ひょっこり エジプト

6 月7 日・ 月曜日・ 第6日目

5時過ぎに車掌のノックで起こされた。
 朝食(パンとバター、果物とジュース)を運んできてくれ、6時20分にカイロ到着だと知らせてくれた。(紅茶かコーヒーどちらにしますか? 注文を聞いてゆき、熱いのをサービスしてくれた)
 あとで判って田舎者だなと思った。(部屋に洗面所が設置されていたのに、円い蓋を被っていたので気が付かず)トイレの隣の洗面所迄行き顔を洗った。
 カーテンを開けてもまだ窓の外は暗い、今日のカイロ市内観光に合わせ[甚兵衛]に着替えスーツケースをドアの外に出す。(車掌が運んでくれるのである)
 車窓は朝の景色を追いかけてゆく。
 靄の中に昨夕と同じようなナツメヤシとアスワン川に砂漠の果てしない地平線が続く。ずっと見ていれば、カイロ市内にピラミッドが旭を浴びて浮かび上がるのが眺められたのに、私はカーテンを閉めて寝転んでいた。(残念)
 
カイロ駅に着くとバスに乗り込みカイロ市内の中心へ向かった。
 今日のメインは[エジプト考古学博物館]見学なので、会館9時に合わせて入場出来るようモスク見学で時間調整をすることになり、先ずは
 [ガーマ・スルタン・ハサン]を訪れた。
 ムハンマド・アリ通りを直進すると現れる、[リファーイーモスク]向かい合うような場所にある。1350年代中頃に建立されたものである。
 ツインのような巨大建造物の右側にあるのがガーマ・スルタン・ハサンである。(マムルーク朝建築を代表している)
 世界最大級のイスラム建築と呼ばれており、内部は奥に長く、中央に中庭がある構造である。また、礼拝堂の奥にスルタン・ハサンの息子の墓所もある。その威容には圧倒させられた。内部には4つのイーワーン(イスラム建築における、半ドーム)があり、最奥部に霊廟がある。
 ミナレット(アザーンを呼びかける高い塔)は90mと高い。(ビルなら約30階の高さに相当する。以前は上ることができたが、安全上の問題から現在は禁止されている。登頂すれば遠くピラミッドを始め素晴らしいパノラマが一望出来る)
 この[ガーマ(モスク)]では、甚兵衛姿でもとがめられることなく入ることが出来た。お坊さんのような守衛のような人から私を写せと[バクシーシ]をねだられた。
 
[エジプト考古学博物館] 

 エジプトの首都カイロにある国立の考古学博物館(通称カイロ博物館)。年中無休。収蔵点数は20万点にものぼると言われる。エジプトの秘宝を展示する、世界的に有名なエジプト考古学博物館はフランス人考古学者オーギュスト・マリエットによって創設された。
 
1858年にエジプト考古局の初代長官に就任したフランス人考古学者、オギュスト・マリエットは、国外への流出が激しかった遺跡からの出土品の管理を進めた。出土品の収蔵は進み、やがて博物館へと姿を変えた。
 1902年に現在の建物に移った。博物館には、マリエットの功績をたたえてレリーフが飾られているほか、博物館前庭にはマリエット本人が葬られ銅像が建てられている。
 館内には、ツタンカーメン王の王墓から発掘された黄金のマスク、黄金の玉座をはじめ、カフラー王座像、ラムセス2世のミイラなど、古代エジプトの至宝が展示されている。
 中央が吹き抜けになっている館内の、1階は時代別・王朝別、2階はテーマ別に陳列されている。
 2階には貴族の墓などから出土した模型や、ミイラ(別料金40EP)があるが、目玉はトゥトアンクアムン(62番目に発掘されたツタンカーメン)の墓より出土した秘宝のコーナーである。
 お目当てのツタンカーメンの黄金のマスク(部屋の中央に高さ1m程の硝子ケースに収められている)があるのは宝石の部屋である。

ツ タ ン カ ー メ ン の [ 黄 金 の マ ス ク ]

 朝9時の開館でもう見物客でごった返している。
 展示物が豊富なのでじっくり見学するには数日かかる。我々のツアー客は空いている朝一番に入場し、2時間で美味しい所だけ見てしまおうというのである。
 田中初枝さんから得た情報では、ストロボを炊いてはいけないが写真撮影はOKだと聞いていた。
 ところが今年の4月から館内での撮影は一切禁止となってしまったのである。(ストロボ禁止というのに、違反者が多い為禁止になってしまったのう)
 楽しみが半減してしまった。(鞄・カメラ類は預けないと博物館に入れないので、バスの中に置いてきた。此処はじっくりアクラムの説明を聞いての勉強である)
 アクラムの説明を聞いたあと40分の自由見学時間があったので、1階の大きな大きな岩の彫像物を見回っていたものだから、肝心の[ミイラ展示室]を見損なってしまった。(またまた失敗)
 エジプトは遠い国だけど、是非一度は行って、このエジプト考古学博物館を訪れてみて欲しい。
たった2時間しか見学時間を取ってくれなかったのは不満だった。
 4日間に渡ってエジプトの遺跡の主だった所を見学してきて、この博物館で聞きそびれた事どもを勉強したかった。(頭には髪の毛はないけれど、後ろ毛を引かれる思いだった)

 [ガーマ・ムハンマド・アリ(モハメッド・アリ・モスク)]

モ ス ク の 内 部 礼 拝 所
[ガーマ・ムハンマド・アリ(モハメッド・アリ・モスク)]

 オスマン王朝の支配下にあったアラブ諸国の中でいち早く近代化の基礎を築いたのがムハンムド・アリだった。
 1857年に完成したこのガーマ・ムハンマド・アリはトルコのイスタンブールにある[ブルー・モスク]を真似て造った。
 そのため他のエジプトのガーマには見られない幾つもの巨大なドームと、鉛筆型の2本の高いミナレッドを備えている。
 私たちが訪れた時にはシャンデリアは灯っていなかったけれど沢山のランプが点っていて明るくとても綺麗だった。(トルコのブルーモスクには大きさも華やかさも叶わない)
 中庭にはフランス政府から貰った、今は動かない大時計が取り付けてある。(エジプトはこのお礼に、ルクソール神殿のオベリスクを贈っている。オベリスクはパリのコンコルド広場で威容を誇っている)
 昼食前に宝石店に案内された。
 この店は18金で造った[カルトゥーシュ(エジプト王の名前を表す際に用いる・楕円形を横にして端に幅分の縦線を引いた形)]に注文者の[ヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)]を盛りつけてくれる、ペンダントがメインの売り物なのだ。
 アクラムが言うには、
 「この店は政府直轄の店で国際的な金相場での金を加工発売していますので、2割・3割と値引きは出来ません」ですと話す。
 その他宝石やら貴金属等が沢山並べてあり、ツアー客一人一人に店員が付き添い、買わせようと躍起になって迫ってくる。
 考古学博物館では素通り同様なのに、こんな店ではたっぷり時間を取って、なかなかレストランへ出発しそうもない。
 貴金属なんかを買う気はないものの、時間潰しに店員に渡されるままに、手に取ってみてあげると、店員に熱がこもってきて、1,100$を1,000$にしますが、今日は特別に900$にしますから買い得ですというのである。
 「ノーサンキュー」と断っても、ひつこく「幾らなら買いますか?」と迫って来るし、最初から買う気もない。
 「500$なら買ってあげるよ」と絶対に売りっこない金額を提示した所、店のオーナーを連れてきて、何回も電卓をはじいていたが、交渉は決裂となった。
 その[カルトーシュ]は48×22㎜・14g・片面には[オシリス神(冥界での再生復活の神)]の立像が浮き出ていて、反対にはホワイトゴールド(白金)幅3㎜の縁回りに21個の小さなダイヤが埋め込んである。(結果的にはこれに私のSHINJIを盛り付けて貰った訳だ)
 このやり取りを側で聞いていた韓国女性の田中さん(Bグループのツアー客)が、私も買うから1個500$に負けさせましょうよと云ってきた。
 何としても売りたい店の店員は、
 「もう少し出して下さい。800$でどうでしょう?」とまあ一生懸命に迫ってくるので、もう一度オーナーを呼び、
 「2個買うから1個500$に負けなさい」と申し出た。
 オーナーは
 「とてもそんなに負けられない」と言うし、皆さんがバスに向かう動きが見えたので、我々も玄関に向かった所、店員が追いかけてきて、
 「その値段で結構です」と折れてきた。
 アクラムを呼んで、エジプト政府の刻印を確認させ、ダイアモンド測定器で本物かどうかを測らせた。
 アクラムが云うには
 「金の公定価格でもこんなに安くは買えません。今までいろんなお客様をお連れしましたが、これほど負けさせたのは鈴木さんが初めてです。うんと得をしましたね。鈴木さん本当に商売が上手ですね」と驚きを隠せない。(田中さんもにんまりでした)
 古代エジプト文字で名前を盛りつけ加工し、出来上がったあとホテルへ届けるというので代金はカードで支払った。(日本円で55,899円だった)

 昼食は中華料理だった。
 5日間エジプト料理で食傷気味のところ、夜行列車での軽い朝食でお腹も空いていたから、料理が出てくると皆さん一斉に箸を出し、初めの4~5皿を凄まじい勢いで平らげてしまった。
 途中から食べる速度はダウンして、あとの料理は食べきれない中華料理のパターンだったが、皆さんこの昼食が一番美味しかったと大好評だった。

 ツアーで行く食堂(中級以上のレストラン)には、たいていの場合冷えたビールやワインが置いてある。
 古代エジプトではビールやワインが盛んに造られていたが、イスラームでは飲酒を禁止しているので飲む人は少ない。しかし、現在は外国人観光客向けに政府系の酒造公社が製造している。
 エジプトのビールと言えば星のマークの[ステラビール]が定番である。創業は1897年と歴史も古い。日本のビールとはひと味違う口当たりだが飲みやすい。
 もう一銘柄、階段ピラミッドのイラスト入り[サッカーラ]はさっぱりタイプ(ビールはこの2銘柄しか製造していない。アルコール度数は4度である)
 古代エジプトではワインは王侯貴族の飲み物とされてきた。むろんワインも造られている。銘柄もいくつかあるが代表的なのは[オハマ・ハイヤーム]と言う赤ワイン、ロゼなら[ルビデジプト]が有名である。

 昼食のあとは再びバスにての移動である。

 [ハーン・ハリーリバザール]見学である。
 歴史は古く14世紀には市が出来た。19世紀初め12の大バザールが一つになって、今残っているのは此処だけである。旅行者が必ず立ち寄る観光名所である。ガーマ・ホセイン西側の一帯が、ハーン・ハリーリのバザールだ。 どこからでも入れるが、まずは広場の北東の端、カフェの横手の小道から入るといい。バザールの中は細い道がくねくね曲がりながら何本にも分かれていて、まさに迷路そのものだ。その両側に土産物屋がびっしり並んでいる。
 金銀銅の金属細工・食器・宝石・革細工・貝の工芸品・アラバスター(石の工芸品)・シャーシャ(水パイプ)・ベリーダンス衣装等々エジプトのありとあらゆる土産・物品を売っている。

ハーン・ハリーリのバザール

 教会前の広場入り口には喫茶店がずらりと並び、客引きが賢明に声をからしている。
 バザールでの“買い物のコツ”をアクラムから聞いたあと、30分ばかりの自由行動となった。
 路地から少し広い通りに出たら、甚兵衛姿の私を見たエジプト人達が一斉に拍手をし、[サムライ][ブシ・ブシ]だの[スズキ][ホンダ]だのと口々に叫び握手を求めてきたものである。
 日本人を見たら[スズキ]呼べば必ず一人位は居るのを知っていて、何より甚兵衛姿が珍しく思えたらしいのである。
 エジプト人に囲まれた私を見てツアーの人達は、てっきり私がみんなの顔見知りだと思ったらしく
 「あの人顔が広いのねえ?」と目をパチクリさせていた。
 にこやかにその歓迎に応えたのは良いのだが、数人の若い売り子に取り付かれてしまい、何を買うのか? 私の店に来いとばかり離れないのである。
 私は骨董品(アンティーク)の店を見たかったのに、言葉が判らず売り子を振り払うのに一苦労、その内方角が分からなくなってしまった。
 教会を目印にと聞いていたので、それを探し当てるのにあちこち歩き、ようやく入り口付近に戻ってきて、トイレのある喫茶店に腰を下ろした。
 バザール付近は湿気も高い。ビールを注文したらノンアルコールしかないという、仕方なく冷えたコーラを頂いた。
 [ハーン・ハリーリ市場]見学は40分しか取っていない。

 バスは香水専門店へと我々を連れて行った。
 エジプトは世界中の香水を製造していて、各国に輸出をしているのだそうだ。有名な[シャネル]もエジプトから原料を買って、アルコールの混合比でブランドにしていると説明する。
 ナイル(砂漠という意味)の砂で造った硝子の瓶(大小・形・色様々)がもう一つの売り物で、香水を買うと硝子瓶がおまけに付く。
 瓶だけでも買うことが出来、香水を入れてお部屋に飾ると綺麗だし良い香りがおしゃれとして楽しめるのだ。
 ツアー女性客の中にはこの香水がお目当ての方もいたようで、此処でも1時間30分以上の待ちぼうけを食わされた。
 
 アクラムは忙しい。バスの移動中も行商の仕事があり、注文を取ったTシャツやナツメヤシを配るやら、手違いがあった枚数やサイズ違いを確かめて、今夜中に間違いなく届けますと余念がない。
 カイロ市内を我々のバスが移動する際に、後ろでパトカーのサイレンがけたたましい。
 アクラムに避けなくても良いのかと聞くと、
 「あれは我々観光客を優先進行させる為のサイレンで、バスの前の車に合図を出しているのです」と言う。
 国の政策で外国人観光客を大切に保護してくれるのか? 行き過ぎのようにも感じるが、外貨を獲得する為の涙ぐましい御苦労を複雑な思いで受け止めた。

 3時過ぎに今日の宿泊所[ゲジラ シェラトン ホテル]に到着した。22階で眺めは良い。
 カイロの中心でナイル川の中州[ゲズィーラ島]の南端に位置している。窓からは[カイロタワー]をはじめ、カイロ市内が一望出来、遠く砂漠の山も見える。

ナイル川の中州 [ ゲ ズ ィ ー ラ 島 ]より

 スーツケースは既に部屋に届いていて、夕方の[ナイル川ベリーダンスディナーショウ]出発まで休憩である。
 部屋のキーを渡されてみると3つも付いている。
 何で二部屋分の鍵が付いているのだろうか? 一応両方の部屋を(廊下の入り口から)覗いてみたがどうやらスイートルームになっているらしい。でも、三つ目の鍵で部屋から隣へは入れない?
 風呂に浸かっているとチャイムが鳴った。
 「裸なんだけど」バスタオルを巻いてドアを少しだけ開けると、添乗員の上村さんが立っていて、
 「鈴木様は旅行中にお誕生日をお迎えになりましたので、特別にスイートルームにさせて戴きました。他のお客様には内緒ですので宜しくお願いします」
 「わざわざ御丁寧に有難う」とまあその時は繋ぎの部屋の扉がこの鍵では開かないことは話さなかった。
 そういえばバスの中で、この旅行で新婚旅行の方、又はお誕生日をお迎えになった方はいらっしゃいますか? と聞いていた。(答えたのは私だけだった)
 五つ星シェラトンだけに冷蔵庫も付いている。早速一階のバーで缶ビール10本を買ってきて冷蔵庫に入れた。湯上がりに寛ぎながら(今回の旅行はこうした時間があって良かった)冷たいビールを飲み、日課の日記も書いてしまった。
 
 [ベリーダンスディナーショウ]出発は7時30分だった。(この時渡された鍵で隣の部屋に行けないことを告げておいた)
 バスで船着き場まで直行である。遊覧船は地下と2階建て造り。我々ツアーの両グループは2階に案内された。
 フロアーの真ん中に4m四方の板が敷いてありそれが舞台なのだ。舞台を挟んで両側にテーブルが並べてある。
 今夜が旅の最後の晩である。ワインとビールを注文し、周りの方々と食事をしながら飲んでいると、3人の生バンド奏者が[リュート]や[ツイータ]という弦楽器やタンバリンで音楽を奏で始める。
 腰の周りを膨らませた男性ダンサーが舞台に立った。とおもうと、くるくる回転を始めたのである(ダンスの名前は螺旋舞と言うらしい?) 
 両手におぼんくらいの布製の円い物を両手にかざして身体をくねらせながら回転する、円い布を放り投げたあと腰のスカートが垂直になるくらいの早さで回り、それを回りながら解きほどき頭の上まで持っていき、今度はその直径3mのスカートを頭上でくるくる回すのである。
 色違いのスカート(縁に綿が縫いつけてある布製)は2枚だった。一枚投げては同じように次々はずして頭上で回し、回転すること15分ぐらいに及んだろうか?(2,000回以上回るという)強靱な足腰と平衡感覚・目が回らないのであろうか? 凄いの一言である。
 回転ダンスが終わると、スカートを頭上で回転させながら、食事をしている客席を一巡し、一人一人と自分が写るようにポーズを取り、専属カメラマンに写真を撮らせるのである。(写真は一枚千円だったが買う人はいなかった)
 次に白人の女性ダンサーが登場してきて、(アラビアンナイトのハーレムの女性のいでたち)強烈な音楽に合わせて腰や肩をふるわせ踊り始めた。

 [ベリーダンス(臍踊り)]
 食事をしている目の前で、ダンサーは堅太りの身体を艶めかしくくねらせながら、両肩を器用にふるわせたり、臍のあたりをバイブレーションして見せながら、私たちを魅了させてくれた。
 曲が終わると食事中の客を舞台に引っ張り出して、一緒に踊れと促すのだ。
 好きな御婦人は自ら飛び入りして踊っていたが、私の周りの人が私を指さしてダンサーにアッピールするのである。
 昨晩のナイルエキスプレス バーラウンジで踊ったのがいけなかった。
 ダンサーに腕を引っ張られてステージに立ったものの、私としては、飲み食いしたばかりでお腹が苦しくて、ダンスを踊る程の酔いに達していないし、ベリーダンスどころではない心境だった。
 それでも皆さんの大声援を受けて、(作務衣姿で)私なりに腰をくねらせ、お腹をヘコヘコさせて、肩を前後に揺すりつつ両手を上げて男役で踊ったものである。
 苦しくなったから適当に席に戻ろうとすると、ダンサーが腕をたぐって返してくれないのである。
 こうしたダンスは引き際が肝心で、いつまでも踊っていたらしらけてしまうのに、曲が終わるまで(ところがこれが終わりのない適当な曲なのだ)お付き合いをさせられた。 
 一度楽屋に戻ったダンサーが衣装を着替えて再登場、私は舞台の遠くへ避難して、起用にくねるダンスを鑑賞した。

 しばし休憩があって、今度は若い男女の歌手が登場。エジプトの歌を歌い始めると、船のオーナーが私を舞台にいざなうのである。
 カイロでの食事は4回あったが、どのレストランに行ってももこのオーナーがきていて(この旅行会社との専属契約をしているのだろう)、私とはすっかり顔なじみになっていた。
 「唄は御免ですよ」とそんな不安を持ちながら舞台に上がってみると、テーブルの上に直径35㎝程のケーキが置いてあり、太いローソクに火を灯して立ててある。オーナーの粋な計らいで私の誕生日(実は2日早い)を祝ってくれたのである。
 ローソクを吹き消し、皆さんの拍手の祝福を受け、オーナーと美人歌手の抱擁を受けた。

 《 エジプトで誕生日を迎えた人は 永遠の命を与えられます 》というバースデーメッセージと[ラメセス2世]が戦車に乗って弓をつがえているパピルスの絵を戴いた。
 皆さんの歳当てクイズで、私は36歳という事になっていた。(あとでこっそり幾つになったのですかと聞きに来る人もいたりして・・・・)
誕生日を海外で迎えるのを習慣にしてきている。
 63歳にもなって、誕生日を人様から祝われるのは小っ恥ずかしく照れくさいけれど、旅の思い出にスライドするので、どこそこの国で何歳を迎えたっけと覚えて居るものである。 
私だけが良い思いをさせて貰って、午後10時過ぎにホテルへ戻ってきた。
 スイートルームとして使えるように、部屋の中継扉を開けて貰って、一人スイートルームのソファーでゆったりと、ビールを飲みながら衛星放送で日本のニュースに目を通した。

6 月8 日・ 火曜日・ 第7日目

エジプトでの最終日である。  
 帰国便は午後18時45分発なので、午前中はホテルで自由行動となった。
 若い時分ならホテルの外に出て、町の情景を撮影しまくる所だが、朝靄のカイロをホテルの窓から撮影し、散歩には出なかった。
 フイルムが空港のX線で感光するのを防ぐ為、すべてアルミのX線遮蔽袋に入れ、スーツケースに収納した。
 出発準備を整えて、ゆっくり朝風呂に入り、テレビを見ながら冷蔵庫の残りの缶ビール4本を飲みのみ寛いだ。

 集合は正午。
 今日は昼食のあと、[オールドカイロ]を観光し、その足で空港へ向かうだけである。
 バスが走り出すと、添乗員の上村さんがマイクを持って、今日(実は明日)が私の誕生日だと紹介してくれて、ナイルの砂で造った硝子(香水を入れるランプの形をした置物と、小さな足つきのグラス6個)セットをプレゼントして下さり、ツアーの皆さんが全員で[ハッピー・バースデー]を合唱して下さった。
 年甲斐もなく胸が熱くなり、目元がウルウルしちゃって、心から皆さんにお礼を込めて深々と頭を下げた。

 こうして[紀行文]を書いてみると、結構勉強になる。
 遺跡を説明するのに、文章だけではとうてい無理なのは承知していたが、ガイドブック的になってしまったことをお許し戴きたい。 
 エジプト旅行がこれだけの意義深い旅だったのかと改めて見直さざるを得ませんでした。