2008年11月 タイ 48回象祭り とプーケット

12月2日(火曜日)・12日目

2日の朝はワチラ君と奥さんが外に出て、家の工事にクレームを付けていた。お父さんに似て厳しく細かい指図をし、取り付けた屋根瓦のやり直しを命じていた。
 「グッモーニン」
 「お早う御座います。今朝は早いですね?」
 「鈴木さん帰国便のチケットの確認が取れました」
 「有り難う御座います」
 「だけどプーケットからバンコク迄のチケットは確定していません。桜の咲く頃私達も日本へ行きますから、それまでゆっくりしていって下さい」と何時もからかいが混じる。
 「それじゃあバンコク迄はバスで帰りましょうかね?」
 「プーケットから飛行機はまだ飛んでいません。4月に一緒に帰りましょう」
 この日も午前中はサンパン氏の改修中の家を見回り、午後なると
 「今日は気分を変えて、バトン・ビーチへ行きましょう」と言うのである。
 プーケット・タウンから丘の道を越えて島の南西にあるバトン・ビーチへ抜けた。プーケットの南西のビーチはここ数年で急速に発展してきたが、2004年12月26日発生したスマトラ沖大地震、そしてインド洋大津波、この未曾有の大災害でバトン・ビーチは大被害を受けた。
 大津波前は丸太の柱にバナナの葉を屋根にした、がっしりしたテーブル付きパラソルが延々と並んでいたものだが、今ではそのパラソルは一つもなくなった。
 パトン、カロン、カタ・ビーチは綺麗な遠浅の海で、ホテルやバンガロー、ショッピングセンター、土産物屋が沢山有り、マリンスポーツも楽しめる一番賑やかなリゾート・ビーチである。ナイト・ライフを楽しめるバングラー通りは夜中の2時頃まで明るい。
 ビーチに限っては、以前と同じような風景が戻ってきた。ボランティアの方々がビーチや水中のごみ拾いをしてくれたお陰でだ。デッキチェアやパラソルも市が全部揃えてくれたそうだが、普通の海にある布製のパラソルに変わってしまった。
 景色は元通りの美しさに戻った。砂の色は津波に洗われて、以前より白くなった感じがする。ダイブポイントのサンゴも成長してきたようだし、着々と元の姿を取り戻しつつあった。
 ビーチの上の芝生にシートを敷いた食堂がオープンしていた。テーブルに座ると、メニューを持った店員が来て注文の料理を運んでくる。雨が降り出すと、道の前の店に逃げ込むのである。
 プーケットの黄色いサンセットを拝み、ゆっくりと食事を堪能し、いよいよソンポン邸へ向かった。ソンポン御夫妻は仕事中なので、執事に案内をして貰う。
 執事のアナンダさんにビールとつまみを買ってきて貰い、プールで泳いだ後、ゲストルームへ入った。セミダブルベッドが2つ、真っ白いシーツにカバーが掛かっている。テーブルに椅子、大きな机、クローク、バスタブ付きのシャワー室、トイレも別、ゆったり空間を取った天井の高い部屋、これがツインルームだ。
 五つ星ホテルに劣らない豪華な設備が整えてある。風呂に入ってからビールを飲み、豪華な家に招かれたことを感謝しつつ、いつの間にか眠っていた。
 私達がのんびり過ごしている間にタイ国の政治状況に大きな動きがあった。
 タイ憲法裁判所は2日、昨年のタイ下院選挙での選挙違反をめぐり、国民の力党など連立与党3党の党ぐるみの関与があったと認定し、3党に解党を命じたのである。
 ほか、ソムチャイ首相ら党役員の被選挙権を5年間剥奪するという決定を下したのである。ソムチャイ首相は失職し、政権は崩壊した。

涅槃仏の前で

今回の判決で解党の対象となったのは、最大与党の“国民の力党”をはじめ“国民党” “中道主義党”の3党である。
ソムチャイ政権の崩壊を受けて、首相代行にはチャワラット副首相が就任した。
 反政府市民団体 民主主義のための市民同盟・PADの勝利である。PAD幹部は同日、政権からのタクシン元首相派の一掃を求める一方で、3日にすべての抗議活動を終了すると発表した。
 首相府でデモ隊が座り込みを開始してから3カ月余りを経て、混乱は収束に向かい始めたのである。
 下院は新首相を30日以内に選出することになるが、国民の力党などタクシン元首相派はすでに、年内にも解党命令が下されることを想定し、受け皿となる新党“タイ貢献党”を創設して、多数が新政党へ“移籍”する構えをみせているので、対立の火種はなお残っている。
 一方、PADが占拠していたドンムアン空港では2日未明、PADを狙った手榴弾が爆発して1人が死亡、政府支持団体も憲法裁判所前などでデモ活動を展開するなど、バンコク市内は緊張に包まれたとのニュースは翌日、サンパン宅へ戻ってから聞いた。
 PADは2日夜、占拠していたスワンナプーム国際空港からの撤収を開始している。
 空港当局者は同日中にスワンナプーム空港で一部の運航が再開されると述べたが、本格運航には入念な安全点検が必要で、かなりの時間を要するものと思う。
 スワンナプーム空港の運航再開については、空港管理会社が3日午後7時、48時間以内に完全復旧を目指すとの見通しを発表した。
 同空港ではすでに2日から貨物便が運航を再開しているが、旅客定期便の運航停止で20万人程度の利用客が依然、バンコク市内で出国待ちをしているもようだ。
 同国際空港では11月25日から中止していた一部の旅客便の運航を再開、成田に向かう臨時便も3日深夜(日本時間4日未明)に出発させた。
 空港管理会社はプミポン国王の誕生日となる5日の業務正常化を目指した。

 スワンナプーム空港が再開されたことで、プーケット空港でも3日午後から運行を再会したとの動きがあり、私の5日のプーケット発スワンナプーム空港行きのチケットも、20時35分発が取れほっとした。

12月3日(水曜日)・13日目

  3日の午前10時頃ソンポンさんから携帯電話があり、
 「何で帰ってしまったのですか? 合いたかったのに」と言われてしまった。
 「まだお休み中だと思ったので、御挨拶無しでおいとましました。どうも有り難う御座いました。今夕にでも事務所へ伺うつもりです」
 「そうでしたか? お構いしないで済みませんでした。今日は仕事でお逢いできないので、気になさらないで下さい」
 3日から5日迄も、同じようにビーチ通いが続いた。4日の昼食はサンパンファミリーが全員で私のために昼食会を催してくれた。長女の娘にすっかり気に入られてしまい、手を引かれて貝殻拾いに振り回されてしまった。でも5歳の孫はおちゃまで可愛い。
 「5日は21時50分にバンコクへ着いてしまうが、鈴木さん一人で大丈夫か? 妻が心配している。国内線の出口まで迎えに行くと言っているが?」
 「心配しないで下さい。私は一人でいろんな国を歩いてきていますから」
 「バンコク発は6日の午前6時でしょう? 空港内で朝まで待てますか?」
 「ニュージーランドでスト騒動に巻き込まれたときも、5日間空港で待機したんですから、8時間ぐらい何でもないですよ」
 「絶対に空港からでないで下さい。空港の食堂で飲み過ぎないで下さい」
 「サンパンさんの奥様に宜しくお伝え下さいね。

12月5日(金曜日)・15日目最終日

 12月5日の6時50分、サンパン氏とはプーケット空港でお別れした。
 トラベルの語源はトラブルから来ている。旅行にはいろんなアクシデントがつきもので、それらを経験するのもスリルがある。
 今回のタイ旅行では思わぬ空港閉鎖で9日間も足止めを喰ってしまったが、ソンポンさんの豪邸に泊めて貰ったり、PADの座り込みに参加したり、世界一の大仏を見学したり、結構面白かった。
 12月6日の午後4時過ぎに我が家に着いた。この日はこの冬一番の冷え込みだったという。スーツケースを引く手がかじかむ程だった。
 無事に帰国したことを自ら祝い、連日飲み歩いていたら風邪を引いてしまった。なかなか直らないし、再度ぶり返すので病院へ行ったら肺炎だった。
 肺炎を治すのに半月以上掛かってしまったのは、自業自得と反省しているところである。

 その後のタイ情勢を新聞で読んだ。
 タイ下院は12月15日、ソムチャイ前首相失職を受けた新首相の指名投票を行い、反タクシン元首相派の民主党が擁立したアピシット・ウェチャチワ党首(44)を過半数の賛成で選出した。
 アピシット党首は17日、プミポン・タイ国王の承認を受け、タイの第27代首相に就任し、同党主導の連立政権を発足させる。
 2006年9月のクーデターとそれに続く軍主導の暫定政権時代を除いて、2001年以来政権の座にあった元首相派は下野することになった。
 アピシット首相は就任後の演説で、タクシン元首相派、反タクシン派の抗争の根底にあるとみられる王政について言及し、王室を守護する考えを強調し、反タクシン派によるバンコクの2空港占拠のような事態は2度と起こさないと約束した。