桂林・陽朔・龍勝5日間の旅

11 月12 日(月曜日)第4日目

 今回の旅行ほど、品行方正なのも珍しい。このホテルにバーがないのと、ホテルの外にもレストランらしき飲み屋が見当たらないので、部屋でほんの軽くビールを嗜んで早々とベッドに横になってしまう。今回中国旅行では54度の強い中国酒も飲まなかった。
 今朝も目覚めは快適、天気も上々、軽く柔軟体操をこなして6時に食堂へ降りた。3日間同じようなバイキング料理だから勝手は知ったもの、自らビーフンを温め、スープと野菜を少々入れる。ゆで卵1個と、お粥にザーサイこれで十分である。Kさんは今朝も食欲旺盛ほれぼれする程頑張って食べていた。食後に西瓜とプチトマト。豆乳はどうもいただけないので、紅茶を飲んだ。
 部屋に戻り日記を付ける。Kさんは今日も活発で、カメラをブル下げて、ホテル近辺を散策してくると出て行った。
 ホテル出発は8時である。遊んでいる時間は実に早く、もう観光最終日となってしまった。3日目は半日掛けて観光船での[漓江(りこう)]下り観光である。ツアーメンバーは全員元気そうで、今回は具合が悪くなった人は居なかった。
 専用バスは市内から28Km(約40分)離れたところの外国人観光客専用豪華船が出航する〔竹江埠頭〕に到着した。7年前に同じ埠頭から乗船した時の埠頭とはすっかり様変わりして、あまりもの近代的な豪華な建物に唖然とさせられた。これではせっかくの素朴な景観には似つかわしくないと思った。

竹 江 埠 頭

豪華客船が数十艘係留され、船尾のキャビンでは、乗船中に食べる客の昼食の準備で水煙を上げている。この光景は以前と変わらない。観光船もすっかり近代的な船体にモデルチェンジしており、時代の流れを痛感させられた。
 桂林市内を南北に貫く全長437Kmの漓江のなかでも、最も景観が優れているといわれる竹江埠頭~陽朔間(約60Km)を4時間ほどかけてのんびりと遊覧船で下るのである。
 竹紅埠頭の桟橋はコンクリート造りになって、7年前のように停泊している船の上を渉り歩かなくても乗船することが出来た。漓江の水量は季節により変化し、雨季の4月頃から7月上旬までは水位が上がり、最適な観光シーズンであるが、秋から冬にかけては渇水期に入り運航に多少の影響がでる。 漓江はカルスト(雨などによる浸食でできた石灰岩台地)地形を流れる川で水の浄化能力が高く、水源地と河川に対する環境保護の取り組みも徹底して行われているので、中国の町を流れる川にしては汚れもなく、水質がよくて川底や水草、魚が目の前で見えるほど澄み切っている。
 船室に入り船の構造に工夫が凝らされているのにも感心した。船首から乗船し、船室に入ると、バイキングの料理を並べる台がある。7年前はメイドが皿に盛った料理をテーブルまで運んできていた。バイキング方式とは考えたものである。客席は通路を挟んで3人掛けの椅子が向かい合い真ん中にテーブルがある。それが左右に5卓ずつ有り、船尾の階段を上がると同じような客席が2階にもある。船室の両側はガラス窓になっていて、景色が眺められるが、殆どの人は屋上デッキに上がっての観光となる。私とKさんの席は2階の一番奥だった。相席の4人は中国駐在の日本人観光客だった。
 船が出発すると皆さん屋上デッキに駆け上がって行った。私は5回目の漓江クルーズなので、ガイドがスポットの近くを通過した時の放送を聞いてデッキに上がることにして、早速ビンビール2本(60元・828円)を買ってきて、船内にいたツアーの男性と窓から景色を眺めながらの宴会となった。

 《 2~3億年前の桂林は、海底だった。その後の地殻変動で、隆起した石灰岩が風雨にさらされ浸食によって、二つと同じ形がないという奇峰の連なる美しい形の山々になり、降った雨が地下水となり長い年月をかけて鍾乳洞を形造った。桂林には、数多くの鍾乳洞があり景観と組み合わせて観光開発されてきた 》

 観光船のスピーカーから中国語でなにやら説明し始めた。急いでビールを飲み干しカメラを持って屋上の展望デッキに向かった。船室の窓からでは気が付かなかった桂林の景色は、まだお日様が頭上に昇りきっておらず、霞というか靄が掛かって、全景が灰色のベールに包まれていた。
 水墨画を連想する景観とは違った、ぼやーとしたものである。訪れる度に異なる桂林の景観も、今日はがっかりつまらない。それでも雨が降らなくて良かったのだから、今日の桂林の佇まいを眼に焼け付けることにした。
 竹江を出発して1時間余り経った頃船は[冠岩幽洞(かんがんゆうどう)]を通過した。岩壁に穴があいていて中は鍾乳洞になっている。冠岩は桂林最大の鍾乳洞で、全長は約12km三層に分かれた洞内の最下部には水量豊富な地底川が流れており漓江と繋がっている。その内、観光できるのは3㎞でトロッコ電車が走り、遊覧舟が運行し観光客を運ぶ。桃源郷に繋がる出口まで、ビルにして8階のエレベータなどが完備している。鍾乳洞は巨大でここの内部もけばけばしい蛍光灯で色様々の照明を施し、黄泉の世界やら天国と地獄等と神秘的な雰囲気を演出している。だが今回の漓江下りではここは通過である。
 観光船から岸辺に生えている蓬莱竹林越しに、いくつかの山が屏風のように繋がって見える。

羊の蹄の形をしている山[羊蹄山]

その中に清時代の銀のインゴットみたいな羊の蹄の形をしている山があり、地元では羊蹄山と呼ばれてきた。その後、羊蹄という言い方がそぐわないと、周りの雰囲気に合う[楊堤]と改名された。この辺りから桂林漓江下り風光明媚のハイライトに入る。漓江の渇水が激しい時は、バスで陸路楊堤迄走って来てこの乗船場からの出発となる。
 10時を過ぎてお日様が顔を出し靄もなくなった。
 観光船が楊堤村を過ぎると両岸の峰々が密集して数を増し、前方の山並みの中に飛び込んでくるのが、富士山と林檎の形をした二つの山、日本人に最も好まれている[富士りんご]が連想されて、観光客に大好評の場所である。
 段さんが後ろのデッキに皆を呼び集め、船尾から眺める景色の説明をしている。
 「水面に山の影が映るでしょう。まるで水面に映る山の頂上を航行しているように感じるでしょう。ここは一番綺麗なところなのよ。中国人民元の20元札の裏面の美しい風景はこの場所をモデルにしているのよ。[黄布倒影]と呼びます」

中国人民元の20元札の裏面になっている[黄布倒影]

 水面に波がなく濃淡の異なる山々が水鏡となって映るから、この辺りの風景は漓江の絶景といえる。ツアーの人達が20元札を両手に持って、黄布倒影を背に記念撮影に夢中になっていた。Kさんも航行する船が風を切る中で、満足そうな顔で写真撮影に没頭していた。 
 [興坪]を通過、この村から眺める景色があまりにも素晴らしいので、いにしえの人々はここを[桃源郷]と呼んだという。サントリーのコマーシャルで日本のテレビにもよく登場した桂林で一番美しい風景だという。一番美しい所だらけと言うことになる。船はここには停泊しないで通過する。興塀にも乗船場が有り、渇水が酷い時は陽朔まで航行できず、臨時の終点下船となる。興塀から陽朔まではバスで30分の所である。
 楊堤、興塀の間には長さ8m位の孟宗竹を10数本括り付けた筏に、乗客2名に竹竿で操る船頭一人という遊覧船や、小型の屋形船(エンジン付)で遊覧する中国人が沢山浮かんでいる。川面すれすれに見上げるポコポコ連山もきっと素敵なのだろう?
 興塀を過ぎると「昼食ですよ」と段さんが知らせてくれた。テーブルに就き、お皿にバイキングの料理を載せてくる。ホテルのような料理は期待できないにしてもお粗末な料理ばかりでうんざりだった。350ml缶ビール1本と薄いビニールのコップを3つ重ねたのを持ってきた。1つだとクニャクニャでペシャンコになってしまうのである。これは食事とセットなので無料だそうだ。缶ビールが配られる前に、ビンビールを注文してしまった。これから先の景色は大したことがないので、終着地までゆっくり飲みながら船旅を楽しむことにした。
 午後1時30分に陽朔に到着した。この船着場もしっかりしたコンクリート造りに改装されていた。船着場は幾つもあり、我々の船は西街に一番近い所での下船となった。

陽 朔 の 船 着 場

 「もしもし亀よ。みんな降りたね。ここから歩いて賑やかな西街まで行くよ。だからはぐれないで付いてきてね」段さんが先頭に立って漓江ぞいの舗装された坂道を暫く登る。狭い道路の両脇に屋台が並び、声を張り上げて土産物を売っている。5分程歩くと急に賑やかな商店街・西街に着いた。

 [西街]は1400年の歴史を持つ古い町である。

西  街

現在の西街は観光客目当てに造り変えられたお土産店街である。入り口から出口まで長さは517m・幅8m道路は石畳の道で、沿道は美しい街路樹で挟まれ、その両脇は3階建てに統一されたコンクリートの家、個性を懲らした展示をする独特の檐(ひさし)を持った土産屋が軒を連ねる。2階3階は旅館や民宿として泊まれる。道路にテーブルを並べるカフェがフランス風を装っていても、ビーチパラソルを広げているのが鈍くさい。藍染めの大きな布も陽朔の特産なのかあちこちで売っている。
 小さな町ながら、その魅力は町自体がポコポコ山に囲まれた山水画の世界であることだ。桂林は整備された大都市という感じに変貌したが、陽朔こそがおなじみの奇峰に囲まれたのどかな田舎町、地名は桂林じゃないのだが、此処こそ日本人の感覚で言う桂林だと実感させてくれる。毎年10万人以上の観光客が海外から訪れるそうで、今のような観光地になる前から西洋人の滞在者が多かったので、別名[西洋人街]が現在は西街という名称になった。
 自由散策の時間を40分取ってくれた。

反日デモ騒動の煽りで閑散としている西街の繁華街

Kさんは写真撮影に忙しく動き回っている。私は外のカフェに腰を下ろし一人ビンビールを嗜んだ。繁華街としゃれて小瓶のビンビールが30元(414円)もした。前に訪れた時より観光客は少ない。別の日本人観光客ツアーとは一組とも会わなかった。これも反日デモ騒動の煽りだろうか? 第1日目の桂林市内観光、2日目の龍勝棚田観光、そして今日の漓江下りと陽朔観光を通じて、此処で接してきた中国人からは反日の「は」の字も感じられなかった。13億人の中の扇動された中国人が、この広い中国の中で100万人がデモに加わっても、此方の人にとってはそのニュースすら伝わってこないし、無関心なのだろう。観光事業に携わる人々にとって日本人は大切なお客様なのだから、ああしたデモ騒ぎで客足が絶えたこと事態を嘆いているのである。
 「日本のツアーのキャンセルで桂林は寂しくなったよ。阪急以外は何処も来ないよ。飛行機の本数も減らされたよ。桂林は怖くないから、日本に帰ったらみんなに宣伝してね」段さん談。

 《 陽朔県は、中国広西チワン族自治区桂林市にある県(中国では市の行政区の中に県がある)である。漓江西岸に秀麗な桂林山水の精華が数多くあり[中国旅遊名県]の名誉で知られる。改革開放以来の対外開放の観光都市の第1陣として、陽朔はその美しく独特の風景により多くの観光客を呼び、観光業陽朔経済の支柱産業となった。カルスト地形に属する自然景観は独特であり、比較的に名所とされる場所は洋人街である西街、映画[劉三姐(リュウサンジエ・農村の娘が悪徳地主を懲らしめるミュージカル)]の撮影が行われた大榕樹景区、陽朔の中で最も美しいと称される[月亮山]、[龍潭]、ここ数年新しく開発された世外桃源風景区、[胡蝶泉風景区]など、その観光業の多彩さは地元の住民をも潤わせている。だが観光開発が先走りしすぎてか、桂林は世界自然遺産にはなっていない 》

[ 月 亮 山 ]

 西街の出口で、段さんが携帯電話で呼んだ専用バスに乗り込んだ。竹紅埠頭で我々を降ろしたバスは陸路で陽朔まで迎えに来ていたのである。
 「これから陽朔で一番綺麗な所、高田郷へ案内します。最初に月亮山へ行くよ。ここは時間が無いからバスから観るだけ。Uターンしてくるからどちらの窓からも見えるから安心してね」
[月亮山]は海抜380m、山頂に天然の洞窟があり一輪の月のように見えることから、かつては[明月峰]と呼ばれていた。現在は月亮山とも呼ばれている。この洞窟の直径は50m、山の麓から向こう側の空や雲が見え、見る位置によって三日月から次第に満月へ、満月から三日月へ輪郭の形状が変化し、神秘的な時の移ろいを感じることができるのが月亮山の趣きである。麓から800段ほどの石段を登ると洞窟まで行くことができる。バスの窓から見上げるだけで、Kさんのカメラで捉まえられたのか気になった。頂上まで登るとポコポコ山の林の風景が展開するのだが、今日は時間が無いのでただ通過のみだった。

 《 高田風光 は陽朔県の高田郷にあり、陽朔から10kmほど離れた所である。この辺りには無数の石灰岩の山々が、あたかも森林のように聳え、一面にのどかな田園風景となってが広がる。観光開発が進み、伝統溢れる観光地である月亮山、大榕樹、火焔山、鑑山寺などに合わせ、蝴蝶泉、聚龍潭、遇龍河(小漓江)、金猫出洞、馬象奇石、図騰古道、抱朴園、朗梓古村などの数々の観光スポットが開放されるようになった 》

高 田 郷 の [ 高 田 風 光 」

 月亮山から戻ったバスは遇龍河に架かる農工橋で停まった。農工橋の上から眺める景色は、この辺りでの絶景ポイントである。だが残念ながら、観光化の波がこの地区にも押し寄せ、以前は景観にぴったりの荷車がすれ違える程の橋だったものが、2006年観光開発に伴い片道2車線歩道付きの新しいコンクリートの橋に架け替えられてしまった。

 《 遇龍河 は陽朔の郊外を流れる漓江の支流で、臨桂県の苦李河に源を発し、陽朔の金宝、葡萄、白沙、高田、陽朔など五つの鎮を流れている。全長は43km、幅38~61m、水深0.5~2m、両岸には人の手が入れられていない自然が広がり、その風景は漓江よりもはるかに美しいといわれている 》

陽 朔 遇 龍 河 の 景 観

 この工農橋の下から遇龍河での、竹の筏で舟遊びを楽しむことがでる。筏の目線から見上げる流域の風景はなんとも美しい。子供が川で遊び動物が草を食む、のどかな田舎の風景がそこにある。農工橋からは、上流と下流の景色が二通り観られ実に楽しく美しい。遇龍河は波が立たないから、石灰石の山々がクッキリ水鏡となって川に映る。難を言えば送電線が邪魔になるが、赤いパラソルを広げた竹の筏がその風景にマッチする。 この日もすっきりとした青空になってくれて、陽朔の高田郷に来て良かったとつくづく思う。何度来ても心が洗われ、10年は長生きが出来るような気になった。
 工農橋からの写真撮影は15分。バスに乗ると約1時間20分(76Km)で桂林まで直行である。
 「皆さん普段の行いが良いから、今日の桂林は良い天気になったね。こんなに良い天気になったのは半月振りだよ。桂林、綺麗だったでしょう。これから皆さんに羅漢果のお茶を御馳走するよ。龍勝で買った羅漢果を私がお茶にして持ってきたのよ。今コップに入れて持って行きますから味わってね」
 羅漢果のお茶を初めて御馳走になってみて、子供の頃お釈迦様の誕生日にお寺で飲んだ甘茶に似ていると思った。乾燥した丸い羅漢果を粉々にして煎じて賞味する物だということは分かった。羅漢果をお土産に買ったKさんも、友達にあげる時に説明が出来るだろう。
 それから段さんの行商が始まった。
 「これは桂林で採れた松茸を乾燥したものよ。良い香りがして美味しいよ。高いと思うかも知れないけど日本の半分以下の値段ね。一袋3,000円だけど2つ買えば5,000円に負けるよ。そしてこれはね、桂林で取れたシジミを乾燥したものよ。水で戻して御飯と一緒に炊くと旨いよ。一袋2,000円だけど2つ買えば3,000円にお負けするよ。手に取ってみて、欲しい人いるか? 安いし高級品だし、ここだけでしか買えないよ」
 Kさんが欲しそうな顔をしているので、それなら2つずつ買って分けましょうということになった。取り敢えずKさんに8,000円を払っておいて貰う。何故か日本円での支払いなのだ?
 「今夜のオプショナルツアーは《夢幻漓江》という少数民族の踊りと歌と雑伎ショーで、三次元の照明を使った幻想的な舞台なのよ。旅行案内では《劉三姐》になっていたけど、今は替わった。だから、これは観た人が皆感動するね。絶対観た方が得するから、だから一人3,900円だから観に行く人いるか? 夕食の後バスで送り迎えするから安心して大丈夫よ」
 Kさんが私に聞く
 「少数民族のショーって面白いのかい?」
 「私はこうしたショーは大抵観に行っている。今年の春行った《武陵源と鳳凰古城の旅》では、劇場に暖房が入っていないのが分かったから、震えての観劇はいただけないので止めたけど、ドル箱観光地のショーは綺麗だし楽しいしなかなかのものだよ。ホテルに戻っても何もすることがないのだし、値段的には高いけど、せっかくだから観に行きましょうよ」
 「鈴木さんがそう言うなら行きましょうか。段さん、私達参加します」
 「有難う御座います。じゃあ2人で7,800円ね。日本円なかったら元で300元(4,140円)どちらでもいいよ。」
 「はい8,000円ね。お釣りある?」
 「ちゃんと用意してあるよ」
 暫くうとうとしたと思ったら段さんがまた喋りだした。
 「あと10分で桂林で一番大きな[茶芸館]に着きます。最初は2階でお茶の試飲をして下さい。ここでお茶を買うと安いよ。1階にはお土産のコーナーがあるから、日本へのお土産を買うチャンスはここが最後だから、空港で買うと高いよ。ここで買い物を済ませるのがいいよ」
 中国旅行の定番で、ツアー旅行では必ずお茶の店に連れて行かれる。ツアーは9人と10人に分けられ、試飲室に案内される。広い2階にはこうした試飲室が40室程もある。お茶を点てる大きなテーブルを囲むように座ると3種類の甘い菓子が出され、このお菓子は下の店にあると宣伝、日本語の上手な男性が、4種類のお茶を点ててくれる。烏龍茶もあったが、ここのお茶は漢方薬草茶が中心のようで、肝臓に効くだとか血圧を下げるだとか、25分ぐらいお茶の説明があり、値段はかなり高額(1缶200元・2,760円)のお茶を勧めていた。1缶200g入りの茶筒を買うと蓋を取り、同じ種類の別の缶から、買った茶筒へ客が詰められるだけ詰めて良いという割引方法で、値段は負けないのである。ツアーの皆さんは結構お買いになっていた。
 お茶の説明が終わると1階に降ろされる。1階全体が土産店になっている。両側に沢山の種類の袋物を並べている。瓶詰めの豆板醤と鷹の爪、乾物の袋詰め、あめ玉や菓子、民芸品の小物、おもちゃ、果物もあった。出口が見えていても、その陳列棚を巡って行かないと出口に出られないようになっている。羅漢果のコーナーもあった。龍勝で売っていたものより大粒のものが半値だった。ここでも店員があれを買えこれを買えと五月蠅く付きまとい、出口近くでバイアグラを買えと五月蠅かった。店構えが大きい割には値段が安いように思えた。約40分ぐらい経過して、皆さんが出口に集まった。
 「この後はレストランに行くけど、まだ時間が早いから、特別に市場へ案内するよ。夕方で人が沢山いるから、あまり遠くへ行かないでね。私に付いてきて」
 茶芸店から3分ぐらい歩いた所に自由市場があった。路上に屋台を並べて車は通行止めである。奥のビルの中は野菜や魚、肉の市場のようだがそこは見学せずに、我々は道路の入り口付近の屋台をひやかした。果物屋には南国の珍しい果物が並べられている。食べ頃のドリアンが独特の匂いを放っていた。
 縦に4分の1に切ったブロックに種付きの果肉が3つ付いていて50元(690円)のドリアンを買い、Kさんと一人参加の女性にお裾分けする。バターピーナツのような味のドリアンを口にしたのは3年ぶりだった。
「さすがは果物の大様ね。こんなに美味しいものとは知らなかったわ」一人参加の女性は喜んでくれたが、Kさんは初めてのドリアンを口にして、怪訝そうな顔をしていた。
 そのほかには、東部タイの一部でしか生産されていない果物の女王[マンゴスチン]、柔毛の生えた[ランブータン]、怪しげなとげとげした形の赤い[ドラゴンフルーツ]、[マンゴー]直径25cm・重さ1kgもあろうか[文旦(ぶんたん・日本名ザボン)、[バナナ][西瓜]等々も並べられ、日本と比べたらはるかに安い値段で売っていた。丁度お腹が空いていた時なので、ツアーの皆さんもそれぞれ好みの果物を買い求めて食べていた。30分程賑やかな自由市場の雰囲気を楽しみレストランへ移動した。
 最後の夕食は広東料理である。広東料理といわれても、いつもの中国料理とあまり変わらないし、飛び切り特徴があるという訳でもない、Kさんなんかは豆板辣醤を付けて食べていた。最近の中国料理に使う油は昔のようなラードと異なり、かなり上質のサラダオイルを使用しているので、連日中国料理が続いても、それほど鼻につかなくなった。初めて川魚の煮た物が出された。
 OPツアーに参加したのは7名だった。ホテル経由で専用バスは劇場に到着した。かなり大きな劇場で、1,000人以上の観客席を持つ。我々の席は前から二番目の中央席だった。一番前列には誰も座らないので、特別指定席という感じだった。照明にレーザー光線を使うので、撮影は禁止。[夢幻漓江]は8時から始まった。少数民族舞踊とは謳っていないから、俳優達も民族衣装は着ていない。音響効果とレーザー光線で舞台に彩りを添えて、繰り広げられる舞踊は超一流、極めつけは大勢の子供達のアクロバット雑伎(サーカス)である。一糸乱れぬはらはらさせる演技に感動した。布を吊し空中で男女が交錯し輪舞する様は圧巻だった。全体のストーリーがどうのというのではなく、舞踊と雑伎を組み合わせたショーだった。最後に総勢100人以上の出演者が勢揃いしてのフィナーレに、客席から大きな拍手が鳴り止まない。1時間があっという間に過ぎてしまった。出口で出演者が衣装姿で我々を見送ってくれた。
 ホテルには9時30分に到着した。段さんが近づいてきて
 「どうだった。お芝居観て良かったでしょう」
 「とても素晴らしかった。いい思い出が出来ました。有難う御座いました」
 「鈴木さんコレ内緒の話ね。女紹介するよ。部屋に連れて行っても大丈夫だよ。たったの25,000円でいいよ」とまあポン引きまで始めたのである。段さんが幾ら上前を撥ねるのか知らないが、吹っ掛けてきたことか。
 「折角だけど俺、前立腺癌の手術をしちゃったから役立たずなんだ。御免ね」と断ると
 「抱くだけだって楽しいよ。20,000円でいいよ」と食い下がる。無視して部屋に向かった。

 桂林・龍勝・陽朔観光は順調なテンポで終了した。観光初日の午前中、冷たい雨に見舞われはしたが、午後からは日差しが差し始め、気温も平均気温の20度に回復してくれた。桂林市内観光も塔山登頂を含め穿山巌(せんさんがん)洞窟内散策を含め10Km近く歩いたし、龍勝棚田でも見晴台までの往復トレッキングに挑んでやはり10Km近く歩いた。漓江下りの最終日も穏やかな天気に恵まれて、高田郷ではのどかな山水画の世界に浸ることが出来た。 無理矢理連れて行かれたお土産屋も安い旅行代金なのだから仕方がないことと妥協する。Kさんとは屈託なく自然体で楽しく旅をすることが出来た。 心から感謝申し上げる。