2008年 ポルトガルの旅8日間

5月17日(土曜日)・第6日目

 第6日目だが、観光は今日が最終日なのである。今日のスケジュールは午前中リスボンの観光をし、昼食後は自由行動となっている。
 午前8時50分ロビーで別のホテルから来るバスを待ち合流、出発は9時5分であった。2日目にも通ったリスボン市内を登り降りして、ユーラシア大陸最西端のロカ岬を目指した。
 “ロカ岬”は、ポルトガル共和国リスボン都市圏にあるユーラシア大陸最西端の岬である。北緯38度47分、西経9度30分。西には大西洋が広がり、その遥か先にはポルトガル領のアゾレス諸島が点在する。

ユーラシア大陸最西端のロカ岬


 高さ140mの断崖の上には、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩の一節『ここに地終わり海始まる』を刻んだ石碑がぽつんと立っている。大西洋から吹き上げてくる風には勢いがある。
 今にも吹き飛ばされそう、気温も低くジャンパーが欲しいくらいだ。
 《ここが地の果てか? 遠くへ来たものである》 記念に石碑の前で写真に収まっておいた。

ロカ岬の石碑
石碑の前で

 有料だそうだが“ユーラシア大陸最西端到達証明書”を頂いた。証明書には昔の現地文字で名前を書いてくれ、日付が入り、裏面には主要国の言葉で書かれた上記の詩(日本語もある)が印刷されていた。
 [ 証明書:ポルトガル国シントラにあるロカ岬に到達されたことを証明します。ここはヨーロッパ大陸の最西端に位置し《陸尽き、海はじまる》と詠われ、新世界を求め、未知の海へとカラベラ船を繰り出した航海者達の信仰心と冒険魂が、今に尚、脈打つところです ]
 バスはリスボンの西28kmシントラへ向かう。歴代のポルトガル王家がたびたび訪れた避暑地シントラには、王宮やペナ宮、貴族の館など贅を尽くした建造物が豊かな自然を損なうことなく調和している。この町の佇まいは、ヨーロッパ各地の景観設計にも大きな影響を与えた。この美しい文化的景観は、1995年世界遺産に登録された。

王宮《 夏の離宮 》
27羽の白鳥が描かれた天井

 “王宮”イスラム教徒が残した建物にディニス王が手を加えて、王宮の原型を整えると、14世紀にはエンリケ航海王子の父ジョアン1世が大々的な増改築工事を行い夏の離宮の基礎を築いた。王宮のシンボルになっている33mの巨大な煙突はこの時代に造られた。王宮内にあるイスラム風の礼拝堂の天井装飾は14世紀に造られ、人魚の間の扉は16世紀のアズレージョで、質・量供に国内随一との評判だ。27羽の白鳥がそれぞれ違ったポーズを見せる白鳥の間の天井画が描かれたのは17世紀である。エキゾチックな中国の間、狩猟の光景を描いたアズレージョで囲まれた紋章の間、天井一面にユニークなカササギの絵が描かれたカササギの間、等々見どころはいっぱいであった。華やかに飾られた王宮は、王族の憩いの館として、あるいは外国からの賓客をもてなす社交場として利用され、シントラの町にも繁栄をもたらした。だがこの王宮にも忌まわしい出来事があった。  [ 17世紀後半アフォンソ6世がフランスから嫁いだ妃マリア・フランシスカ・エリザベトと弟のペドロ2世の奸計によって廃位に追い込まれ、死ぬまで王宮の一室に幽閉されるという事件が起きたのである。王宮最上階の“アフォンソ6世の間”の床は、一部がすり減っていた。王の徘徊の後であろうか? ]

 旅行日程に組まれた観光はこれで終わりである。ベレンの塔とジェロニモス修道院・ポルトの歴史地区・アルコバサの修道院・シントラの文化的景観と言う世界遺産を充分に堪能できた。
 「ここで大地は終わり、海がはじまる」カモインスが歌いあげた。背後には大国スペインが控え、目の前に広がるのは大西洋、海の彼方へ進むしかこの国の未来はあり得なかったのかも知れない。
 15世紀エンリケ海洋王子の指揮の下、本格的に海に乗り出し、瞬く間に一大海洋帝国に登りつめた。はじめアフリカの金や香辛料交易を独占し、17・18世紀にはブラジルの砂糖や金によって空前の繁栄を見た。富はこの国を豊かにした。ヨーロッパの最果ての国がもっとも輝いた時代に、贅の限りを尽くして建造物を築いた。が、繁栄は18世紀まで、その後衰退の陰が色濃くなっていく。ポルトガルは今も大航海時代の覇者が残した夢の跡を偲び、過去の夢に酔う。
 ポルトガルを全部見たわけではない。まだまだ贅を尽くして建てられた建造物が世界遺産としてある。スペインの“ファミリア聖家族教会”の完成を待ってスペインに来るつもりだ。その時またポルトガルに寄りたいと思う。
 シントラ王宮を後にして、リスボンの中心地まで戻ってきた。エドゥアルド公園の近くのレストランで昼食を食べた。もうバスに乗らないし、夕食を贅沢に食べても大丈夫だろう50ユーロが残っていたので、ビールをじっくり味わった。
 さて自由行動となった。ローマホテルに泊まった一人参加の女性が5人が私をボデイガード代わりに誘ってくれた。
「何かあったら助けてね」と言われたが
「一番最初に逃げ出します」等の遣り取りの後、朝ホテルで貰ったリスボンの地図を便りに、エドゥアルド公園からロシオ公園へ向かって歩き始めた。私はトラム(市電)に乗りたい、佐藤さんはサンタ・ジュスタのエレベーターには是非乗りたい、もう一人の御婦人はメトロ(地下鉄)を乗り継いで、オリエンテ駅のショッピングモールで買い物をしたいという。地下鉄・バス・メトロ・エレベ-ター・ケーブルカーを何回でも乗れる1日券が4ユーロなのでそれを買おうと言うことになったが、見知らぬ土地なので、土地勘がつかめず、後で考えればメトロで1日券を買って移動すれば良かったものを、延々と歩いて、(途中5星ホテル・ティヴォリでトイレを借りた)サンタ・ジェスタノエレベーター迄たどり着いた。

トイレを借りた 5星ホテル・ティヴォリ

この乗り場で1日券が買えると踏んでいたが売ってなく、往復分3ユーロを取られてしまった。登りは25人乗れるが、下りは20人というリフトが2台あった。登ったところからパイロ・アルトへ通じる連絡橋があって、カルモ教会の裏側にでられる。まず螺旋階段を上り展望台兼カフェに着いた。そこからはリスボンの全てが眺められた。

カルモ教会の裏

 下りの切符を諦めて、カルモ教会の裏にでた。ジャカランダが直ぐ側で咲いていた。ワイワイ坂道を降り、ロシオ広場に出、メトロの駅で4ユーロの1日券を買う。ロシオからバイシャノシアード迄1駅を乗り下車。狭い石畳の路地(両脇は4階のビル)をあっちこっち巡りあぐね、到頭お目当ての市電12番の停留所にたどり着いた。と言っても線路が分岐していて、どこに止まるのが分からず、右往左往して12番のトラムが止まったところを見つけたが、残念ながら出発してしまった。ガイドブックでは20分で一周する路線だというので、待つことにした。ところが40分辛抱強く待ってもトラムが来ない。

リスボンのトラム
[ドン・ジョゼ1世騎馬像]

 あと3分待ってこなかったら、ショッピングモールへ行きましょうと話し合っていたところへ、待ちに待った12番が来たのである。適当に座れたが、青木さんだけが立っていた。
 次の停車場フィゲラ広場に着くと殆どの客が降りてしまった。そして乗り込んできた客で超満員になってしまい、外の景色を撮影するどころではなくなった。狭い坂道を曲がりくねって電車は走る。沢山の車が並行して走るし、あっちこっちの枝道から割り込んでくるので、よく事故にならないものだと感心した。
 いくつかの停留所を過ぎたところで、運転手が何かしゃべった、すると我々だけを残して他のお客が全員降りてしまい、運転手が弁当を食べ始めたのである。そんなことって日本では考えられない光景である。つまり、何かの事故で当分動かないと言うことらしい。
 私たちも下車したのは良いけれど、ここが何処だかさっぱり分からないのである。道路に囲いがしてあって人だかりがしている。何事かと近づいたら、自転車が猛スピードで坂道を下って行くのである。ダイナミックで乱暴な男っぽい(女子選手もいた失礼)、自転車レースをやっていたのだ。側へ行ってみると、自転車が突っ込んでいったところは急な階段だった。マウンテンバイクで坂道を突っ走るタイムレースのようだった。
 ゴール地点には大画面のスクリーンが設置されていて、沢山のファンが食い込むように見入っていた。2人の女性が目を白黒させて大画面に食い入って動かない。3人はトッとと先に行ってしまうし、間に入った私は、はぐれないようにさせるのに精一杯だった。 [ドン・ジョゼ1世騎馬像]
 ポルトガルは坂の多い町なので一般の人は自転車に乗らない。旅行中良くバスとすれ違ったが、ロードレースやトラックレース、オフロードレース(1996年クロスカントリーのマウンテンバイクが正式種目に加えられた)は盛んで多くの大会が開催されている。こんなドキュメントは町に繰り出したから見られたので、一瞬胸が熱くなった。
 階段を幾段も下り、テージョ川の方に下りてきた。方角も何も分からないから、大きな地図を広げて、メトロの駅を指さし何人もの人に尋ねた。英語で説明してくれる人もいたが、ポルトガル語はちんぷんかんぷん、それでも手真似で教えてくれたし、「人の流れに付いていけば駅に着くわよ」と何方かが仰るので流れに従って、どうにかメトロのレスタウラトーレス駅に着いた。
 レスタウラトーレス駅はブルーライン、1つ乗りパイシャノシアード駅でグリーンラインに乗り換え、6つの駅を乗りアラメダ駅で2度目の乗り換え、そこからレッドラインで6つ乗り終点のオリエント駅迄出た。オリエント駅は大きな駅である。ここは1998年に“太陽、未来への遺産”をテーマに開催された万国博覧会の会場跡である。現在は“リスボン市民の憩いの場・国際公園”となっている。

“リスボン市民の憩いの場・国際公園”

 テージョ川に面した広大な敷地には、水族館やパビリオンがそのまま残され、駅前には“ヴァスコダ・ガマ・ショッピングセンター”やレストラン・カフェもある。テージョ川に沿って、北と南をつなぐ“ロープウエイ”も運行されていた。ここに着いたときは午後18時を回っていた。19時にショッピングセンターの入り口付近で合流し、それまで自由に買い物などをすることに決めた。屋上からテーマパーク跡の写真撮影をし、ショッピングセンター内のベンチで人の流れを観察した。黒人の比率が多く、裕福な暮らしをしているのが見て取れる。土曜日だったせいか大勢の人々が行き交い、活気あるポルトガルを其処に見た。
 再び6人が集まり、2階の奥のポルトガル料理店に入った。年配の気の良いウエイターが適当に前菜を運んできた。2種類のチーズと生ハムが6皿も配られたので、2皿だけでいいと4皿を返品、ビールの他にほどほどの値段のレッドワイン1本を注文、野菜サラダとハムサラダの他に、数点好みの料理を頼みみんなして食べた。とても美味しかったし、チップを含めて一人20ユーロ(3,300円)と安かった。
 ホテルに着いたのは22時を過ぎていたろうか? 良く歩いたものである。皆さんのおかげで有意義で楽しい自由時間を過ごせたのはこの旅のハイライトだった。
 成田で300ユーロ(49,170円)を換金し、残ったのは22ユーロだけだった。

 後日談:成田でスーツケースを請け出すと、トラブルのあった10人ほどの人が、クレームタッグカウンターに行き、損傷したスーツケースの修理を申し出た。木下さんの交渉で、迷惑料として、ヴァージンアトランティック航空から7,000円の保証金を払わせることが出来た。私のスーツケース、壊された鍵ホルダーは、2週間ほどして修理されて送られてきた。 
 旅にトラブルはつきものだから、いろんなアクシデントに遭遇しても、決して諦めず、無駄な時間は掛かるけど、保証させられるものは保証させるまで頑張ることである。