第三日目:6月11日( 火曜日 )
何処も朝食は[バイキング]方式である。最近の朝食は品数も多くて、お粥もあるし、何とか食べられた。以前より油の質も良くなって、鼻に衝くということもなくなった。
午前8時30分の出発である。
山岳地帯に向けて、標高が段々高くなってゆくが、今日の段階ではまだショウトパンツにTシャツ姿で大丈夫そうだ。ただし、バスの中はクーラーが効きすぎているので、上に羽織る綿のズボンとジャンパーを出しておいた。
茂県から黄龍へ向けて199㎞の移動である。トイレ休憩をかねて、途中での骨休み観光も組み込まれているようだ。
少数民族・[羌(きょう)族の村]に立ち寄った。河原の石を積み上げただけの壁、うすい瓦もあるが、草葺き屋根もあった。どの家もちょっとした広場には、大きな[パラボナアンテナ]がある。21世紀だなあ? だがこの佇まいにパラボナアンテナは似つかわしくない。
玄関を入ると、土間。平に削ってあるが、土の上での生活なのである。20ワットぐらいの裸電球が一つ。(何で蛍光灯にしないのでしょうかね?)どの家庭にもカラーテレビがある。台所には電熱器があったり、竈(へっつい)があったり、燃料は薪が主のようだった。
寝室にベッド、覗かれたくない所なのですよね? マットにぼろ布のような掛け布団? ごろ寝が習慣のようだ。(村で一番裕福な家庭を選んで見せてくれたのだそうである)
二階は穀物倉庫、吹きさらしで壁がない。同じ屋根の中に、壁一つで豚小屋があり、鼻をつんざくような悪臭がする。路地はぬかるみ、家畜の糞がいっぱい落ちていた。
女性は民族衣装を纏っているが、男性はまちまちの服装だった。[小女帝(女の一人っ子)]には農村には似合わないドレスなんかを着せちゃって、髪には綺麗なリボンを付けているのに、何故か顔は洗わないみたいである。
たとえお金を払ってくれたとしても、いきなり外国人が20人近くやってきて、「ニイハオ」も無いものである。我々としては興味はあるけれど、御邪魔しましたである?

茂県から140㎞登った所に[松潘]と言う城壁に囲まれた街が現存している。古代はチベット系の[ 氐(てい)・羌]族が居住していた。明代に[松州][潘州]の二衛が置かれ、これが合併して、[松潘]となり、清代以降この名称が使われるようになった。
三方が城壁になっていて、後ろが山。コンクリート4階建ての商店街に、民族衣装を着飾った人たちが商いをしている、こぢんまりした街である。郵便局もあった。
いつもながら家を出る時に、シールに18人分の宛名を印刷してきているので、航空便用はがきの切手を買おうとしたら、4.2元(67.2円)の所4.8元の切手しかないと言う。
それでもいいからとお金を払おうとしたが、10枚分しか売ってくれないのである。其処に有るじゃないかとガイドさんが詰め寄ると、これを売ったら無くなっちゃうから駄目だというのだ。すでに大熊猫センターで“絵はがき”を買い10枚分はメッセージを書き込んである。が、切手を買うのが難しい国なのである。
[松潘]地方は周りが山に囲まれており、四川省に豊富といわれる大自然がそのまま残っている。“茶”の栽培を中心に、“麝香”や“漢方薬”の宝庫とも言われている。
昼食後レストランを出た角角でも漢方薬を売ろうと、羌族の男性が私達に群がってきた。
とある店先で“冬虫夏草”を買う。1本5元(80円)が10本単位で結わえてあった。30元(480円)に負けろと交渉すると、仕入れ伝票を出してきて、40元(640円)で仕入れたというので、二束買うから90元(960円)にしなさいと粘り、交渉成立である。
“冬虫夏草”は貴重品なのだ。古くから健康な生活を望む人々の活力源としてもてはやされてきた。中国の陸上選手団“馬軍団”の強さの秘訣は、これを常用していたからだとも。スープを作る時に1本入れて煮込む。食べても良いそうである。
都江堰から上は高速道路が無く、一般道路を、岷江に沿って遡っていく。片側一車線のせまい道路は、一応舗装はされている。そのせまい道路に車の量が増えてきた。
我々一行が乗る[ヒュンダイ]は前方50Kぐらいで走る車を追い抜いてゆく。カーブの多い細道なので、前を見ていると危なっかしくて疲れてしまう。
見晴らしの良い[聚海山荘]でトイレタイムがあった。[厠]だけの独立した建物があちこちにあり、トイレは有料である。一人5角(8円)、腰ぐらいの高さにタイルで囲ってあるが、扉はない。縦に長く溝が掘ってあって、それをまたいて座るのである。
中国人はお尻を見られるのが一番恥とされているので、前向きに座る。 奥のトイレまで往く人から顔が丸見えなので、女性は旅行中のトイレに苦労する。日傘なんかが有ればカモフラージュになるのだが・・・・。
時折ドドドドーと、溝を勢いよく水が流れる仕組みになっている。(水洗トイレ?)これでも数年前と比べるとかなり(衛生的に)良くなったのである。
見晴らしが良いから[トイレ]を設置したのか、旅行途中の休憩地として最適だからか?

土産屋が並んでいた。崖っぷちに真っ白い “ヤク”が角にリボンを付け、首には色とりどりの首飾り、化粧鞍を附けて数頭並んでいた。トイレに立ち寄った客に、ヤクに乗って写真撮影をどうぞという商売である。一回10元(160円)。妻は真っ先に飛びついた。真っ白いとっても綺麗な“ヤク”に乗った。
お土産屋では、現地で取れた漢方薬やこしょう・山椒などを売っていた。加工されたものと違って、強烈な匂いが鼻を突く。30元(480円)も出せば大量のこしょうが買える。日本に帰ってからこれをどうするかが宿題になりそうだ。
ここから後40数キロで、今夜の宿泊地[黄龍]へ到着する。途中標高4,200mの峠を越えて行く。富士山よりも高い所なのですが、山には白い“シャクナゲ”が満開。黄色い“罌粟(けし)”も点在していた。後、半月も過ぎると、今度は赤い“シャクナゲ”と赤い“罌粟”が咲き競うそうである。
高地に登ってきたから気温もぐんと下がり、バスは冷房から暖房に切り替わった。外気とバスの中の温度差で窓ガラスは真っ白に曇ってしまった。
4,200mの峠の頂上に仮設用のトイレが設置されていた。(2年ぐらい前に設置された)バスから外へ出ると気温は5度、冬のような寒さである。2元(32円)取られたが、天国に一番近い所でのトイレは記念になった。用を足すと、ビニールが電気仕掛けで便器に吸い込まれてゆくように巧く考えられていた。
妻がそのトイレに駆け足で向かった。出てきてから聞いてみると、気分が悪くなって吐いてしまったというのである。バスの中が暑くて苦しかったから、冷房だと思って排気口のノブを全開にしたら、暖房に切り替わっていたので、よけい暑苦しくなってしまったと話す。実は高山病に罹ってしまったのである。
ツアーの中で尾本さんの御主人が、やはり高山病に罹ってしまった。尾本さんの方が重傷で、酸素ボンベを当てていたが真っ青だった。高山病は平地へ降りれば治ってしまう。然し、この高地へ観光に来ているので、頭が割れるように痛くても、体を起こしていられない程気だるくとも、ツアーと行動を共にしなければならないから辛い。
私どもは一昨日売店で、酸素ボンベこそは買いませんでしたが、高山病に罹らないというアンプルを買って服用してきている。(それに缶ビールを8缶)
私はアルコールを飲み過ぎなければ高山病なんてへっちゃらである。妻にはアンプルの効き目がなかったのか? こうした時に備えて、バスの運転手が酸素ボンベを用意しているので、急遽購入した(約2時間用で50元・800円)。何人かの方は小出しに酸素を吸っていたようなので、今日の所は高山病に罹ったのは二人だけだった。
ホテルは[華龍山荘]と言い、“黄龍”入り口から100m位の所にあった。標高3,200mだけに各部屋には、60㎝×40㎝のゴムマットの様なのが置いてある。酸素がパンパンに詰めてあり、厚みが50㎝程に膨らんでいる。ビニールパイプが伸びていて、折り曲げた所に金具を付けてストッパーにし、伸ばした状態で鼻の穴に突っ込んで、つまり、酸素ボンベのサービスという訳なのである。30分程持つそうである。