画伯と行く紅葉の九寨溝

10月16日(土曜日) 第5日目

 6時起床、食堂へ直行。何時もの朝食を食べ始めたら、隣のテーブルの団体の男性が、私達のボールのお粥を勝手に茶碗によそい始め、別の女性は饅頭を掴んで立ったままで食べている。楊さんと顔を見合わせてしまった。開いた口が塞がらないというのはこの事で、余りもの厚かましさと、礼儀知らずに困惑し圧倒されてしまった。このレストランは食べ放題だから、催促すればいくらでも持ってきてくれるのに、出発の時間に迫られているからか、普通考えられない行動を本人達は何とも思っていないのだろうか? 何ともしっくりしない後味の悪い食事となってしまった。
 7時に貴賓楼を出発、7時30分には九寨溝へ入場していた。今日はしっかり行き先を確かめてグリーンバスに乗り込んだ。
 “鏡海”で下車。

“ 鏡 海 ”

私は何時ものように羽毛のキルティングを着てきたが、楊さんは
「それじゃあ寒いよ」と一言アドバイスしたのに、
「歩くと暑くなるし、身軽の方が良いですから」と、三脚とコートを置いてきてしまった。
 好天で空は真っ青である。すでに日は昇っていても、山影になった湖畔の冷え込みは厳しい。吐く息は真っ白だし、手袋が欲しいくらいだ。楊さんはコートを置いてきたことを後悔し
「寒いですね」と身体をすくめ、ぶるぶる震えていた。
 楊さんはここで、太陽が山の稜線から顔を出し、朝の柔らかな光が鏡海を徐々に照らし出すのを待つのだという。同じような考えのカメラマンが数十人三脚を立て、じっと湖面にカメラを向けていた。
 あくまで蒼い湖水に太陽の光が照らし出すと、黄葉した樹木が艶やかに、逆さ絵に写り始める。光の当たる広がり加減で水の色彩が微妙に変化して行く。一般の観光客には、こうしたファンタジックな景色の流れのメロディーを待って観察する時間もないから、これは贅沢な旅なのだとつくづく思う。
 小1時間程鏡海の光の変幻を撮影し、上を目指してバスに乗り込み30分走って“箭竹海”で下車。

“ 箭 竹 海 ”

車道から20m程下がったところに遊歩道が施設されている。
 この湖の特徴は水深を感じさせない透明度の良さである。湖底は厚く沈殿した石灰が乳白色に広がり、倒木も白く見え、不思議なことにそこから新しい若木が芽吹いている。
 車道の対面の遊歩道を撮影しながら降りてくると、“熊猫海”に出てくる。同じように蒼く見える湖水も、湖ごとのそれぞれの色合いを持っている。どの辺りでパンダが水を飲んでいたのだろうか? かつて森から出てきたジャイアントパンダがこの湖で水を飲んでいたことから熊猫海と名付けられたのだそうである。
 湖の上に遊歩道が敷いてある。今朝の水量はまあまあ多い方で、熊猫海から木道の階段を下りる右手に凄まじい“熊猫海滝”を楽しめる。落差30mはあろう。
 楊さんの足が釘付けになった。[絵]にするには格好の風景である。滝を過ぎてからは樹木の中を流れる渓流がなだらかに続き、 “五花海”に繋がっている。

五 花 海 [ 孔 雀 海 ]

 五花海は九寨溝の中でもっとも澄んだ湖だと言われ別名[孔雀海]とも呼ばれている。
 九寨溝には108余りの湖沼があるが、この五花海だけに魚が生息している。薄茶色をして鱸(すずき)のようにスマートな姿、炭酸カルシウム水で生き抜く課程で鱗が無くなり、平均15cm位の大きさである。この1種類だけと言うのも不思議である。天然記念物に指定されているから、捕ってはいけない。
 “顆粒裸烈香魚(かりゅうられつこうぎょ)”と言う名で、湖面に落ちてきた昆虫や、湖底に生えている200種類の藻類を食べ、沈殿する石灰華を口に含み〔咽頭骨(石灰中のバクテリア)〕のみを吸収し、脇のえらから石灰を押し出す。遊歩道に人の気配を感じると、餌を貰おうと沢山群がってきた。無論餌をあげるのは禁止である筈なのに・・・・・
 8年前は五花海だけに住んでいた顆粒裸烈香魚は、今は熊猫海や箭竹海でも見ることが出来る。人為的に移動したものだろうか?

 箭竹海から熊猫海・五花海を下り約6km歩き“珍珠灘滝”へ出た。

“ 珍 珠 灘 瀑 布 ”
ウエディングドレスを身につけたモデル

 “珍珠灘瀑布”は、滝上の渓流の幅が310mもあり、最大の落差は40m、横に長く幅約160mに及び流れ落ちる勇壮な滝である。カルシウム質の扇状灘である珍珠灘の上流から流れてきた水が、崖から滑り落ち、広い新月型の滝を形作っている。珍珠灘遊歩道に沿って道を下ってくると、右手に現れる壮大な滝が珍珠灘瀑布だ。
 遊歩道のかたわらを緩やかに、長く様々な潅木が立ち並ぶ浅い灘があり、浅く早い水流が、岩肌の凹凸にぶつかって弾け飛び、水しぶきが太陽に反射して真珠(珍珠)のように見えるので、珍珠灘の名がついたそうである。この瀑布にもウエディングドレスを身につけたモデルを連れた撮影隊が来ていた。
 幾つもの瀑布や滝を観てきた。午後からは九寨溝最大の瀑布を観ることにして、12時近くになったので、バスに乗りY字状のルートの交点にあたる所迄戻った。
 ここには[諾日朗(ノーリラン)観光センター(旅遊服務中心)]があり、5,000人が一度に食事をすることが出来るビッグなレストラン・軽食コーナー・売店などがある。また、この場所はグリーンバスの各路線の乗換えターミナルにもなっている。
 九寨溝内には、“九寨溝民族文化村”とか前日カップヌードルを食べた“則査窪塞”等で軽い食事は出来るが、環境保護のためと称してレストランはこの場所にしか無い。
 近代的なレストランで、1階には大きなスペースの土産物売り場、2階・3階は洋食、軽食、鍋料理等々の食堂が在る。2階に麺類コーナーがあったので、肉スープ麺を食べることにした。ここの料理で一番安いメニューが43元(645円)だと言うから篦棒(べらぼう・暴利)である。
 楊さんが調理カウンターに注文を入れると、
 「現金は扱わない、入り口のカウンターでカードを買え」と言われた。 カードはデポジット料金20元(600円)を別に取られ、注文するメニューの金額以上を買わなければいけないのだという。注文したメニューの領収書をカウンターに持って行き清算後、面倒なことにカードのキャンセルをし、残りの現金を取り戻すシステムなのだそうだ。
 注文を受けたウエイターは実に事務的で、笑顔一つ見せず引き吊った表情で、持って行けと言わんばかりに丼を置くので、楊さんはいよいよ頭に来たようだった。
 私の為にビールを注文したら、
 「ここには置いていない」
 「何処なら買えるの?」顎でしゃくるだけの無言だった。楊さんが外の売店で1本15元(225円)のビールを買ってきてくれた。ウエイターに栓を抜いてくれるよう頼むと、
 「メイヨ(無いよ)」とだけ。苦労して何処かで楊さんが栓を抜いてきてくれた。
 「コップを貸して」と言うと、
 「紙コップ10元(150円)」とだけの答えだった。
 「同じ中国人として恥ずかしい。私達はお客なんですよ」
 「毎日沢山の観光客が来てくれるのに、ここの責任者はどんな教育をしているんでしょうね?」私も不快だった。
 私は中国人はこんなものだと慣れっこになっているから、楊さんほど腹も立たないし、気にもならないが、接客の精神の「せ」の字のかけらも持ち合わせていなかった。
 「10元在ればもう1本ビールが買えるじゃないですか? 随分客の足下を見ていますね? コップなんか無くても大丈夫ですよ」最近になって久しぶりにビールのラッパ飲みをした。楊さんが食べる頃には肉スープ麺は冷めてしまっていた。
 「不味い」
「私もそう感じたけど、それにしても酷いですね?」
 中国人観光客に味について聞いてみたら
「中国一まずいレストランの中華だった」と言っていた。
 午後は“諾日朗瀑布”見学から始まった。

“ 諾 日 朗 瀑 布 ”

樹正、日則、則査娃の三つの溝からなる、Y字型渓谷のほぼ真ん中に位置する諾日朗瀑布は 海抜2,365m、入場ゲートから約15㎞の所にある。滝幅が320mと横に長く、道路を隔てた展望台から眺めてもカメラには納めきれない。落差は30mである。
[諾日朗]とはチベット語で“男神”を意味し、壮大とか雄大という意味も持っており、パンフレットに用いられている九寨溝を代表する滝である。
 水の落ちる途中に岩の出っ張りが幾つもあって、2段3段にはじけ流れている。この日の水量は多めで、近くで見ると連綿としているが、離れて眺めると黒い岩肌を縫うジャンボ白糸の滝である。ここにも可愛いモデルを引き連れた撮影隊が、大滝をバックに写真撮影をしていた。

此処でもモデル撮影会

カメラが濡れないように工夫しながら撮影し、滝の飛沫を浴びながら滝に沿って歩いて行くと、その先が林道になり車道に出られる。
 楊さんの行程には、この車道をゲートに向かって下り、高い視点から右下に犀牛海・老虎海・樹正群海・臥龍海・火花海を撮影する計画もあって、車道下に遊歩道があるところでは其処まで降り、約8.5km歩いた。落差の低い横に数十メートルもある樹木の中をかたどる滝、蒼い湖底に龍が眠るごとくの模様に生えている黄色の水草、ブルーとグリーンそして紫色に映る湖面の中に小さな白い雲が浮かんでいる。
 こうした散策も今回が初めてで、九寨溝の人知れぬ魅力を十分に探し当てたような気持ちに浸れた。
 最後に“盆景海”を散策した。

湖面が盛り上がる滝

対岸まで遊歩道が掛けてある。途中私の胸ぐらいの高さに、火花海の透き通ったエメラルドグリーンの湖面が盛り上がり、両脇を岩に挟まれた1.5m程の間から盆景海へ落ちる約1mの滝があった。飛沫の泡は真っ白で、遊歩道の下を流れて行く。夢の中にいるような思いで、感動し夢中になって勢いシャッターを押した。
 午後4時九寨溝を出た。7時に民族舞踊を見に行くことになっているので、其れ迄に日記を付け、シャワーを浴びておいた。楊さんも今日撮った写真の整理を終えてシャワーを浴びた。夕食は観劇の後にした。

 午後7時に陳の車が迎えに来た。“民族舞踊ホール”はチベットのゲル(包)を模した1,000人が観劇できる劇場である。

大 型 藏 族 原 生 态 歌 舞 乐〔 藏 謎 〕

この日の出し物は大型藏族原生态歌舞乐〔藏謎〕である。〔五体投地で巡礼を続ける老婆が、ヤクのお化けや、悪霊などから迫害を受け仏陀の慈悲で天国へ行き、その後を孫が受け継いで五体投地の巡礼を続ける〕というストーリー、間に近代的なダンスや民族舞踊が華やかに繰り広げられるものであった。奇抜な衣装に照明、琵琶を奏でながら33人で踊る男性の群舞や、女性が腕をつなぎ合わせてウエーブを見せるファンタジックな振り付けが見応えだった。
 日本人ツアー客が沢山来ていた。オプショナル料金を幾ら払ったのか聞いてみたら、250元(3,750円)だと言う。これも酷い話ではないか? 我々が80元で観られたように、団体割引なら同額料金でチケットが手に入る筈である? おそらく旅行代理店が仲介料を大儲けした為だろう。観光地に便乗した打つ悪辣な便乗ぶりに、他人事ながら腹が立った。
 ショーは9時に終わった。劇場の外に出ると、各ホテルからの出迎えのバスや乗用車でごった返していた。陳さんとの待ち合わせ場所まで歩き、ホテル近くまで送って貰った。楊さんがタクシー代を払おうとすると
「タクシー代はお友達になったのだから要りません」と言うので、“土鷄火鍋”を一緒に食べた。鷄肉類が全て冷凍で新鮮でないと、楊さんは御不満だった。例の器パックとビール3本と料理代は320元(4,800円)だった。
 「葉書は切手を貼って出しました。4.2元の切手はありません。葉書1枚で5元取られました」
 「有難う。葉書を出して貰ってほっとしました。おつりは少ないけど手数料です。それにしてもせこいですね」
 日本から作成して持参した九寨溝の絵はがきは、すったもんだの末ようやく投函できたようだった。後日談になるけれど、葉書を受け取った友人からのお礼の電話で、「乱雑に切手が3枚も貼ってあった」と聞かされたが、取り敢えずは陳は葉書を出してくれたのである。