。それでは改めてお誕生日御目出度う御座いますのカンパーイ」と言って祝って下さった。
 「ということは72歳になるんですか? とてもそんなお歳には見えないわ」と女性の皆さんがよいしょしてくれる。横からKさんが
 「そうでしょう私はこの人より3つも年下なのに私より若く見えるでしょう。顔はつやつやだし首回りにも皺一つ無いでしょう。この人凄いんだよ。腕立て伏せを歳の数の72回もやるし、脚を開いて床に胸を付けちゃうんですよ。それに本も出版している作家さんなんです」から始まって、私の紹介を事細かく話し始めたものである。ワインは渋みも有りいける味、72歳のスタートに相応しい目出度い薄ピンク色をしていた。
 「どんな本をお書きになったのですか?」御婦人が興味を持って聴いてくる。「日本文学館から出した“かけはし”という本です。35人もの中国人留学生の身元保証人になりましてお世話した話です。鈴木進次著と書店に申し込んで下されば、2週間ほどで届きます。携帯電話で検索すれば、すぐに本のイメージを見られますし、携帯からでも申し込めますので宜しくお願いします」とコマーシャルをさせて頂いた。
 「お二人は御兄弟ですか?」二人相部屋の女性が興味深げに聴く
 「いえ、春日部市で開講している“ふれあい大学”の同窓生なんです」
 「それにしても、男の方の二人連れって珍しいですよね?」
 「いえね。いつもなら一人部屋追加料金を払って一人一人の部屋を取るのですが、たった4・5日間、鼾や歯ぎしり、おならと寝言を我慢すれば3万円安くなるのだから相部屋で良いですかって聞いたら承知してくれたんですよ」
 「俺、いびきをカクのか?」Kさんが聞く
 「凄えいびきだよ。それもしょっちゅうなんで、わざとやっているのかと思ったよ。今度テープを取っといてあげようか」
 「鈴木さんだって、昨日大きな声で寝言を言っていたよ」皆さん大笑い、和やかな夕食を楽しめた。鍋の具も煮えてきた。各々で中国料理用の小さなお茶碗に盛りつける。先ずスープの味に「美味しい」の声。香辛料は特製の豆板醤のみ。Kさんの大好物である。最初の具を食べ終えると、またウエイターが来てスープを足し、次のお皿の具を入れて蓋をしていき、さらに違う具を運んできた。どんな魚の肉で拵えたつみれだか解らないが、それなりに美味しく鶏肉も柔らかだった。1,500mの高地だけに、熱々の鍋料理を食べても汗を掻かなかった。野菜のお代わりが出来るというので、大皿いっぱいの野菜をリクエストする。良くしたもので高級酒だと酔いも早い。8時過ぎにレストランを退散し、ワイングラス2つと半分程残ったボトルは部屋に持ち帰って嗜んだ。Kさんが少しだけ付き合ってくれた。