第二日目・9月24日(金曜日)
午前8時30分 ナイアガラの滝観光へ出発である。

途中で現地ガイド〈ユミコ〉さんを拾う。(学生の時にホームステイに来てそのままカナダに在住した日本人女性)
バスはカナダ滝を遡ってナイアガラ川をエリー湖の方に走った。
こちらの方へは滅多に観光客が来ないそうだが、川半分カナダ側だけにダムが造られていた。
強烈なスケールで観光客を魅了するナイアガラの滝は、北アメリカ大陸中東部、カナダとアメリカ合衆国の国境に位置し、エリー湖からオンタリオ湖へながれるナイアガラ川にある。
川の中央にある合衆国領のゴート島によって、カナダ滝とアメリカ滝に分かれている。
カナダ滝[別名ホースシュー(馬のひづめ)]のほうが大きく、高さ52m、幅675mで、アメリカ滝の9倍の水量を落下させている。
アメリカ滝は高さ55m、全長320mである。ゴート島寄りに小さな[ブライダルベール滝]を従えている。
ナイアガラの滝ができたのは、大陸の氷河が北へしりぞいた12,000年ほど前だと言われている。
ウィスコンシン州からニューヨーク州へのびるナイアガラ・ケスタ(緩急両斜面が交互にあらわれる地形)を、エリー湖からながれてきたナイアガラ川がこえるところに滝が形成された。12,000年の間に浸食によって滝の位置は11kmも上流へ移動し、そこにナイアガラ峡谷がつくられた。現在、水量の多いカナダ滝は年に1.5m、少ないアメリカ滝は15cmの速さで浸食している。
1945年にアメリカ滝のかなりの部分がくずれ、下に巨大な崖錐(がいすい・くだかれた岩石の堆積斜面)ができた。
それ以上の崩落をふせぎ、崖錐の一部を除去するために、1969年、すぐ上流にダムをつくって数カ月間、水をとめる処置がとられた。

今朝最初に訪れた見学ポイントカナダ側のダムによって現在では、夜間水量の調整をして、浸食を最小限に食い止めているのだ。
ナイアガラ川の流量は毎秒5,520㎥もあり、しかも垂直におちるので、昔から水力を利用しようという考えがあった。
1757年には上流部に水車利用の製材所ができ、1853年には上流から下流へ水路をつくり、その急流で工場の機械をうごかしている。
1975年になると製粉所もでき、1981年には水力発電所もつくられた。
大規模な水力発電所としては、1996年に合衆国側に建設されたE.D.アダムス発電所が最初である。
ナイアガラには滝の形成当時から先住民が暮らし始めていたが、ヨーロッパ人が初めてナイアガラを知ったのは、1678年にここを訪れたフランス人、ルイ・エヌバン神父だった。
周辺で道路の整備やホテルの建設が始まったのは1820年代である。

滝壺の間近まで遊覧出来る観光船[霧の乙女号]が就航したのが1846年。
1904年に産声を上げたナイアガラ・フォールズ市はナイアガラの滝と言うビッグな資源を基にして、観光と水力発電の町として発展してきたのである。
壮麗な滝を一目見ようと、毎年1,500万人という観光客が世界各地から訪れる。
周辺は公園となっており、滝は展望塔や橋から、あるいは滝のしぶきが浴びられるところまで遊覧船で行け、すぐそばから見ることもできる。
アメリカ滝では滝の裏側へはいることも可能である。

滝の概略と説明を受けて、観光バスが見所へ連れて行ってくれるのに従う。
滝見学のスタートは起点となる[テーブル・ロック・コンプレックス]からである。ナイアガラ川沿いに数カ所のビューポイントが点在しているが、カナダ滝が(我々観光客を吸い込んでしまうのではないかと思われる)豪快に大量の水量で流れ落ちる様を、直ぐそばもそば、目の前で眺められるのがテーブル・ロック・コンプレックスである。
ここから見る滝は壮絶圧巻である。青々としたナイアガラ川の水が白く泡立ち青い水の色と交錯し滝となって落下して行く。
滝が滝壺に到達する様は、滝の倍になって膨れあがる水煙で見ることが出来ないが、尽きることなく滔々と巨大滝は流れ落ちる。
見た様を言葉に出して表現するならば、
「デッケえ!・スッゲえ!]だろう。ド迫力の中に強烈なエネルギーが伝わってくる。ここから眺めるカナダ滝に心を奪われて、工場の煙突や倉庫やビルも視野の中ではなかった。
興奮も冷めやらない気分で、昨晩散歩した[クイーン・ビクトリア公園]の美しい花壇でスナップ撮影をし、時間調整の為か大橋巨泉の「OKショップ」店でショッピングタイムがあった。

カナダの特産品や日本人好みの土産物全てが並べてあり、店員は殆どが日本人なので日本にいる感覚で物が買えるが、消費税が15%(国税8・オンタリオ州税7%)も取られるので値段は安くはない。
滝の対岸の入り口からエレベーターで降り乗船場まで歩く。途中で紺色のフード付き・袖付きビニール合羽を渡される。(私は日本から持ち込んだレインコートのズボンも穿いて用意周到のいでたちである。)

200人ぐらいになるまで観光客が順次並んで乗船を待っていて、遊覧を終えて着岸した[霧の乙女号]の客が下船したのと交代で乗船する。(15分毎のピストン運航)
霧の乙女号は二階建てのオープンエア・デッキだ。
一階は展望階の屋根があるので、二階の展望デッキよりは飛沫を凌ぐことが出来る。
私はカメラアングルを考えて一階のデッキに陣取ったが、妻は貪欲にナイアガラを体感しようと二階に上がって行った。

船着き場の周りは滝が作り出し吹き付けられた[白い泡]がびっしり川面を埋めている。
1846年から延々と続くナイアガラ観光名物アトラクション霧の乙女号はまずアメリカ滝に接近し、充分に轟音と飛沫を浴びせてくれる。
次にカナダ滝に向かうのだが、滝壺に落下した水量の流れが早くて強く、吹き下ろしの強風にも立ちはだかれて船はなかなか前に進まない。
霧の乙女号の周りには沢山の[カモメ]が飛んできて、餌(カッパえびせんみたいな物)をねだってデッキすれすれに平行飛行を繰り返す。
船首をカナダ滝に向けてうんうん唸りながら近づいていくと100mにも舞い上がった水煙から大粒のしずくが落ちてくるし、滝が巻き起こす強い風がまともに吹き付けてくるので前を向いてはいられない。
二階のデッキからでは写真撮影なんてとうてい無理である。
フード付きビニール合羽を着ていても、顔もびしょびしょ、ズボンの裾も履いている靴もぐっしょりになってしまった。

私はカメラをビニール袋に包み込んで、シャッターを押すたびに後ろ向きにしゃがんで、レンズをティッシュペーパーで拭き拭きして、滝との格闘的撮影だったのである。
飛沫はかなり冷たいのに、風速20m以上の暴風に立ち向かうような、はしゃいだ気分になっちゃって、そんなに冷たくは感じなかった。
霧の乙女号はカナダ滝に船首を向けて、押し流されないようにウンウン10分程踏ん張ってから方向転換する。カナダ滝の水煙がはだかって、[絵]にはならないまでも、雰囲気だけは捕まえてきた。
帰りは滝から離れての運航であったから、アメリカ滝全体を一階のデッキから写すことが出来た。
《 昨夜の散歩の時にも気になっていた気球[フライト・オブ・エンジェルズ](上空100mから滝の全景を眺められる。バルーンの中身はヘリウムガス。ワイヤーをウインチで操作)がどうも邪魔臭く感じた 》
下船するとびっしょりに濡れたビニール合羽を大きなゴミ籠に捨て、旅行会社のツアー客全員合同記念撮影にお付き合いさせられた。
レインボーブリッジの道にある[ブロック・プラザ・ホテル]での昼食は、丁度昼時だったので、10階のレストランに登るのに、エレベーター前に長蛇の列が続いて、席に辿り着くまでが大変だった。
1928年創業で、映画「ナイアガラ」のロケで、マリリン・モンローも滞在した老舗のホテルで、10階の五つ星レストランからはアメリカ滝・カナダ滝の全景が眺められる。
素早くレストランに入った私共は、滝全体が美しく眺められる特等席に座ることが出来大満足できた。
食後はバス移動。トロント市内を車窓から見学し、[オンタリオ州議事堂][市庁舎]で写真タイム後、アルゴンキンへ向けて出発である。