雲南二大名峰とシャングリラ             の旅8日間

6 月23 日・ 土曜日・ 3日目

モーニングコールは5時30分。
 6時50分出発。今日も現地ガイドは 楊・李さんの二人である。
 目指すは今回の旅、一つ目のハイライト、[玉龍雪山(5,596m)]である。
 昨日空港まで迎えに来たマイクロバス[運転手 李さん(男性)]は、7日目(6月27日)香格里拉空港を飛び立つまで我々の足となる。
朝と日中の温度差は15度もあり、服装は高地に備え、重ね着をし、天候の悪化も考えられるので雨合羽を持参するようにとの注意もあった。
 私は合い着の作務衣の下にセーターを着込み、一応登山用の雨合羽を用意した。
 バスの中で、酸素ボンベとペットボトルが1本配られた。甘いものがあると希薄な空気によいとの説明もあった。
 60㎞を約1時間で走り、3,100mの登山センターに着いた。そこから環境バス(ジーゼルエンジン)に乗り換え、ロープウェイ乗り場まで行く。
 旅行は好天が良い。ロープウェイ乗り場は快晴で、空気は薄いとは承知していても、すがすがしい高原の空気が美味しい。
 野鳥のさえずりが優しいから余計に心地よい。然し、見上げる玉龍雪山は雲の中で見えなかった。
 ロープウェイが動き出す8時には、列に並んでいた。30分ほど待たされたが、スムーズにロープウェイに乗り込めた。15分間の天空遊泳は、孫悟空の気分だった。
 それにしてもこんな峻険な場所に、良くもまあこんな乗り物を拵えたものである。もし大風が吹いて止まったら? ロープウェイが落っこちたら? 私のロマンもこれで終わりだろう。下を覗いてはいけません。まさに鳥肌もんであった。
 雲の中を上り詰めると、雲を突き出た4,506mの展望台に着く。

[4,506m・ロープウエイ駅前]

 第一歩を踏みしめたら、自分が別人のようにふわふわしていて、歩行がおぼつかない。
 いみじくも酸素ボンベを取り出して、セットしたが、私のボンベは不良品で中身が空だった。      
 展望台のてっぺんは4,636m、ロープウエイの駅から130mを登らなければ男じゃない。板の歩道と階段が作られていて、その脇には長いすがずっと取り付けてある。

[ひょっこり顔を出した玉龍雪山]

 坂道がこんなに苦しいとは思いもしなかった。膝が重くて上がらない。少し登っては椅子に腰を掛け、水筒の水を一口、持参していたあめ玉を口に入れる。
 アジアで一番高いロープウェイで登ってきて、北半球で一番南にある4万年前の、そそけり立った男性的な氷河を見ることができた。し、一応主峰、扇子陡(5,596m・処女峰)の、綺麗な稜線が見え隠れはしたけれど、目的達成の写真撮影も出来た。

 【 玉龍雪山観光ロープウェイは、麗江玉龍雪山省級観光開発総合会社と、香港雲港機械有限会社(雲南省機械輸出入会社)の合資により建設され、670万ドルが投資された。
 イタリアのLEITNER会社の先進的なロープウェイ建設技術と設備が取り入れられ、目下、同類のロープウェイの中では、到達点の海抜が世界で最も高いものである。

  単線循環の牽引式の吊り下げ型で、全線に5基の塔が設置されており、ロープの間隔は5.2m、6人乗りで26台、運行速度は毎秒5m、主動モーターは375キロワット、一時間に片道で426人を輸送できる。
 起点は、高山原始林の中の海抜3,356mの地点で、終点は、海抜4,506m雪山の台地部にある。全長は2,968m、高低差は1,150mである。
 このロープウエイは、険しい地形の玉龍雪山の上に建設されており、1996年6月29日に着工、工事の難易度が高い上に凍土期間もあり一年間に工事が出来る時期は半年、1998年1月まで掛かり、1998年6月に、ようやく試運転の運びとなった。
 1998年の12月19日に正式に運行が開始、路線の工事完成と、完成後の設置、調整に約2年半の年月が費やされたことになる。
 このロープウェイは、世界のロープウェイの発展・進化を代表するもので、高くて険しく厳しい条件下で、工事は非常に大規模なものとなった。
 長さと高低差は、中国国内のロープウエイの中で最高であり、工事の困難さは例を見ないものであった 】

[玉龍雲山・5596m・未踏峰]

 4,591m地点まで登った。私の人生で到達した最高地点である。時計を見たら集合時間が迫っていたので、展望台のてっぺんまで登らずロープウェイ乗り場に戻った。
 この時には雲がにわかに立ちこめて、玉龍雪山は姿を消してしまっていた。
 雲南の民族が、[神々の住まう山]と崇める玉龍雪山は、頂上の白く輝く雪が天翔る銀色の龍に見えたことから[玉龍]と名付けられたという。
 ほんの束の間の、勇姿拝覧観光だった。私が常ずね豪語している[お天気男]の面目躍如であった。
 天空散歩の後、麗江へ戻り昼食。ナシ族のガイド 李さんとはここでお別れした。
 麗江を後にして、バスは約100㎞・2時間30分走行し、長江の支流金沙江にある駐車場に着いた。
 世界有数の大峡谷“虎跳峡”(海抜1,700m)を見る片道2㎞のハイキングが組まれている。ここまで降りてくると、気温は30度、Tシャツ一枚でも熱い。
 虎跳峡は谷の深さが3,900m(富士山の高さを優に超える)、両側に切り立った山が迫り、その両岸に岩を砕いた石畳の道路がつくられた。
 落石が多いので、道路上の岩を廂(ひさし)のように残し、その下をへばり付くように歩く。 
 ガイドブックにはなだらかな道だと書いてあったが、展望台付近までの人力車があって、二人で乗っても20元(340円)だ。
 ツアーの御婦人が歩く自信がないというので、お付き合いで乗ってみた。
乗り心地は余り良くない、のけぞるような形、車夫はハアハア荒い息を吐き、途中2度休み、終点に着いたら、歩道の上に大の字にひっくり   [天下一危険・激流の虎跳峡・虎跳石] 返ってしまった。なんだか気の毒になってチップ10元(170円)をあげたが、自分が車夫でなくて良かったとつくづく思った。  
 虎跳峡は全長が15㎞の大峡谷で、展望台付近の川幅が急激(5mほどに)に狭くなっている。
 その中央に高さ十数メートルの巨石(虎跳石)があり、狭まった川幅の水流が凄まじく、激しく流れ込んでくるので、赤土色の川が白く泡立ち、轟音となり、大自然のパワーが爆発したような迫力となる。

[天下一危険・激流の虎跳峡・虎跳石] 
[ 虎 跳 峡 ] の 石 碑

 虎がこの峡谷を、巨石をステップにして飛び越えたという言い伝えから、虎跳峡と名付けられた。
 人力車に展望台付近まで乗ったお陰で、一番乗りで展望台に着き、[天下一危険]と言われる虎跳峡をゆっくり見学できた。
 写真にしてみたところ、赤土色の水が、ちょっと濁った感じにしか写っていなかった。

 適当なハイキングがあり、ホテル迄のバスでは、景色そっちのけで居眠てしまった。
 今夜のホテルはシャングリラで一番大きな五つ星、[天界神川酒店]である。
 ロビーに明日からの現地ガイド 林さんが来ていた。色黒で長髪、チベット族独特の褞袍(どてら)の民族衣装(ズボンはGパン)を着て部屋割りを手伝っていた。
 乗り継ぎの空港で、切手と絵はがき20枚を買い、パソコンで印刷してきた住所シールも貼っておいた。ホテルの前の御茶屋で、缶ビール350ml・5本を買ってきて、(時間的に余裕があったので)飲みながら一気にメッセージを書き上げた。