2012年3月4日(日)~3月9日(金)





旅行会社から飽きもせず、毎月旅行案内が送られてくる。
同じように旅行パンフレットを見た友人から
「春分の日にアンコールワットの中央塔の真上から朝日が昇るんですって。ベトナムのハロン湾もセットになっているツアーがあるけど一緒に行きましょうよ」と誘われた。
一年に2~3回ぐらいは海外旅行には出たいと常々思っているから、渡りに舟と応じ、申し込みから一切の手続きを引き受けた。当初は5人程の希望者があったのに、最終的には3名での申し込みとなった。私としてもなるべくなら少しでも安い料金でと思い、カンボジアのVISA取得はインターネットからのe-VISAを検索したり、3人分のベトナム・カンボジアの出入国カードの作成まで完了させてしまった。
すると、私以外の2人は、
「主人を病院へ送迎しなくちゃならない」
「生きがい大学の卒業式と重なっていました」と云う理由で、キャンセルを申し入れてきた。旅行催行日より1ヶ月半も前だったので、キャンセル料は取られずに済んだ。が、肩すかしを喰った感じの私は腹の虫が治まらない。ベトナムやカンボジアへは既に行っているので、どうせ一人参加になるのだからと、今迄行ったことのない旅行先を物色し始めた。
阪急交通社(trapics)から《2012年春・夏お勧めコース 保存版》なる資料が送られてきた。
なにとはなしに頁を捲っていると“東洋のグランドキャニオン 中国最美の小城 武陵源と鳳凰古城”という商品が目に飛び込んできた。中国へはもう49回も行っている。が、このパンフレットの写真は始めて見るものだった。
いかにも心を引きつける2枚の大きな写真説明には、武陵源を〔世界遺産・地上に現れた山水世界 中国湖南省にある巨大な石柱の奇観〕と紹介し、鳳凰古城を〔現代の桃源郷漢民族や少数民族が共に暮らす街〕と唄いあげていた。
2011年8月にも中国の江西省九江市南部にある名山と称される“廬山”を訪れている。峰々が作る風景の雄大さは奇妙だし、険しさ、秀麗さが有名で〔匡廬奇秀甲天下〈匡廬(廬山の別名)〉の奇秀は天下一である〕と称えられ、廬山国家風景名勝区に指定されている。廬山自然公園としてユネスコの世界文化遺産にも登録されている廬山は、周りが断崖絶壁に囲まれ近づきがたい雰囲気だが、山頂付近にある牯嶺一帯には広くて浅い東谷と西谷があり、雲や霧が漂い渓流が流れる様はまさに山水画の世界で、風景の美しさで知られる保養地になっている。廬山の山中には、張学良、蒋介石、毛沢東、周恩来などの有名政治家が居住した別荘が残されていて、莫干山・北戴河・雞公山とならぶ中国四大避暑地とされている。
インターネットでデーターを調べ、暑い夏を中国の廬山(避暑地)で過ごそうと上海から新幹線で向かったものの、滞在中はあいにくの濃霧で、3日間視界10mというひどい状態で、観光どころでは無かった。いつもはお天気男の異名を頂く、好天で旅が出来た私なのに、この旅では風景らしきものを何も見ずに引き上げてきた。今迄行った海外旅行の中で最悪の旅だった。
《 この時は、昔私が身元保証人をやった上海の、元留学生を雇っての個人旅行だったので、紀行文にはしていない 》
眼に飛びついてきた 武陵源・鳳凰古城の旅行中の天候状態をインターネットで調べてみたら、連日雨のち曇りである。廬山の二の舞は御免だが、私の地域活動の日程が込み入っていて、一つ二つをエスケープさせて貰えば、〔お一人様出発歓迎日(一人部屋追加料金が45,000円の半額)〕3月4日出発が一番ベターだった。
阪急交通社は、今もカード支払いは直接営業所へ行かなければ駄目なので、今回も常時利用しているTabiセゾンに申し込んだ。電話1本で手続きが済む。他社商品なのでポイント4倍の特典や5%割引はないが、旅行代金の3%分が、JTB旅行券で貰える。
3月4日出発の最少催行人員は10名で、この時点では催行決定にはなっていなかった。
因みに 旅行代金は109,800円、一人部屋追加料金が22,500円、空港関係税4,940円、燃油サーチャージ12,280円である。
Tabiセゾンデスクから、催行決定の案内と、出発3日前に旅行代金が5,000円安くなったから、カードからの差し引き料金を変更させて頂きますとのラッキーな連絡があった。
出発2日前の3月2日の午後4時頃、ツアーコンダクターの 安藤三恵さんから電話が入った。
「今年の現地の天候状態は日本と同じく寒さが厳しいとの情報を得ましたので、防寒衣類は大げさぐらいに用意なさって下さい。雨が予想されますので傘より雨合羽をお持ちになった方が良いと思います。今回のコースは坂道や階段が多いので、スニーカーのような歩きやすい靴が宜しいと思います。僻地ですので、ホテルに備え付けの歯ブラシや石鹸などが無い場合が御座いますので、御用意なさった方が良いと思います。ツアー参加人員は15名です」との親切な案内だった。
3月2日の午前に宅配業者「QLライナー」がスーツケースの回収にきた。後は当日を待つだけである。
3月4日(日曜日)出発
出発便は13時50分なので、成田空港第2ターミナル3階の阪急交通社受付カウンターには11時50分迄に集合しなくてはならない。どうせ今日は移動だけで1日掛かってしまうから、家でぎりぎりまで時間調整をするよりも、早めに余裕を持って8時30分に家を出た。スーツケースは宅配便に任せてあるから、荷物はカメラバッグ一つである。〔TUMI〕の牛革のショルダーバッグである。バッグそのものが重い所へ、カメラと望遠レンズ、ストロボ等を入れるとかなりの重量になるが、パスポート、旅行日程表、クレジットカードや現金、諸々の書類がこのバッグ一つに納まってしまう。
いつも身軽をモットーに本なんかを持参しないのだが、中国旅行ということなので、今回は今年2月に自ら出版した中国人留学生をお世話した内容の“かけはし”と、この本の紹介パンフレットもバッグに入れた。 春日部から北千住までは満員で座れなかった。牛田駅から京成関屋駅へと乗り換え、青砥から特急に乗った。割合と空いていて座ることが出来たので、おもむろに自著の“かけはし”を取り出し、眼鏡を掛けて自分の本を読み始めた。読者の方にどんな印象を与えているのだろうか? 我ながら読みやすい文章であると思った。幾つかの駅に停車したが夢中になって読んでいたので、駅名を見る余裕も無かった。青砥から成田空港第2ターミナル駅まで約1時間である。成田駅を過ぎると地下に入る。次が下車駅だと思って急いで本と眼鏡を仕舞い慌てて下りたら、成田空港第1ターミナル駅終点だった。自著の本を読んでいて乗り越してしまったのには失笑してしまった。時間はたっぷり余裕があるから一つ戻れば良いだけだ。が、先頭車両に乗っていたから、折り返した第2ターミナル駅ホームは京成スカイアクセス線特急のホームに食い込んでいた。この路線の出口から出ると京成本線特急なら950円なのに1,130円も取られてしまう。1本のホームを途中柵で区切っている。余計に払わされるのはしゃくだから、駅員が何か言っていたが柵の隙間を通って京成本線ホーム改札口から戻り電車に乗った。
「QLライナー」のカウンターは阪急交通社の受付カウンターの傍にあった。スーツケースを受け取り、阪急交通社の係員からe-チケットを渡され、中国東方航空の手続きカウンターCへ行く。Cカウンターも直ぐ傍にあった。11時30分のチェック・インだったので、私の希望するトイレの近くの通路側座席が、国際線(54C)・国内線(51C)とも確保できた。12時20分に阪急交通社のカウンター近くに集まってくれと云われ集合地点に行く。そこで添乗員の安藤三恵さんからの自己紹介を受け、上海での入国手続きの流れ、トランジェットの際の注意などを聞いた。 ツアーに参加してきた皆さんは旅慣れた人ばかりに思えた。どなたもが70歳位かそれ以上の人だった。安藤さんは170cmの大柄で丸顔、髪の毛を長く伸ばした女性で、話しぶりからかなりのベテラン添乗員だと伺えた。
4階のレストランでビールを飲む時間の余裕は無い。説明を聞き終えるとその足で、北口出発ゲートから入場し、腕時計(ロレックス)の外国製品持ち出し届けをして出国手続きを済ませる。免税品店には目もくれずサテライト連絡シャトルに乗った。92番ゲートはかなり奥まった所なので、途中の売店で缶ビール(350ml)3本を買ってゲート前の待合所の椅子に座った。ゲートが開く迄の40分は、ビールを嗜み“かけはし”を読みながら過ごした。今回も機内一番乗りを果たした。
MU-524便は定刻に飛び立った。カメラバッグに入れておいたスリッパに履き替え、ドリンクサービスの缶ビールを飲み、旨くもない機内食を平らげる。食事中にも缶ビール、その後もリクエストすると缶ビールを持ってきてくれた。中国製の青島ビールは御世辞にも旨くはないが、ビール以外のアルコールがないので堪忍して飲んだ。
上海浦東国際空港には定刻の17時に着いた。中国への入国審査を受け、国内線の出発ゲート前の待合所に直行した。前回中国を旅行したときの元が1,200元残っているから換金の必要は無い。空港内の売店では350ml缶ビールが45元(585円)もする。(円高ドル安で1元は約13円)乗り継ぐ国内線ではドリンクサービスが無いと聞いたので、3本買って2本を機内に持ち込んだ。ゲートが開くまで2時間30分もあった。空港内の郵便局を探して日本へのはがきAIR MAIL切手4.5元(58.5円)を18枚購入しておいた。中国の街の雑貨屋で青島350ml缶ビールが2.5元(33円)と比べると、郵便料金は高いと感じてしまう。
張家界へ向けてのMU-5371便も定時に飛び、張家界荷花国際空港に23時10分に到着。各自でスーツケースをピックアップしバスに乗り込んだ。ホテルまで30分。空港から4日間の旅行ガイドをしてくれる 謝(シェイ)さんが乗り込んできた。このバスも我々ツアー専用で、4日間の観光を共にし、最終日に張家界荷花国際空港まで送ってくれることになっている。
謝さんは少数民族苗(ビョウ)族の、小柄ながら愛くるしい顔をしてた女性(24歳)で、バスで8時間かけ常徳(チャントー)からついさっき空港へ着いて合流したという。あまり日本語は上手ではないが、アニメ“名探偵コナン”を見て日本語を覚えたそうで、てきぱきとした感じだ。最初の仕事としてバスの中で換金を始めた。空港で換金するより幾らかレイトが高いといい、1万円を710元で換金していた。(今回は空港で換金してこなかったが、円高の関係で1元は13円位だから1万円は769元の筈である)
天子山大酒店は4つ星ホテルだが、ロビーに入って震えがきた。だだっ広いロビーは暖房装置がなく外の気温と変わらぬ寒さである。ホテルの従業員は雪山にでも居るような、分厚いキルティングを着て、襟巻きをしていたり手袋を填めている。早く暖かな部屋へ行きたいからキーを受け取るとスーツケースは自分で運んだ。
幸い私の部屋は(周期的に作動したときの音はうるさいが)暖房装置も十分に機能し、バスタブの蛇口から熱いお湯も出た。バスローブ(真っ白という訳にはゆかない)、スリッパ、歯ブラシもシャンプーなども付いていた。我々の到着を考慮に入れて、真夜中過ぎでもフロント脇の売店が営業してくれていたので、先ず青島大瓶ビール10元(130円)2本とつまみ、朝の歯磨き用の水(ペットボトル)を買ってから風呂に入った。
湯上がりにバスローブを着込み、18枚の絵はがきにメッセージを書き始めた。絵はがきには8年ぐらい前に旅行したときに撮影した中国安徽省“黃山”の写真を印刷して、宛名シールも貼ってある。武陵源の寄峯と黃山の奇岩が似通っているので、武陵源で売っている紙質の悪いぼやけた絵はがきよりずっと増しだからだ。何故初日に慌ただしく書き上げたかというと、中国の山奥の郵便事情がきわめて悪いので、日本到着までの日数が気がかりだからである。ベッドに入ったのは中国時間2時30分(時差マイナス1時間)だった。
3月5日(月曜日) 第2日目
枕が変わると眠れないものである。どの旅でもそうなのだが、いつもモーニングコール1時間前には起きてしまう。張家界の天子山大酒店には連泊となる。スーツケースや荷物は置きっ放しで良いから気が楽だ。 軽く柔軟体操をこなし、今日の観光の準備も済ませ、レストランが開く7時前にフロントへ書き上げた絵はがきを持って行った。すると
「メイヨ(無い)」というだけで素っ気ない。マネージャーらしき女性にも、はがきを見せながら同じ事を頼むと、手のひらを起てて横に振り、「メイヨ」なのである。これには驚いてしまった。どんな開発途上国のホテルでも、4つ星クラスならポストサービスがある筈なのに、武陵源のホテルでは取り合わないのである。このホテルにも世界中からの観光客が泊まるはずなのに、未だにこんな所があるのかと唖然とさせられた。
朝の気温は2度である。羽毛のキルティングを着ようと思ったが、写真を撮るのにガサバルから真綿入りのナイロンジャージを着た。リュックサックにはカメラと望遠レンズ、雨合羽も入れた。
7時オープンの食堂にはツアーの皆さんのお顔もあった。挨拶を交わし、バイキング料理を皿に盛ろうとして、その寂しさに虚しさを感じた。 かろうじて煮染めとお粥があるだけだった。ザーサイのたぐいで掻っ込んだ。烏龍茶もぬるかった。食堂を出掛かった頃に数点の料理が運ばれてきた。
飛行機で隣り合わせの御夫婦の部屋は、暖房が効かず布団を運んで貰い、重ね掛けにして寝てもなお寒かったそうである。
出発時間の15分前にロビーへ下り、現地ガイドの謝さんに
「はがきを書いたのだけど、フロントで受け付けてくれないんだ。どうすれば良いの?」と聞くと
「今日参ります張家界森林公園の出口に郵便ポストがあります。そこで切手も買えます」と教えてくれた。
「今日と明日の共通観光チケットを買うときにパスポートが必要です。パスポートを持ちましたか? 部屋のカードキーは必ずフロントに預けて下さい。紛失するとお金を取られますから」と案内があった。
添乗員の安藤さんが一人一人に声を掛け、専用バスへの乗車を促している。バスに乗り込むと 謝がシートベルトを配り始めた。中国の法律でもシートベルト着用を義務付けられたそうだが、このバスにはそれが備え付けられていないので昨日、常徳から運んできたのだという。長いベルトの一部を背もたれに掛け、自分の腰の部分で止める方式だ。長さの調整が旨く行かない、取り敢えず装着をしておいた。
バスは8時30分に出発した。雲が厚く垂れ込めて今にも雨が降りそうな天気である。謝 の説明では、
「曇りのち雨。もしかすると晴れます」では予報になってない。
今日と明日に掛けて1日半で世界遺産武陵源内の3つの風景区を観光する。今年は日本と同じように中国でもかなり寒さが厳しく、普通3月の声を聞けば摂氏11度位になるはずが、今年は日中でも5度位にしかならないそうだ。謝が
「今日の旅行日程を変更し、午後から予定していた索渓谷自然保護区の“宝峰湖”を先に観光したいと思います。張家界国家森林公園“袁家界景区”は後になりますが、全部御案内しますから御安心下さい」といい、いきなり少数民族の若者達が交わす唄を歌い出した。訳も解らず拍手をしたが、それは小舟遊覧をして意味が分かった。

索渓谷自然保護区の入り口で下車した。 園内を20分程歩きようやく入場口に着いた。
バス駐車場前方300mからは、渓谷の絶壁から滝が流れ落ち、濃霧で薄ぼんやりとしか見えないが、前方に奇峰の峰々の景観が広がる。実は落差約80mのこの滝も人造滝である。整備された遊歩道をしばらく歩き、やがて絶壁にはり付いた急峻な石段の場所に出た。海抜480mの山の上にある高山湖の宝峰湖に登るには施家峪口を通る道しかない。二つの山が対峙する坂は天を遮り、日を覆ってという狭さである。331段の階段の登り降りが有り40分程で湖らしき処に辿り着いた。濃霧というか雲の中に入り込んだようで、視界が数10mの世界だった。雨こそ降らないが、あれだけ急な階段を歩いてきた割には汗を掻かなかった。 他のツアー客もきていない。たまたますれ違う観光客は韓国人かタイ人のツアー客であった。
暫く待たされて30人乗りぐらいの舟に乗船した。一応屋形船だがポールに支えられた屋根だけの舟で、晴れていれば景色は丸見えでも、風雨が強ければ合羽を着込まなければずぶ濡れとなる。湖上にポコポコした奇岩が見える訳なのだが、濃霧で水面すら霞んでいる。遊覧船がすべり出すと、岸に小舟が係留されていて観光客を乗せた舟が通過すると、民族衣装を着た娘さんが姿を現し唄を歌いだす。


バスの中で謝さんが唄ったのはこのことの説明だったのである。男女が恋い慕う呼びかけの唄の後に奇声がながながと湖面に響いた。
宝峰湖はそれほど大きくなく一周するのに約30分である。この時期はシーズンオフで、遊覧船に乗った団体は5艘に満たない。突き当たりで折り返してくると、今度は若者が民族衣装を着て船べりに現れ歌を披露してくれた。「ヒュー」という雄叫びでその唄に応えた。
【 宝峰湖は武陵源の索渓峪にあり、景観区の全長は2.5㎞、最大水面幅約150m、平均水深72m、800万㎥の水を蓄えることができる湖である。1970年代地元の県が発電のために、高さ72mのダムを谷間に建設し水を蓄え灌漑を施したところ、期せずして風景の奇麗な湖ができ上がった。元の名は施家峪貯水池と云っていたが、湖が宝峰山に沿うことからこの名が付けられた。

透明無比の湖は武陵源“四大絶壁”の一つに数えられている。宝峰湖の青々とした湖水は澄んでいて湖面は鏡のようだった。そよぐ風にさざなみが立ち込め、数種類の野鳥が湖面で悠々と遊ぶ背景に“岩針峰”が印象的な山水の世界を醸し出している。1992年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された 】
下りは崖脇の人工的に造られた狭い階段を降りて人造滝の下に出た。

専用バスで武陵源の入り口へ移動した。一般の車はここまでである。コンクリート造りの荘厳な九重の塔(数年前にできた展望台で中は寺院)が正門であった。ここでパスポートが必要になる。武陵源と張家海風景区2日分のチケットは、指紋入りのICカード式で、一人一人の親指の指紋をカードに焼き込むのである。チケットを他人が使えない処置で、数カ所でカードと指紋の照合があった。 景勝地を観光するだけなのに、この厳めしさは一体なんなんだと呆れてしまった。ゲートを潜り出るとシャトルバスに乗せられた。武陵源内はシャトルバスしか走れないのである。
シャトルバスを降りるとまた階段である。天子山ロープウエー乗り場まで長い長い200段もの階段を登らされた。ロープウエイを利用する観光客は殆ど居ない。のんびりしたもので、我々を待たせてゴンドラの点検をしていた。天子山のゴンドラはスイス製・4人乗りである。高低差690m、全長2,084mを10分の高速で頂上迄登りきってしまう。
〔 天子山の名前は、土家(トゥチャ)族の指導者 向王天子が、明王朝の弾圧に抵抗し、深さ400mの谷に飛び降り自決した事にちなんで名づけられたものだという 〕
ロープウエーを降りたら雲の中である。展望台からは何も見えない。 現地で行商をしているお婆さんが靴の上からわらじを履いていた。その時は何で? という程度だった。
謝が、予定を変更したのは、天子山の頂上付近が凍結していて危ないからと判断したからだった。
時間が11時30分なので、食堂へ直行することになった。70段もあろうか急階段を降りるという。階段の降り口で行商の小母さんが、しつこく、しきりに“雪わらじ”を買えとうるさかった。
「不要(プヨ)」「不要(プヨ)」と強く言って断ったら
「正しい発音です。それで結構です」と 謝が誉めてくれた。
階段を降り始めた。両側の樹木は霧氷状態になっている。
「氷っていますから気を付けて下さい。注意してゆっくり下りて下さい」と安藤さんと 謝が大声で注意を促していた。全員が横向きになり一歩下りては脚を揃える蟹歩きである。私の後から下りてきた女性が滑って悲鳴を上げた。私の前を下りている男性も滑った。私も慎重に氷のない所を探して降りていったが、体重を乗せた軸足がツルリと滑った。 カメラを左手に持っていた。カメラを階段にぶつけたら写真が撮れなくなってしまうので、カメラを庇ったからまともに左足の腿を打ってしまった。一人で苦笑いをして立ち上がり、今度は反対に向きを変え、やはり蟹歩きで数段降りたら、また右腿を打つ転倒をして5,6段滑降してしまった。下に居た人に止めて貰って事なきを得たが、止めてもらえなかったら、踊り場のある所まで10段ぐらい滑り落ちただろう。
私のスニーカーの靴底は固いので氷りに滑りやすかった。これ以上転ぶのは嫌だから、階段脇の雪が積もっている所を歩いて下まで辿り着いた。雪わらじを売っていた意味が良く分かった。
現在では便利な携帯電話がある。謝も山頂の凍結の情報を受けてスケジュールを変更したのであるが、午前11時過ぎなら階段の氷は溶けていると判断したのだろう。だが、凍結に対する対策は取ってくれなかった。日本に帰国した後に分かった私の転倒による打撲は大腿骨にひびが入った重傷だった。初日の観光スタートの時点で転んだのは予想外だった。が、痛いのを我慢してツアーについて行くしか仕方がなかった。
天子山に食堂が数軒固まっていた。食堂は何組もの団体客が入れる大食堂だった。中に入れば暖かいと思っていたツアーの全員が、冷え冷えとした食堂にがっかりした。今時の観光地の食堂に暖房装置がないのである。出された料理も中途半端な暖かさだった。何人かはビールを頼んでいた。山頂だけに一本30元(390円)もした。腿の傷みもあって、食堂内が寒々していたので、私はこの時ばかりはビールを頼まなかった。 隣に座った石井さんがコップに一杯注いでくれた。コップというのがお粗末な、薄いプラスチックのような物なのにも唖然とさせられた。食堂の床がびしょびしょで、トイレに行くのにも薄氷が張っていて、つるつると滑った。

食事を終えて外に出たら、外の方が暖かく感じた。食堂の前に大木の根を生かした大鷲の彫刻があった。両翼を広げた姿は6mもあろうか、ど迫力のある大鷲だった。売り物のようだが、どうやって運ぶのだろうか? よけいな心配をしてしまった。
やはり凍結した階段が方々にあって、恐る恐る歩いて行くと、霧氷の氷が溶けて、霰のように頭上に落ちてきた。私は普段帽子を被らないで通してきているけれど、この時ばかりは以前九寨溝で買った、ウルフの毛皮の帽子が恋しくなった。
賀龍公園に立ち寄った。この地方出身で毛沢東と共に中華人民共和国建国の功労者として、中華人民共和国の元帥にもなった賀龍将軍(文化大革命の時四人組に攻撃され1969年獄死・その後名誉回復している)の銅像が袁家界の奇岩と同じ石英岩で彫られ、濃霧に見え隠れしていた。

【 武陵源は湖南省北西部にある景観区で、1億万年前は海であったが、自然の変化によって峰が林立し、奥深い谷間のある奇異な地形が形成されるようになった。奇異な峰や奇岩怪石が林立し、濃霧と雲に包まれると山水画のような世界を現出する。武陵源は張家界国家森林公園、索渓峪自然保護区、天子山自然保護区など三つの景観区に分かれ、奇異な山峰、奇岩怪石、幽谷、澄みきった水、深い洞窟などの[五つの絶景]がある。264㎢の範囲の中で、珪砂で形成された峰が3,000カ所、高さ400m以上の峰だけで1,000カ所もある。多くの峰が竹の子のようにぽこぽこと林立し、気勢にみちて稀に見る景観となっている。天子山と張家界には展望台が80カ所もある。武陵源には谷川がたくさんあり、滝や泉、湖などそれぞれの美しさをもっている。金鞭渓は長さ10㎞余り、張家界と索渓峪をつないでいる。鍾乳洞の数も多くスケールも大きい、その中でもよく知られているのは黄竜洞、響水洞、飛雲洞、金螺洞などである。
索渓峪の黄竜洞は長さ7.5㎞、中は4重に分かれ、ダム、川、滝、池、大広間、長廊がある。武陵源は林に覆われ、ミズスギ、イチョウ、キョウドウなど[生きている化石]と言われる稀少植物もあれば、キジ、センザンコウ、ガンジスザル、オオザンショウウオなどの稀少動物も生息している。武陵源はまさに仙境、山水画の世界である。この山深い秘境は、近くに鉄道が敷かれた1970年代に、ようやくその存在が知られるようになった。武陵山脈にある張家界は険しい峰が連なるカルスト地形の奇観で知られ、1982年9月に国家森林公園に指定され、1992年には張家界国家森林公園、索渓峪風景区、天子山風景区の三つの風景区で構成される[武陵源自然風景区]が世界遺産となった 】

天子山は武陵源自然風景区の北部・桑植県に在り、長さ40km、総面積93㎢、主峰の昆侖峰は最高標高・海抜1,262m、最低標高534mで武陵源自然風景区張家界を凌駕する景勝地である。独特な板状石峰で険しい砂岩峰群の地形になっている。数万本に及ぶ奇岩・奇峰・石柱が幾重にも連なる絶景地で、標高が高いため晴れていれば180度のパノラマ景観を見ることができる。だが、この日の濃霧は水墨画の雰囲気を味わえるが、霞んでばかりで写真にはならない。寄峯も上の部分しか見えないし、谷底は霞の中に朦朧としている。ガイドの後に付いて、筆のような岩が連なる“御筆峰(その形が向王天子が使った筆先の様に見える)”や、 “仙女献花(仙女が花籠を捧げている姿に見える)”と名付けられた峰など、様々な奇峰を目の当たりにした。長い期間の風雨による浸食で、良くもここまで様変わりしたものだと感心した。第二の桂林と唄われているが、岩山の格好から見ると、どちらかというと黃山に似ている。
謝が携帯電話で、山岳道路状況を問い合わせて、袁家界景区までのシャトルバスが運行されたとの情報を得た。道路が凍結していたら、先程の階段を登り、乗ってきたロープウエイにて下山し、別のルートで移動しなくてはならなかった。
3つの森林公園は道路で繋がっている。張家界国家森林公園エリアに入った。シャトルバスはエリアの移動に大変重宝に利用できる。約2時間の徒歩観光開始である。
歩道が展望台になっている。そこから奇岩、寄峯を見下ろすような格好になる。袁家界景区で一番の有名な“天下第一橋”を眺望できる所まで到達した。

東西両峰が連なっている(山が繋がっている天然の橋)というより、風雨の浸食によって岩がくりぬかれたものである。岩山同士が上部でつながって橋のように見える。橋の下は空洞になっていて、そこから遠くの山の絶壁が見えた。橋は地上からの高さが300m、幅3m、厚さ5m、長さが50mあり、武陵源の代表的名所の一つである。大自然の力により、厚さ5mの石板が2つの山の頂上に乗せられたように見える眺めは他に類を見ないので、“天下第一橋”と呼ばれている。橋の上は通行止めになっていた。
天下第一橋の400m東に位置する2つの台を“迷魂台”と呼ぶ。1つは東から西に向けて緩やかな坂になっている、面積100㎡のもので、もう1つはその2m下方にあり、1つめの空中石板に連なっている。晴れていれば、ここからの眺めは凄いの一言につきるそうだが、展望台の柵から身を乗り出して下を見ても谷底は霞んで見えない。

煙雨の中、雲霧がぼやけてきて、峰の群れが蓬莱の仙境の如く微かにしか見えない。時に雲霧が観光台を囲み、人を迷魂させ、方向が分からなくなることで、“迷魂台”と名づけられた。
階段ばかりが続く。先程の転倒で打った両腿が痛くなってきた。途中に博物館風の土産屋もコースに含まれていた。木で造られた蛙の背中が荒削りのぎざぎざになっていて、木魚のような空洞に棒が刺さっている。その棒で背中を擦ると蛙が鳴いたような音が出る。大中小の三種類があった。ツアーの男性が30元(390円)の小さい蛙を20元(260円)に負けさせた。面白い土産なので、私は40元(520円)の 中を20元にまけさせたら、その男性も 中に替えていた。
そしてようやくエレベーター乗り場に着いた。


“百龍エレベーター(百丈天梯)”がまた凄い。山の切り立った断崖絶壁に張り付けられていて326mを超高速の1分58秒で上下する。上下二段連の籠が3機あり1つ25人乗り、6籠合わせて150人が乗降できる。下りのエレベーターからの眺めは圧巻であった。350mの寄岩の岩肌全体をすぐ近く見ることができた。ガラスが填め込んである前面に乗ったから、下を見て足がすくんだ。高所恐怖症の人はエレベーター中程に乗ることだ。乗降枠の露出部分は上半分で、下半分は岩の中である。エレベーターを降りてから水平の地下道を進むと、テーマパークのような雰囲気の出入り口、出た所が展望台になっている。それにしても中国人のやることは半端じゃない。よくもまあこんな物を思いつき造り上げたものである。2002年5月に完成したが、[環境破壊だ][危険だ]と騒がれて一時運転を中止していた。2003年8月から再稼動したそうである。
ここから再びシャトルバスに乗って、武陵源入り口ゲートに戻ってきた。出口の前に青いポストがあった。高さは日本の昔の赤いポストより数10cm高い。はがきを投函しようとしたら、傍の売店の女性がはがきを見せろという。謝が私のはがきを差し出すと、
「なんだ、切手を買わないのか」とうそぶき顎をしゃくって突っ返してよこした。 3月5日の午後3時の投函である。こんな山奥からの郵便だ、果たしていつ頃日本に届くことやら?
専用バスに乗り換えると、茶芸店に案内された。6階建てのビル全体がお茶屋になっていて2階に案内された。試飲会場の部屋が廊下の両側に20室もあった。3種類のお茶の試飲が終わると、1階の売店を通らなければ玄関に出られない仕組みになっている。ツアーの皆さんは競ってお茶を買っていた。この店では値引きはしないが、お茶缶の蓋を取り、その中へ同じ種類のお茶を、お客が納得するまで詰め込めるという趣向だった。
ホテルに着く前にレストランへ直行した。夕食は張家界名物の“竹筒排骨”等の土家族料理である。幾つかの料理が竹筒を半分に切った器に盛られて出てきた。中国料理が竹筒に載せてあるだけで、特別な珍品料理という訳ではなかった。因みにビールは35元(455円)だった。
ホテルには午後6時に着いた。この夜、張家界少数民族舞踊ショーがオプショナルで企画されていた。300元(3,900円)の暴利である。劇場前を何度も通ったが、この僻地のことだから、たぶん暖房はしていないだろうと思った。少数民族舞踊は何度も見ているので、今回は参加しなかった。
ツアーメンバーの石井さんも行かなかったので、2人でホテルの近辺をぶらり歩くことにした。石井さんは唐辛子(鷹の爪)が買いたいと云う。料理店ならあるかも知れないと案内し、特別に分けて貰った。拳ぐらいの量で20元(260円)払っていた。石井さんが、
「日本の友人でヘビースモーカーが居る、その友人に中国のたばこを土産に買って行きたい」と言うので、たばこ専門店に案内した。高いのは1箱(20本入り)300元(3,900円)もするのがあった。一番安いのは3元(39円)だった。終戦後の日本を思い出した。石井さんは1箱4元(52円)のを1カートン買っていた。10箱で40元(520円)とは安いお土産だと思った。
私はボトルショップへ入った。紹興酒を求めたが、この地方には無いというので、54度もある720mlの中国銘酒を買うことにした。300元(3,900円)だという。200元(2,600円)なら買うと応えると、何種類かの銘酒を持ってきてあれこれ云っていたが、帰ろうとするとその値段でいいと売ってくれた。これは中国人と旅行して習得した技である。青島ビンビール1本5元(65円)も3本買った。
ホテルに戻り、風呂に入り日記を書いた後、石井さんを部屋に呼んで一緒に飲むことにした。豪華な桐箱から取り出したボトルだが、ビンの上部が焼き物で覆ってあり、なにやら金具が付いている。どうやって開けるのかいろいろやってみたが開かないので、石井さんが一階のフロントまで行って開けてきてくれた。金具を穴に押し込みどちらかにえぐれば焼き物部分が砕けて開封と言うことである。中蓋もしっかり付いているから持ち運びには心配なしだった。
中国銘酒だから、最初は生で飲んでみる。良い香りがした。適量を口に入れゴクリと飲み込むと、喉が焼けるように、じりじりしたものが胃の中に落ちて行く。
「プハー、キツいねえー。」石井さんは最後まで生で飲んでいた。私は水で割った。2人で全部飲んでしまった。