11月28日(金曜日)・8日目
28日の朝8時に奥さんを乗せて家を出た。奥さんはリックに衣類とムートンを詰め、バスでバンコクへ行くのだという。
今では首相官邸前の中央会場の他に2カ所の空港で座り込みを行っている。空港を閉鎖に追い込んで、民主化の戦いが大詰めに差し掛かってきたと判断し、居ても立ってもいられなくなったのである。 奥さんのほうがこの闘争に熱情を傾けていて積極的だ。
バス停に着く間もラジオを調整して、座り込みの情報をむさぼっていた。広い公園に着くとマイクロバスが数台止まっていた。単独で、または家族数人で首相官邸の座り込みに参加する人を運ぶバスである。
民主主義の市民同盟・PADのメンバーが座席を割り振っている。此処に集まってくる人は皆同志だから、皆さんがとても親しげで行動も整然としている。
驚いたことに、プーケットからバンコク迄は約720km・15時間掛かる。この往復の移動は食事も含めて、全て只だと言う。
午前中は改修中の現場を回り、午後はナイハン・ビーチでビールを飲みながらのんびり過ごす。このビーチは両端に山があり、砂浜は白、小石や岩も少なく、小じんまりしている。空港閉鎖で飛行機が来ないせいか、ビーチの客数も大分減ってしまった。ビーチにあるマッサージのお姉さんや、売店のお兄さんとはすっかり顔馴染みになった。
28日から30日迄は一人ナイハン・ビーチでのんびり過ごした。

12月1日(月曜日)・11日目
12月に入った。日本はさぞ寒かろう等と帰国できない身を、いささかもてあまし気味に思うようになっていた。
「鈴木さん、ソンポンさんの家を見たいですか?」サンパン氏が突然言いだした。
「もの凄い豪邸を建てたという話しは聞いています。是非見たいですね」
「これから行ってみましょう」
ソンポンさんは、サンパン氏の奥さんのお姉さん夫婦である。結婚した当時は天秤を担いでの行商からスタートしたそうだが、奥さんがタイの有名大学を出たキャリアウーマンだったからか、プーケットに“オーシャン”と言うデパートを数軒持つにまでになった。
タイには十数回来ている。22年前に大学生だった娘を連れてプーケットに来たときに、ソンポンさんの4階建ての家に泊めて貰っている。
車は狭い山道に入り暫く登ったところの林の中に大きな門が現れた。門が自動で横に開き始めて、中からフォルクスワーゲンが出てきた。其処へ私達が到着したのである。
「サワッディー・カップ(こんにちは)」
声を掛けると、車の窓を開けて奥さんが笑顔で
「サバーイ ディー ルー カッ(お元気ですか?)」と返事を返してくれた。
サンパン氏が車を降りて、
「家を見に来ました。鈴木さんです。日本の友人です覚えていますか?」
ソンポン夫妻は私のことは覚えていなかった。
「22年前に理花とお世話になった鈴木です。その節はどうも有り難う御座いました」
それでやっと思い出したらしく、
「リカ、ええ覚えてています。鈴木さん? 判りました」
ソンポン夫妻は仕事に出かけるところだった。今でも二人でオフィスに出かけ仕事をしている。
「今夜一緒に食事をしましょう」そう言い残して車は出て行ってしまった。
門には守衛が住んでいる家があって、サンパン氏とは顔見知り、挨拶を交わして邸内に入った。化粧タイルをモザイクにした道が続いている。両脇は南国特有の草花がびっしり植えられた花壇造りの庭園だ。門から直ぐの所に大きな屋敷が2軒ある。二人の息子に建ててあげた屋敷である。
門からソンポンさんの家まで500mのモザイクの道、突き当たりの駐車場前の広場では、車が楽々Uターン出来るスペース、駐車場には車が20台も入るだろうか?


玄関前の丸柱の太さに吃驚、階段を3段上がると半円形の広いバルコニーで、高さ3mの大きな扉の入り口がある。バルコニーの両脇は小さな池になり、熱帯魚が泳いでいる。
広い庭園には熱帯植物がびっしり植えられており、自動式の散水機が隅々の植物に水を撒いている。道の両脇には芝生が植えられ、申し分なく手入れが行き届いている。
サンパン氏について庭をくぐり抜けると、大きなプールがあった。屋敷内は迷路のようで、屋根付きのコンクリートの通路が続き、一回りできるように造ってある。


プールは底が緑色のタイル造りで、大きなShark(鮫)の絵が3頭描かれている。子供用の浅いところと、大人用の深いところがあり、ジャグジーもついている。いつもプールからは水が溢れ、海に流れ落ちるように見え、その先にはプーケットで一番美しい対岸のビーチが見下ろせるようになっている。
プールから屋敷へつながる階段があり、2階の高さが1階、裏側にも広いバルコニーがある。さらに階段を上るとゲストルームやスポーツジム(運動器具が全て揃っている部屋)、サウナ・シャワールームの屋上、そこはブーゲンビリアの咲く広いタイル張りの広場だ。無論そこから2階の部屋に出入りできる。
裏庭にも池があり、そこかしこにも小さな池に睡蓮が咲き、熱帯魚が泳いでいるのをバルコニーから見下ろせる。

屋敷は2階建てになっているが、部屋が幾つあるのか? その一部屋一部屋の天井は高く、飛び切り広いのに又吃驚である。
サンパン氏の説明を記しておこう。
「ソンポン氏は今ではプーケットのビッグ5に入る資産家です。この屋敷は8億THB(約24億円)・7年間掛けて造りました。プールの管理費だけで1ヶ月330,000THB(約100万円)も掛かります。執事やメイド守衛が12人が働いています」
駐車場脇には使用人が暮らす家もあった。
豪邸というのはまさにこのことを言うのだと思った。宮殿にもひけは取らないだろう。
貧富の差が激しすぎるタイだが、ソンポンさん程の成金は初めて見た。
親が築いた財産を2人の息子はどう感じているのか聞いてみた。長男は仕事が嫌いで、親の仕事を手伝わないという。次男坊は従業員からも好かれる優しい性格で、親の仕事を補佐しているそうである。
夕方までプールで泳ぎ、スポーツジムで運動し、サウナに入ってソンポン夫妻のいるデパートの事務所を訪れた。前にも何回か訪れたことがある。大きな水槽にシーラカンスみたいな巨大熱帯魚が1匹泳いでいた。もう1匹は3年前に死んだという。

車で見晴らしの良いシーフードのレストランへ行った。1匹1,000THB(約3,000円)もするという一番値段の高い淡水魚とかを注文してくれた。赤ワインで乾杯、エビや貝等とびきりの料理だった。

いろんな世間話をした中で、ソンポン氏が言う。
「ミスタ鈴木、私達が日本に旅行したとき案内して下さい。鈴木の旅費は私が出します」
「OK大歓迎です。でも私は英語が喋れないから、理花に案内させましょう。日程が決まったら連絡下さい」
ソンポン夫妻は毎年3回の海外旅行をしてきたが、日本にはまだ一度も行ったことがないそうで、「来年(2009年)は是非行きたい」と言う。
「ボウイ(次男坊の息子)の結婚式が2009年3月7日に決まりました」
「それは御目出度う御座います」
「ミスタ鈴木、ボウイの結婚式に御招待します。是非来て下さい」
「私なんか御邪魔してよろしいのですか?」
「問題ありません。大歓迎です」
「それじゃあお言葉に甘えて、出席させて戴きます。タイの結婚式は一度見たかったんです」
「鈴木さん。明日は私の家に泊まって下さい」と奥さんが、
「うわー! 嬉しい、光栄です。有り難う御座います」
食後再び事務所に寄った。これからまだ仕事をするそうで、毎日帰りは午前2時だという。
サンパン氏の通訳で、二つの約束をして、事務所からおいとました。
「鈴木さんといるとラッキーなことが沢山起きます。私もまだあの豪邸に泊まったことがありません」
「私はラッキーボーイなんです。飛行機が止まって、かえって良かったかしら ? (笑い)じゃあ奥さんもまだ泊まったことがないんですか?」
「私の家内もまだ泊まったことがありません。娘や息子もまだ泊まったことがありません」
「それじゃあ来年来たときには、御家族の皆さんも一緒に泊まりましょう」