桂林・漓江下りと 知られざる桃源郷・陽朔

2月20日(木曜日)・第二日目

[ 天 安 門 広 場 ]

8時ホテル出発である。スーツケースは各自でロビーまで降ろさなくてはならない。
 昨晩ホテルまで誘導してくれたガイドと違う女性のガイドが来ていた。
 午前中は北京市内観光となっている。午後14時10分に桂林へ移動しなくてはならないから、先ずは[天安門広場]へ直行である。
 北京の中心である。400,000㎡あまりの面積を持ち、一度に500,000人を収容できる世界最大の広場である。
 気温は0度。冷え込みはキツかった。キルティングのフードを被って風を凌ぎ、バスを降りて5分間だけ写真撮影をして、天安門をくぐった。
   

[ 故宮(紫禁城)]

 「中にはトイレがありませんから入場する前にトイレを済ませて下さい」集合場所を決めて5分後に集合ということになった。
 「迷子になったらこの人混みだし、中は広いですから訳が分からなくなります。どうかはぐれないように私に付いてきて下さい]と、ガイドは何度もこのことを説明していた。
 「寄せ集まりのツアーですから、それぞれのグループごとに〈班長〉さんを決めます」ガイドがリストを見て、適当に班長を(5人程)人選した。
 全員揃ったと云うことで入り口へ歩き始めたら、4人で参加していたお婆ちゃんグループの一人が居ないと騒ぎ出したのである。
 「[天安門]をくぐって、トイレまでは一緒に来た」と仲間の人は言うのだが、観光スタート初っぱなからアクシデント発生である。
 ガイドさんは困り果ててしまうし、
 「今日のスケジュールだけでなく桂林にもゆけません。どうしますか?」と言われても、寄せ集まりツアーなので、迷子になったお婆ちゃんが、どんな人なのかも分からないから探しようがないのである。
 「どんな色の服を着ていましたか? 眼鏡を掛けていましたか? 帽子を被っていましたか?」ガイドが特徴を聞いて、携帯電話で故宮内の警備員と連絡を取っていた。
 グループの一人、班長にされた田中さんが、
 「私は2度目ですから見学しなくていいですから探しに行ってきます」と、そのお婆ちゃん責任を感じて、何千人いるのだろうか分からない人混みの中を戻って行った。(一人参加の50歳ぐらいの男性も付き添ったが、彼とて中国語が話せる訳でもなし・・・・)
 切符をもぎる[入口]でも暫く待った。ガイドは顔見知りの警備員に携帯電話の番号を教えた後、中に入ることになった。(約1時間のロスタイムだった)
 明と清の皇居である紫禁城はいつ来ても壮大である。まして初めてここを訪れた人にとっては、その建造物を見ただけで威圧されてしまう。

[ 午 門 ]

 [午門]の大きさに驚き、それぞれ写真撮影に熱中し始めた所に、先ほどの迷子のお婆ちゃんが、他の観光ツアーに混じって居たのである。お土産なんか買っちゃって、自分がはぐれたなんて思っちゃ居ない様子だった。
 「切符もないのにどうやって入ったの? みんなで心配していたのよ、田中さんが探しに行ってくれたのよ」矢継ぎ早に問いかけていた。
 本人はあっけらかんとしたもので、
 「あら! そうなの。随分待ったのよ。置いて行かれたと思ったから、他の団体と一緒に入ったのよ」てな具合で、全然反省していないのである。
 警備員が探索に出た田中さん等をツアーガイドの所まで連れてきてくれたので、中には面白くない人も居たようでしたが、紫禁城観光再開となった。

[ 大 和 殿(中国最大の木造建築) ]

 予定がずれ込んでしまったので、見学は[大和殿(中国最大の木造建築)][中和殿][保和殿](それぞれ大理石の基台の上に建てられている)を足早に見た後、[乾清門]をくぐる直進コースとなってしまった。
 皇帝の執務室兼寝室である[乾清宮]と皇后の寝室[交秦殿]を覗いただけで終わってしまった。
 せっかく紫禁城を訪れとずれのだから、東側の宝物を展示している[珍宝館]を見せてあげたかった。

 [神武門]を出た所に故宮国営のお土産店がある。ツアーのコースになっているらしく、店内へ案内されると、日本語の説明がありますと言われた。
 でっぷり貫禄のある男性が書道用台を前にして座っている。
 最後の皇帝《愛新覚羅・(満州語でアイシンギョロ。アイシンは金、ギョロは古い由緒ある家柄の姓を意味する)溥儀(PUYI・清朝第12代宣統帝)》の従兄弟に当たる《愛新覚羅寿石》さんだと言う。
 現在・中国著名書家として中国で3本の指に入る中国政府お墨付きの方なのだそうである。壁には証明書も掲げてあり、寿石さんが書く文字は評価が高く、一文字何万円もするのだと説明が続く。 

 《 紫禁城は明の永楽18年(1420年)に竣工し、1911年に溥儀が退位するまで、24人の皇帝がおよそ500年にわたって統治の中心としてきた世界最大級の規模を誇る王宮である。歴史的な建造物であるが故にその荒廃も激しい。修復する費用も膨大な額になると言うことは何度も此処を見学して知っていた 》 

 「今日は特別 愛新覚羅寿石先生がおいでになり(勿体を付けて、忙しい方なので滅多に此処には来られないと説明する)、皆さんの御希望の文字を目の前で書いて下さいます。一文字から三文字までは10,000円、四文字から六文字までが20,000。寿石先生はこの代金全額を紫禁城の修復費に御寄付なさいます」と、(痛い所を突いてくる)
 そういう寄付ならば、世界遺産保護のためにも協力せざるを得ないではないか? サンプルの掛け軸例の中から、私は『福禄寿』を選んで御揮毫(文字を書く)して頂いた。(10,000円)妻女殿は色紙に『和』一文字を書いて頂き、やはり10,000円を(寄贈)払った。
 それにあやかってと、妻の妹・和江さんも『福禄寿』を御揮毫して頂いた。
 同じ文字を絹で軸装したものを20,000円で発売していたが、[掛け軸]軸装の技術は日本の方が優れている。後日帰国した後、代金はうんと嵩むが日本で作らせることにした。

 《 1997年9月に蘇州・寒山寺(静岡県浜名湖にある寒山寺と姉妹寺・伊藤博文が寄贈した鐘が有名)に寄ったとき、其処の管長がやはり寺院の修復費に当てるからと、訪れた観光客に文字を書いておいでだった。半切用紙に御揮毫して頂いて、やはり10,000円だった。この寒山寺管長さんも中国では著名な書家であると、ガイドが勧めた)》
(ちなみに、3月26日に大久保にある[協和]という軸装専門店で絹100%軸装・桐箱付きを1本25,000円で依頼した。年に1度のバーゲンの招待券が来たので50,000の半額で作れた。紫禁城と舘山寺の2本が私のコレクションに加わった)

 この店で私どもが寿石先生と写真撮影なんかをしている間に、小泉さんがなにやら置物を買った。此処は政府直営店だからディスカウントをしてくれないから此処では買わないようにと言っておいたのに、高い買い物をさせてしまったようだった。
 何せ初めての海外旅行だし、中国には興味をそそられる文物が沢山ある。欲しくなるのは分かるけど、買い物をするにはコツがあって、半値以下で購入できたりするのだ。
 ロスタイムがあっても、こうした店にはたっぷり時間を取る。沢山の外貨を稼ごうという中国政府の政策でもあるのだ。

 昼食時間はあわただしかった。桂林へ向けて14時10分のフライトである。
 12時30分迄に北京空港へ到着しなければならないのだ。
 テロ事件ではなかったものの、精神異常者による韓国での地下鉄大火災惨事があった直後で、中国国内線の搭乗チェックが極めて厳重になっていた。 
 韓国地下鉄大火災の教訓からか、手荷物にアルコール類(揮発性の可燃物と見なされ)は一切持ち込めない、アルコール類はスーツケース等の預ける荷物に入れて下さいというのである。
 手持ちの飲料水も、係員から問われたら、一口飲んで見せて、[水]だと言って下さい。水以外の飲み物(コーラとかジュース類)は持ち込めません。
 妻女殿はそのような注意を受けて、スーツケースに日本から持ち込んだ飲料水ペットボトルを入れた。それなのに、空港係員が不審に思ってか、そのペットボトルを調べるからスーツケースを開けるように言われたのである。ぴりぴりした張り詰めた搭乗手続きは異状でさえあった。
 パスポートと顔の一致を見、搭乗券が本物かどうかをも調べる。金属探知アーチを潜るにもオーバーやコートは脱がされるし、金属片を全て取り出しお盆に乗せる。
 2リットル入りのコーラを持っていた乗客はそれをゴミ箱に捨てろと言われ、別の御婦人は子供の土産だろうと思われる[チューブ入りのチョコレート]の一つ一つふたを開けて臭いをチェックされていた。
 アーチを通過してもボディチェックに時間が掛かり、なかなか先に進まない。
 数カ所のゲートで団子のような行列になっている。
 そのくせ、搭乗手続きを通過したロビーの売店では、アルコール類やコーラなんかを売っている。矛盾しているではないか?(国内線だからアルコールは出ないものと思って、缶ビールを6本買って乗り込んだ)
 機内に座って出発予定時間が過ぎても、チェックに時間が掛かって居るから、遅れて機内入りしてくる乗客が沢山いて、50分近くもフライトが遅れた。
 〈CA-225便〉は西安経由である。国内線でもトランジェットを入れて5時間近く飛ぶ。北京を飛び立つと直ぐに機内食が出、西安を飛び立ってからも又機内食が出た。
 ドリンクサービスも行き届いていて、ビールを出してくれたのには、[国際線並なのだな]と感心した。
 西安空港では、一旦機内から出され清掃をする間、待合室で20分程待たされた。
 桂林空港には定刻に到着。スーツケースをバスに載せ、桂林名物料理の夕食・レストランに直行である。(空港から約40分)
2度も機内食を出されて、ウンザリしている所での夕食なのである。名物料理と言われても余り食欲はそそられない。

榕 湖 の 夜 景

  レストランからは[榕湖]の夜景が美しい。ライトアップされた二つの塔、一つは八重で青いライトに照らされ闇夜に浮かぶ。
 もう一つの塔は九重の塔。こちらは黄色のライトに照らし出されている。それら二つのライトに浮いた光の残照が、街の建造物(ライトアップの光)と混ざり合って、共に湖面に長く幾筋もの線を描いていた。
 見た目に綺麗な夜景でも、絵(写真)にするにはちょっとしたテクニックを使わなければこの印象を撮影できない。
 皆さんを待たせてしまったが、湖面の石塀の上にカメラを置いて、絞りを解放にし、シャッターはT(タイム)にする。2分程開けっ放しにしておき、後ろから、充電がいっぱいになったストロボを数発焚いた。                    
 ホテルに落ち着くと、軽く風呂を浴び、小泉さんの部屋に集まって、オールド・パーやビールでミニパーティーとなり、すっかり旅行気分を味わい尽くした。
 故宮や天安門の観光を振り返り、それぞれの感想談に花が咲き午前1時頃に解散した。