画伯と行く紅葉の九寨溝

10月17日(日曜日) 第6日目

軽く朝食を取り、貴賓楼発は7時。7時30分には溝口ゲートに入った。
 九寨溝内は14・16日で一通り散策し終えている。今日は同じ湖を別の角度から取材をすると言う。
 先ず熊猫海へ直行した。

早朝の[ 熊 猫 海 ]

朝が早いからだろう、湖面から白い湯気のような水蒸気が浮遊している。まるで温泉に来ているような雰囲気になった。朝日が当たる湖岸の裾に黄葉した樹木が、湖面に逆さに映り、その中間をふわふわした水蒸気が漂う。〔これは気温が低いせいで、太陽に温められた水蒸気が微細な水滴になり白っぽく見える現象である〕
 太陽が山の上に顔を出し、山を照らし出す光の動きを追うのである。柔らかな陽の景色を追って、小刻みにバスを乗り継ぎ、今朝は珍珠灘滝を昨日とは逆の方から取材した。山側の林道を鏡海まで下って来る途中の湖が美しかった。湖底に揺らぎ息づく、奇っ怪な植物が手に取るように見え、山陰になっている湖面に真っ白な水蒸気が帯状に覆っている。幻夢的な光景に思わず声がうわずった。
 柔らかな光が浴びせる逆順で見た珍珠灘滝は、全く別の滝のように見えた。山側の林道を下り、鏡海に出る。

摩 訶 不 思 議 な 鏡 海 の 湖 底

この湖も此方側から覗くと、朝日を受けた湖底の様子が摩訶不思議なのである。波で出来た紋様というのではなく、湖底事態がぎざぎざに起伏した筋(溝)模様の紋様になっていたり、数10m移動したところではミル貝の殻のような模様の湖底が、手で触れる近さに見えるのである。
 顔を出している岩の上には、綿のようにふわふわした黄緑色の苔が密生しているし、さらに少し移動すると今度は、湖底に群生する苔のような植物が湖面を緑色に変え(透明すぎて)水があることすら感じさせない。
 どの湖も一回りしてみると、見る角度ではいろんな顔をしている。たっぷり時間を掛けてじっくり観察できたこの散策は、味わい深いものであった。
 再びバスに乗り、樹正寨まで降りてきた。樹正寨(いくつかあるチベット人集落のうちでも観光地の脇に立地する村落で、訪問者が多く、多くの住宅は観光土産物店となっている。また有料で住宅内を観覧できるところもある)の見学はパスして、大きな水力のマニ車がある“磨房”から桟橋を渡って対岸に出た。
 “樹正群海”を対岸の遊歩道に沿って下って行くと、幾つもの濃紺の湖が並んでいる。 次に“臥龍海”へと続く。ここから樹正寨全景を仰ぎ見ることが出来る。

[ 樹 正 寨 ]のタルシンとチョルテン(仏塔)

かなり高いところに数十本のタルシンが並び、真っ白な九基のチョルテン(仏塔)が目映い。山を背にした滝と、濃紺の湖面にチベットの建物がとても良い具合に溶け込んでいた。
 湖が階段状に並び、樹木を縫って横に100mほどの渓流が流れ、各所に1.5mほどの横に長い滝となっている。

 この独特の景観は水に含まれる大量の石灰分によるところが大きい。棚田状の湖群をつくる堤防(石灰華段丘)は石灰分の沈積によって形成されたもので、水流の中に生育する森林という独特の景観もこうした岩に依っている。また透明度の高い湖底に沈んだ倒木にもその表面に石灰分が付着し、いつまでもその形を留めていることも独特の景観に一役買っている。
“臥龍海”迄降りてくると、遊歩道は通行禁止で、青いトタンの塀で遮られていた。
 「通行止めだ。楊さんどうしますか?さっきの所まで戻りますか?」
 「塀があっても大丈夫ですよ。私は何回も来ていますから心配ないですよ」
 それでなくとも、此方側の遊歩道を歩いている人はいない。半信半疑で、塀の横から歩行禁止区域へ潜り込んだ。遊歩道は完備している。途中“火花海”の横に木造の休憩所を建築中だった。この辺りまで降りてくると、海抜も2,200m位だからか、赤く紅葉した樹木がちらほら目立つようになった。エメラルドグリーンの湖面に逆さに映る黄色や赤は[絵]そのもの、綺麗だしとても美しい。
 昨日感動した真っ青な湖面が盛り上がった時間差の滝へ今朝も訪れた。どうしてあんな現象になるのか? 謎の多い火花海の印象は、生涯忘れることはないだろう。
 さらに降りてくると “双龍海”“芦葦海(あしのうみ)”と続く。

“ 双 龍 海 ”

途中ですれ違った旅行者はたったの3人だけだった。やはり塀を潜ってきたものか? 
 芦葦海はその名の通り芦が生い茂る湖である。遊歩道の脇にはススキも群生している。枯れきった茶色の芦を、楊さんは綺麗だといい、ここからの眺めを何枚も[絵]にしたと話していた。群生した芦の林の下流の水は無色透明で、微風も感じられず波もなく、真っ青な空や山の樹木をクッキリ映している。ぽっかり浮いた雲もこの風景に彩りを添える。
 〔九寨溝を強く印象付けるもののひとつに、独特の青い水があげられる。白い砂地の場所に少しの水が流れている状態でも水は僅かに青く見える。この青い水の理由は一般に水中に溶け込んでいる石灰分(炭酸カルシウム)の影響であるとか、湖底の苔によるとか、光の屈折率によるものなどとよく言われる。九寨溝の水は飽和した炭酸カルシウムが微細な浮遊物を核として沈殿するために極度に透明度がよい。そのため、深さ20m以上の湖底までもより浅く感じられる(浅く見える理由は水と空気の屈折率の違いによる)。水は可視光の内、長波長の成分(赤い光)を吸収する性質がある。そのため深みでは、水面から入射して湖底で反射した光の内から青い光だけが眼に多く届くようになり、結果として青い水に見える。また、深みでは光量が減少して暗くなるために水の青さに深みが増す。
 微細な浮遊物のために水中の浅い所での散乱が多いと、赤い波長部が十分に吸収されていない光も併せて届くようになり、水の色は青みが薄まる。湖底に苔が生えている場所では青みに緑や黄色が加わる。かつ太陽光や空の状態も影響し、加えて水面で反射する光にもよって、神秘的に変化する色彩が生まれる〕

 私の旅は何時も好天に恵まれる。今回も4日間風は穏やかだったし、そのお陰で対岸の景色も美しく映った。空も湖底も水中に見ることが出来た。
 樹正群海から“盆景灘”まで約4kmを散策してきた。

“ 盆 景 灘 滝 ”

盆景灘は“荷葉寨(チベット族の一番下にある村)”の前に広がり、広い河原から透き通った水が、いろいろな潅木の間から流れ込み、手で拵えたような盆栽を沢山並べたような美しさである。それで盆景(盆栽)灘と呼ばれるようになった。
 盆景灘の桟橋はやはりトタンの塀で囲ってあって出ることが出来なかった。
 「出口が塞がれちゃっているけど、どうするの?」
 「大丈夫ですよ。この先に道がありますから」
 成る程楊さんは九寨溝を良く知り尽くしている。100m程下ったところに桟橋があった。盆景灘が一番下の湖で、10分ほどバスに乗れば溝口ゲートである。
 盆景灘からバス道路を隔てたところに“荷葉寨”がある。

“ 荷 葉 寨 ”

九寨溝の一番下に位置するチベット族の現在残っている3つの寨の中で一番大きな村である。チベット族の伝統的な木造家屋は、赤・青・黄・緑の原色を基調にしたカラフルな装飾で彩られている。外壁といわず、窓枠、柱、扉まで動物や花の文様で塗り尽くされ、室内の壁や天井も原色の模様で埋め尽くされている。
 チベット族風の建物で有名なこの村の、各家の前にもタルシンがはためき、大きな家の庭先にはチョルテンが据えてある。
 かつて旅籠だったという大きな家の玄関先にはぴかぴかの車が止められ、かなり豊かな暮らしぶりが伺える。世界遺産に指定されてから自然保護に転じ、林業や農作業が御法度にされたので、生計は九寨溝内の観光事業に従事して立てている。
 楊さんが一番最初に九寨溝へ来た時、この村の民宿に泊まった事があるという。インターネットで調べたところ、以前から有料入場エリア内での宿泊はできない建前であったが、実際には各集落に民宿が存在した。しかし、2009年から規則が厳格に運用されるようになり、現在は有料入場エリア内での宿泊は完全に禁止されているとのことだった。
 入場口に近く土産物売り場もないこの村を訪れる観光客は皆無と言っていい。楊さんが村の人に聞きながら食堂を探し当てた。一般の街みたいな看板も出ていないごく普通の民家だから、これが食堂かと思った。庭の広い大きな家なので、奥の方まで探し歩いたら食堂は一番手前だった。土間になっている天井の高い広い部屋に、3m程の長いテーブルが左右に2つずつ4つ据え付けられている。高さは40cm位、椅子もテーブルと同じ長さで高さが15cm位しかない。足の短い私でも足をどうすればいいのか戸惑ってしまう具合の悪い高さであった。
 メニューは普通の中国料理で、街のレストランと同じ物を拵えてくれる。ビールも置いてあるが冷えてはいない。ゆっくり時間を掛けて静かな雰囲気の中で昼食を楽しむことが出来た。料理5品とビール3本で84元(1,260円)と安かった。チベット人だけが生活するエリアだから、この賽は観光地外物価なのだろう。
 女主人の話では、この家は今でも民宿をやっているから何時でも泊まれるという。現在九寨溝での2日間有効入場券の発売は2008年春から廃止になったが、チケットをいちいちチェックする訳ではないから、入場した後、ここで泊まれば1泊120元(1,800円)で、何日居ても一日分でOKだそうだ。部屋を覗いたら、私達の貴賓楼より綺麗で、ベッドも清潔だし暖房装置も付いていた。が、トイレは大昔のままの、家の一番奥の庭に造られたヒューストン方式なので、その臭いのなんのって、トイレを見ただけで泊まる気はなくなった。
 この地“九寨溝”は少数民族のチベット族の村(山寨)が9つあったことから、九寨溝という名がつけられた。中国随一の観光地化開発に伴い、そのうちの6つの塞の住民は強制的に立ち退かされたり疎開させられてしまった。現在残っているのは観光道路沿いに“則査窪塞” “樹正寨” “荷葉塞”の3つの集落だけである。
 楊さんから聞いた情報によると中国政府は3つの塞に住む住民との調和を図り観光事業に協力を求める代価として、1家族に年25,000元(375,000円)を支払っているそうである。ここで生活している村人達の生活道路は溝口ゲートとは別にあるようで、電話をくれれば迎えに出ますと言っていた。

“ 小 金 鈴 海 ”

 午後は再びバスを乗り継ぎ、再び箭竹海へやって来た。楊さんの赴くままに、熊猫海を取材し、小刻みにバスを乗り継ぎ、余り名の知れていない“小金鈴海”の散策もした。さらに“珍珠海”へと下る対岸からの湖は濃紺のブルーに染まり、山全体が7色の樹木に包まれた九寨溝の秋を展開している。
 “珍珠灘滝”にも夕方の柔い光が注ぎ、滝の一筋一筋に憂いがこもったしっとりさが感じられる。
 今までも世界中のあちこちで沢山の景観を見てきたけれど、今回九寨溝でこんなに長い時間いろんな角度から景色を堪能できて本当に幸せだと感じた。ここが最後の珍珠灘滝、名残惜しい分も含めて撮影納めとし、午後4時30分に九寨溝を後にした。
 明日は成都へ向けての帰り旅である。楊さんは何時ものようにパソコンで写真の整理を始めた。私はシャワーを浴びて日記を付けて、明日の出発に備えてスーツケースの整理をしておいた。夕食は肉料理店に入ってみた。九寨溝は山奥なので、どの肉も冷凍保存品ばかりである。バーナーの火力で、素早く料理を拵えてくれるけど、新鮮味がないと楊さんはがっかり。カップパックとビール3本と7品の料理で、230元(3,450円)だった。
 先日ホテルの商店街で買ったジャーキーを、奥様に頼まれたから買って行くというので、私も便乗して三種類のジャーキーを買った。それぞれ1kgずつ計って貰い、それを3つに分け真空パックして貰った。お土産はこのジャーキーだけである。スーツケースに入るかどうかが心配だった。
 日中陳さんとの電話の遣り取りで、明日の九寨溝から成都までの車代は1,300元(19,500円)と言うことで折り合いが付いた。楊さんがシャワーを浴びて荷物の整理をしている間、私は一人でビールを嗜んだ。