10月14日(木曜日) 第3日目
私は午前6時には目が覚めていた。楊さんが高鼾で寝ているのでそっと起き出し、シャワーを浴びることにした。楊さんが言うように、換気扇のスイッチを切り、湯沸かし器のランプが点くように蛇口を操作した。昨日よりかは幾分多い、弱々しい20本位のシャワーが出てきた。少々熱めにして、満遍なく身体に浴びせた。満足は出来ないが、安宿なんだからと自分に言い聞かせた。
今年の5月にツアーで参加した“天空列車で行くチベット8日間”では、高地であるからと、高山病対策として、現地ガイドからやれ酒を飲むな、たばこはいけない、シャワーもうんと温めにして短時間にとか言う注意事項を沢山聞かされた。今回の旅も3,000mの高地に来ているのだが、平地に居る時と何ら変わらない気持ちで行動しているのだから、シャワーがそんな具合でかえって良かったのかも知れない。
楊さんを7時に起こす。昨晩の内に出掛ける準備は出来ているから寒さ対策に余計着込んで、一階へ下りた。食堂で何人かの旅行者が食事をしていた。我々も軽く食べて行くことにした。レストランの食堂は10人位が座れる丸テーブルが10個ほどある。朝食はお粥が大きな金属のボールに入れられてくる。白菜の漬け物にザーサイ、血の豆腐(これがしょっぱい)に油で炒めた皮付きの小粒のピーナツがおかずで、中国で言う厚いかまぼこ形の饅頭が(たった二人なのに)山盛りで出てきた。お粥は温めで熱くない。食べ放題だからお代わりをして下さいと言われても、味気の無い饅頭は油が強いので食べる気にならない。だが、これで一人10元というのは安いと思った。他の観光客は残った饅頭をビニールの袋に入れていた。昼の弁当の足しにしようというのだろう。
8時30分貴賓楼出発。ホテルの直ぐ前でタクシーを拾えた。こちらは観光地と言うことだろうか、成都のタクシーは初乗り8元なのに、九寨溝のタクシーのメーターは8元のままで、10元(150円)である。九寨溝の溝口ゲートまで20元だった。
チケット売り場は早朝のせいか比較的空いていた。九寨溝の入場料は1人220元+バス料金90元(合計310元・4,650円)と高い。九寨溝で働く人の平均賃金が1,500元だから、約5分の1になる計算だ。日本の観光地から比べてもべらぼうに高いと感じる。

2002年6月にツアーで九寨溝旅行へ参加した時に、
「70歳以上の人はパスポートを出して下さい」と添乗員が集めていたが、その時は健康チェックの為との説明であった。私なりに入場料なども調べた。60歳以上の人は入場料が50元割引になり、バス代が20元割り引かれると書いてあった。楊さんにその事を伝え、パスポートを提示してチケットを買って貰った。インターネット情報は当てにならなかった。バス代の割引はなく、2日券も発売されなくなっていた。
9時九寨溝入場。早いせいか日本人ツアー客の姿はなかった。グリーンバスは満杯になると発車する。楊さんの目指す“熊猫海”方面行きのバス乗り場は何処かと車掌に聞いたが、車掌は顎を動かしただけで何も答えてくれないので、仕方なくバスに乗り込んだ。
「あの車掌は不親切だ。行き先を聞いてるのに、何も答えてくれない。サービスの気持ちが全くない」楊さんは中国人の対応に腹を立て始めた。
私は今回の旅行で中国は49回目となる。中国語を話せないから、中国人の接客態度を見ても、中国人はそんな人種なんだと慣れっこになっている。直接交渉する場面もない。其処へ行くと私を引き連れてきた楊さんにしてみれば、私への気遣いもあり、余りにもの無愛想さに同国人として恥ずかしいという気持ちが段々と募ってくるのであろう。
私達の乗ったバスは、樹正賽で全員が降ろされた。通常なら諾日朗まで行き、下りながら犀牛海・老虎海・樹正滝・樹正群海を見学するコースなのに、中間地点で降ろされたから、諾日朗まで1,500mを登るコースになった。
バスを降りると見慣れた“樹正群海”を見下ろすことが出来る。対岸の山に白い雲が流れ落ちるように被さり、樹木が水の中に群生する。ここの水の色は対岸の山陰を受け、一際濃厚なエメラルドグリーンになっている。
バス道路から5m程下に遊歩道がある。上から流れてくる水は蕩々として水の中から生えている樹木の間を縫って、いつ果てることもない。流れが穏やかなところは透明度の良い透き通った水が山影を写し、得も言われぬ美しさである。登って行く先々に横一線に数百メートルの渓流が広がり、段差3m~1mの滝が幾段にも落ち浮き浮きさせてくれるので、登りの坂道も苦にならない。

九寨溝は3度目だが、この景観の中に身を置いてみると、何もかも始めて見る景色に思える。この辺りを“樹正寨”と呼ぶ。
楊さんが10月中旬を選んだのは、紅葉の九寨溝を取材する為である。ここは3,000mの高地である。日光や磐梯山のような800m~1,000mの山に育つ、赤く紅葉する樹木は少なく、全体的には黄葉で、真っ白い飛沫の中に点在する黄色い樹木も、なかなかどうして秋そのものの風景といえる。
太陽が山の上に上がり、強く照り始めると、雲が切れ、樹木の黄色い葉がいっそう艶やかになってくる。老虎海・犀牛海を横に見て500m登ると落差15m・幅30mほどの勇壮な樹正滝が見えてくる。遊歩道のカーブ沿いに登ると“樹正滝”が形を変えて迫ってくる。コース取りが思い通りにいかずこの散策から始まったが、どうしてどうして文句の付けようのない素晴らしい景色である。

楊さんの写真の撮り方は狙った箇所を中心に4こま撮影する。後日それをフォトショップというソフト上で、重ね合わせて1枚の絵にするのだという。だから撮りまくる量はすさまじい。8GBのチップを2枚と4GBを1枚持ってきているから、1日に約1,000枚位撮影する。その日の写真はホテルに戻って、別のUSBディスクに保存してしまい、チップを空にして、翌日またそれを使って撮影するのである。私のように1枚の写真を撮るのに、いちいちアングルを考えるなんて事はしない。
“樹正滝魔房”を過ぎると、諾日朗中心のバス停に出る。午前中にY字型の左の一番奥迄行きましょうと言うことになり、再びグリーンバスに乗り込み20分、“長海”に着く。九寨溝で一番大きな湖である。標高3,400mで細長い形状からその名が付いたとか? 見晴台の上には沢山の中国人観光客が、チベット族の人が貸し出す民族衣装を着ての写真撮影で賑わっていた。
【 九寨溝は石灰岩質の岷山山脈の中腹、標高3,400mから2,000mに大小100以上の沼が連なるカルスト地形の淡水の湖水地帯である。谷はY字状に分岐しており、岷山山脈から流れ出た水が滝を作り棚田状に湖沼が連なる。水は透明度が高く、山脈から流れ込んできた石灰岩の成分(炭酸カルシウム)が沼底に沈殿し、日中には青、夕方にはオレンジなど独特の色を放つ。また、流れに乗って運ばれてきた腐植物が石灰分に固定され、植物が生え、独特の景観を見せるのである 】
見晴台から階段を下りると湖面に出られる。長海の水は緑色をしている。遠くに冠雪姿のアルプスが聳え湖面の緑とのコントラストが美しい。余り人が来ていない。ツアーの一行らしい日本人観光客が景色に歓声を上げていた。
長海から再び遊歩道を歩く。バス通りを潜ったり赤樺の群生している林道を歩くと500m程で“五彩池”に到着する。この池の水の青さは九寨溝に数ある湖の中で随一である。湖底から水が湧き出ているそうで、一年中枯れることはない。湖面の端に遊歩道が作られているので、アングルは見下ろした格好になる。背面の山の陰の部分を、空を入れずに撮れば真っ青な湖面が写せる。のぞき込むと浅く見える湖底まで35mもあるそうで、手で触れるくらいに見える湖底に横たわっている倒木には石灰石が積もり真っ白である。

五彩池からさらに450m下って行くと“上季節海”に出る。この湖は乾期になると涸れてしまうので人気もなく素道りとなる。然し今回は底の方に少しだけ水が溜まっていた。3回目にして始めて水がある上季節海を見た。
バスに乗り15分下ってきて、3つある一番上の村の“則査窪塞”にて下車した。チベット族の建物が並び仏塔(チョルテン)に五色のタルチョ(並び方が決まっているようで青が空 、白が雲、赤が火、緑が水、黄が大地 を意味している・それぞれの旗に経文が印刷してある)が巻き付けられ、数十本のタルシン(これも五色あり、大きな布を、木の柱を使って幟状に仕立てたもの、やはり経文が印刷してある)が並んでいる。

2階建ての土産屋があった。入り口でチベット族自家製の“青稞酒(ヤィチンクージュウ・麦の一種)”を売っていた。
「鈴木先生チベット族の地酒ですよ。飲みましょうか?」
「ドブロクみたいなものかな? そうだね飲んでみますか」
地酒を注文し長椅子に座っていると、
「カップラーメン一つ10元です。下の食堂へ行くと15元取られます。ここで食べたら得します」と、チベットの民族衣装を着た若い娘さんが勧めに来た。
「ここで食事をしちゃおう」とカップラーメンも注文した。日本で売っているカップラーメンの2倍の大きさのカップラーメンを持ってきて、キルク栓のポットからお湯を注いでくれた。地酒を飲み麺がふやけるのを待っている間に、楊さんが15元のビールを買ってきてくれた。無論冷えてはいない。何時もまずいと思って飲んできたビールも、甘い地酒の後の口直しになった。
中国のカップラーメンは辛い、長目に10分ぐらい経ってから食べたが、麺は完全にほぐれていなかった。やはり沸騰点が低いせいかな?5月に行ったチベットでも、そんな風に感じたのを思い出した。
下の食堂街は人で混み合っていた。〔カップラーメン15元〕という張り紙がしてあった。[諾日朗中心]バス停まで10分ほど歩いた。午後からはY字型の右方向、グリーンバスで25分一番上で奥にある“原始森林”へと向かった。
【 1960年以前九寨溝は基本的に原始の状態であった。山奥に九個のチベット族が村を作って住んでいるのみで、交通の便が極端に悪かったため、当初は限られた人間しか立ち入ることの出来ない秘境だった。余所からの往来も少なく、一般の人にはあまり知られていなかった。
1966年木材の需要の高まりで森林伐採プロジェクトが大量に九寨溝に入った。原始林が伐採され始め、瞬く間に生態系が破壊されていった。
1970年代に矢竹が大量に開花して枯れてしまう現象が発生し、矢竹を食糧にしているパンダの命を救うため現地に入った専門家たちと、森林伐採の労働者によって偶然九寨溝が発見された。
1975年になって中国農業部の考察団が九寨溝の調査を始め、四川林業庁の調査報告により、原始森林の生態が保護されるに至った。
1978年8月中国科学院成都分院は九寨溝を自然保護区にすると提議した。
1978年11月30日から九寨溝原始林の伐採は禁止された。
1978年12月15日国務院で批准され、九寨溝がパンダ自然保護区に指定された 】
九寨溝付近には30㎢に近い原始の森が広がり、2,500種以上の珍しい植物が分布していると言われ、10数種類は国家1、2級の貴重な植物の指定をうけその後保護されている。
鬱蒼とした森の中は葉陰から差し込む木漏れ日しか入ってこない。残念ながら樹木の名前は解らなかった。チベット族の人々の聖地なのだろう、大木から括られた無数のタルチョが張り巡らされていた。
林道を下ってくると、せせらぎが勢いよく流れている。所々の樹上に[金糸猴(孫悟空のモデルとなった金色の猿)]が好んで食べる苔のような植物がぶる下がっていた。綿のように黄色い植物と、濃い緑の苔が醸し出す景観や、すっかり枯れてしまった大木が、八方に枝を伸ばす勇壮さに感心したりして、2,460mの森林浴を終えると、“天鵝海”へ辿り着く。
天鵝海には底に密生するグリーンの水草がブルーの湖面と入り混じり、他の湖とはひと味違った雰囲気で楽しませてくれる。何処も彼処も“絵”の世界、ここを訪れる観光客は殆どいない。さらに林道を散策し、草海まで降り再びバスに乗った。

“箭竹海”で下車。この湖の美しさは苔のような水草である。ゴルフ場のグリーン廻りのような水草の固まりがあちこちに点在し、湖底にも数種類の水草が群生、深いところの湖水は濃いブルーなのである。その後方には岩がむき出しの山が聳えている。
午前中から随分歩いた。午後は下りとはいえ山道に拵えられた遊歩道だけに、時にはきつい登りもある。楊さんはこれから描こうとする 絵の取材が目的だから、箭竹海(約4,000m)を一周するというのである。午後3時過ぎると、太陽光は対岸を照らさなくなる。その微光が綺麗なのだという。
午前中は日が照る前の朝の陽光、稜線から顔を出し湖面の端から徐々に全体を包み込んでくる光の流れを、カメラに納めた。
この頃は足も大分痛くなってきていた。私は朝の散歩で8km位歩いているから、その延長だと思えば我慢も出来るが、楊さんの場合は、普段殆ど歩いていないので、大丈夫だろうかとその事が心配になった。だが楊さんは九寨溝へ来ている目的がはっきりしているから、気力が充実している。
箭竹海の対岸を歩いてみると、成る程、これが同じ湖なのかと思うくらい景色が変わる。太陽の光を浴びたバス通りの土手の紅葉が、何とも見事であった。
ツアーの場合、1日で全行程を廻るので、こうした時間の掛かる散策は時間的に無理で、此方側を歩いている人はほんの数人である。

透明度の深い湖底には、ミニチュアの杉のような植物が群生している。どの位の高さなのか測れないが、太さ20cm程の沈んだ倒木より背は高い。その外にも湖底にはいろんな植物がびっしり生えていて、透き通った水があるのさえ気づかせない。この現象こそ光の屈折が醸し出す摩訶不思議な、九寨溝だけの湖の特徴といえるだろう。
バス停まで戻りバスに乗り、16時30分溝口ゲートを出た。この日約20km程歩いたと思う。起伏があった分だけ、その倍の距離を歩いたような気がした。お腹も空いた。入場口の売店で、中国式のパンを頬張った。
入場口付近には色とりどりの花が植えられ、一際、もみじが真っ赤で艶やかだった。タクシー乗り場まで歩いていると、数人の旅行代理店の女性に取り囲まれた。楊さんが話を聞き女性から名刺を受け取っていた。
「彼女たちは何を言っていたの?」
「ここから蘭州の方に200km行った所に大草原があって、草原の中に大きな沼もあり、その観光が1人800元(12,000円)に負けておく、とても綺麗な所だと言ってました。先生行ってみたいですか?」
「楊さんが行くのなら私も行きますよ。でもその距離で1人800元は暴利だよね」
「私は行ったことがないから明日行きましょうか? 途中に神仙池と言うのもありますよ」
ホテルまでのタクシーで運転手に、楊さんは帰りの成都までの運賃の交渉をしていた。逆に運転手からは大草原に行きませんか? と持ち掛けられていた。降りる際に名刺をもらって、後で電話を掛けると言って車を降りた。
「あの運転手は帰りの九寨溝から成都まで、1,300元(19,500円)で行くと言ってました。それに大草原までは、往復700元(10,500円)ですって」
「へー、さっきの旅行会社の女性より随分安いじゃないですか」
「明日大草原へ行ってみて、信用できるようなら帰りも陳さんに頼みましょうか?」
「彼の名前陳さんというの?」
「陳尹と言います。綿陽の出身だと言ってました」
貴賓楼へは17時30分に着いた。私は日記を付け、楊さんは今日撮った写真の整理を始める。食事前に私はシャワーを浴びてしまった。ホテルを出ると客引きが声を掛けてきた。
「火鍋を食べたい」と言うと、
「家でやっています」と私達を連れて行った。
上海のような火鍋を想像していたのだが、何とも貧相な鍋にだし汁が入っているだけである。牛肉と豚肉などを混ぜ、野菜や春雨を注文した。ビールは冷えていない。冷えたビールを飲みたいというと、何処かへ買いに行ったようだった。
楊さんが辛くないようにと注文してくれたのは良いけれど、煮汁だけの味ではマズくて食べられたものじゃなかった。豆板醤と醤油を持ってくるように言うと、小皿に入れてきて、これが一皿10元(150円)だと言うので呆れてしまった。肉類は冷凍物で、楊さんは新鮮じゃないからと食べなかった。パックのカップとビール3本と食事代は158元(2,370円)だった。昨日の“平武”の昼食より高かった。食事中に陳さんに電話を掛け、明日午前7時出発で大草原へ行く事に決めた。
ホテル街の商店にジャーキー(中国産・ヤクの肉)を売っている店があった。楊さんはジャーキーを買い込み、缶ビール3缶も買って、
「ホテルで飲み直して下さい」と気遣ってくれる。
楊さんがシャワーを浴びている間、ジャーキーで一人ビールを嗜んだ。