友と往く上海の旅

上海の位置

2005年5月12日(木曜日)~16日(月曜日)

 48年間も親しく付き合ってきた岩倉高校の同級生 若林秀夫氏が今年3月、今まで経営していた不動産の店を閉じた。(彼とは『おまえ』『俺』で呼び合う仲だから以後は敬称無しで進めたい)
 仕事をリタイヤしたら[ポルトガル]へ旅行しようと随分前から決めていたのだが、私が探してきたJTBのツアー商品は38万円と偉い高いものだった。
 彼の奥方も長年働いたのだから是非行ってらっしゃいと尻を押してくれたのだが、これから年金生活をする身になればおいそれほいと出せる金額ではない。
 「日本と関わりの深い国を旅したいのならば、お隣の韓国や中国でも良いんじゃない? あそこならそんなに高くないと思うよ」
 「でもよ。韓国は反日感情が凄まじいみたいじゃないか? サッカーの試合を見ても対日本戦となると闘志むき出しで、はっちゃきになって掛かってくるから日本は適いやしない」
 「あれはさ、太閤秀吉時代の侵略戦争からの憎しみも交じっているし、お年寄りが次の世代にその時からの屈辱や苦しみを語り伝えてきているからだよ。それから比べたら、中国人の方が反日感情は穏やかだと思うよ。それに中国には見切れない程のスケールのでっかい観光地が沢山あるよ」
 「それなら上海へ行くか? 上海へは一度は行きたいと思っていたんだ」とまあこんな会話を交わしながら上海行きが決まった。
 格安のツアーとなると、毎月パンフレットを送ってくる[阪急交通社]の商品が際だって安いし、内容もまあまあなので、若林の都合を聞き旅行日程を決めた。
 ゴールデン・ウィーク後の一番料金の安い、催行決定印の中から、《上海ちょっといい旅5日間》5月12日(木)~16日(月)・¥65,800円を申し込んだ。
 [桂林]とか[黄山]等景勝地は沢山あるが、中国は広い国なのでその移動で旅行の半分はつぶれてしまう。その事を考えると[上海]のみに5日間の旅は旅としては理想的な選択だと思う。
 私は中国へは35回以上も旅していて、その旅の行き帰りに上海へ立ち寄るから、上海へは40回目の訪問になる。

上海[浦東エリア]

 以前私が、日本留学を希望する学生の[身元保証人]を引き受けた教え子が数人上海にいるので、E-mailや手紙等で連絡を入れておいた。
 今回は“若林の退職祝い旅行”と銘打っているので、私には飽きる程の上海でも、行くたびに様変わりする現在の国際都市を若林にはたっぷり見て欲しいと思っている。
 若林の奥様は乗り物全般にアレルギーで、特に飛行機なんて聞いただけで体調が壊れてしまうそうだ。
 普通に旅行が出来るなら、私の妻も御一緒したかったと呟いていたが、そういった事情で男二人だけとなった。
 他にも岩倉高校の同級生に声を掛けてみたが、皆さんそれぞれ忙しいようで、『5日間も休めないよ』と断られ、今回は二人のみので申し込みとなった。
 申し込みは3月の12日だった。申し込みの手続きは旅慣れた私が、若林には見えないところでテキパキと進めてしまう。  
 取り敢えずはパスポートを申請して貰い、取得後、旅行代理店に[パスポート番号]を電話連絡をすればいいのだからと説明する。
 最近では電話一本で申し込みから、旅行代金の引き落としまで済んでしまうから、若林にしてみれば一体全体どうなっちゃっているのか不安だったらしい。
 申込用紙だけは本人に書いて貰った。 
 暫くしてパスポートが取得できたとの連絡が入ったので、申し込み用紙に書いたローマ字のスペルとパスポートのが合っているかどうか確認し、そのパスポート番号を知らせておくようにお願いした。

 4月に入って、突然テレビに中国各地で起きた反日デモの様子が映し出された。
 北京市北西部で9日、日本の国連安全保障理事会常任理事国入り反対や、歴史教科書への不満を訴える市民ら1万人以上が集まり、[打倒日本]などと気勢を上げてデモ行進し、一部が市中心部などに向かい日本大使館や大使公邸を数百~数千人の群衆が囲んで投石、大使館では窓ガラス約20枚、公邸では数枚が割られるという事件だった。
 中国の首都でこれほど大規模な反日デモが行われたのは、1972年の日中国交正常化以来初めてで、日中関係が深刻化することは確実となった。
 デモ隊のスローガンに[愛国無罪]が叫ばれているからか、中国政府や公安当局は集会を規制せず、事実上容認した。
 集会は同市海淀区中関村の広場で開かれ、反日団体によるインターネットの呼び掛けなどで集まった参加者は[日本と外交関係を断絶しろ]などと書いたプラカードや横断幕を持ち、日本国旗を焼いたり、日本製品排斥などを叫んだ。
 デモ隊は市中心部へ向かう途中で警察の阻止線を突破、日系企業の街頭看板や日本料理店に投石、店の窓ガラスが割られた。
 また中心部を東西に横切る目抜き通りの長安街を行進したり、日本大使公邸近くで日本車をひっくり返すなど市内は騒然となった。
 中国南部の広東省広州市でも10日、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りなどに反対する約2万人の群衆が日系スーパー、ジャスコの入る商業施設前に集まり、投石などの抗議行動をした。
 これに先立ち約3,000人が、日本総領事館の入る市中心部のホテル周辺を取り囲み気勢を上げた。同省深圳市でも約1万人がデモを行い、9日に首都北京で起きた1万人以上の大規模な反日行動が飛び火した形となった。
 日本政府の抗議にもかかわらず、過激な反日行動が収まる気配はなく、中国に進出する日系企業などの懸念も強まりそうだとテレビは報道を繰り返す。
 広州、深圳で日本人の負傷の報告は入っていないが、上海市の日本総領事館によると、日本人留学生2人が9日夜、同市内の飲食店で日本人であることを理由に、中国人に頭部を殴られて怪我をした。一連の反日デモ発生後、日本人に負傷者が出たのは初めてで、由々しき事態になってきた。
 日本政府の[謝罪]と大使館等の破壊に対する[賠償]要求に対し、中国政府は「デモの責任は日本側にある」とし突っぱねてきたから、連日の中国反日デモ報道と重なり、ゴールデンウイークに中国旅行を計画していた人達が一斉にキャンセルに走った。
 中国は“危険”だと云う印象が際だって浸透してしまったのである。

 私は中国については熟知しているから、日本の報道に左右されるほど危機感は感じなかったが、若林と奥様はさぞかし心配していることだろうと予測していた。
 私から、どうするか聞いてみるべきか? 5月12日は思案しつつ出勤してしまった。職場に珍しく妻から電話があり、若林さんから電話があって、また後で掛けるそうよとの言付けがあった。
 暫くすると若林から電話があり、熱海からだという。奥様と保養に来ていると前置きし
 「中国は大丈夫か? 内のが心配してさあ、明日からだとキャンセル料を取られると書いてあったけど?」
 「俺の方からも電話を掛けようと思っていたんだ。熱海からじゃ電話代が大変だな? テレビでは大袈裟な取り上げ方をしているけど、中国じゃあ、きっとこの事を国民に知らせていないと思うよ」 
 「日本人の学生が襲われたそうじゃないか?」
 「中国政府も馬鹿じゃないから、これ以上こじらせると国益にならないことぐらい知っているよ。オリンピックを控え国際的な非難を警戒して、5月1日のメーデーと、[抗日闘争5・4記念日]のデモは押さえ込むと思うよ」
 「旅行代理店の話じゃ中国旅行のキャンセルが殺到したそうじゃないか? 修学旅行も取りやめた学校が多いそうだし・・・・」
 「俺は心配していないけど、キャンセルしても構わないよ」
 「どうしようか迷っているんだけど、鈴木がそう言うんだったら大丈夫だよな?」
 「せっかくパスポートを取ったんだし、キャンセルしちゃうともう二度と海外旅行のチャンスなんて無くなってしまうかもよ。それにツアー客は俺たちだけになるかも、空いていてのんびりした旅になると思うよ」
 「旅行代理店から中止するなんて云ってこないか?」
 「そうなればキャンセル料は取られない。事態は落ち着くから、行って様子を見るのも一興じゃないか?」
 若林にしてみれば半信半疑のようだった。旅行決行を確認して電話を切った。
 中国の教え子にデモの様子をE-mailで聞いてみたところ、つい最近無届けデモがあり警官の制止を聞かなかった16人が拘束されたニュースを見てデモのことを知ったとのことだった。
 広州の教え子にも問い合わせをしてみたが、日本領事館等に投石があったなんて全然知らない、何かの間違いでは? てな感触だった。
 
 5月1日はタイの友人がアメリカ旅行の帰りに我が家へ遊びに来るので成田空港第一ターミナルまで出迎えに出た。
 友人の名は サンパン・ピチャンスーントンと言う。
 彼とは23年前私が北千住に住んでいる時、酔っていて、駅前を歩いていた三人連れの外国人に声を掛けたのが切っ掛けで、その足で我が家へ案内したものである。
 その後娘を連れてタイを旅行したり、妻を連れて訪れたこと、その他、私個人でも7回ぐらいタイへ寄る度に彼の家にホームステイした。
 サンパン氏も奥様同伴で我が家に滞在したし、サンパン氏も2度程一人で日本に来て、我が家に一週間ぐらい滞在している。
 今回はサンパン氏も完全リタイヤしたことで、2ヶ月間アメリカにいる息子に会ってきた帰りに、東京見物に寄ったのである。
 5月1日から15日まで滞在する日程を組んできている。
 我々が上海旅行を申し込んだ後の連絡だったので、出発後に接待は不可能なので、一緒に上海旅行をしましょうと言うように話を進めた。
 タイの人が中国へ入るにはビザが必要で、アメリカで取得するよう手配をして貰ったが、書類が間に合わないと云うことで中国行きは実現しなかった。
 サンパン氏を接待するのは7日迄とし(既に中国旅行で6日間も休暇を取っていることだし、そうそう職場を休むわけにも行かないから)、8日以降は川崎に在住の柴田さんにお願いした。
 空港への出迎えは、サンパンさんが持ちきれないほどの大荷物(スーツケースを3個とリックサック)で旅行しているので、友人にお願いして[ワゴン]を出して頂いた。
 サンパン氏の出迎えには妻も同行、誠意を持っておもてなしをしつつも、気がかりなのは中国での反日デモの動きである。
 ニュースを注意深く追ってみたが、私の思惑通り中国政府が動いた。
 中国当局は[黄金週間(大型連休)]初日に当たるメーデーの1日、反日デモを警戒し、北京や上海など主要都市で厳戒態勢を敷いてデモ発生を抑え込んだ。
 また、反日ウェブサイトの規制を強め、複数のサイトが閲覧不能となった。(政府がこんな事をやっちゃうのだから中国は凄い)
 上海では日本総領事館周辺にコンテナを置き、道路を封鎖した上で約1,000人の警官を配置。北京でも日本大使館の近くに警察車両約20台と100人以上の武装警官を配置し、4月9日に大規模デモがあった市内の中関村の広場でも約100人の警官を待機させた。
 広東省深圳では、市中心部の日系スーパー周囲を武装警官数百人が警備した。
 北京の天安門広場付近でも、地下鉄駅出口などで厳しい荷物チェックが実施されたようだが、広場は通常通り開放され、観光客でにぎわったと言う。
 同市公安局は1日、談話を発表し《一部の携帯電話などでデモや集会を促す情報があるが、無許可デモに参加しないよう》呼び掛けた。
 上海や江蘇省の当局も無許可デモを禁じる談話を1日までに発表、反日デモの封じ込めに全力で取り組み始めた。
 中国メディアは、日中関係の重要性と社会の安定維持の必要性を強調するキャンペーンを展開。中国共産党機関紙、人民日報は1日、日中関係改善を訴える新華社の論評を掲載した。
 これまでサイト上では5月1日と、抗日闘争[5・4運動]記念日の4日に上海、南京などでデモを行うとの書き込みがあり、深圳でも2日と4日にデモを行うとの情報が流れた。
 (中国の黄金週間:5月1日のメーデーに合わせた1週間の大型連休である。日本のゴールデンウイークに相当する。今年は1日から7日まで。前後の土曜、日曜は振り替えの出勤日となる)

 私の友人が「今回は止めた方が良いのでは」と心配の電話を下さったが、
 「日本人に見えないよう慎ましやかに旅してきます」からと釈明しておいた。(素直に従えない自分が小泉首相の靖国参拝みたいで変な感じがした)

 2日からはサンパン氏の希望も聞いて、娘(理花)の[アトリエ]を見学の後秋葉原でのショッピングとステーキ料理を食べた。
 3日はやはりショッピングとイタリア料理、4日は川崎さんの[ワゴン]で、栃木県の[出流(いずる)山寺院と鍾乳洞][大平山神社][栃木の山車博物館][山本有三記念館]等を見て回り、5日からは会津鬼怒川線の[龍王峡]を散策し、[川治温泉・柏屋]に一泊した。
 翌6日は[東武ワールドスクウエア]を案内した。
 7日には川崎に住む柴田さん御夫妻が大きな車で我が家まで迎えに来てくれまして、以後の滞在をお任せした次第である。
 出発を2日後に控え、若林と電話で荷物のチェック、待ち合わせ場所の確認をした。細かい事のようだが、中国のホテルでは歯ブラシが付いていない場合が多いので、洗面具を用意する事、髭剃りなんかは機内に預けるスーツケースに入れた方がよいなどを説明した。

5月12日(木曜日)・第一日目

お互い別々に家を出て、第二旅客ターミナル3階・Gカウンター付近で午後2時に合流した。
 中国の空港で時間がないと困るから、若林が来る前に両替所で、中国通貨5,400元(78,894円・1元14.61円)を換金しておいた。
 アメリカと違って、出国手続きは至って簡単だった。
 スーツケースを預け、チケットを受け取った後4階のレストランで軽く一杯、ビールで乾杯。中国で呑む[オールドパー1リットル入り]と土産用の日本製たばこを2カートンを免税店で購入した。
 出発30分前にゲートが開いた。久々の空の旅となる若林には窓側に座って貰った。デモ騒動が幸いしてか、 機内はがらがらだった。中国旅行でこんなゆったりしたフライトは珍しい事である。
 16時55分(MU-522便)成田発だが、家を11時半に出ている。
 《上海ちょっといい旅5日間》日程の商品名でも、初日と最終日は移動だけで終わってしまうから実質旅行日は3日間という事である。
 MU(中国東方航空)のドリンクサービスのアルコールはビールだけだった。中国製の缶ビールはお世辞にも美味しいとは言えない。
 機内食も肉と魚があった(日本の蕎麦付き)けど、これ又『NO結構』だった。この日ホテルでの夕食はないので、頑張ってまずいビールを数回リクエストして無理矢理お腹に流し込んだ。
 中国の[入出国カード]と[入境検疫申請書]は若林の分まであらかじめ作製しておいたし、3時間5分のフライトはもう着いたのかという感じで、あっという間であった。
 天気も良く順調なフライトで、機は予定通り午後7時には浦東国際空港に到着した。
 [浦東国際空港]は中国最大級の空港である。そのどデカいのもさることながら、これが空港とは思えぬほど中は閑散としている。
 乗客が少ないから機内に預けたスーツケースも直ぐに出てきたし、入国審査もスムーズだった。両替は成田でしてきたし、20分ぐらいで出口に出られた。
 いつもなら空港出口は、出迎えの旅行代理店のスタッフでごちゃごちゃしているのに、今夜は観光客らしい団体も出てこなかった。
 阪急交通社の旗を持った女性が直ぐ目に付いた。近づいていくと
 「鈴木様ですか? ようこそいらっしゃいました。私は5日間御一緒するガイドの曲と申します。どうぞ宜敷お願いします」と上手な日本語で声を掛けてきた。
 私たち以外にもツアー客が居るものと思い周りをきょろきょろ見回してもそれらしい(Trapicsのバッチを付けた)人もいない。
 「どうも、鈴木です宜敷お願いします。こちらは若林です。で、私たち二人だけですか?」
 「はい。初めは20人の予定でしたが皆さんキャンセルされました」
 私が予想した通りになったのにはいささか驚いた。
 日本のメディアでは、上海領事館に投げ込まれた夥しい数の石やペットボトルの残骸、日本人経営の商店のガラスが割られたりした現場、中国在住の日本人家族が外出を控えたり、帰国を考えている等の映像やインタビューを流したりしたものだから、中国は危険だと思わせたのだろう。
 「俺が云った通りになったろう。のんびりした旅行になるな? 個人旅行と同じだ、反日デモ様々って所かな」
 「たった二人なのに、阪急旅行社が良く催行したなあ?」
 「この日の出発は催行決定で売り出していたから選んだんだ。一人でもお客が居れば旅行会社では損をしてでも催行するんだよ」
 「忘れ物は御座いませんか? それではお車の方へご案内します」
 10人乗りのマイクロバスにスーツケースと我々二人だけである。運転手・李さんを紹介されて、いざ出発である。
 「ホテルまでは約40分掛かります。鈴木さんは上海は何回目ですか?」
 「中国には35回ぐらい来ています。上海経由の旅行は往復上海に寄りますから、40回位になりますかね?」
 「凄いですね」
 「一番最初に来たのは28年も前になります。その頃の服装は男性も女性もブルーやグリーンの人民解放軍の服ばかりで、履いている靴はビニール製のサンダルでした。曲さんはまだ小さかったから覚えていないでしょう?」
 「ビニールのサンダルを履いていたんですか? 私の記憶では、周りの人はみんな靴を履いていましたよ」
 曲さんの話に隔世を感じる。普通のツアーなら、ホテル到着までに中国の通貨・人民元の種類等の説明から、飲み水の注意、命の次に大事なパスポートの管理から盗難に対する注意等細々した説明が有る筈なのに、若林には何も語らず、一切説明らしきものは無かった。
 上海へは来る度に驚くべき発展と躍進ぶりを、厭と言うほど見せつけられる。
 高速道路はほぼ完備されたようだし、空港から上海の中心までの間、50~60階を超すビルがにょきにょき建っていて上海全体が照明で浮き上がっていた。
 以前高速道路の照明はフォグ灯のような黄色いものだった物が、今は日本と同じような白い蛍光色の照明灯に代わっていた。
 「曲さんは[反日デモの様子]を掴んでいましたか?」
 「いいえ全く知りませんでした。急にキャンセルが続き日本からのお客様が来なくなりました。4月の中旬過ぎに無届けデモをしたとして16人が逮捕されたニュースがありまして、それで始めてデモのことは知りました」
 「衛星放送なんか見ないのですか?」
 「会社にも衛星放送が見られるテレビはありません。4月の中旬過ぎから国内のテレビで、無届けデモには参加しないよう連日のように呼びかけていましたから、それに『日本と経済的な摩擦を起こすのは中国にとっても得策ではない』と繰り返すので、大体の事が判ってきました」
 「それじゃあ上海の日本領事館に投石された事や、日本の商店の硝子が割られたなんて事も知らないのですか?」
 「少しは観光にお出でのお客様もいましたから、そのニュースは聞きました。だけど一般の中国人はそんな事件があった事すら知りませんよ」
 上海観光をするに当たっての治安情報は捕まえておきたい。若林にしても不安な気持ちを払拭したいところだろう? ガイドさんですら日本のテレビで連日報道された反日デモのことを知らないのである。
 「お聞きの通りだ。つまりあまり心配する程のことはないと言う事さ」
 「キャンセルどうのこうのの時、鈴木が言っていたから心配はしていなかったけど、案ずるより来ちゃえばどうって事無いか?」
 
 上海の高層ビルライトアップと高速道路からの夜景を見ながらマイクロバスは30分ほどで[上海逸和龍柏飯店(4つ星ホテル)]に到着した。 
 たった二人きりのツアーじゃ何か申し訳ないような、気の毒な気持ちになるもので、成田の免税店で買ってきた一箱に5本入り[セブンスター]1カートン(40箱入り)を李運転手と曲さんで分けて下さいとチップ代わりに手渡しておいた。(中国人にとても喜ばれるタバコで、実を言うと友人に買ってきたお土産なのである)
 ロビーに入ると既に上海在住の 馮輝(きょき)夫妻が来ていて、2年ぶりの再会をした。
 部屋の鍵を持ったポーターに案内され部屋に入る。チップ10元(146円)・普通ツアーの場合旅行代金にポーターのチップは含まれているのだが?
 暫くすると、汪迎慶君、汪の姉・秀宝さん、汪の兄(長男)の娘もやって来た。ホテルの周りにはレストランがないようなので、1階の売店で、500ml入りの缶ビールやジュース類を買ってきて貰い、持参した“つまみ”でミニパーティーとなった。
 
 【 汪迎慶君と馮輝君は1987年3月中旬私が上野を歩いているとき、もう一人の 章君と三人して(前日)上海から来日した留学生で、[正社員募集(求人広告)]の看板の意味を聞かれたのが最初の出会いである。右も左も判らない3人を見るに忍びなく、その日昼食を御馳走し、雑誌のアルバイトニュースを買い、一日中就職探しに付き合ってあげた。身元保証人になり就職をさせ、彼等の住むアパートまで私名義で借りてあげ、無一文の彼等に代わってアパートの権利金・敷金等の立て替えまでしてあげている。以後18年間交流を続けている。章家族は現在ドイツに在住(連絡なし)】

 馮君の奥様は私の妻と体型がぴったりなので、まだ充分日本でも通用する妻の衣類を洗濯屋で仕上げ、スーツケースに入れて運んでくる。出発前にE-mailで伺い、お気に召すならばどうぞという感じでお渡ししている。
 今回私たちの歓迎にホテルまで駆けつけてくれた馮君の奥様が着てきたのは、 「このスーツはこの前戴いたものです」と御披露を忘れず、今回も両手一杯の衣類に喜んでくれた。
 汪君にはE-mailで頼まれた、[SONY・ウォークマン][SBカレー・ルウ]を渡し、私から頼んでおいた妻愛用の[片仔廣(真珠のクリーム・一個60元・円876円18個」を受け取り、精算を済ませる。
 私は中国に来る度に、購入する時間があれば、中国産の[高級烏龍茶・(一斤〈500g〉・250元・日本円3,653円)を3kg」を買って帰り自宅で飲んでいる。
 汪君は烏龍茶に詳しいので、1,500元(14,612円)を預け、保管の良いように200g真空パック詰めにして出発前日にホテルへ持ってきてくれるようお願いした。
 【 汪と馮は日本語の勉強をあまり熱心にやらなかったため、1年で帰国させられてしまった。午前中日本語学校に通い、午後は寸時を惜しんでのアルバイト(当時1時間600円)、夕方仮眠をして、午後10時からは私が共に面談して就職できた夜間の仕事に出る(これは大手レストランの厨房の清掃で、実質5時間の労働で一日9,000円貰えた)。よく身体を壊さなかったと感心している。2人は1年間で当時の200万円を稼いで帰国したものだ。(当時上海の1ヶ月の平均給料が日本円で3,000円だった)章君は日本に来たときから日本語を上手に話せたから、2年目は私が身元保証人を友人に頼み、2年間留学して600万円を稼いだという。その資金を生かしてドイツ市民権を得ている 】
 
 汪君とて満足に日本語を喋れないのに、私が中国人の友人を相手にあれこれ取り仕切っているのを見て、若林はただ見守るだけ、どのように映ったものなのだろう?
 乾杯の後、大学に通っている汪君の姪に「本でも買いなさい」と200元(2,922円)、この日は来なかったがやはり大学に通っている 馮君の息子にも200元、と、小学6年生になった秀宝さんの息子にも私からだと100元(1,461円)を持たせ、しっかり勉強するように言付けを託した。
 個人旅行の時は無論だが、ツアー旅行の祭にはホテルを知らせておくと彼等は大挙して駆けつけてくれる。
 上海に連泊するようなら、一晩はツアーから離れて、彼等との晩餐を取るようにしているので、若林の了解も得て、3日目の夜に合うことにした。
 前回(2年前)はインターネットで若い女性通訳2人と契約し、レストランまで来て貰ったのだが、臨時ガイドが見付からなかったというので、今回は旅行ガイドの曲さんと運転手の李さんも晩餐に出て貰うことにして、曲さんに通訳をお願いした次第である。
 晩餐の時のレストランについては、曲さんと馮君とで携帯電話で打ち合わせをして貰うことにして、上海の友人達は午後11時過ぎに帰って行った。