桂林・漓江下りと 知られざる桃源郷・陽朔






2003年2月19日(水曜日)~23日(日曜日)

昨年の10月に《ニューヨーク・ワシントン》を旅行した。
ニューヨークの〈同時多発テロ事件〉後、丁度一年経過していて、[貿易センタービル]の周りも綺麗に片付き、さすが世界一の大国だ、復旧も早いと感心したものである。
 ぽっかり虚ろに空いた跡地を見て、不幸な同時多発テロなんか2度と起きないことを願った。
 世界の憲兵的な役割を果たしてきたアメリカは、宗教的な違いや社会体制の違う国から敵対視されてきたことも事実であるし、世界中の世論を無視してよその国へ何度も戦争を仕掛けてきた。
 現在も忌まわしく不幸な対イラク戦争展開中で、子供達や武器を持たない婦人や老人達が苦しめられている。
 アメリカ旅行をしていて、この軍事強国をやっつけ、唯一勝利し、民族の独立を勝ち取った[ベトナム社会主義共和国]を見ずしてニューヨーク・ワシントン旅行を締めくくれない。
 そんな思いを抱き、昨年12月にベトナム縦断旅行をしてきた。
 農業を主体としたベトナムは、大きなビル群もなく、水牛が水田の主役で活躍する“のどかな、長閑”な国だった。
 こんなにも穏やかな農業国を(石油が取れる訳でもないのに)、何でアメリカは戦争を仕掛けたのだろう? アジア全体に共産党政権が誕生することを警戒したから? それだけであれほどの大量の火薬を使って、アメリカ国が赤字になるような戦争をしたのだろうか?
 私なりにあれこれ思いを巡らし、ベトナムの4つの[世界遺産]を見学してきた。
 ハノイから約4時間ほどトンキン湾を目指してバスに乗ると、[ハ(降る)ロン(龍)湾]がある。
 海面からニョキニョキ突出した 大小1,000にも及ぶ[奇岩]が海面にその姿を映し出す、夢の中にいるような幻想的な光景はまさに“海の桂林”その表現どうりであった。
 80人乗りぐらいの食堂付き船を、添乗員・現地ガイドを含めた9人で借り切り、食事を楽しみながらクルージングするのである。
 犬の形をした岩・シャモが喧嘩をしているような闘鶏岩、幾重にも重なり遠くの岩がかすみ重なる。
 地球の不思議・新しくお目にかかった顔をとっくり拝見し、堪能し、感動した。
 そしてベトナムにきて、ベトナム人の忍耐強さと優しさにふれ、アメリカに打ち勝った底力が、こうした美しい国を守ろうとした所にあったのかもしれないとも思ったりして『ベトナム旅行が出来て良かった』と思った。

 [ハロン湾(海の桂林)]を見たら、今から18年前(1985年)に一度行ったことのある中国の[桂林]が見たくなった。
 昨年は日中国交回復30周年を記念して、NHKで[桂林・陽朔]の特集を何度も放送していたので、10年ひと昔と言うが、ふた昔前とは大きく様変わりしている桂林や陽朔のたたずまいを見て、目を白黒したものである。

 栃木県佐野市堀米町(東武葛生線・ほりごめ駅)に女の妹(和江さん)が嫁いでいる。
 其処の御主人は(福地建一さん)私より二つ年上なのだが、私の妻が和江さんの姉なので、私のことを[兄]という。これがどうもくすぐったい。
 共にパソコンを覚えたてである。昨年私が[SONY・VAIO]を買ったので、調子が思わしくない「富士通MFV」を福地さんの希望もあって使って頂いた。
 その操作を私が(以前使っていた経験から)御教授に赴いた際、“海の桂林”の話が出た。 
 福地家では退職金を使って家を増築したばかりなので、海外旅行は計画外の絵空事だと言う。
 それでも私のベトナム旅行の話を大変興味深く聞いてくれた。そして
 「羨ましいな、内じゃあとても旅行になんか行けないわ」とこられると、
 「それじゃあ御招待しますから御一緒しましょうよ」てな具合に話が進む。二人は遠慮して、
 「そんな訳には行かないわ」
 「それに植木や犬が居るからそんなに長い旅行は出来ない」と辞退したから、ついでに、群馬県邑楽郡新里町(東武伊勢崎線・川俣駅)に住む妻の姉夫婦(小泉行雄・君江さん)も御招待しちゃえば、遠慮も半減するだろう? と話が大きくなった。  
この両御夫婦には、妻の母が生前大変お世話になっている。母が亡くなってからもう随分経つが、感謝の気持ちは忘れていない。

 思い立ったら吉日である。気の変わらぬ内に早い決行が一番いい。
 職場との連絡駅「京成八幡」の階段に、JTB旅行パンフレットが並べてあった。この壁から私の旅行は何回も始まっている。
 早速「JTB東京都庁内支店」へ電話をかけた。6名から催行の桂林・陽朔5日間・2月19日出発を予約した。
 [1ヶ月ぎりぎりだからキャンセルは利きません]との説明を受け 「それでいいです」と申し込む。
 まだためらいがちな福地御夫妻も、
 「予約しちゃったから早急にパスポートを取得してきて下さい」に促され行動開始である。
 一方70歳を過ぎた小泉御夫妻にとっては、パスポートと聞いただけで狼狽えてしまう。本籍が東京都の世田谷区だから、“戸籍謄本”を貰ってくる所から始めなくてはならない。
 妻が手助けをしながら、申請手続きまで漕ぎ着けて、発給待ちとなった。
 1月27日に内と小泉さん御夫妻のパスポートを都庁内JTBへ持参する。福地さんのは[書留速達]便で郵送して貰う。
 中国ビザをJTBで取得して貰う申請書を書くのにも、何せ初めての経験で、右往左往しながら、まるでお祭り騒ぎである。一切合切の書類を持って我が家に来ながら、肝心の[中国ビザ申請書]を忘れてしまった。
 日程表が2月10日に届いた。
 その間スーツケースをどうする? 貴重品を体に巻き付ける袋をどうやって拵える? 何を着ていったらいいのだろう等々、その都度電話が掛かってきたりして、まるで小学生の初めての遠足のようだった。