6 月6 日・ 日曜日・ 第5日目
日程では今日はアスワンでの《自由行動》日、自由行動と来れば定番のオプショナルツアーがつきものである。
エジプト観光の中でこれだけは見逃せない巨大遺跡と言えば[ピラミッド]と[アブ・シンベル大神殿]だと言われている。
遠いエジプトまで観光に来て、アブシンベル神殿を見なかったでは、きっと後悔が残るだろうから、この観光オプショナルを旅行申し込みの際に加えておいた。
阪急交通社の商品は他社の商品と比べて安いのが魅力なのだが、旅行のメインがオプショナルになっている場合が多い。
アブ・シンベル神殿観光は、往復航空機使用・昼食付きで28,000円と高い。
参加者は8割もあったというのだから、旅行代金をもう少し高くしてもこの観光を加えるべきだと思った。
オプショナルツアー組は、アクラムのみの案内で出発となった。
予定の飛行機が取れなかったそうで出発は午前9時、ゆっくりとなった。夕暮れとは趣の異なった朝のアスワン・ナイルは目映いばかりの絵の中の世界である。(古代エジプト時代にナイル渓流の神々の聖地と謳われたのがうなずける)風景にうっとりしバス乗り場に着く。
飛行場まで送ってくれるバスは昨日と同じだった。
人数の確認をしていざ出発という段になって、アクラムが
「このサングラスを忘れた人はいませんか?」と右手にサングラスをかざしている。
「え! 私のサングラス、やっぱりあったんだ」
「椅子の奥に引っかかっていたそうですよ」とアクラムが云う、外国で時計やサングラスを無くしたら、(99%)まず出てこないから、ラッキーだと思った。
エジプトの観光にサングラスが必携だと云うことはさることながら、このサングラスには青春の思い出がいっぱい詰まっている愛用品なのである。
アメリカ製のサングラス[レイバン]と言えば昭和45年頃(日本ではサングラスを掛ける人は少なかった時代)6万円もする高嶺の花だった。
映画スターが格好良く掛けているのを見て、何としても欲しくなり、節約に節約を重ねて、妻女殿には内緒、無理して手に入れたサングラスだった。
とにかく愛着のあるレイバンを見つけだし私に返してくれたのだから、此処は奮発し、運転手殿に100EL(エジプトポンド)のチップでお礼に代えた。
昼食付きとなっていたが、紙の箱に、肉のフライを挟んだパン2つに果物、生野菜、ゆで卵、缶ジュース、小さなペットボトルが詰まってる紙袋が配られた。
え!これが昼食? 止して下さいよ! お荷物にはなるし、朝食は済ませたばかりだし、(涼しいレストランでゆっくり食事が出来るものと想像してたから)皆さん御不満のようでした。
空港まではバスで20分。アブ・シンベルまでは約45分のフライトである。
出発までの待ち時間に、お荷物の弁当を食べちゃう人もいたし、高温なので肉類が心配だからとゴミ箱に捨てちゃう人ありで、私もこのお荷物の処理に困ってしまった。
空港待合室に入っても、皆さん天井が気になって仕方がない。
また落ちてこないだろうか? 落ちてきても被害の少なそうな柱の側に座るとか、壁際に座るとか、あのアクシデントが忘れられないのである。
Aグループのガイドの話では、6月4日の空港天井落下のニュースが翌日エジプトの新聞に載ったというので、
「原因は何だったのですか? 誰が責任を取らされたのですか?」等々を聞いてみた。
アクラムは
「犯人は猫です。ネズミを追っかけていて、天井に穴を開けてしまいました。警察に逮捕され尋問を受けましたが、空港の為に一生懸命退治したかったと謝ったので、直ぐに釈放されました」と話すので、
それを真に受けたツアー客の御婦人が身を乗り出して
「そんなに大きな猫だったんですか?]には大笑いだった。
アブ・シンベルへの行きの飛行機は絶対に左側の窓際に座るべしと、[地球の歩き方]に書いてあった。(帰りは右側の窓際)
飛行機の座席は割り当てられた席に座るしかないので、左側には座れたが、通路側だったので、窓側に座ったツアーの女性に、
「着陸数分前に左の方角に神殿が見えますよ」と教えてあげた。(神殿とナセル湖の眺めが格別だと書いてあったからである)
窓に顔を押っつけて食い入るように見入っていたその女性は
「見えました。良かったわ。有難う御座います」と喜んでくれた。
アブ・シンベルに着いた飛行機は2時間後に再び出発地に向けて飛び立つので、観光はその間に済ませることになる。
飛行機の到着に合わせて空港の外にシャトルバスが待っている。
バスを降りてから砂山とも岩山とも見える山の裏側を一回り歩くと、東側の正面に出られるのだが、此処がまた特別暑かった。50度を超えることはザラのことだそうである。
神殿の中での説明は禁じられているので、大神殿の入り口前でアクラムの説明が始まった。
説明だけで約30分、じりじり照りつける炎天下で説明を聞くのもエジプト観光ならでは、か? 小神殿へ向かう所に煉瓦の塀があって、10㎝ほどの日陰を見つけ、全員がそちらへ移動した。
何事かと見ていたら、その狭い日陰に全員がべったり張り付いたのがおかしかった。
[フーテンの寅さん]映画の一場面を思い出し、寅さんの演技が大袈裟ではなかったのだと納得したものである。
[アブ・シンベル大神殿]はナイル川をアスワンから南へ280㎞ほど遡った河岸の断崖(スーダンから約20㎞)にきざまれた古代エジプトの、大小2つの岩窟神殿遺跡である。(ラメセス2世の大神殿と王妃ネフェルトイリに捧げられた小神殿である)


紀元前1250年ごろにラメセス2世によってつくられた7つの神殿のうちの2つで、もともと遺跡があったヌビア地方が、アスワン・ハイ・ダムの建設によって水没することになってしまった。
大神殿の正面にはラメセス2世の4体の椅座像があり、それぞれ高さは20mをこえる。巨像の上を見上げると、日の出を喜ぶ22匹のヒヒ像が並んでいる。
その内部は55m以上の奥行きがあり、大列柱室プロナウスには、オシリス神の姿をした高さ10mの、ラメセス2世の顔をかたどっている立像8体が並ぶ。
オリジナルは、砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿だった。建設後、長い年月の内に砂に埋もれていたが、1813年にスイスの東洋学者ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって小壁の一部が発見され、1817年にブルクハルトの知人であったイタリア人探検家、ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニによって出入り口が発掘された。
1960年代、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設計画により、水没の危機にあったが、ユネスコによって遺跡の救済を各国に呼びかけ、国際的な救済活動が行われた。世界60か国の援助を得てヌビア遺跡群を安全な場所に移築する計画が始動した。1964年から1968年の間に、アブジンベル神殿は正確に分割されて、1000個以上のブロックに切り分けられ、4年をかけて約60m上方、ナイル川から210m離れた丘にコンクリート製のドームを基盤とする形で移築されたのである。その痕跡はほとんど見えず、これほど大規模な建造物をまるまる移転させたなど、にわかには信じがたいほどである。現在はアスワン・ハイ・ダムの建設によってできた人造湖のナセル湖のほとりにたたずんでいる。この大規模な移設工事がきっかけとなり、遺跡や自然を保護する世界遺産が創設された。アブ・シンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡で、文化遺産として登録されている。
この神殿は東向きで、年に2回神殿の奥まで日の光が届き、神殿の奥の4体の像のうち、冥界神であるプタハを除いた3体を明るく照らすようになっており、観光客の目玉となっている。本来はラムセス2世の生まれた日(2月22日)と、王に即位した日(10月22日)にこの現象が起こるものであった。また、神殿の移設により、移設によって日にちがずれてしまった。

今から3300年前にこうした計算をはじきだし、岩窟内に荘厳で神々しい建築物を完成させたことに驚きもし感動した。
しかもこれらの壁面のレリーフをも切り取って移築復元させた現代の技術にも感嘆せざるを得ない。
大列柱室の両側の壁のレリーフには、ラメセス2世のカデシュ(現在のシリア)でのヒッタイトとの戦闘場面が刻まれている。特にラメセス2世が戦車に乗り、敵に向かって弓を引く躍動的で勇壮な姿が印象的で、壁下に据え付けられた蛍光灯にそれらが照らし出され浮かび上がっている。
前室(小列柱室)には、ラー・ホルアクティ神やアムン・ラー神に捧げ物をするラメセス2世・王妃ネフェルトアリのレリーフが一杯、中央奥の至聖所へとつづく。
この神殿にはラメセス2世自身と、それぞれがヘリオポリス、メンフィス、テーベの主神であるラー・ホルアクティ、プタハ、アメン・ラーの3神を祀ってある。
ストロボを炊いてはいけないという制約の中で、ASA400のフィルムを使って8分の1秒で切り抜いた写真だが、黄金の世界に写っていた。
[アブ・シンベル小神殿]大神殿より北へ200mはなれた小岩窟神殿は、大神殿と比べると小さいが、正面にはラメセス2世立像4体(高さ10m)と、ハトホルに扮したネフェルトアリ王妃の立像2体が並んで彫られている。

足下には偉大な王と王妃の子供達の像も刻まれている。
中の列柱室にはラメセス2世がハトホル神の化身である雌牛に捧げ物をするレリーフが彫られ、王妃の色彩のレリーフも壁画を飾っている。
小神殿前室のレリーフを背景に、記念写真が何としても欲しいと、ツアー客の白畑さんが仰有るので、(私のカメラで)8分の1秒でお撮りしたが、レリーフはしっかり撮れたものの本人が動いてブレていた。

大神殿と小神殿を入れた全景写真は私のワイドでないと入りきらない。
見学が最後になった福原さんが全景を入れて撮って欲しいというのでこれもパチリ。(彼女のカメラはトラブってフイルムが巻けない状態だった)
炎天下をバス停まで歩き、パラソルを広げて日除けにした店の休憩所に腰を下ろした。
配られた弁当の肉フライパンを取り出して見たものの、50度以上の炎天下カメラバッグに入れておいた肉類は大丈夫だろうか? 食べられないことはないだろうが心配だった。捨てちゃうのも勿体ないし、白畑・福原さんと私の弁当を全部集めて、売店前でつぐらんで居る現地人に
「召し上がりますか?」と手真似で話し手渡した。
ホテルの弁当なので彼らにしてみれば御馳走なのだろう、喜んで受け取ってくれ、何度も礼を言われてしまった。(あとで判ったことだが、この弁当を食べたツアーの人達の大半が、お腹を壊したというのである。危なかった?) 売店にビールはなかった。白畑・福原さんの分も含めて3缶コーラを注文したらそれがよく冷えていて、
「あのコーラのおいしさは忘れられなかった」と何度もお礼を言われたものである。
今回のエジプト旅行で、アブシンベル観光が一番のめり込め、感激し感動した。
神殿内のレリーフを、(人を入れないで)綺麗に撮影したいから、観光客が居なくなるまでじっと待っていて、蛍光灯に浮かび上がる幽玄的な[間]の中でしばし瞑想の時も過ごせた。
一日掛けて、たったここだけを見るオプショナルツアーだったが、アブシンベルを見ずしてエジプトへ来たとは言えなかったろうと思った。
暑さも弁当の不満もとんと気にならず、この巨大な建築物に、どっぷり浸れて、砂漠と石だけの古代エジプト文化がちょっぴり垣間見えたような気になれた。
帰りの飛行機は右側の座席に座れたのは座れたものの、やはり通路側だった。飛び立った直ぐあと執念で神殿を追ってみると、4体の椅座像は確認出来ないまでも、ナセル湖の後ろに灰茶色の小山をちらっと見ることが出来た。
午後2時半過ぎにホテルに戻って来た。
夕方出発まで少しの時間的余裕があったので、スーツケースをまとめ、風呂に浸かり、湯上がりにビールを飲んで暫し寛いだ。
帰路は[ナイルエキスプレス]に乗車して、夜行でカイロに向かう。
午後6時30分にアスワン駅を出発し、翌朝の6時45分にカイロに到着するコンパートメントの2人一部屋寝台車輌に入った。(フランス製車両)
シーズンオフだからか? 一人部屋追加料金を払っているからか、コンパートメントを一人に割り振られたのにはラッキーだと思った。(2段ベッドの上段を使わないから窮屈な感じがない)
各車両に専属の車掌が居て、朝夕の食事を運んでくれたり、ベッドにシーツなどをセットしてくれ、部屋を空ける際には鍵を掛けてくれたり開けてくれたりする。
夕食の際にビールを注文すると現金引き換えで、冷えたビールを持ってきてくれる。(夕食は機内食とほぼ同じ熱い料理もあるが、ボール紙の箱入りが今一だった)
食事は各部屋に一斉に配られるので、お隣さんに声を掛け(車窓から見えるナツメヤシとナイル川が、砂漠の夕日に映え映えとし、墨絵のシルエットに変わりゆく情景を眺めながら)、一緒に飲みながら戴いた。
寝台車両の後ろにバーラウンジ車両も付いていて、そこではビールやワインも売っている。(ウイスキーのボトルを持ち込んだら、バーラウンジを出るまで取り上げられてしまった)
一人参加の人が多かったので、食事をする時に御一緒するぐらいで、あまり話をする機会もなかった。が、夜行列車のバーでは、十数人が集い、旅の話に花が咲き、気持ちも打ち解けて多いに盛り上がった。
エジプトの音楽が流れ程良くアルコールも回ってきた。エジプトの夜行列車バーラウンジ乗車記念に、二度とは踊れない自我流の振り付けでダンス(どんな曲にも合わせちゃう)を御披露した。
[ベリーダンス]ならぬ[ベリーグッドタンス]とのひやかしとお褒めを戴き、エジプトの旅の恥を掻き捨てた。
エジプト人にはお酒を飲む習慣がないから、バーにやってくるのは日本人観光客ばかり、日本国内を旅行しているような錯覚にとらわれた。
お開きはバーラウンジ閉店の11時。(アルコールの勢いで熟睡出来た)