2月22日(土曜日)・第四日目
ホテル出発は午前10時とゆったりとした日程である。陽朔の見所を観光して、夕方桂林を発って、北京まで戻るのである。
ガイドが
「“世外桃源”(陽朔で一番美しい所・昨日の“毛架峰”でも一番と言っていたが?)を満喫できる[桂謄園]と言う庭園があり、オプショナルでご希望の方をご案内致します」と希望者を募った。
「ツアー出発までに戻ってきます。お一人150元(2,250円)です」
何処を見ても心が洗われるような景色なのだが、此処はどん欲に、お金を払ってでも現地のガイドが推奨する所なら是非行きましょうとなった。我々6人を含めて10名程がこのツアーに参加した。
ボートに乗って、庭園内を湖から眺めるのである。釘を一本も使わないで建てたという木造の橋[風雨橋]があり、ボートが通過すると、少数民族の衣装を付けた若者が、あっちこっちでダンスと太鼓や笛で迎えてくれる。

いろんな種族の衣装が見られ、アフリカのインディオみたいな裸の種族も居たりして、景色こそは陽朔なのだが何処の国へ来ちゃったのだろうと、お国錯誤に陥ってしまう。
ボートは小さな鍾乳洞(と言うよりも洞窟・鍾乳石は余り無い)をくぐり、湖を一周して、木造の建物で降ろされた。
少数民族の民芸品を販売している。「え!」と声が出る程値段が高い。
ツアーの人達を歓迎して、丸いホール内で少数民族の若者とツアー客が輪を作ってのダンスが始まった。
かなり離れた所にぽこぽこ山が幾重にも重なっている。広い水田には菜の花が満開だし、あちこちにピンクの桃の花が咲き競う。
2月の下旬でもこちらは春爛漫。私達のために花々が一斉に咲いてくれたのだとガイドが取って付けたようなよいしょを言う。
トーテムポールは牛の角がシンボルのようで、まるでアフリカに来たような感じだった。
予定より30分遅れで、陽朔の景観のポイント観光へスタートである。

[興坪][五指山][高田郷]は漓江の支流、小川と田んぼや畑が織りなす田園風景の中に、奇峰が林立する。
いくらか水が濁っているので、その奇峰が水鏡になって、それはそれは綺麗なのである。
[鵜]を2羽枝にとまらせ、肩に担いでいる翁が居る。鵜の傍で写真を写すと10元(150円)だという。

日本人客は珍しいから直ぐに飛びつく。その翁、我々ツアー客で結構稼いだようである。
最後に山の中腹が丸く穴の空いている[月亮山]を見た。満月の日にこの穴から月を眺めるのだそうである。

名残惜しい陽朔。しっかりその美しさを瞼に焼き付けた。生きている内にもう一度来たいものだと、そんなセンチメンタルな気分で、陽朔を後にした。
桂林まで80km。桂林ではもう観光はない。昼食後、「[歴史博物館]を見学し、買い物をしたいお客さまのために、政府直轄の[絹]の店に行き、時間があれば、[象鼻山]へご案内します」
桂林へ向かう途中、トイレ休憩をした所で、フイルムを使い切ってしまった。新しいのを装填しようと思ったが、土産物屋歩きじゃ写真を撮ることもあるまいと、カメラをしまった。
桂林歴史博物館へ連れて行かれた。桂林市は広西チワン族自治区の東北部に位置する。特別にチワン族と呼ぶように、この地には少数民族が数種族生活を営んでいる。
歴史博物館と称するが、この博物館は少数民族の歴史や生活様式、衣装なんかを展示してある。
流暢な日本語を話す博物館ガイドの説明が終わり、1階へご案内しますと言うのである。
博物館と少し離れた展示館へ入ると、[屏風]が数点並べてあり、説明が始まった。

高さが190cmほどで、幅45cmが6枚・黒檀使用の屏風なのだという。
黒い漆で塗り固めた上に、貝を小指の先ほどの大きさに揃えたものがはめ込まれている。(螺鈿作り)金粉を漆で混ぜた塗料を使い[絵]が描いてある。
その上に七宝(瑪瑙とか翡翠・水晶等)を使って、[八福神(中国では八人居たが、酔っぱらいの神様が日本に来る途中寝過ごしてしまったとかで、日本では七福神となった)]や[中国の四大美人]その他[麒麟]とか[龍]の架空動物、又は[花鳥]等々がはめ込まれている。
「少数民族の匠が3人がかりで半年も掛かって制作するので、注文を取ってお気に入りの内容にするという訳には行きません。いったいお幾らぐらいすると思いますか?」そう訪ねられて、
「1千万円? ぐらいですか?」
「そんなにはしません。中国元で4万元です」
「それって日本円で600万円か?」
電卓を持っていた人が計算すると、60万円だった。
「安いじゃない」ガイドは言う。
「決して安くはないですよ。この辺の中国人の年収10年分ですよ」 さらに付け加えて言うには、
「中国政府は少数民族に対して毎年多額の助成金を出しています。この屏風の売上金は全額その助成金となります」
つまりは今月に限り特別販売をしているから買ってくれという訳なのである。屏風は素晴らしい工芸品である。日本のテレビ番組〈開運何でもお宝鑑定団〉なんかでも数百万円の値段が付くのではないかと思われる作品である。
「いくらか負けるのかね?」そう聞いてみた。
「これはオークションではありません。中国政府が特別に販売しているので値引きすることは出来ません。日本で買ったら大変高いものでよ」
「この中で一番いい物はどれですか?」すると、真ん中の板が2枚分の大きさで鶴が8羽描いてあり、両脇4枚が折り曲がるようになっていて[麒麟]と[花鳥]に七宝がふんだんに使ってある、背丈もちと高い(195cm)作品があった。
「この作品が一番いいものです。6万元(日本円で90万円)します。題名は《王扇“松鶴延年”屏風》と言います」妻が
「買いたいの?」と聞いてきた。
「俺の家じゃこんな大きなものを置くところがないからなあ」買う つもりはなかったが、
「私が半分出してあげるから買いなさいよ」と助け船を出してくれたので、
「それではこの屏風を買いましょう」又、私の悪い癖の衝動買いである。こんな素晴らしい物は滅多に手に入るものではない、良いチャンスだと思った。
するとその時点で屏風の説明を打ち切り、私に別室へ来て下さいというのである。他のツアー客をそっちのけ、皆さんも白けてしまったようで、気の毒なことをしてしまった。
別室では契約書に署名をするやら、代金をカードで払うやら、赤い色紙に署名を頼まれるやら大変だった。
カードは3万元が限度なので、もう一枚持っていないかと聞くのである。妻が持っていたので、二人で6万元を支払った。
我が家の家宝(私のコレクション)が又一つ増えた。
(これは船便で約1ヶ月掛かって東京港に着きまして、専門の運送会社が通関手続き一切を請けおってくれ、我が家に3月30日に配達されました。運送会社の職員に聞いた所によると、目方は120kgあるという。かなり厳重な梱包がしてあることだから、我が家にて梱包を解き、家に運び込んで貰うまでして、運送代金は73,480円だった)
桂林歴史博物館を出ると、後はお土産屋へ移動した。
お蚕様から真綿の掛け布団を拵える行程を見学した後、ファッション・ショー会場に案内された。桂林という田舎町に、国際級とも思えるすてきなモデルさんが5人程登場し、絹のドレスを御披露してくれた。
此処も国営直売店とかで、ディスカウントは一切無しだった。
「北京へ発つ飛行機が19時35分なので、早めの夕食をしますが、それまで時間がありますので、[象鼻山(象が漓江に鼻を突っ込んで水を飲んでいるように見える大きな岩)]公園へご案内します」
気温は25度以上もあったろうか? 半袖姿で丁度良いくらいの暑さだった。自由時間がたっぷりありますからと言うので、岩山の頂上見晴台まで半数ぐらいの人が登っていった。
帰りの空港でのチェックは、往きの時よりも厳重だった。ペットボトルの持ち込みも一切駄目。(最近では日本の国内線でも同じようなチェックが行われているようである)安全対策とはいえ、こう厳しいと飛行機嫌いになってしまいそうだ。
《ロスト・スーツ・ケース事件》
北京のホテルには夜の11時過ぎの到着となった。時間が遅いので、部屋割りが優先される。何時もなら
「自分のスーツ・ケースを確認して下さい」と各々確認をさせられるのに、この時はそれがなく、取り敢えずお部屋へお入り下さいとなった。
ポーターがスーツ・ケースを運んできて、
「どれですか?」と聞く。妻のスーツ・ケースはあったが、私のが無い。
「ひとまず各部屋へお届けしてきますので、少々お待ち下さい」と言うので、暫く待った。12時過ぎに又同じポーターがやってきて、数個のスーツ・ケースを台車に乗せている。だが私のだけが無い。
明朝は北京を9時20分に発たなくてはならないから、ホテル出発も朝の6時と告げられている。今夜の内に着替えやら荷物の整理をしておきたいのに、いったいどうなっちゃっているのだろう? とヤキモキした。
そこで現地添乗員へ連絡をするようにフロントへ電話をし、折り返しの電話で確認を取った所、
「きちんと数を数えました。間違いありません」と言うのである。
そばで妻が口を挟んで、
「主人のバッグは革製品で、黒いから車の床下のケース置き場に入っていたのに暗くて気が付かないのではないですか?」と念を押したのだが、
「いえ、確かに16個ありました」と答える。
「ポーターは数えなかったがこれしかないと言っている。無いとなれば責任はホテル側にあると言うことか?」
「そうなります」
こんな問答の後、フロントへ行ってみる。
「盗難と言うこともあるのか?」と問いただし、こうした場合どうすればいいのかを聞いてみた。
フロントでも困っていて、ポーターは責任を感じてしょげきっている。怒りが込み上げてくるのは山々だが、大声を出してもスーツ・ケースが出てくる訳ではなし、埒があかないので、一旦部屋に戻って、明日に備えて寝ることに決めた。
すると添乗員から再び電話があって、
「ツアーの他のお客様の部屋に間違って配達されている場合も考えられますので、ポーターと各部屋を回って頂けないでしょうか?」とそう言うのである。
「今何時だと思っているんだい。夜中の1時過ぎで、明日が早いから皆さんだってもうお休みになっていらっしゃるだろう? そんな訳にはゆかないよ」
「お年寄りが多いので、間違いだと言うことも考えられますので」
そんな馬鹿な話はないと思ったが、皆さんまで巻き添えにしたくはなかったけれど、ポーターと一緒に真夜中・各部屋周りをしてみたのである。
いくら何でも他人のスーツ・ケースを間違えて部屋に入れちゃう人は居ない。ツアーの人達を起こしてしまい、(お気の毒にと同情をしてくれたが)低調にお詫び申し上げ、部屋に戻るしかなかった。
姉夫婦・妹夫婦にもこの事が知れてしまい、かえって拙かった。心配して福地さん夫婦が私の部屋まで来てくれた。
「とにかく遅いですから休んで下さい」とお引き取り願って、私達もベッドに横になったところで電話が鳴った。
添乗員からで、
「運転手に連絡を取り、車の中を調べさせましたら、スーツ・ケースがありました」と言うのである。先ずは良かったのだが、
「今夜は遅いので、明日出発の時にお渡しするので、其れで宜しいでしょうか?」とまあ他人事のようなのである。
「君ねえ! 出発間際に渡されても、着替えもあるし、荷物の整理もしなくちゃならないんだよ。今すぐ持ってくるくらいの誠意を見せて当然だろう?」
「ここからホテルまで1時間半も掛かりますので、それに時間も遅いですし、車は明日朝他のホテルからお客様を乗せてそちらに向かいますので、今からは無理です」とまあ、あきれちゃって開いた口がふさがらなかった。
「今すぐ持って来るのが君の勤めだろう? 少なくとも出発1時間前ぐらいには届けて貰わなくては困る。君の確認がおろそかでこうなったのだから、少しは責任を感じろよ」
「運転手に話して出発1時間前ぐらいに届けます。其れで宜しいでしょうか?」
ポーターが気の毒だった。私からフロントに電話を掛けて、スーツ・ケースが車の中にあったことを知らせてあげた。
小泉さん・福地さんにもあったことをお知らせしたら、
「寝そびれちゃった」と部屋迄来てくれた。
5つ星ホテルの冷蔵庫の飲み物は高い。ビール350㏄缶が65元(975円)。4缶を全部飲んでしまい、ワイン(ミニチュア瓶85元・1,275円)やウイスキー(同90元・1,350円)なんかも開けたから、偉い高いミッドナイトパーティーになってしまった。
「スーツ・ケースがあったのだから飲み物代なんて安いものだわよ」 妻は太っ腹である。私のスーツ・ケースの中身をざっと計算すると、65万円以上になる。
《屏風1個が出てきたと思えば安いものよ》となるらしい。
見栄を張る訳ではないのだが、出発前に少し小さめのスーツ・ケースを購入した。《TUMI(USAブランド製品)は牛皮で出来ていてキャスターが大きく動きが滑らかで、それに格好がいい。178,000円を奮発した》
スーツ・ケースの中には、ニコンの望遠鏡やら、ちょっと値の張る小物や旅行用品が詰め込んであり、合計すると、屏風1個ぐらいにはなってしまうと言うのだ。
[紛失したと言う訳ではないのだから、パーといきましょう」とまあ“お祝い”?という形になるのか、寝る時間も殆ど無くなってしまった。
翌朝5時にポーターがスーツ・ケースを部屋へ届けてくれた。残っていた中国元をチップにあげて、一生懸命やってくれたことに御礼を述べた。
帰国の支度を整えて、ロビーまで降りた。添乗員が居たが、私に詫びる一言もない。
むろんこの事はアンケートに事細かく書いて、帰国後旅行代理店・JTB都庁内支店にも電話で抗議を込めて報告をした。
2週間ぐらい経ってから、中国の現地添乗員からの詫び状と、JTB都庁内支店からの詫び状に、[QUOカード]500円券が2枚届けられた。
「ツアーの皆様にも真夜中に押しかけたりして大変ご迷惑を掛けてしまったので、JTBからくれぐれもお詫びをしておくように」伝えた。
後日小泉・福地ご両家から500円のQUO CORD1枚を送ってきたと連絡があった。
旅行にはいろんなトラブルがつきものだが、自分でも絶えずスーツ・ケース等の確認を怠ってはいけないという教訓だった。
もっといろんなエピソードもありありで、本当に楽しい中国旅行になった。