ギアナ高地・エンジェルフォールズ

6日目・9月19日(火曜)

9時00分・ロッジ出発[カマイナ空港]へ。セスナ機は4人乗り・運行手配の関係で今日の[カバック アドベンチャー・トラベル]は2班に分かれての移動となった。
 此処でも先発をじゃんけんで、私の妻はじゃんけんの凄腕者、この日も先発を勝ち抜いた。
 

《セスナ機からエンジェルホール》

私の経験では、こうした山岳条件では時間が早いほど好天に恵まれるのだ。
 私はちゃっかり、[写真撮影]を強調して、パイロットの隣に座らせて戴いた。
 エンジェルフォールを空から遊覧し、アウヤン・テプイを45分間で飛び越えて[カバック]に下りる。このセスナ機が引き返し、後続部隊を乗せてくるのである。
 鬱蒼としたギアナ高地の密林に囲まれて、地底から突き上げるように聳え立つアウヤン・テプイ。セスナ機はその切れ立った垂直な岩すれすれに、実際は凸凹な頂上に、今にも機の車輪がくっつきそうな処まで大接近飛行をして、数百億年そのまんま変わることなく保ち続けてきた勇姿を見せつけてくれた。
 アウヤン・テプイの頂上には背丈の低い木樹が被い茂っている。この独立した世界にも動物が棲息しているのだろうか? セスナ機からは動物らしいものは見えなかった。
 部分的に観測すると、岩の突先は南極の 《セスナからエンジェルフォール》 氷河が崩れ落ちるときのような格好をしている。
 奇岩の造形林に真っ白い雲が割り込んでくる。旋回する角度によって、千変万化する無言の神秘なる様を眼下に見下ろすことが出来るのである。年甲斐もなくわくわくして、嬉しくなってきた。         

 エンジェルフォールが見えてきた。私の読みは正解だった。滝の周りには雲がなく、だだっ広いテーブル状の山頂に降り注ぐ雨が(見下ろしたところでは)何で、どうやってこの滝を形成しているのか理解できない。

 川となって低いところに水が流れ落ちてくるのが滝だというのは分かるのだが、アウヤン・テプイに川らしき物は見あたらないのである。
 ライメの展望台から見上げたエンジェルフォールとはまるで別の滝に見えた。落差1,002mをセスナ機からでは、全てを見下ろすことが出来なかった。
 それでも二筋に分かれて流れ落ちる下降口は、バッチリ捉えることが出来た。
 二度ほど旋回をして滝遊覧飛行を楽しませてくれたが、二度目に接近したときには雲が滝に絡んでいた。茶色の岩肌を包み込む白い雲、其処に二筋の白い帯、ファンタ・スティックであった。
 望遠レンズにして近接すると、右側の滝は岩の割れ目から噴出しているように見える。カメラを構えていて瞬間の、シャッターチャンスばかりに集中しているから、実際に滝観光をしたという気分にはなれなかった。

ギアナ高地の上を行くセスナ機からの光景は見事であった。標高2,600~2,700m、地面との高さ1,000m近くの岩壁が織りなす人跡未踏の台地は不気味でもある。こうした景色に見とれながら間もなくカバック空港に着いた。
 [カバック]はカナイマからセスナで約40分、ギアナ高地の一部を越えた所にある小村である。セスナ機専用の滑走路があり、その少し離れたところに集落らしきものがあった。[椰子の葉]で葺いた屋根である。
 此処の滑走路はコンクリート舗装をしていない。土をならしただけである。その割には着陸時の揺れが小さかった。空港付近の藁ぶきの建屋内で荷物を預け、水着に着替えた。ここから山道を少し歩いた後は、河の中を泳いだり歩いたりしながら遡上するのである。
 そこはインディオの部落ではなく、この地の観光局が運営している[キャンプ]である。西欧の人達は、土壁と椰子の葉の屋根だけの小屋にハンモックを吊って宿泊するのである。(プリプリや蚊は大丈夫なのでしょうか?)
 土産物を売る店? らしきものがあった。閑散としていて、まるで無人島のような雰囲気である。

《カバック洞窟》

 椰子が実っていたので、インディオに頼んで斬って貰った。1個500ボリバール(約85円)だった。南米ベネズエラの椰子は、冷たくて美味しかった。
 後続部隊もセスナ機2機でやって来た。準備を整えて、11時、アドベンチャー・トラベルに出発である。丘を歩き、林を抜けるときには重装備で[エナモラードの泉][カワイコデンの泉]で写真撮影タイムがあった。
 この時期は雨期であるから、いつもなら道は泥濘で歩くのも容易じゃないそうである。ところがここ3日ほど雨が降らないから我々はついている。トレッキングにはもってこいの条件となった。それでも歩きにくい道だった。
 [カバック洞窟]にアタックするので、水着姿である。川底がごつい小岩だらけなのでサンダルや靴を履き、それに救命胴衣を被らされる。
 カメラの類は現地ガイドに預けた。二重のビニール袋に包んで濡れないようにして洞窟の向こうまで運んでくれる。
 この村の傍を流れる川を遡上した先の洞窟の中に滝がある。洞窟の中に落下する、これがカバックの滝である。岩をトラバースしたり、川岸を歩いたり、急流の沢を横切るのだ。丸木橋はぬるぬるしているし、バランスを崩したら川に転倒してしまう。
 こうした海外旅行の経験は相当稀有なもので、忘れることの出来ない思い出になった。水はそんなに冷たくない。こうして次第に洞窟らしい所に近づいていった。洞窟の上部に穴があいていてそこから水が薄暗い洞窟の中に注ぎ込まれるのである。滝そのものは大きくない。
 この中で滝に打たれながら水遊びである。少し不気味だが面白く、得難い体験をした。泳ぎに自信のない人はカヌーに乗って洞窟を抜け出すが、腕に覚え有りと急流に挑戦した人はその流れの速さに戸惑った。
 足の届かない水深なので岩に取りすがってみたものの掴む処はつるつる滑り、頼りのロープもふわふわし、流れにまかせっきりになっている。泳げない人は丸木舟に乗せられて現地スタッフが運んでくれた。
 泳いで洞窟を抜けるつもりも、流れがきつくてなかなか先に進めない。皆さんそれぞれ苦労してカバックの滝下(滝壺)までたどり着くことができた。
 滝の高さは20m? 幅25m? 水量は豊富である。滝の厚みが圧巻である。水しぶきが容赦なく降りかかってくる。擂り鉢の底のような処なので洞窟は光が閉ざされている。
 岩の上の方から木漏れ日が差し込んできた。この滝ノ下にいるのは私たち13人(ガイド2人含む)だけである。
 子供に還った私たちの歓声に[岩ツバメ]が驚いて、洞窟の岩の間から出てくるは出てくるは、思わぬ侵入者に鳴き喚いていた。
 ビニール袋からカメラを出して貰って、滝のしぶきにカメラをいたわりながら、つかの間の記念撮影を楽しんだ。

 洞窟アドベンチャーを終えて、明るい日差しの下で休憩となった。
 沢の深みに8mほどの岩がある。ギャラリーが見ていることだし、私は此処でもダイビングジャンプをご披露した。
 [カマイナ空港]へ戻るのも分乗である。帰りのフライトでもエンジェルフォールに二度ほど接近飛行をしてくれた。エンジェルフォールはすっぽり雲に被われていたが、滝のしぶきの勢いなのか? 真っ白い雲を掻き分けて、下降口付近だけが見えた。
 世界一長い滝をこんなに近くで見られるなんて、想像すらもしていなかった。
 ロッジへ戻るとすぐに、こんどは[カマイナ・ラグーン]クルーズである。
 いつもの遊覧ボートに乗って横一線に並ぶ[ハチャの滝][ゴロンディリナの滝][ウカイマの滝]のしぶきとボートのしぶきを被りながらの遊覧である。
 紅茶色の水が岩にはじけて乳色に混ざり、幾筋もの糸のような線状に、流れ落ちる滝とも混ざり合うのである。
         
      

《カマイナラグーン》

 様々な形と縦に横にどでかい大迫力の滝・滝・滝を、これでもか、これでもかと見せつけてくれた[アウヤン・テプイ]地区に惜しみない拍手を送った。
 思えばこの日が一番ゆったりした行程だった。アドベンチャーの旅もほぼ終了。ゆっくり休んでからの夕食では、ツアーの皆さんが妻の誕生日を祝ってくださった。
 添乗員の宮下さんが、日本からケーキの代わりに[御赤飯]を持ってきて下さり、御赤飯に蝋燭を3本立てて何歳? かの誕生日?

 7日目・9月20日(水曜日)

 10時、ロッジ発[カマイナ空港]へ。DC-3による[エンジェルフォール]遊覧飛行である。

 機内に乗り込んでもなかなか発進しない? 管制塔らしきものがあったって制御するほどの飛行機が飛び交っているわけでもない。
 何をもたもたやってんのかなあ?とじらける頃にようやく飛び立った。    

《YS機飛行遊覧》

           《YS機飛行遊覧》
 飛び上がったと思ったら、旋回してすぐの着陸となった。 
エンジントラブルで機材を交換と言うことになったのである。(危なかった?)
 別のDC-3に乗り込んで[アウヤン・テプイ]上空を飛び、エンジェルフォールに大接近する遊覧飛行というオマケ飛行である。 
 この日は雲が懸かっていて、滝はよく見えなかった。飛行中操縦席に入れてくれて、写真撮影なんかをさせてくれたが、とても写真を撮影出来る状況ではなかった。(操縦席の見学だけ)

 ボートに乗って[ライメの展望台]迄トレッキングして真下から見上げた大迫力のエンジェルフォール、セスナ機による空からの間近に見下ろしたエンジェルフォール遊覧も済ませているから、三番煎じの観光は興醒め感があったけど、それほどガッカリはしなかった。
 このDC-3のパイロットのサービスは、ロッジ近くの[カラオ川]すれすれの低空飛行をしてくれたことである。川を遡る遊覧ボートのお客さんが、機の窓すぐ下で手を振っていたし、椰子の木が真横に見えるほどだった。

 午後「カマイナ空港」を飛び立てば、後は3日間を掛けて日本目指して帰国行が待っている。                

             2000年10月15日