雲南二大名峰とシャングリラ             の旅8日間

6月27 日・ 水曜日・ 7日目

観光の最終日である。ホテル出発は8時30分。香格里拉(シャングリラ)空港を15時50分に発つ間、昼食と観光を組み込んである。
 [松賛林寺]はホテルからは約2km離れたところにあり、別称を[帰化寺]という。

[葛丹松賛林寺]

ラサのポタラ宮に例えられ、チベット仏教ゲルク派、雲南省最大の仏教寺院で、ダライラマ5世が建立した。
 荒涼とした山腹に白と葡萄茶色の壁、銅葺き瓦の建物が並んでいる。以前は700人あまりの修行僧がここで暮らしていたそうだが、楊さんの説明では現在は500名ぐらいだろうという。                  

寺院の本殿に赤色の四角い柱が立ち、各種の花模様飾りが彫刻されている。色調は黄色と青を主としていて、真正面にいろいろな仏像が祭られている。
 1679年に着工して、1681年に竣工した。五世のダライラマはこのお寺を[葛丹松賛林]と名づけた。[葛丹]は黄教祖師 宗喀巴の建てた甘丹寺と関係があることを意味し、[松賛林]は[天界の神様が遊ぶ地]を意味する。

[燦然と輝く金箔の屋根]

 葛丹松賛林が竣工した後、五世のダライラマは高さが8尺のお釈迦様の銅像や五彩金汁絵仏像(仏画)16軸や貝葉経などを贈与し、お寺の宝物として祀った。
 1959年3月、ラサの人民が中国軍に対し蜂起、ダライラマ14世はインドに亡命し、ダラムサラに亡命政庁を発足させたが、葛丹松賛林を受け継いだ高僧は、雲南省チベット族信者の意をくみ、中国政府との宥和政策をとり現在に至っている。
 寺院内は撮影禁止、サングラスも帽子も禁止、寺院内でのお買物は一切値切ってはだめ、仏像や仏画を指さしてはいけないなど、現地ガイド 林さんから注意を受けた。
147段の急な石段を登る。海抜3,250mでの階段はきつい。
 チベット仏教では何でも左が先である。お寺に入るのは左足から、聖水を受けるのは左手、マニ車を回すのは右回し(左から右へ)、そしてお寺を出るときは右足からとなる。寺院内は時計回りに拝観することになっている。
 屋上に上がると、大広場になっており、そこから小高い山々と平原と、池が眺め渡せる。
 我々観光客が登れるのはここまでである。

[頭象・龍体の魔除け]

ここから見上げる寺院の上層部がまた見事で、屋根や、屋根の上を飾る装飾の全てが金箔なのである。太陽光をはね除け燦然と輝く様は、開いた口がふさがらないという感じだった。              
 一般のチベット人の質素な生活から察すると、これほど贅を尽くした寺院を、信仰のシンボルと崇められるのだろうか? 無信心の私には到底理解できなかった。
 
 最終日とあって、旅行社としても我々を民芸品店に連れて行かなくてはならぬようで、現地ガイド御指定の店にバスを横付けにしたところ、停電で、買い物タイムはキャンセルになった。
 時間的な余裕もできて、最後の観光スポット[シャングリラ古城]ではたっぷり散策を楽しめた。
 旅行2日目、麗江に着くやいきなり連れて行かれた麗江古城ほど大きくなく、どことなく似通った、こぢんまりとした綺麗な街である。
 旅行者が少なく、観光地風にいじくられていない(それでも数年前に比べると大変様変わりをしたそうである)。何処を歩いても街の中心に戻れるようになっているから迷子になる心配もない。
 チベット独特の木造建築(商店)には、表に面した部分全体に細かな彫刻がしてあり、仏閣のような佇まいである。

[古城・チベット族の店]

 歩道は4mぐらいの狭さながら、石畳で整然と舗装が施されている。
 この旅行の記念に、何か一つ思い出になる物を買いたいと、古城内の民芸品店に入った。
 現地ガイドの林さん、楊さんも御指定店が停電だったので、ツアー客全員をこの店に導き入れたということなのだ。
 私が仏画を見ていると、店長がやってきて、やいのやいの口を挟んでくる。私が見ている仏画を、漢方薬が並べてあるケースの上に乗り、壁から外してきて、300年以上前の絵だと言うのである。
 仏画は90×120㎝の大きな物で、裏には作者の手形(左右)が血判してあり、チベット文字も血で書いてある。
 楊さんが、
 「300年以上前の文物は国外持ち出し禁止になっています」と口を挟むと、店主は
 「これは大丈夫です」と年代を濁らせるのである。
 16,470元(日本円で28万円)だというのである。
 「見るだけだ。要らない」と断ると、
 「幾らなら買うか?」と迫ってくる。
 「10万円(5,882元)だな」と答えると、林、楊さんはそれは無理というような顔、店主は15万円まで妥協してきた。それ程感動的な絵ではないし、そんなに欲しいとは思わないから、負ければ買っても良い。コレクションの一つにはなるだろうぐらいには思った。
 何度か、もう少し上乗せしてくれと言っていた店主は、渋々10万円で折れた。
 高価な絵であるから、梱包は黄色の布で丁寧に包み、掛け軸の紙箱に入れてくれた。
 支払いはカードである。レイトのことで、中国レイトにしてくれと言う。150元(2,550円)余計になると言うから、
 「それなら要らない」と突っぱねると、
 「通常レイトで良いです」と渋々応じた。
 商談成立後、私としたことが失敗だった。7万円で良かったのにと反省。
 そこで、これも特別欲しいわけではないのだが、(林さんが首に下げていたのと同じ)[陸の珊瑚]を出して貰った。
 チベットの男性が、家代々のお守りだとして、受け継ぐ物で、かなり高価な天然石なのだそうである。
 私が選んだのは丁度小指ほどの大きさだった。天然の模様がその石に浮き出ていて、私のは『縦の線に○がひとつ』、対称に出来ている。
 この模様にはそれぞれ意味があり、《友達が出来、お金が貯まり、幸福になる》一物なのだそうである。林さんのお守りより大きい。これに縦位置に紐を通し、飾りの石も付け、首に下げるようにした。
 さてお値段は、18,600元(316,200円)だと言うのを、有無をも言わせずいきなり4,000元(68,000円)にさせた。先に仏画を買っているからだが、林、楊の二人は眼を白黒させていた。店主が
 「この石なら、何時でも1万元で買い戻しますよ。何処の店へ持って行ってもそれだけの価値があります」と付け加える。林さんもその通りとうなずいていた。
 この石珊瑚に余計なお金を払ったわけだが、仏画で損をした分相殺でき、してやったりという気分に浸ったものである。  
 二つ合わせて1万元の買い物であった。
 高山病でシャングリラに残った御婦人も、傍で見ていて、(私の値引率で)少し小さいのを買い大喜びしていた。
 「鈴木さんは御商売が上手です。今まで沢山のお客さんを連れてきたけど、こんなに負けさせた人はいませんでした」とは楊さんの感想だった。

 街を出た脇の小山に、世界最大の経車(マニ車)があると言うので、なんぼの物か見に行ってみた。   

[世界一のマニ車]

       
 見るまでは想像もしていなかった。その大きさに吃驚させられた。一人ではとても回せない。回転させることができるのだが、大きさが大きさだけに一人で回すのはとても無理である。数人がかりでようやく時計回りに動かすことができるという代物だ。これを回すとカランカランという鐘の音が鳴り、丁度これが古城を象徴する音になっているようだ。
 下部全体に丸くパイプが取り付けられていて、マニ車を回すのにはこのパイプを掴んで腰を入れ、数人で回すことになる。直径は20m以上、高さは60mはあると見た。とにかく馬鹿でかい。
 金色に輝いているから、金と真鍮の合金だと思う。夜間はライトアップされるそうだけど、こんな辺鄙なところに夜の観光客が来るのだろうか? 
 二つの世界遺産を堪能し、短い間に4カ所のハイキングをこなしたこの旅も、シャングリラ古城でゆったり過ごせ、終了となった。
 富士山の高さの高地だという環境にも、身体がすっかり慣れたところだ。後は飛行機を乗り継いて、日本へ帰国するだけである。

 広州のホテル・華厦大酒店には午後7時20分に着いた。部屋割り後、徒歩で近くのレストランへと向かった。
 さすが食の広州である。豪華な料理が並んだ。元が残ったので、ちょっと奮発して赤ワインを注文し、お別れの意味を込め、みんなで乾杯した。(270元・4590円)
 私は9時にホテルで 戴宏恩君と会うので、先に席を立った。
 戴君は私が1989年に身元保証人になり、日本留学をお手伝いした青年である。現在は広州に在住し、日系企業に勤め、結婚をし子供もいる。
 最後に別れてから15年ぶりの再会だ。今回の旅行の2日前、広州に泊まるんだと言うことに気がつき、E-mailで連絡を取った。運良くMAILを読んでくれて、今夜の再会にこぎ着けた次第である。
 暫くロビーで待ったが、来れば連絡してくるだろうと、部屋で待つことにした。
 直ぐに電話が掛かってきて、エレベーター前で待ち、部屋へ案内した。
 子供を二人も連れていた。上が男の子で3歳。下は女の子でもうすぐ1歳になると言う。奥さんは14歳年下だそうで若々しい美人だ。下の子を抱いて50がらみの女性が一緒に来たので、てっきり義母さんかと思ったら、子守のメイドさんだという。
 ホテルの近くに川が流れていて、食事付きのクルージングがあるというので行ってみたところ、時間が遅く船は停まっていた。
 先ほどのレストランでの食事となった。300元(5,100円)ほど残っていたので、食事の足しにして貰った。
 中国では一人っ子政策で、子供は一人しか産んではいけない事になっているのに、二人の子持ちは立派である。
 「罰金は幾ら払ったの?」
 「日本円で250万円です。私の両親はもう一人産んで欲しいと言っています」
 「生むつもり?」
 「今考えているところです」
 罰金というか、税金を払えば複数人でも生む事が出来るが、中国人の平均年収の25年分は高いと思った。
 戴君は日系企業の管理職をしていて、日本円で30万円の月給取り、すでに一戸建ての住宅も買いローンも終わったと話していた。
 最近の中国でも外国との合弁でかなりの高級車を売り出しているが、戴君は大きな、自動ロック付きの高級車に乗っていた。
 子供も眠くなる時間だし、話は尽きないが、束の間の再会を楽しんだ。
 戴君が立派になってくれた事は、私が御世話をした人だけに、自分の事のように嬉しかった。

 経ってしまえばあっという間の旅だった。