神秘の世界・九寨溝と黄龍8日間

第五日目:6月13日( 木曜日 )

終日[九寨溝]観光である。

九 寨 溝 の 入 り 口

 7時から朝食。バイキング方式である。さすが五つ星だけあって、食品数も豊富だった。
 午前8時にホテルを出発。九寨溝ゲートまでバスで約10分の近さだった。4年前は、入場前に車だけ脇の洗車場に行き、順番にピットに登らされた。カッパを着た係員が、車の腹底と足回り(シャシ)の泥を強烈なスチームノズルで洗い落とすのである。自然公園内に外部からの細菌類を持ち込ませないように、洗車した車のみ使用が許された。
 これが結構時間が掛かった。その間に入場券を買い、お土産屋なんかを覗けたが、今回はドでかい切符売り場の前で待機させられた。
 入場券を買うのにパスポートが要る。ガイドがパスポートを集めた。ホテルのセーフティボックスに入れてきた人もいて、そこはJTB団体ツアーと言うことで何とかなった。
 ゲートをくぐるのもチェックが厳しい。一列に並び一人一人入るのを、数人の係員が睨み付ける。挙動不審な者あらば摘み出すぞと言わんばかりの警戒ぶりであった。
 ゲートを入ると広いバス乗り場がある。広場はバスがゆっくりUターンできるスペースになっている。

 [九寨溝]自然公園地区内は全てエコ専用車が使われている。環境に害を及ぼさないように、“天然ガス”使用の25人乗りマイクロバスだった。外部からの車は一切入れない。
 我々日本人ツアー客は左側に待たされた。右側では後から後から中国人の団体ツアー客が入ってきて、列をなしているバスに乗り込んでは発車して行った。
 ガイドの説明によると、
 「JTBは権威がありますから、特別バスをチャーターしています。一般のバスよりずっと高級なバスで、乗り心地も大変いいです」だそうである。
 ボデイに描かれているパンダ模様と金色の、高級バスに乗り込んで、いざ出発となった。

 四川省の省都[成都]の北約400㎞に位置する秘境で、谷(溝)に沿って九つのチベット族の村(村寨)があったことから[九寨溝]と呼ばれてきた。
 1992年世界自然遺産に指定されました。4,000mを超す深山と原始森林を背景に、宝石をちりばめたように大小100余りの澄み切った湖沼と渓流、そして瀑布が延べ80㎞も連なっている。
 九寨溝のもっとも奥の標高は4,700mであるが、観光地区の標高は3,000mである。
 森には熊やオオカミ、ジャコウ鹿、大熊猫(パンダ)や金糸猴(サル)等170種類もの動物と、140種以上の野鳥が生息している。
 高山植物は優に及ばず、貝母や冬虫夏草、大黄等漢方薬の元となる薬草の宝庫で、“童話の世界”“神話の園”と称される景勝地である。

 九寨溝地区は[九寨溝入り口]から16㎞の[則査窪溝]で、Yの字に分かれている。左の一番奥に[長海(3,103m・33㎞)]が有り、Yの字の右側の一番奥20㎞は[原始林]、[則査窪溝]に到達する。その間にそれぞれ美しい水の色に煌めく湖がある。

 [九寨溝]では湖のことを“海”と呼ぶ。漢詩にある“白髪三千丈”的なたぐいの表現なのだろうか? それと山奥で海に対する憧れから、“海”と称したようである。
 ゲートを出ると、専用車の運転手と女性のガイドさんが紹介された。一日観光の全てをお任せするスタッフに拍手。所がこの女性ガイドさんは日本語が話せない。初日からずっと同行してきた中国人ガイドの王さんの出番である。九寨溝の沿革から歴史に至るまで、事細かに説明をしてくれた。

 専用車は片側一車線の狭い道を猛スピードで走りぬける。他の観光客が少ない穴場を見つけて先にそこを見学しちゃおうという訳である。
 前を走っているバスをクラクションをけたたましく鳴らし追い抜いて行く。特別仕立てのこのバスには優先権があるようで、《そこのけそこのけJTBが通る》って感じであった。

 【 犀牛海 】

 観光開始である。第一歩を踏んだのは誰も居ない碧色の湖である。
 此処の湖面から[長海]のほうを眺めると、朝夕の風のない時は、雪をいただいたチベットを真ん中にして、左右の山の稜線がとても美しい。 その姿が[犀牛海]にくっきり逆さまに映り、上下対称の絵が出来上がっている。風が吹いていたらこの美形は見る事が出来ないだろう。妻はラッキーガールなので、たっぷり堪能することができた。

 【 諾日朗瀑布 】

[ 諾 日 朗 瀑 布 ]

 一番最初の滝[諾日朗瀑布]に降りた。あんなに沢山の行列をなしていた中国人団体ツアーの人達は、一番遠く(奥)から見てこようというようで、ここには誰もいなかった。
 穴場発見、ガイドさんの機転の利かせどころである。
[諾日朗瀑布]は[日則溝]と[則査窪溝]が交わる地点、Y字型の園内を観光して回ると何回も此処を通過することになる。

 滝の幅は約320mと中国では幅の最も広い“高山滝”として有名である。20~30mの落差があり、対岸から眺めることになるが、周囲には立ち木や巨木が有り、立ち枯れの木もあって、足場を確保しながら勇壮さを楽しんだ。
 九寨溝で最初に見た[諾日朗瀑布]には強烈なパンチを浴びせられた。スッゲエの一語に尽きた。
 然し残念なことに、ここでも“乾期”ということで、水の量が少ないのだ。対岸で写真撮影をしていると、滝の飛沫をもろに被ったものだった。4年前の半分ぐらいの水量だった。
 一気に一番奥まった[長海]迄登り詰める。途中[下季節海]・[上季節海]をバスの上から眺めた。乾期のため湖の底は月面のクレーターみたいに干上がっていた。
 7月の下旬になれば干上がって丸見えの湖も、水が溢れエメラルドグリーンになるのである。

 九寨溝地区内はあっちでもこっちでも遊歩道工事が真っ盛りであった。構想では園内くまなく80㎞に2mの木の板を張り(その上に1.5mの鉄の網をかぶせる)巡らせた遊歩道を完成させ、ゆくゆくは散策を楽しんで貰おうと言う計画だという。
 そうすれば1日では見切れないから数日間の滞在となり、観光収入が増えると見込んでいるのである。

 自然そのものの湖の脇に、コンクリートの基礎を打ち、アングルで囲んだ上に板を敷く。美しい景観に延々とその遊歩道が設置されるのである。「がっかりだなあ!」は私の我が儘であろうか? それよりもその木材の量たるは膨大なものになるだろう?
 今回も写真を撮った。所がシャッターを押す目線が違うのである。遊歩道の上から写す湖には、水辺との接点が空く、土と水辺の柔らかな囁きが伝わってこないのだ。

 【 長海 】

 専用車は一気に一番奥まった[長海]に上り詰めた。海抜は3,103m・長さ7㎞、九寨溝で最大・最深の湖である。観光ポイントは此処までで、これ以上の奥地は未だ開発されいない。
 [長海]は山に囲まれていて、山の陰が微妙に変化しエメラルドグリーンの所があると思えば、海のような深碧の所有りで、一つの湖なのにどうしてだろう? 湖面には白い雲がくっきり写る。周りには杉や楓などの樹木が鬱蒼と生い茂っている。

 九寨溝の水は、チベットの雪解け水が石灰層(炭酸カルシュウムが析出・沈殿して生ずる地層。灰白色)をくぐり抜け、湧き水となって幾つもの湖を作り出してきたのである。
 炭酸カルシウム(水に難溶・無色の結晶)を含んだ水が、湖底に沈殿した石灰石によって溶解する。明度の柔らかく高い部分が青い色に変化するのだ。

 現在の観光スポットは[長海]迄だが、ここから約50㎞遡った涪江(ふうこう)に最上流の深い原生林、[白馬チベット族]30数戸が山の斜面に点在していた。(此処へは一般の人は入れない)
 彼らは山腹に焼き畑を開き、昔からのソバやチンクー麦、近年ではトウモロコシやジャガイモを主に作り、山羊やヤク(高地牛)を飼い、農業を中心とした自給自足の生活を営んでいる。
 ツアンパ(炒り麦粉)やバター茶を飲食し、乳製品を利用するという習慣がない。
 彼らが最も崇拝してきたのが山の神である。仏教以前からの信仰で、平武県白馬郷にある[エシモナ(漢語では「白馬老爺」)]は郷の最高の山神として崇められ、犠牲の山羊を備え、旧暦の4月24日には、村の四方の山頂に手に刀や弓・矛を持った麦わら人形をたて、風や雷、雨や雪の害から守ってくれるよう祈る。
 白馬人はチベット族がこの地にくる以前から住んでいた民族ではないかと考えられていた。一説には、古代の民「氐(てい)」の末裔とも云われている。
 特に婚姻においては、白馬人は必ず白馬人同士で相手を見つけなければならないとされ、チベット族や漢族といった外部の者との結婚は恥であり、もしそうなったら、本人や家族だけでなく、親戚に至るまで周囲の非難を受け、白馬人社会での一切の関係を絶たれてしまうそうである。九つあったこうした村落は既に6つがこの地区から追い出されてしまった。
 最近[九寨溝]を視察に来た中国政府の高官は、この地を絶賛し、 「外貨獲得のドル箱になるだろう」から観光を最優先に据えた。そのために、残りの3つの村寨をも追い出す決定をしたそうである。
 白馬チベット族は長い間原生林の中だけで暮らし、外の世界とは殆ど無縁に生きてきた[桃源郷に住む人(インディオ)]なのである。中国政府のそうした考え方には、配慮の足らなさばかりか憤りを感じる。彼らが自然の中の一員だという事が判らないのであろうか?
 涪江最上流の深い原生林の奧には[黃龍]に似た、段々池や大小の湖沼が手つかずのままに、神様が創造なされたのではないかと思われる[童話と夢の世界]を形作っている。何年か後には、其処も観光地として開発されてしまうのだろうか? そっとしておきたい秘境である。
 【 五彩池 】

《 この写真は1998年10月水がある時の写真 》

   [長海]を下ってくると道路を挟んで[上季節海]のやや上に[五彩池]が有る。4年前は民族衣装を着た白馬族の土産物(サルの腰掛けとか名前の判らない漢方薬等)売りのいる坂道を下って水辺まで降りられたのだが、現在は2mの板遊歩道、滑り止めの金網の上から湖面を眺めるしかない。

 干上がってはいないが、湖水はほんの僅かしか有りません。満々と湖水が溢れていても、鮮やかなコバルトブルーの水に、湖底の石ころまでが透けて見えるのである。湖底の岩などが緑色に映え、まさに五彩に彩りを映し出してくれるのが美しい。
 今回は湖底の岩や苔なんかが、どぎつい色にまどろんでいたが、何せ水が少ないので、コバルトブルーはほんの僅かしか見る事が出来なかった。
 湖水に沈殿した鉱物が炭水カルシウムを含んだ水と溶け合って、陽の光の屈折が変化するから五彩に見えるのだとされている。
  
 【 老虎海 】

 専用車は分岐点を更に下がり、[老虎海]にて止まった。木が生い茂った山の影が湖面が濃い緑に映る。空が当たる部分は真っ白に反射して、写真を撮るのには大変難しい。

 【 樹正溝群海 】

 ここから全長14㎞の渓谷内[樹正群海]のトレッキングとなった。
 今から数億年前は海底だった。地殻変動と氷河の活動が、この渓谷を形造った。
 [海子]と呼ばれる大小の湖沼と、その周りを長い間[石灰質]が沈殿し、固まった[石灰華]が自然の堤防となり、湖底を固めた。其処にしっかり根を張った樹木が生い茂った。樹木は[石灰華]からだけでは養分不足なので、[浮き根]と言うものから[炭酸カルシウム]の養分を吸収し、しっかり生き抜いてきた。

 激しい渓流の中に樹木が生い茂っているのは世界中でも此処だけだと云われている。この堤防も高度差により段々池に見えたりする。
 板遊歩道を歩くのだが、渓流の上にも渡し橋のように、対岸まで遊歩道が造ってあった。
 橋にはチベット族のシンボル・お経を印刷した旗が何本も括り付けられている。
 橋の上から目の前に大小の滝が迫ってくる。幅数100mの渓流が醸し出す水音は、せせらぎの大合唱である。この時ばかりは板の遊歩道がありがたかった。
 樹正群海には[火花海][臥龍海][老虎海]と呼ばれる大小70余りの湖沼と滝が連なっている。時間の関係でトレッキングは30分程の地点で引き返す事になった。
 今歩いてきた景観が、逆に歩く事で又、別の景観に飛び込んだように写る。見下ろしてきた滝の群れを、今度は見上げて登る。

 苔の中に可憐な花が咲いている。樹木や苔や藻が真っ白い飛沫と調和して、あっちからもこっちからも水が押し寄せてきては蕩々と流れている。同じ乾期で水が少ない筈なのに[樹正群海]だけは別の水流を保有しているみたいに思えた。
 この透明な水が湖水が、どうしてエメラルドグリーンになるのか不思議だった。

 展望台に上がると[老虎海][火花海][臥龍海]が数珠状に連なっているのが見下ろせる。この地点からだと、水は真っ青に澄み、湖底までが透き通って見える。

[ 臥 龍 海 ]

 [臥龍海]の名は湖底に、緑より更に色濃く見える模様が、“龍”の泳ぐ姿に似ている所から付けられた。
 太陽の光の加減で、水の色は藍・黄・緑などに変化をし、水面から水蒸気が幕を造りだす。地球って本当に綺麗な星なんだと、つくづくウットリさせられた。

 展望台から道路を挟んでちょと小高い所に広場がある。真っ白いペンキで化粧直しをした[多宝塔]が7つ並んでいて、その多宝塔を囲むようにお経の旗が数十本立ててある。そのとなりに瓦屋根の四本柱、大きな摩尼車が据えてある。広場の奥には[九寨溝民俗文化村]の看板を掲げ、チベット風の建物が十数棟ある。

[九寨溝民俗文化村]

 坂を登りきった広場の入り口脇に食堂があったが、広い食堂の中はがらんとしていた。九寨溝内でレストランに入れるなんて考えてもみなかった。流石はJTBである。
 食事は一寸した中国料理だったが、ビールが飲めたし、紙の箱のお弁当を配られるのよりはずっと増しだった。(ちなみに紙箱の弁当の中身は、サンドイッチないし菓子パン1個・リンゴか梨1個・紙パックの豆乳1個・ゆで卵1個が定番である。虚しく思う)

 九寨溝内のトイレには十分配慮がなされている。展望台の前の駐車場には、移動式バストイレが設置してあった。そうしたバストイレが観光スポットに何カ所か有り、その他には公衆電話ボックスのような簡易トイレが設置されている。 
 用を足すと、ビニールが電動式で汚物を繰るんで下に落ちる。係員がその都度便座を拭いてくれる。
 そして公園内には至る所から清掃係員が目を光らせていて、一寸したゴミでもすぐに掬い上げてしまう。コンクリートの四角いゴミ入れが方々に設置されていて、其処に捨てられたゴミもすぐに取り除いてしまう周到さである。
 中国人の習慣のかぎっ鼻と痰、までは規制しきれないようである。

 昼食後は分岐点の右の一番奥まで登り詰めた。バスの車窓から[原始森林][草海][天鵝海]を見学した。このあたりは両側を山に包まれた湖で、湖水は濃紺、湖底の藻が深い緑の模様を描いているかの様に見えた。
 両側の山からは鬱蒼とした樹木が、水辺からすぐの所から群生している。

 【 箭竹(せんちく)海 】

[ 箭 竹 海 ]

 バス道路から坂を少し下がった所に板の歩道が敷いてある。足の下に[箭竹海]、水量はまあまあ、水深はかなり深そうなのだが、澄み切った水が湖底をすぐ間近に感じさせてくれる。
 湖底の流木は石灰(灰色)のベールに包まれて乳白色で、顔を出した部分からは新しい若木が芽吹いていた。
 エメラルドグリーンの湖水に明るい空が映ると、其処だけが透明に見え、透き通って、湖底が覗けるのである。

 九寨溝には100余りの湖沼があるが、この[箭竹海]にだけ魚が生息している。透き通った湖水内に沢山の魚たちの泳ぐ様子を見る事ができた。
 名前を聞くと、「ぬるぬるした魚」としか答えが返ってこなかった現地ガイドも名前を知らないのだ。
 黒っぽくて、鱸(すずき)のような、スマートな魚である。大きいのは30㎝にもなるそうである。炭酸カルシウムの水で生き抜く課程で、鱗を無くす進化? をなしてきたと云われている。たった一種類だけなのも不思議だった。
 「美味しいのですか?」と聞くと、この魚は天然記念物に指定されているから、捕ってはいけないそうである。ですから
 「誰も食べた事がないので味は分かりません」ですって。

 【 熊猫海 】

[ パ ン ダ 海( 熊 猫 海 ) ]

 [熊猫海]はかつて深い森に生息していたジャイアント・パンダが水を飲みに姿を現した事からその名が付いたとされている。
 乾期で湖水はかなり下がっていた。バス道路から対岸まで板遊歩道がかなり広く敷設されている。
 いつもならこの[熊猫海]の水が、遊歩道の下を勢いよく流れ下り、勇壮な[熊猫海滝]となって観光客を喜ばせてくれるのだが、溢れる筈の水が渇水状態なので、涸れ滝になっていた。
 本来なら落差約30mの、幾筋もの男性的な滝が、止めどなく水をまき散らすように降り続いている。水飛沫を被りながら滝のすぐ下まで降りた感動を、妻に味合わせてあげたかった。“見せ場”だったのだが残念・・・・。
 その滝水が数キロの荒々しい渓流となって[五花海]へ流れて行くのである。

 【 珍珠灘滝 】

【  珍 珠 灘 滝  】

 このあたりは景勝地が密集している所なので、専用車は小刻みに止まることになる。
 一寸した急坂を下ると、いきなり横に長い勇壮な滝に遭遇した。その勇壮な滝は、幅が310mも有る。
 滝の上は幅の広い浅瀬の川になっていて、幾筋もの流れが走っている。その水がいきなり横に長い崖に滝となって落ちているのだ。
 崖の高さは28m。滝となって流れ落ちる水の飛沫が真珠のように見える事からこの滝の名が、[珍珠灘滝]と付けられた。
 滝の前は平行に遊歩道がなだらかな坂になっている。滝水は遊歩道に沿った川になっていて、この流れの激しさには吃驚する。
 足を滑らせた大人が、この川にもみくちゃにされ何人もが命を失ったと説明があった。

 [熊猫海]は渇水状態だった水の量だったのに、いったいこの滝に落ちている水はどこから流れてくるのだろうか? バス通りに沿って観光をしているのだ、水脈が幾つもあるとは思えないのに・・・・。
 ここから約2㎞、横に幅の広いせせらぎを見ながら、[孔雀河道]を散策した。緩やかな下り坂、板遊歩道には車いすでも散策できるような工夫がしてあった。
 むろんこの河にも樹木が群生していた。横に数10m、止めどなく流れゆく水は無色透明だが、遊歩道の終着[金鈴海]に注がれると、其処は半分ぐらいに干上がった湖なのだから、又不可解に感じてしまう。そして、湖水の色はエメラルド・グリーンであり深緑色をしているのである。

 再びバスに乗り、[鏡海][火花海][盆景海]などで写真撮影。
 夢と童話の世界を充分満喫し、心を洗われた気分で[九寨溝]を後にした。この旅の見所はこれにて終了である。

 この日も[九寨溝国際ホテル]に連泊となった。夕食後は、昨日予約をしておいた“民族・歌舞踊”を観劇となった。木戸銭は一人150元(縁2,400円)である。

“民族・歌舞踊”


ホテルの隣りに独立した劇場が建っている。
 中国にある36の少数民族の衣装全てが見られるので、そう言った意味でも面白く、若い踊り手さんがきらびやかで美しく、とっても素晴らしい舞台だった。