11月24日(月曜日)・第4日目
24日は、いの一番に郵便局へ直行した。切手売り場に行くと別のカウンターへ行けという。全てサンパン氏の奥さんがやってくれるから見ていれば良いだけだが、そこで又、切手売り場のカウンターへ行けと言っている。今度は女性の係員が、ちょっと待って下さいと言って奥へ引っ込んでしまった。
私が求めているのは日本への空港便ハガキの切手18枚である。女性係員が戻ってきて
「今此処にはない。倉庫へ取りに行ったが、係員がまだ出勤していない。もうすぐ来る筈だからそれまで待って下さい」
「はい判りました」と奥さんは戻ってきて、ロビーの椅子に座ってしまった。
サンパン氏が言うには
「タイでは手紙を書く習慣がないし、まして18枚なんて買う人が居ない。倉庫の係員はきっと首相官邸前の座り込みに行っているんでしょう?」とまあ呑気なことを言っている。
先ほどの女性係員が奥さんを呼び、
「余り待たせては申し訳ないですから、代金だけ頂き、後で切手を貼って投函しますが如何ですか?」と説明している。はじめから料金別納とかシールで済ませられないのかと呆れてしまった。切手を買うのに40分も掛かってしまった。
(12月10日過ぎに日本へ戻ると、数人からハガキの御礼の電話があった。切手は貼ってあったとの答えだった)
朝食の後20年前に私を案内してくれたという男性の車で、市内から2時間程の田舎へ出かけた。川の傍で周りは畑、お寺を建築中だという所にこぢんまりした家が数軒出来ていた。サンパン氏の奥さんがベジタリアンだと言うことは前にも書いたが、この一角に奥さんの老後の家を建てているのだという。つまり菜食生活を此処で送るのだというのである。

辺鄙なところだし、買い物に出るのにも車で30分は掛かるという此処で、野菜を作って暮らすのだそうだ。家は平屋で、部屋が2つ台所に風呂と便所だけ。私には理解できないのだが、別居して一人で暮らすのだという。
この日の午後11時15分にプーケットへ発つことになっている。サンパン夫婦も昆明から帰国したばかりで、外国旅行のスーツケースを持ち帰る。午後9時にスワンナプーム国際空港に着いた。国内線の待合室付近の売店は10時で閉店だった。レストランがかろうじて開いていたので、そこでサンドイッチや缶ビールを買った。
プーケットには0時35分に着き、空港へは息子夫婦が迎えに来てくれた。家に荷物を置くと、
「何か食べに行きましょう」と別の車で二人だけで家を出た。夜中の3時だというのに、路上に机を並べた食堂が営業していた。ビールで乾杯し、お粥を食べた。
ゲストルームは2年前と同じ2階の大きなダブルベッドの部屋だった。シャワーとトイレが一緒になっていて、私の部屋からもサンパン夫婦が寝ている部屋からも入れるようになっている。用を足すときは、両方の扉のドアをロックするように言われたが、サンパン氏の部屋の鍵は壊れていてロックできなかった。サンパン夫婦の部屋の隣に、息子のワチラ夫婦が寝ていて、彼等もこのトイレを使う。私は何度もトイレに起きるので、なるべく音を出さないように気を遣った。
「25日は何も予定がないからお昼過ぎまでゆっくり寝て下さい。私も昼過ぎまで眠ります」
今朝方5時近くにベッドに入ったから、10時頃までぐっすりと眠った。塀の向こうでショベルカーが工事をしている。音が大きいので起き出してしまった。
11月25日(火曜日)・第5日目
サンパン氏の家でも、部屋の増設工事中で、玄関前に車が2台置ける屋根付きの駐車場も造っていた。さらに家の脇の庭に車が4台置ける屋根付きの駐車場も造るのだそうである。
サンパン家には車が5台もあり、其処へ一番下の弟がアメリカから帰国し車を買った。
全て日本車である。サンパン氏はいすゞの乗用車で、後ろが荷台になっているのをバンコクから運んできた。奥さんはホンダの乗用車を、ワチラ君は三菱のランサー、若奥さんはトヨタのバンを運転し、一番下の息子ウイッチ君も三菱のランサーを持っている。
ワチラ君の家は、広い敷地内に高級住宅(広い庭に熱帯植物が植えてあり、一年中色とりどりの花が咲き、プール付きの家が多い)が3,000棟もある特別区の中にある。ゲートは3カ所、車でゲートを出入りする際にはカードをセンサーに読み取らせ遮断機を上げさせる。
ゲートには守衛所が設けられていて出入りの車をチェック、センサーを無事クリアーした住民には、守衛が24時間直立姿勢で敬礼して送迎している。またこの敷地内にはサンパン氏の長女夫婦も住んでいる。
プーケットはタイ国内の県としては唯一の島である。パンガー県と橋でつながっている。
その風光明媚さから1980年代以降世界的な観光地となっており、世界各国から年間を通じ多くの観光客を集めている。面積は543k㎡、人口は249,426(2000年)人である。この島で生活するには、車は欠かせない。車は日本の3倍の値段だと言うから、車を買えない人は日本製のバイクに乗っている。
この特別区は庭園のように整備され、樹木が植えられ、健康ランドやプールもある。この敷地内を移動するのにも車が欠かせない。道路は各所がロータリー式になっているから安全である。
サンパン氏は12時過ぎに起きてきた。早速車で島内の名所を案内してくれた。
亜熱帯地方独特の気象配置であるから、いつも雲が被さり、突然スコールがやってくる。
スコールは長くても20分ほどで止んでしまうから、傘は持ち歩かない。そんな雲行きだが
「プーケットに世界一大きな大仏が出来たから見に行きましょう」という。
天気がよい日なら、仏像はコーラル島、ラチャ島への海の玄関口として知られるチャロン湾とカタビーチの間の丘の上に見ることが出来、カタビューポイントからも後ろを振り返れば、そのお姿を眺める事ができる。
チャロン湾に面した山の頂上に新しいお寺「ワット ナークード」が建設されていた。
山(カオ・ナッガート)の頂上までは約6kmほど(海抜400m)。道は途中まで舗装されているが、殆どが凸凹の砂利道に変わる。それでも、バイクをレンタルした二人乗りの欧米人観光客が沢山登ってきていた。

この日のビッグ・ブッダは、雲の中にすっぽり包み込まれてしまい、お姿を拝むことは出来なかった。
後日天気の良い日に改めて登ってきて頂上に到着すると、目の前に巨大な大仏が鎮座していた。真下から見上げると胸から上部の分しか見えない。お顔はふっくらと優しげで、目を閉じて瞑想にふけり、無の境地をお開きになったようである。
お顔と頭部は錬ったコンクリートで大理石状の白色に塗られていた。胴体部分全体には白いプレートが貼ってある。完成予定図のポスターを見ると真っ白な大仏様になっている。
高さ45m、幅25m、総重量1,000トンの大きさだと言うからその規模の凄さに驚く。
少し離れて見上げると大きな蓮の花の上に座禅を組み、右手は膝の上から被せ、左手は掌を膝の上に上向きに置いている。
釈迦の身振りから生まれたもので印相の内の“降魔印(こうまいん・定印をほどいて右手の人差し指をまっすぐ降ろして地面に触れた形である。釈迦が悟りを開いたのち、悪魔がやってきて悟りの邪魔をした。そこで釈迦が指先を地に触れた瞬間、地神が現れて釈迦の悟りを証明し、悪魔の軍勢は退散したという。この時のポーズをとらえたもので、触地印とも呼ばれている)”である。
ブッダのうんちのような形をしているちりちりの髪の毛・螺髪(らほつ・「螺」は巻貝のことで、仏像によってその数は異なる。東大寺大仏は966、鎌倉大仏は656が、すべて右巻きになっている)の数が幾つあるのか“タイ国政府観光庁”に問い合わせた。が、[当庁で提供可能な観光情報の範疇を超える、専門的なご質問でしたので、大変申し訳御座いませんが、お答えすることが出来ません]とのファックスが届いた。
私が見た感じでは螺髪一つが直径1.2m・高さも1.5m程の大きさだ。これに自分の名を刻み寄進することが出来る。出来上がった螺髪一つが10,000THB(3万円)である。
今年の3月5日から28日迄の24日間、再びプーケットへ行くのでその折りに調べてきたいと思っている。
建設開始が2005年の8月、3年の工期で完成を目指し2008年の8月完成予定だったが、工事は大分遅れていた。改めて完成予定を聞いた所、あと数ヶ月位掛かるでしょうとのこと、現在、大仏の裏側では、更に2対のお立ち姿の仏像を作製中である。
因みに奈良の大仏が14.9mなので、プーケットの大仏様はその3倍である。
中国四川省の楽山大仏は像高71mであるが、こちらは椅子に腰掛けているお姿なので比較とならない。
大仏正面の左隣にも金銅とコンクリート製の金箔を纏った仏像があり、こちらはすでに完成していた。

「私も始めて見ました。鈴木さんと居るとラッキーなことが沢山経験できます」サンパン氏もビッグ・ブッダには肝をつぶしたようだった。
大仏様の周りを一周できるようになっている。
ビッグ・ブッダを見た後、金銅とコンクリート製の金箔を纏った仏像にも寄った。

プーケット・タウンの中心部より車で約10分北へ向かった位置にある小高い丘の上の見晴台である。ランヒルは地元テレビやラジオ局の電波塔がたくさん建っているので、プーケットタウンを車や、バイクで走ったりする際の目印にもなる。
ランヒルの見晴らし台からは、天気が良ければプーケットタウンの街並みと、その奥に開けるプーケット東岸の海を一望することができる。