



2008年11月20日(木)~12月6日(土)
2008年9月12日から23日まで鈴木進次の第二回写真展【ラオス・ベトナム・アンコールワット】を“ギャラリー・おじゃら”で開催した。
期間は12日間でしたが、105名の方々が見に来て下さる大盛況でした。
そして来年は【タイ世界遺産とスリンの象祭り】と題して、期日は昨年と同じ9月12日から23日迄で、第三回写真展を開催する予定である。
タイの象祭りへは2006年に行き写真取材をしてきたが、何か写真不足のように思えるので、今年も取材に出かけようと考えていた。
スリンはバンコクから東北東460kmに位置し、列車を利用するか車で(約8時間)行くしか方法がない。
私のタイの友人サンパン氏に、写真展が終わると直ぐ手紙を書いた。
2008年9月のタイ国の政情は不安定で、反政府市民連合が首相府占拠を開始し、バンコク市内にも戒厳令が敷かれたとの報道も流れてきた。
手紙は出したものの、果たしてスリンの象祭りは開催されるのだろうか? そんな心配をしていたら、サンパン氏からのE-MAILが届いた。
「歓迎します。是非来て下さい。今年のスリンの象祭りは11月22日・23日です」それを受けて、旅行代理店に11月20出発28日帰国の格安チケットの予約を入れた。
成田を午後9時に出発し、バンコクに翌日の零時過ぎに到着するチケットだった。航空会社は出発の10日前にならないと判らない。
サンパン氏にはチケットを予約した事を伝え、スリン象祭りの開催は決定しているのか? タイの首相府占拠《座り込み》が続いているが、再び戒厳令が敷かれるのではないか? 等をサンパン氏の娘のE-MAIL経由で問い合わせた。
「心配ありません。私も民主化闘争に参加してる反政府勢力の一人です。全く問題ありません」という返事が届いた。
格安のe-チケットは石油サーチャージを含めて約8万円、3週間前にノースウエスト航空の(NW-21便)19時05分発と決まった。
数回のMAIL交換を交わしているうち、
「サンパン夫婦が9月上旬から中国・昆明へ旅行し、19日に帰国する。21日の真夜中スワンナプーム空港には私が迎えに行く。スリンの象祭りへは妻も同行するがいいか? ショーの席は特別席を予約しておく」との最終連絡を受けた。
「私の希望はスリンに2泊して、象と市民・観光客との交流風景を撮りたい。ショーの席は特別席を確保して欲しい。後のスケジュールは一切お任せします」と書き送った。
11月21日(金曜日)・旅行第1日目
9月21日0時30分スワンナプーム空港に着いた。ノースウエストが横付けしたゲートは国際空港の一番端だった。長い通路を歩き、出国審査のカウンターまで30分近くも歩いた。
空港だからクーラーが効いているはずなのに、日本で着てきたセーター姿で長い通路を歩いたらすっかり汗ばんでしまった。
荷物待ちに時間が掛かったので、取り敢えず、13万円をタイバーツ(THB)に換金しておいた。円が強い。1バーツが手数料込みで2.8円(1ドル115円当時は3.5円)で46,488THBにもなった。(ちなみに成田のレイトは3.3円だった。)円高の時の海外旅行では気分的にもウハウハ出来る。
真夜中だというのにスワンナプーム空港内は旅行客でごった返している。日本のように騒音規制がないというのは考えようによっては便利である。
荷物はスーツケースとカメラバッグだけ、今回は土産は一切買わないで来ている。
空港出口は広く、次から次から出てくる到着客が出迎えの人を探している。私も暫くきょろきょろサンパン氏を探していたら出発階の4階から私の名前を呼んでいた。
下りのエスカレーターが遠いから、私に4階まで上がってこいと言っている。2年ぶりの再会である。お互いに抱き合って、国際的な挨拶を交わす。
「妻も鈴木さんを探しにでている」と言い、携帯電話で位置確認をしている。奥さんは駐車場に通じる所にいた。
「ハワー・ユー、ナイスミーチユー」奥さんとも抱擁の挨拶を交わし、車に乗り込んだ。
新国際空港からバンコクのサンパン氏の家までは40分ほどである。車に乗ると奥さんがラジオのダイヤルをいじくって、なにやらニュースを聞こうと夢中なのだ。
午前3時に近かったのに、軽くお粥でも食べておきましょうと、テーブルが露天に並べてある店に入った。
ビールで軽く乾杯し、サンパン宅へ入った。家に着くと奥さんが直ぐテレビを点けた。
真夜中だというのに、首相府座り込みの実況放送が流れている。私はいつものゲストルームに案内され、直ぐに寝込んでしまった。
21日の朝は午前9時に家を出るという。サンパン夫婦は現在プーケットに住んでいる。
バンコクの家は売らずに、そのまま残してあるから、バンコクに戻ってきた時にはこの家を使うのである。車はプーケットへ持って行ってしまったそうなので、昨日はレンタカーを借りて私を迎えに来てくれたのである。
家を出る前に、33,000THB(約10万円)を手渡し、
「これで何とかやってみて下さい」
「こんなに何時チェンジしたのですか? お金なんかいりません。帰国のときに返します」
10万円はタイ人の平均年収の1年半分の金額である。車代やホテル代、プーケットの往復飛行機代、飲食費等々を考えて、いつも海外で世話を掛ける時には先に渡しておくことにしている。
レンタカーを返しに行った所で、奥さんと合流した。
スリン象祭りへは、現地出身運転手付きのタクシーを借り切っての移動である。サンパン氏も昆明から帰国したばかりなので、スリンのホテルは予約していないという。
まず朝食である。前回バンコクを訪れた時にも寄った行きつけのレストランで、私は米で拵えてある、[しもかわ]の倍ぐらいの太いうどんが好きでこれを食べた。

つみれ・鶏肉・野菜がふんだんに入っているので、栄養価は高い。うどんの量は少なめなので、2杯目の具は野菜のみのにした。(これで60THB・180円である)
どこのレストランでも、大きめなコップに氷をたっぷり入れたのが出される。テーブルの上に置いてあるペットボトルを開ければ、水代が加算される。
この氷が曲者なのだが、《タイに来たらタイの食生活に従え》で、滞在中はずっとこの氷と付き合う事になる。
サンパン氏は暢気な旅気分で、景色の良い所があると車を止めて、トイレタイムを兼ねて写真を撮ってくれと言う。自分が写真に収まるのがとても好きなのである。
私としては、明るいうちにスリンに入り、街の中を闊歩する象を撮りたいのに、3時頃に2時間かけての昼食、車内では奥さんがあれを食べろ、これを食べろと色々な食べ物を出してくる。タイ人って、いつもこんなに間食をしているのか? 不思議に思ったものである。
スリンに入った時は夜の帷もとっぷりと落ち、街の明かりが目映かった。スリン出身の運転手にしては街の道に詳しくない。何度も人にものを尋ねて、数カ所のホテルをチェックした後、スリンの市場前のホテルに泊まることになった。
一昨年のスリン一のホテルは、ヨーロッパの客がバスで乗り入れてきていて満杯だった。
夜になっては写真撮影をしようにも、街の感覚が掴めず一人では歩けない。街中の移動はチャーターした車で、サンパン夫婦と一緒に付いて回るしかないのである。
夜食はスリン一の歓楽街へ行き、タイ式しゃぶしゃぶを食べた。奥さんはベジタリアンなので、いつも一人で別注文で食べている。
レストランで飲む際にも、氷が入ったコップが出てくる。ビールはギンギンに冷えているから氷は要らないと思うのに、これがタイの習慣なのだ。2人で3本も飲めばいい加減にいやになる。
ホテルはお粗末な感じだが、仮眠をするだけなので気にしない。只シャワーから湯が出てこなかったのは不満だった。
10時30分には部屋に入り、フロントからビールを3本買ってきて、日記と日本の友人へのはがきを書いて寝た。
私はお坊さんが托鉢をしている光景を撮りたかった。サンパンさんの奥さんは、
「朝早く起きられますか?」と聴くので、
「大丈夫です」と答えておいた。