
10月15日(金曜日) 第4日目
午前6時15分起床、寒さ対策宜しく素早く支度をし、30分に1階の食堂へ入った。大型バスが2台ほど来ていたから食堂は団体客でいっぱいだった。立ったままで食べたり椅子に荷物を積み上げ仲間の場所確保で大声を張り上げている。
中国人団体客の喧しい食事風景に圧倒されつつ、隅の方で昨日と全く同じ内容の朝食を食べておいた。
7時に貴賓楼を出ると、少し前の方で陳のタクシーは私達を待っていた。何も資料がないので、紹介のしようがないのだが、我々が目指すのは若爾蓋(ゾルゲ〔ヤクが好きな所と言う意味〕)県にある“熱爾大草原”と“花湖”である。九寨溝から神仙池(九寨溝発見以降発見された景勝地)の脇を通り片道約190km(5時間30分)である。
幾つかの峠を通過し、四川汶川大地震で壊滅後再復興中の近代的な建造物を左右に見、大草原らしき所に出た。海抜は3,500mと言う標識が出ていた。延々と片側1車線のアスファルト直線道路が延びていて、両側には高さ7~8m のコンクリートの送電線が5列、いやもっとあろう平行して伸びている。
〔若爾蓋県は中華人民共和国四川省アバ・チベット族チャン族自治州の最北部に位置する県である。チベット高原の北東端、四川省・甘粛省・青海省の省境付近に位置する。
青蔵(チベット)高原はユーラシア大陸の中央部に広がる世界最大級の高原で、チベットの領域とほぼ等しい。虚しいかなこの高原には、中国の核廃棄物の処理場が点在しているそうである。
南境にはヒマラヤ山脈、西境にはカラコルム山脈、北境には崑崙山脈・阿爾金山脈・祁連山脈、東境には横断山脈が走り、7,000~8,000m級の高峰が連なる。東北部には面積200,000㎢のツァイダム盆地や青海(ティショギャルモ)湖がある。
20世紀後半からこの高原の大部分を領有している中華人民共和国は西蔵・青海などの諸地方に区分して、両地方の略称[青][蔵]をあわせた青蔵高原としている。この高原は現在の中国領土の約23%の面積を占めている。また、チベット亡命政府が領有を主張している地域ともほぼ一致する〕


楊さんはこの大草原の景色にも興味を持ったようである。
行けども行けども見渡す限り、丘陵地帯の草原が広がり、10cmに満たない草が覆っている。いわゆる森林限界線を超えた、木が全く存在しない大地である。何時も強い風にさらされているステップ気候と言われるこの草原地帯は、高地である為一年中低温だから樹木が育たない。なお、植物生態学的には、水草のはえている場所も草原として扱うそうだから、花湖も草原に含まれるようだ。
海抜3,500mもあるのに、[世界の屋根]と呼ばれる青海・チベット高原は、地球の南極と北極に次いで[第三極]とも称され、その東の縁には世界で最大の高原泥炭沼沢湿地がある。第4紀ごろにヒマラヤが造山運動して形作られた沼沢が、ゾルゲ湿地なのである。
ゾルゲ湿地は、四川省のゾルゲ県、紅原県、甘粛省の碌曲(ルチュ)県、瑪曲(マチュ)県などを含み、6,180㎢の広さにおよぶ。湿地は人類の生存、繁殖、発展と密接な関係にある。
人類にとっても大切な生存環境である。陸地にある天然の貯水池と称される湿地は、常に水を蓄えて旱魃の備えにもなっている。〔湿地がなければ水がない〕といわれるのは、そのゆえんである。また気候を調節し、土壌の浸食をコントロールし、泥砂などを堆積して陸地を造り、環境の汚染を防ぐなど、とても大切な役割も果たしている。
中国の母なる川、黄河の上流にあるゾルゲ湿地は、貯水量が多いときには8億4,000㎦になり、絶え間なく黄河に[体液]を送り出すことから、[中国の腎臓]とたとえられてきた。
ゾルゲ湿地には、オグロヅル、コウノトリ、ナベコウ、ハクチョウ、オオハクチョウ、ハゲワシ、トビ、ハヤブサ、チベットガゼルなど、多くの珍しい動物が生息している。特に絶滅の危機に瀕しているオグロヅルは、夏の時期、世界の野生オグロヅルの50%を上回る900羽以上が、この湿地で繁殖する。
楊さんは2007年10月 にアスファルトに舗装整備された国道213号(有料)の両脇を流れる水の景色に惹かれ、何度も車を止めては撮影していた。
旧ソビエト連邦旗の左側に、白地に縦書きで中国工農紅軍と書かれた旗を掲げ、当時の服装の工農紅軍兵士3人が立つ、(たぶんコンクリートで作ったと思われる)記念碑がぽつねんとあった。
其処に鞍を付けた痩せた黒い馬が1頭繋いであった。楊さんがその馬を何枚も撮影していたら、何処からか忽然とチベット人の男性が現れ、握手を求めてきた。なんのことはない、馬の持ち主で、馬に乗って写真を撮るだけで10元(150円)だという。楊さんは馬に乗るのは初めてだと言いながら、私に記念写真を撮ってくれとせがみ、円を描くように50m程手綱を引いて貰っていた。

この辺りからヤクが見え始めた。この豊富な草と水がある限り、ヤクや羊が何百万頭いようと、食べ尽くすことはないだろう。

チベット族の民家が見え始める。どの家にも数本のタルシンが立てられ、経文がはためいている。何処の家にも、家屋を背に垂木を立てに組んだ広い囲いがある。夜になるとヤクがこの囲いへ帰ってくるのだろうか?100頭くらいは入る大きさであった。
遙か遠くに見える丘状の山の中腹は、何万という五色のタルチョで埋め尽くされていた。
若爾蓋(ホルヘ)の町に入った。県庁があるというこの町は高層ビルはないけれど、きちんと整備された首都らしい佇まいの街であった。放ち飼いのロバが2頭道路の真ん中を歩いていた。

成都を出る時から、大きな街を通る度に郵便局を探してきた。若爾蓋に来る途中の街で、郵便局を探したが、その街にはなかった。若爾蓋なら在るだろうと、何人かの人に聞きながらようやく郵便局を探すことが出来た。日本までの航空便葉書の切手を18枚というと、係員は料金が幾らだか解らないのである。
「4.2元(¥63円)ですよ」と教えると、
「4.5元分の切手しかない」と言うので、
「それで良い」と答えたら、1枚の葉書に細々とした切手を6枚も張らなければならないので、購入するのを止めてしまった。差出人住所のシールは貼ってきているし、メッセージも書いてある。6枚の切手を貼るスペースがない。残念だが、九寨溝まで戻ってから何とか考えることにした。
郵便局から出てくると、陳がしょんぼりした顔をして、
「警察に写真を撮られた。後で罰金される」と言うのである。郵便局前の道路は工事中だった。陳が運転席にいるのだから、一言退けと言われれば停車違反なんかにならなかっただろうに、中国では警察に写真を撮られたら、アウトなんだそうである。
車を駐車OKの所に止めて、昼食をすることにした。“刀削麺”と言う看板が目に付いた。捏ねたうどん粉を刀で削るスープ麺である。これなら私にも食べられる。ビールを注文したらその店にはなく、余所へ買いに行ってくれた。金ラベルで1本10元(150円)だった。無論冷えていない。楊さんがビールを買ってきてくれた女主人にチップを渡そうとしたら、頑強に拒否され受け取らなかった。チップというものを知らないし、そういう習慣がないのだろう。
「陳さん、罰金って幾ら払うんだ?」と気になる罰金額を聞いてみた。
「200元(3,000円)です」陳はすっかり悄気ちゃって、これから先のドライブが思いやられる。
「私が郵便局に用事があって連れて行って貰ったんだから、罰金は私が出してあげるよ」200元を手渡すと、一気に相好が崩れ、嬉しそうに 「シェイシェイ」と何度もお礼を言われた。何処の国も雲助家業の者は抜け目がない。
「楊さん、写真を写されただけで罰金だなんて本当かね?」と聞いてみた
「たぶん? 取られないかも知れませんね?」楊さんも首をかしげる
刀削麺は[大]が10元(150円)、[中]が8元(120円)、この店のメニューにはその2種類しかない。私達は[中]を注文した。日本の中華ソバ屋の特大盛り位の大きなどんぶりに、溢れんばかりの刀削麺と野菜が入っていた。とても食べ切れたものじゃない。然し、現地のお客はもっと大きなどんぶりの[大]を注文し、ぺろりと食べてしまった。
若爾蓋の町を後にして、再び国道213号を北進した。途中でヤクの大群(約300頭)に道路を塞がれてしまった。

陳は停止してヤクが退いてくれるのを待っている。一向に通り過ぎる気配はない、何時まで待つのやらと気を揉んでいたら、後ろから来た乗用車が警笛を鳴らしヤクの群れに突っ込んでいった。陳はその後ろから付いて行く形となった。
「鈴木先生。ヤクがセックスしていますよ。ほら、真ん中の大きなやつです」と指をさす
私は見損なってしまったが、種牛とでも言うのであろう、一際大きな牡のヤクが雌の後ろから馬乗り(牛乗り)になっていたと言うのである。ヤクを先導する犬がいる訳でもなし、人の姿も見えない。ここはヤクの天国、ヤクの王国なんだなと言う気がした。
海抜3,800mの標識を通り過ぎ、午後2時、ようやくゾルゲ湿地にある九曲黄河第一湾“花湖”(元の名前は「熱爾湖」ゲルゼ)風景区の入り口に到着した。

6~8月になると湖の周りにさまざまな花が咲くことからその名が付けられたそうだが、この時期だから一輪の花も見ることが出来なかった。
国道から200m程入ったところにチケット売り場があった。一人50元、入場口から湖面まで5kmもある。環境保全の為とかで、屋根に椅子が付いただけの移動電動バスの料金が20元(300円)もセットで買わされた。トロッコ電車を連想していただければいい。フロントガラスも付いていないし、狭い専用のコンクリート道路を時速40kも出しているのだろうか? 顔にまともに風が当たるので、100kも出しているように感じ、湿原に落っこちやしないかはらはらした。
広い領域がヘンスで囲われている。観光客はトロッコバスに乗って湿原を突っ走り、湖面近くの乾燥地にある駐車場迄行く。
このだだっ広い花湖に観光客は30名ぐらいしか来ていない。

花湖の周りはアシに覆われた沼沢で、駐車場から水辺まで約200mあり、人工の板橋を歩いて湖上へ出る。湖上には木道が整備されている。木道を下りて草原の中に入ることもできる。標高は3,500m、空気が薄いとは感じない。湖に近づくにつれて草原が湿地帯になり、張り巡らされた木道の途中数カ所には展望台もある。
湖面はさざ波が煌めき、水鳥が飛び、水に潜って餌を探したりしている。木道の脇の50mぐらいの草地に、オグロヅルが2羽餌をついばんでいた。私に気付き警戒し、暫く私を見つめていたが、2mにもなろうかという羽を広げて飛んで行ってしまった。
草原と沼沢には草が一体になって広がり、肉眼ではその境目が区別しにくい。こういう現象を、湖沼学では〔浮毯(浮き絨毯)〕と言う。沼沢の水面には、浮葉植物の根が絡みついて天然の絨毯を形成し、さらに野原の草の根とも繋がって、無数の落とし穴が出来あがり、其処へ落ちると命が助からないそうである。
〔70余年前(1934年10月)紅軍が長征中(中国工農紅軍が国民党軍の包囲攻撃下で江西省瑞金の根拠地を放棄し、国民党軍と戦いながら福建・広東・広西・雲南・四川など等の各省を経て、翌年陝西省北部に到達するまで12,500kmに渡る大行軍をした)この辺りの野原を横切ったとき、1万人ほどの若い兵士の命を奪ったのが、まさにこの沼沢だった〕
10月の中旬は、この辺では初冬と言えるのだろう、水草も草原も茶色一色である。花湖から国道の方を眺めると、新雪を冠った目映いアルプスが間近に見える。

駐車場付近にはレンタル乗馬あり、貸しバイクありで、チベット族の人は商売熱心である。
湖に張り巡らされた木道は一周8kmもあるのかな? 楊さんは一回りすると歩き出した。景色は何処も同じようだが、水草が夕日を浴びると赤味を帯びた茶色に変身し、ぽっかり浮かんだ雲が水草の間の湖面に映り、ぎらぎらした太陽の日溜まりと交錯する。光の変化が絵になった。

昨日長時間歩いて痛かった脹ら脛も、花湖の木道をゆっくり歩いたお陰で何ともなくなった。たっぷり2時間写真撮影と観光を楽しみ、午後4時に花湖を後にした。
午前中に走ってきた国道213号を、今度は逆走して帰る。夕日が黄葉した草原を照らし、無数に並ぶ送電線を蜃気楼のように揺らめかせる。楊さんが喜んだのは申すまでもない。
帰りは車を止めることなく、若爾蓋の町にも寄らず、5時間30分をひた走った。
陳が翌日の観光のセールスを始めた。
「明日は神仙池へ御案内しますがどう致しますか? 近くに出来た豪華なホテルの見学を含めて、300元(4,500円)で結構です」
「明日はまた九寨溝へ行くから神仙池には行くつもりはない。鈴木先生行きたいですか?」と聞かれた。
「いや。今回の目的は九寨溝の取材なんだから、別段私も行きたくはない」と答えた。
「九寨溝の観光を終わってからでも大丈夫ですから、私が出口で待っています」と、かなりしつこい。
「たぶん出てくるのが5時近くになるかるから、時間的に無理だよ」
「それでは、民族歌舞団のショーは如何ですか? 1人150元(2,250円)ですが、お世話になったお礼に80元(1,200円)で入れる特別の券を用意します」次から次へと商売熱心だ。楊さんはよっぽど与し易いと見られたらしい。
「先生どうしますか?」
「8年前に来た時に妻と一緒に観たけれど、とても綺麗で楽しかった。折角来たんだから観に行きましょうか?」と返事した。
「じゃあ決まりですね。明日の券は取れるんですか?」
「はい。大丈夫です。確実に取れたら電話します。明日の午後7時にホテルまでお迎えに参ります」
話は纏まった。問題は絵はがきをどうするかである。今年の5月にチベットへ来た時も、切手を購入するのに苦労をして、最終的には4.5元の切手を買わされる羽目になった。ホテルのフロントに切手代と手数料を払えば、受け付けてくれるが、お金だけ取られて、葉書を捨てられたという苦い経験もあったので、確実に自分で切手を貼って、ホテルのポストなりに入れたいのだが・・・・・
「陳さん、さっきの絵はがきなんだけど、私達は郵便局へ行っている時間がない。5つ星ホテルへ行けば売店で切手は買えるから、この絵はがきを預けるから、明日切手を(買って)貼ってポストへ投函して頂けないだろうか」と頼んでみた。
「いいですよ」
「それではこの葉書18枚と100元(1,500円)でお願いします。1枚4.5元と言われたらそれを買って下さい。おつりは陳さんの手数料にとって下さい」
葉書については、陳に委ねた。これしか方法がなかった。
貴賓楼には午後9時30分に到着した。陳も誘ってホテルの並びの食堂に入った。陳もほんの少しビールを飲んでいた。ビール3本と料理代は300元(4,500円)だった。